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第31話 甘い口づけ

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「好きだ・・・・・・」

 言霊のように想いがあふれてくる。
 自覚をした今だからこそ、奔流のように溢れそうなこの感情をもはや抑えることはできなかった。

「シルフィア・・・・・・」

 アークレイは瞳を閉じると、僅かに開いたシルフィアのその唇に、そっと自らの唇を重ねていた。
 それは一瞬のこと。
 唇を離したアークレイは、乾いた唇を舌でなぞる。
 わずかに軽く重ねただけだが、シルフィアの唇の感触がまだ唇に感触が残っていた。
 当然のことながら、シルフィアは化粧などしていない。
 女性のように口紅など付けていない。
 だが、その淡い桃色の唇は、瑞々しく潤い、吸い付くような柔らかさだった。
 それに、不思議と甘い。
 単純に味覚からくる甘さではない。
 指で己の唇に触れた。
 この感覚はいったい何なのだろう。

 シルフィアへ視線を向けると、アークレイの戯れにも気付かずに、未だ眠りに落ちたままだ。
 右手をシルフィアの顔の横につき、覆い被さるように、再びその綺麗なシルフィアの寝顔に顔を近付けた。
 息が触れそうだ。
 アークレイの胸の鼓動は、常にないほど激しく脈打っていた。
 止めておけと、頭のどこかで理性が警告する。
 ここで止めておかなければ、もう戻れない。
 しかし、その理性はすぐに激流にのまれてしまう。

「・・・・・・」

 再び重ねられた唇。
 先程より長く重ねたそれを離したアークレイは、顔を右手で覆った。
 何をしていると叱咤する理性の裏で、沸き上がる歓喜にも似た痺れが、それら全てを麻痺させていた。
 こんな子供だましのような口づけに熱くなっていた。
 まるで初めての口づけであるかのように。
 いや、その時よりもはるかに緊張していた。
 シルフィアとの口づけが、こんなにも心震えるものだとは。
 それはシルフィアだからだろうか。
 シルフィアのことが愛しいからだろうか。
 アークレイは、シルフィアの柔らかな白金の髪をそっとかきあげた。

「シルフィア・・・・・・」

 呼び掛けに、当然のことながら言葉は返ってこない。
 だが、名を呼ばずにはいられなかった。
 胸の奥に揺らめく熱い想いが「愛情」という名だとすれば、何故これほどまでに愛しさが募るのだろう。
 確かにシルフィアは美しい。
 遠くシェラサルトの民の血を引くシルフィアは、性を超越した美しさがある。
 その美しさは、正直に言うならば、女性である2人の妃をも上回るだろう。
 だが、その美しさを比べようとは思わない。
 シルフィアのことを、女性扱いしているつもりもない。
 美しいからではない。
 シルフィアに惹かれた理由は容姿ではないのだ。
 シルフィアはシルフィア。
 シルフィアだから愛おしい。
 ただ、それだけの理由なのだ。

 わずかに開くその唇に、アークレイは再び口付けた。
 今度は更に深く。
 何度も向きを変えながら、時にはついばむように。
 身体が熱くて熱くてたまらなかった。
 だが。

「ん・・・・・」

 わずかに眉根を寄せ呻くシルフィアに、はっと我に返り、慌てて顔を離す。

「・・・・・・」

 何かに導かれるかのように、シルフィアの長い睫毛を湛えた目蓋が、ふうっ・・・と開かれた。
 目蓋の下から現れたのは、大きく鮮やかな碧玉。
 アークレイは動揺を隠せなかった。
 もしや、シルフィアに気付かれたのだろうか。
 己の愚かな行為を。
 しかし寝起きだからだろうか、シルフィアの視線は定まらず、茫洋とした表情でこちらを見上げていた。
 その瞳は潤み、まるで自覚はないだろうが、壮絶なまでの色気に満ち、アークレイはますます煽られて、自分を抑えるのに必死になる。

