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第59話 冷たさの中の優しさ

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「陛下、少しお時間をいただけませんでしょうか」

 淡々とした口調で問いかけてきたのは、真面目な表情のままのオスカーだった。
 面会を終えたシルフィアが、両親たちをアークレイの薦めでローデニア城の庭に案内することとなり蒼天の間を出たときのことだ。

「ああ、それは・・・・・・」

 構わないと言い掛けて、自分の予定を把握していなかったことを思い出す。
 そもそも今日の午前中にシルフィアの両親たちと会う予定だったが、シルフィアの『体調不良』で午後に変更させたのだ。
 シルフィアは当然のこと、アークレイの予定も大きく変わっている。
 昨日のことも今朝のこともまだまだ事後処理があり、本来であればこんなに長い時間ここに居られないはずだった。
 確認のために振り返れば、後ろに控えていたシメオンと目が合った。
 無言のまま見上げてくるシメオンは、だが、目を逸らして床に視線を落とすと、呆れたようなため息を吐き出した。

「・・・・・・30分程であれば」

「それで結構です」

 淡々とした事務的なシメオンよりも更に淡々としたオスカーの声が被さる。
 シメオンは一瞬怯んだような顔をするが、すぐに取り繕い表情を引き締めた。
 どうやら、オスカーのほうがシメオンよりも上手のようだ。

「わかりました。では、30分で」

「ありがとうございます」

「いいえ」

 アークレイの横をすり抜けて部屋を出ていこうとしたシメオンが、くるっとこちらを振り返って睨んできた。

「わかっておられるとは思いますが、陛下はすぐに執務室へお戻りください。くれぐれも、そのまま庭に行こうなどとお考えにならないように。会議が控えておりますから」

「わかったわかった」

 苦笑して手を振り返すアークレイに疑惑の目を向けたシメオンだったが、諦めたのか軽く肩を竦めて部屋を出て行く。

「・・・・・・陛下、申し訳ございませんが、お人払いをお願いできますでしょうか」

 視線を戻せば、何の感情も浮かんでいない碧玉の瞳とぶつかった。
 醸し出す雰囲気はまるで異なるが、瞳の色といい、シェラサルトの民の血を色濃く引いた美貌といい、オスカーとシルフィアはやはりどこか似ている。
 兄弟なのだな、と改めて実感した。

「ああ、わかった」

 背後に控えていた騎士や執務官たちに軽く右手を振れば、すぐに理解をした彼らはアークレイに一礼をして部屋を出て行った。
 静かに閉じられた扉。
 静寂に満ちた蒼天の間に残ったのは、アークレイとオスカーだけだ。

「どうぞ」

 ソファの前に立ち、テーブルを挟んだ正面のソファを手で指す。

「ご多忙のところ申し訳ございません」

 オスカーは表情を緩めないまま軽く一礼すると、アークレイが腰掛けた後に少し遅れてソファへ腰掛けた。

「いや・・・・・・」

 オスカーがアークレイと話すことといえば一つしかない。
 シルフィアのことなのだろう、ということはアークレイもシメオンもわかっていた。

「それで、シルフィアのことで何か?」

 足を組み、両手を膝の上に置き、単刀直入に問いかける。

「・・・・・・まずは確認をさせていただきたいのですが」

「確認?」

「はい・・・陛下はシルフィアを抱かれた。それは相違ございませんでしょうか」

「・・・・・・っ!」

 オスカーのあまりにも直球な言葉に、アークレイは大きく息を呑み、飲み込もうとした唾が器官へと流れて激しく咽てしまった。

「・・・・・・大丈夫ですか?」

 口と胸元を押さえて何度も咽るアークレイに声をかけるオスカーだが、やはり表情は硬いままだ。
 本気でアークレイのことを気遣ってはくれているのだろうが、表情からはその片鱗すら読み取れない。
 一体この男はどの顔が素なのだろうか・・・・・・

