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第30話 愛しき想い

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 夜10時を回った頃、長引いていた会議がようやく終わり、アークレイは西宮にある自室に戻るため、本宮との間に結ばれた廊下を歩いていた。
 城内の喧騒も届かない廊下は、しんっと静まり返っている。
 アークレイや護衛の騎士たちの靴の音だけが、やけに大きく響き渡っていた。
 シルフィアを正式に正妃として迎えるための式が5日後に迫っている。
 当初は大掛かりな式にするつもりはなかったのだが、式への参加を希望する国内外からの書状が予想外に多くなり、想定外に規模が大きくなりそうで、その調整のため連日のように各担当者が走り回っていた。
 警備体制、招待客への食事や部屋の準備、人の配置・・・やらねばならないことが山積みだ。
 それらの最終決定を判じるのは宰相会議で、更に決裁判を押すのは国王であるアークレイの仕事だ。
 おかげで最近は、十分に睡眠をとることもままならない。
 さすがに疲れたな・・・・・・と、背後に控えた宮殿騎士たちに気づかれないように、小さくため息をもらした。

 王城の西宮は3階建で、アークレイの部屋と正妃となるシルフィアの部屋は最上階の3階にあり、隣り合っている。
 アークレイの部屋は西端にあるため、部屋へと向かう途中、シルフィアの部屋の前を通ることになる。
 シルフィアの部屋に近づくと、扉の前に立つ二人の宮殿騎士が、アークレイの姿に気づき姿勢をより正して敬礼をする。

「ご苦労」

 シルフィアの部屋の警護をする宮殿騎士は、合同演習のときと同じ、レグナスとオーヴィンだった。
 オーヴィンは、シルフィアとともにオルセレイドに来た元センシシア王国の騎士だ。
 アークレイよりも年下のまだ若い騎士だが、真面目な好青年で、宮殿騎士たちにもすぐに受け入れられたと聞いている。
 隊長格のレグナスと組むことが多く、謹厳実直を絵に描いたようなこの騎士の言うことも、素直に聞き従っているのだとか。
 彼のような騎士がシルフィアの警護に付いてくれていることは、アークレイにとっても安心だ。

 ふと、シルフィアの部屋の扉へ視線を移す。
 この時間ならまだ起きているだろうか。
 勉強熱心なシルフィアは、いつも遅くまで本を読んでいるらしい。
 書物庫に足繁く通い、今現在、国を挙げて進めている教育改革のため、官吏や学士たちと意見を交し合い、指導書の見直しに取り組んでいると聞いている。
 シルフィアが何か仕事をしたいと言っていたことを大宰相に伝えたところ、この話が持ち上がり、シルフィアも「是非やらせてほしい」と大層喜んでいた。
 都市部では教育もわりと進んでいるが、地方ではまだ十分とは言えず、未だに字の読み書きが出来ない者も多い。
 識字率を高め、教育水準を高めることこそが、国を潤わせる何よりも重要なことだとアークレイは常々考えている。
 シルフィアもその考えに賛同し、協力したいと申し出てくれたのだ。

 今夜もまた頑張っているかもしれない。
 シルフィアに声をかけていこうと考えたアークレイは、宮殿騎士たちを下がらせ、シルフィアの部屋へ入って行った。
 部屋へ入ると、銀盆の上にカップや茶菓子が入った篭を載せた、シルフィア付きの侍女レーヌと鉢合わせとなった。
 レーヌは慌てることなく、アークレイに向かって頭を下げた。

「夜分にすまぬな。それは、シルフィアに?」

「はい」

「では俺が持っていこう」

「ですが・・・」

「構わん。シルフィアは書斎か?」

「はい」

 レーヌから銀盆を受け取り、僅かに開いた扉から薄明かりが洩れる書斎へと入っていく。
 本で埋め尽くされた書棚。
 本や羊皮紙が山積みされ、インク壷や羽根筆が置かれたテーブル。
 元々は化粧室であった正妃の部屋を改装したシルフィアの書斎。
 正妃の部屋とは思えない部屋の様子に、アークレイは苦笑してしまう。

「シルフィア?」

 書斎机に向いているシルフィアの背にアークレイは声をかけるが、ぴくりとも反応がない。
 銀盆をテーブルに置いたアークレイは、シルフィアの側まで寄ると、思わず笑みがこぼれてしまった。
 書物を広げたその上に腕を置いて、顔をうつ伏せた格好のまま、シルフィアは眠ってしまっていたのだ。

「シルフィア・・・・・・」

 すーすーと口元から小さな息がもれるその寝顔。
 こうして見ると、19歳らしい少年の穏やかな顔だ。
 シルフィアが枕のように下に敷いているのは、アルフェレイク王国に関する歴史書だった。
 そういえば今日の午後、シルフィアは魔術師セヴェリーニ=ローザランと面会をしていた。
 オーガスティン第2騎士団団長を経由してアークレイが頼んだことではあるが、これほど早く実現するとは思っていなかった。
 シメオンから受けた報告によれば、今後もシルフィアと会う時間をとってもいいと、ローザランから申し出てくれたのだとか。