「アーク、レイ・・・・・さ、ま?」

 舌たらずなおぼつかない口調で名を呼ばれた。

「あ・・・・・・ああ・・・・・・」

 もしかしたら、まだ夢の中にいるのかもしれない。
 そう思った次の瞬間、シルフィアの顔がほころんだ。

「!」

 まるで花がほころぶような・・・・・・そんな、美しい微笑みだった。

「これは・・・・・・夢でございますか?」

「え?あ・・・・・・ああ・・・・・・」

 その微笑に魅了され、そのまま頷いてしまったアークレイの鼓動は鳴りやまない。

「夢でも・・・・・お会いできて、嬉しいです」

「シルフィア・・・・・・」

 まさか、シルフィアからそのような言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
 夢だ。
 これはシルフィアにとっては夢なのだから。
 アークレイはそっとシルフィアの頬を撫でた。

「俺もだ・・・・・・シルフィア」

 駄目だとわかっていたが、これを夢だとするシルフィアの誤解に便乗する。
 最早、自覚した想いを止めることは出来ないのだから。
 シルフィアの白く透き通るような頬に軽く口づけを落とすと、僅かに身体を震わせて目を見開く碧玉の瞳を見下ろし、今度はその唇にゆっくりと口づける。

「・・・・・・・」

 僅かに重ねるだけの口づけだったが、顔を離せば、シルフィアが驚きの表情を浮かべていた。

「アークレイ様・・・・・・?」

「好きだ、シルフィア」

 思わず口から飛び出したアークレイの想い。

「え・・・・・・・」

「好きだ、シルフィア。貴方のことが、愛しくてたまらない・・・・・・」

 ぽかん・・・・・と口を開いたままのシルフィアに微苦笑し、アークレイは再び口づけを落とす。
 今度はもう少し長く、深く。
 余韻を惜しみながら唇を離せば、潤むシルフィアの碧玉の瞳は戸惑いに揺れていた。

「夢だから・・・・・でしょうか?」

「え?」

「そのようなこと・・・・・・貴方様がおっしゃる筈がございません・・・・・・」

「何故だ?俺が貴方を好きなのは、現実ではありえないと?」

「ありえません・・・・・・貴方様が私をそのように想われることは・・・・・・」

 シルフィアは切なげに、今にも泣きそうな表情でアークレイを見上げてきた。

「貴方様が、私と同じ気持ちになられることなど、決して無いのですから」

「・・・・・・・シルフィア」

 同じ。
 アークレイと同じ。
 シルフィアはそう言った。
 シルフィアが、アークレイと同じ気持ちだと。
 好きだと、愛しいと想うアークレイとシルフィアの気持ちが同じなのだと。
 アークレイは体中が熱くなっていくのを抑えられず、シルフィアの細い身体をぎゅっと強く抱きしめた。

「夢などではない!俺は・・・・・・俺は、シルフィア、貴方のことが好きだ!」

「・・・・・・っ」

 腕の中のシルフィアが僅かに呻くが、アークレイはその腕の力を弱めずに、更に強く抱く。

「好きだ・・・・・・好きだ、シルフィア。貴方のことを・・・・・・愛してる」

「アークレイ・・・・様?」

 一瞬動きが止まり、驚いた表情でシルフィアはアークレイを見上げていた。
 その焦点は、今ははっきりとアークレイを捉えていた。
 どうやら、完全に覚醒したようだ。

「へ・・・・・・陛下!?」

「・・・・・・おはよう、シルフィア。といっても、まだ夜だがな」

「陛下!?何故!?え!?」

 自分が置かれている状況に、シルフィアの思考は追いついていないようだ。
 それもそうだろう。
 目が覚めたら、夢だと思っていたはずのアークレイの腕の中にいるのだから。