「あ、ああ・・・いや、すまない・・・・・っ・・・少し驚いて咽てしまったようだ」

「それほど驚くようなことを申し上げたつもりはございませんが」

「いや、しかし・・・・・・」

「違うのでしょうか?」

 真っ直ぐに見てくるオスカーの瞳は「違わなくはないだろう」と言っている。
 しかし何故、オスカーはそのことを見抜いたのか。
 昨夜のことや今までの疲れもあったのだろう、午前中のシルフィアはかなり気だるそうにしていたが、午後には体調も良くなり、いつものように振舞っていたはずなのだが。
 それほどまでにあからさまだっただろうか。

「いや、違わなくは・・・・・・ないが・・・・・・」

「シルフィアの表情を見ればわかります。昨日までとはまるで雰囲気が違う」

「雰囲気?」

「はい。恐らく、両親も気づいていたと思います」

「センシシア国王夫妻が?」

「はい」

「・・・・・・」

 両親の前で堂々とシルフィアのことを愛していると宣言し、家族もそれを受け止めてくれたのだが、事を急ぎすぎだと思われてしまったのだろうか。
 眉根を寄せて口元に拳をあてたアークレイに、オスカーは軽く右手を振る。

「誤解しないでいただきたいのですが、私は、恐らく両親も、貴方様を責めるつもりはございません」

「え?」

「むしろ、喜ばしいことだと思っております」

「喜ばしい?」

「はい」

 何故そのような言葉が出てくるのかわからず、オスカーを見たまま目を瞬かせるだけだった。
 婚姻前の大事な弟を穢したと非難されるかと思ったのだが。
 シメオンに何といわれようと気にならないが、やはり家族から責められるのは、さすがにアークレイでも堪えてしまう。

「昨日も申し上げたかと思いますが、私ども家族は常にシルフィアの幸せを願っております。あれが悲しむことがないようにと。ですから私は陛下に御礼を申し上げたいのです」

「御礼?いや、だが・・・・・・」

 アークレイは膝の上に両手を置き、ぎゅっとそれを強く握り締める。

「確かに俺は昨夜、シルフィアを抱いた」

「・・・・・・」

 返ってくる言葉はないが、その視線がアークレイの言葉の続きを待っているようだった。

「暗殺者の刃に刺され、血を流して倒れたシルフィアの姿を思い出すたびに、今でも俺は胸が痛いほどに締め付けられる。あのとき、本気でシルフィアを失うかと思った・・・・・・心が壊れてしまうほどに。だから、あのような思いを二度としたくないと、シルフィアが生きている証を確かめたかった」

 白い背を真っ赤に染めたシルフィアの姿が脳裏に浮かび、それを消し去るようにぐっと唇を噛み締め瞼を閉じる。

「だから、抱いた・・・・・・だが俺は、そのことを少しも後悔していない」

「・・・・・・そうですか」

 息を吐き出すようなオスカーの声に顔を上げれば、アークレイを真っ直ぐ見るその口元が僅かに緩んでいるようにも見えた。

「シルフィアは・・・・・・貴方様に愛されて本当に幸せそうだ」

 まさかそのような表情を見られるとは思ってなかったアークレイは、オスカーのそれに返す言葉が出てこなかった。

「どこかまだ幼さが残っていたシルフィアに、今日はどこか大人びた雰囲気を感じておりました。色気・・・とまではいかないかもしれませんが、はっとさせられる内なる輝きと艶めきを放っていたのです。貴方から惜しみない愛情を受けたからなのでしょう」