 アークレイにとってローザランという魔術師は、どのような人物なのかよくわかっていない。
 魔術学院との公式の場で一言二言挨拶を交わしたことはあるが、基本的には接触を避ける立場であるためだ。
 かつて、遺跡の調査へ同行したこともあるが、直に会話はしていない。
 オーガスティンとの繋がりで会う機会があるウォーレンから、その人物像を伝え聞いてはいた。
 人を煙に巻く、口から生まれてきたのではないかと思うほど喋りが上手いウォーレンをもってしても、言葉で遣り込められ、『苦手』だと言わしめるほどの人物。
 己の美貌を十分に理解し、それすらも武器にして、相手に言い返す隙を与えないのだという。
 にっこり微笑んで毒を吐く計算型。
 気紛れで、気に入らない相手には容赦なし。
 ウォーレンはそんなふうに評していた。
 どこまで真実かはわからないが、他から聞いた噂でも似たようなものだったので、当たらずも遠からずといったところなのだろう。
 そのローザランがシルフィアと再び会う機会を約束してくれた。
 シルフィアのことをかなり気に入ってくれたのかもしれない。

 まあ、シルフィアだしな。

 アークレイは小さく笑って、シルフィアの白金の髪をそっと撫でた。
 素直で、だがどこか天然で、聡いくせに自分に向けられた感情には鈍くて、人を疑うことを知らないシルフィア。
 どれだけ嫌味を言われたところで、それが嫌味だとは気づかないのかもしれない。
 そんなシルフィアに、さすがのローザランも降参したのかも。
 アークレイは書斎机の蝋燭に息を吹きかけて灯を消し、風が吹き込む窓を閉める。
 シルフィアの側に戻ると、起こさないようにその細い身体を抱き上げた。
 両腕にシルフィアの体重がかかるが、思っていたよりも重くはなかった。
 確かに同性なのだろうが、本当に男性なのかと疑いたくなるほどの華奢な体つきだ。

 書斎から居間に戻ると、待っていたレーヌが驚いたように寄ってくる。

「これは陛下・・・」

「どうやら勉強しながら途中で眠ってしまったらしい。寝室に運ぼう」

「恐れ入ります」

「書斎の火の始末と、部屋の片付けを頼む」

「かしこまりました」

「ああ、それと・・・それが終わったら下がって良い」

 レーヌは一瞬目を見張ったが、すぐに理解したのだろう。
 ゆっくりと頭を下げて寝室の扉を開くと、すぐに書斎のほうへと向かっていった。
 彼女もオーヴィン同様、センシシアから供に来た侍女だが、働き者で、よく気がつく優秀な侍女だと侍女頭から聞いていた。
 シルフィアの周囲は、人に恵まれた環境らしい。
 それもこれも、シルフィアの人柄ゆえなのだろう。

 寝室に入ると、シルフィアの身体を柔らかな寝台の上に横たえた。
 それでも起きる気配のない様子に苦笑がもれる。
 よほど疲れているのだろうか。
 無理をしないと良いのだが。
 シルフィアの腰にかけられた剣帯をはずし、それを枕の上に置いた。
 一瞬剣が白く光ったような気がしたのだが、柄の銀細工が反射したせいだろうと特に気には留めなかった。
 ぎしっとベッドに腰掛け、眠りにおちているシルフィアを見下ろす。

 あと5日・・・・・・
 あと5日で、シルフィアは正式にアークレイの正妃となる。
 正妃ではあるが、戸籍上は『弟』として。
 最近、本当にそれでよかったのだろうかと思うようになってきた。

 以前、男性を正妃と迎えるからには、そのための法を作ってはどうかという案が出たことがある。
 同性同士の婚姻を認める法をだ。
 国によっては同性愛を禁じる法律まであると聞くが、オルセレイド王国は同性愛に対して昔から寛容な国民性ため、他国の王子を正妃に迎えるという途方もないこの話も、事情が事情だからかもしれないが、国民に受け入れられたのだと思う。
 かといって、同性婚を認める法律が簡単に作れるかというと、数々のしがらみもあり、結局、施行までには至らなかった。
 今回のことをきっかけに法整備の声が高まったのだが、2人の妃の実家であるファーリヴァイア王国とリヒテラン王国から激しい反対の声があがってしまった。
 ファーリヴァイア王国は、シリティア教の宗派の中でも最も戒律の厳しいグレパーラ派を信仰している者が多く、同性愛は固く法律で禁じてられているのだ。
 一方のリヒテラン王国は、完全な身分社会であるが故に、貴族階級の間では特に血族信仰が根強く、血を残すことが出来ない同性愛については、完全否定されている傾向がある。
 そんな両国に対して、王子を正妃に迎えるということを認めさせるだけでも時間がかかったというのに、その正妃を戸籍上の『妻』として認める法律を作るなど、納得させることすら困難だろう。