「あ、あの!これは?・・・・・・私は書斎にいたはず・・・・・・ここは私の寝室?なぜ陛下が?」

「『陛下』ではないだろう?」

 息も触れんばかりに顔を近づければ、シルフィアの頬はかあっと赤く染まる。

「・・・・・・アークレイ様」

「そうだ」

「あのっ、お放しくださいっ。これは一体・・・・・・」

 慌てて離れようと、アークレイの胸に両手を当てたシルフィア。
 だが、力強いアークレイの腕は揺るがない。

「書斎で眠っていた貴方を、俺がここにお連れしたのだ」

「え?」

「シルフィア」

 シルフィアの耳元で、その名を呼ぶ。
 シルフィアはビクッと身体を揺らして、アークレイの腕の中でもがくことを止めた。

「貴方が俺を煽ったのだ」

「え?」

「俺は抑えたのに・・・・・・貴方が俺を・・・・・・」

「アークレイ様?」

「シルフィア・・・・・・・」

 アークレイはシルフィアのその細い身体を強く抱くと、その唇に己の唇をゆっくりと重ねた。

「っ・・・・・・」

 驚くシルフィアは大きく身体を震わせて目を見開くが、アークレイは構わず、深く深く口づける。
 名残惜しくも唇を離すと、シルフィアは目を見開いたまま、茫然とした表情でアークレイを見上げてくる。
 そして、震える両手で口元を覆い、今起こったことをようやく理解したのか、かああああ・・・・・と顔を赤く染めていく。

「ア、アークレイ、様・・・・・・い、ま・・・・・・」

「ああ、口づけた」

「!?」

 キョトキョトと忙しなく瞳を動かして混乱しきっている様子のシルフィアに、アークレイはシルフィアの両手首を掴んで口元から手を離させた。

「貴方に口づけたかった・・・・・・だから、した」

「え・・・・・・」

 シルフィアは戸惑いの表情を浮かべて、アークレイを訝しげに見上げてくる。

「あの・・・・・・私は女性ではございませんが?」

「そのようなことはわかっている。貴方は男性だ。俺は貴方を女性扱いしているつもりはない。ただ、貴方に口づけかった・・・・・・それだけのことだ」

「で、ですがっ!」

「先ほどの俺の告白を覚えているか?」

「え?」

「貴方は夢だと言った。だが、夢などではないとしたら?」

「夢・・・・・・あっ・・・・・・」

 思い当たったのだろう、一瞬のうちにシルフィアの頬が朱色に染まる。

「そんな・・・・・あれは夢の中のことで・・・・・」

「夢ではない」

「え?」

「夢ではなく、現実だとしたら?そして、俺の告白に対して、貴方と同じ気持ちになることなど決してないと、貴方はそう言った」

 アークレイの強い口調に、腕の中のシルフィアの顔が強張った。

「あ・・・・・・」

「貴方は・・・・・・俺のことが、好きなのか?」

「!」

「教えてくれ、シルフィア」

「そんな・・・・・・あ、お放しください!アークレイ様!」

 腕の中から逃れようとシルフィアはもがくが、アークレイはその身体を強く胸に抱き寄せて離さなかった。

「駄目だ。貴方がちゃんと言ってくれるまで離さない」

「そんな!申し上げられません!」

「何故だ?」

「お赦しください!アークレイ様!」

 シルフィアの瞳が、今にも泣き出しそうに潤んでいる。
 それでも、アークレイは離さなかった。

「駄目だ。言ってくれ・・・・・・シルフィア・・・・・・」

 アークレイはシルフィアの白い頬に口づけを落とし、細い顎を指で持ち上げて上を向かせる。

「シルフィア・・・・・・」

 そして、その柔らかな唇に、再びアークレイはそっと口付けた。
 甘い口づけを交わし、唇を離すと、ゆっくり開かれたシルフィアの碧玉の瞳から、つう・・・・・と涙が頬に零れ落ちる。
 思わず視線を奪われた、美しいシルフィアの涙だった。

「なぜ泣くのだ?俺に口づけられるのは嫌か?」

 涙を湛えたシルフィアは、勢いよく首を横に振った。

「・・・・・・アークレイ様は酷いお方です・・・・・・」

 シルフィアは目を伏せて、子供のように拗ねた表情で、ゆっくりとアークレイの胸に頬を寄せてきた。

「そうか?俺は自分で優しい男だと思っているのだが?」

 シルフィアの細い肩をそっと抱き、アークレイは白金の髪に頬を寄せた。

「・・・・・・貴方様をお慕いしております」

 ポツリと小さな声が、胸元から聞こえてきた。
 心の内を吐き出すような、深い思いが込められた声だった。

「好き、です・・・・・・」
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