 そもそも、アークレイ自身、そこまでするつもりはなかった。
 甘かったかな・・・・・・と苦笑してしまう。
 正妃としてオルセレイドに来た王子がシルフィアでなければ、ここまで悩むことはなかったかもしれない。
 自分の感情が揺らぐこともなかっただろう。

 アークレイはシルフィアの額に落ちた、少し長めの白金の前髪を指でかきあげる。
 まるで宗教画の中から現れたような美しい少年。
 遠くエルフの血を引くという、シェラサルトの民の末裔。
 透き通るような白い頬。
 長い白金の睫。
 今は閉じられた瞼の奥に、碧玉の大きな瞳が眠っていることも知っている。
 その美しい容貌を見下ろして、アークレイはつぶやいた。

「シルフィア・・・・・・参ったよ・・・・・・」

 いつからだろう。
 シルフィアの存在が、これほどまでに自分の中で大きくなったのは。
 庭を散策したときはそれほどでもなかったはずだ。
 やはりきっかけは、離宮へ行った時のことだろう。
 知らなかったシルフィアの様々な表情を見たことで、この少年のことをもっと知りたいと思うようになっていった。

 愛馬との久しぶりの触れ合いに喜ぶ姿。
 女性と間違われて拗ねる姿。
 古代遺跡のことを知りたいと、冒険心で瞳を輝かせる姿。
 アークレイの志に賛同し、政に協力したいと真摯に訴える姿。
 人を傷つけ、剣を振るうことが怖いのだと怯える姿。
 そして、騎士団の合同演習で見せた、見事な剣技でウォーレンを破った姿。
 その剣を再び握り、アークレイを護りたいのだと言ったシルフィア。
 嬉しかった。
 アークレイを護りたいと言ってくれた。
 アークレイがシルフィアを護りたいと願うその想いと同じだからと。

『シルフィア殿のこと、好きになりかけているんだろう?』

 ウォーレンに問いかけられたとき、アークレイは自分の気持ちをよく理解できていなかった。
 まさか自分が同性に惹かれることなどありえないと思っていたからだ。
 だが、そのような考えは無意味だったようだ。

『好きになるのに、性別など関係ないだろ?』

「ああ・・・・・そのとおりだな・・・・・・」

 愚かな理性に捕らわれていた、己の不甲斐なさに馬鹿馬鹿しくなる。
 男性だとか女性だとか、そのようなことは関係ない。
 ただ、好きか、そうではないか、それだけのことなのだ。

 シルフィアには悲しい思いをさせたくない。
 優しい綺麗な微笑みを見せて欲しい。
 望むこと、全て叶えてやりたい。
 護ってやりたい。
 護って欲しい。
 側にいてやりたい。
 側にいて欲しい。
 慈しんでやりたい。 
 慈しんで欲しい。
 抱きしめたい。
 抱きしめて欲しい。
 そんな願望をシルフィアに求めること自体、もう明らかではないか。
 静かに眠るシルフィアの寝顔を見下ろしながら、今やアークレイはその感情をはっきりと自覚していた。

「シルフィア・・・・・俺は、シルフィアのことが好きだ・・・・・・」

 無意識のうちに言葉が出ていた。
 そんな自分に驚くが、言葉にすればその想いが、ますます己の中に刻まれていく。
 シルフィアのことが好きだ。
 誰よりも、何よりも。
 愛しくてたまらなかった。

 シルフィアへの想いは、妃たちや王子たちへの感情とは少し違う。
 彼らのことももちろん愛しい。
 だが違うのだ。
 妃たちへの愛は家族愛。
 そう・・・・・・家族として、夫として父として、護ってやらねばならないという家族愛だ。
 シルフィアへの愛はそうではない。
 家族として迎えるのだから、家族愛もあるだろう。
 だが、そうではないのだ。
 そのようなこともわからなかったのかと、アークレイは自嘲めいた笑みを浮かべる。
 だが最早、自分の感情に嘘はつけなかった。

「シルフィア・・・・・・シルフィア・・・・・・」

 名を呼べば呼ぶほど愛しさが募っていく。
 そっと頬に手のひらをあて、耳元でその名を囁く。

「シルフィア・・・・・・好きだ・・・・・・」

 シルフィアから言葉が返ってこないことはわかっていた。
 だが、この想いを言わずにはいられなかったのだ。
 こんなふうに熱い想いを誰かに抱いたのも初めてだった。

「シルフィア・・・・・・」

 瞼を閉じて眠る美しき人。
 シルフィア=ヴァイン=フィルクローヴィス。
 自分を捕えたその人の名。
 自覚をした今だからこそ、今にも溢れそうなこの奔流のような感情を抑えることはできなかった。
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