「オスカー殿・・・・・・」

「幼い頃からシルフィアを見ておりますので、すぐにその変化に気づきました。メルヴィルはまだ付き合いが浅いですから、さすがに気づいてはいなかったでしょう」

 オスカーは少しだけすっと視線を足元に逸らした。

「そ、うか・・・・・・」

 親兄弟から非難されたわけではないとわかり、アークレイはほっと安堵する。

「陛下のシルフィアを想うまっすぐなお気持ちが、私には羨ましく思います」

「え?」

「私も貴方様のように、惜しみない愛を与えることが出来ればよいのですが」

「は?」

 何のことか理解できず、間の抜けた声で首を傾げたアークレイに、オスカーはちらりとその碧玉の瞳を向けてきた。

「オスカー殿、も?」

「はい」

「とおっしゃると?」

 先ほど一瞬見せた柔らかな表情は消えうせ、オスカーは再び至極真面目な表情に変わっていた。

「私とメルヴィルは恋人同士ですから」

 一瞬の沈黙。
 アークレイはオスカーの言葉を頭の中で反芻させた。
 目まぐるしい勢いで何度も。

「え?恋人、同士?」

 言葉にして口から放ってみても、なかなか頭の中に入ってこない。

「オスカー殿とメルヴィル殿が、恋人同士?」

 ようやく理解したオスカーの声は思わず裏返っていた。

「はい」

 だが、オスカーの淡々とした口調は変わらない。

「い、いや・・・しかし、貴方とメルヴィル殿はご兄弟・・・・・・」

「それは、エルガスティン王国には同性同士でも婚姻できる法律が無いからです。シルフィアも貴方様の『妻』としてではなく、前王妃の養子、つまり貴方様の『弟』として籍に入ることになりますよね。私どももそれと同じです」

「では・・・エルガスティンの国王陛下も?」

「養父母も義兄たち全員が認めてくれています。それも、末のメルヴィルが幸せになって欲しいからという彼らの願いからなのです。彼は家族からとても愛されていますから」

「なるほど・・・・・・」

 どこか控えめで、大人しい雰囲気のメルヴィルの容貌を思い浮かべた。

「エルガスティン王国では同性同士の恋愛を許容している風習がありますし、特に反対されることも驚かれることもございませんでした。メルヴィルが望むならと・・・・・・」

 少し前のアークレイなら同性同士ということに大きな衝撃を受けただろうが、今はそのことよりも、このオスカーが、誰か一人を愛することができるということのほうが驚きだった。
 確かに、先ほどメルヴィルに見せた視線は随分と柔らかいものだった。
 シルフィアに見せたとき以上の、温かく見守るような表情を思い出し、少しだけ納得ができた。

「メルヴィルはかつて剣の使い手でした。兄たちのようなたくましい体格ではないぶん、素早い動きと、力ではなく技巧によって相手を翻弄する剣の腕を磨いてきました。エルガスティンの王族として相応しくあろうとして」

「確かに、エルガスティン王国の民は勇猛果敢で、王族の方々までもが戦場へと繰り出して戦うと聞いたことがあるが」

「はい。ですのでメルヴィルもそうあろうとして鍛錬を積み、3年ほど前に戦場に出ました」

「3年前?16歳の時に!?」

「いえ、正確には15歳の時です。我が国の王族が初陣を飾るのは15歳の年と決まっておりますから。その年に戦が起こらなければ当然それは延期されますが、ちょうどその頃のエルガスティン王国は、隣国エンメジア王国との国境紛争が絶えなかった頃でしたから」

 その紛争はアークレイも記憶している。
 エンメジア王国も4強国とまではいかないものの、当時は非常に強い国だった。
 国土を広げようと近隣国と幾度も戦争を繰り返していたのだが、3年ほど前に起こった激しい戦争の末、次第に国力が疲弊していき、結果としてエルガスティンに敗れて属国となってしまった国だ。

「その紛争でメルヴィルは右肩を斬られてしまったのです」

「肩を・・・・・・」

 それはどれほど痛みだっただろう。
 再び頭の中にシルフィアの血に濡れた姿が浮かび、それを振り払うように軽く首を振った。

「斬られた場所が悪かったのでしょう。右腕は麻痺し、動かすことができなくなりました」

「それで・・・センシシアへ湯治に?」

「はい。少しでも良くなればと・・・・・・ですが、センシシアに来たばかりの頃のメルヴィルは殻に閉じこもったように、誰に対しても心を開こうとはしませんでした。戦場に出られない自分には何の価値もないのだと。このような場所に来ても腕が癒えるわけでもなく、無意味だと」

「なるほど・・・・・・」

「・・・・・・ただ、私から見ればそれは甘えだと思っていましたし、大国の王子の我侭に過ぎないと思っていました」

 手厳しいオスカーの言葉に、アークレイは苦笑するだけだった。

「最初はメルヴィルに対して随分と冷たかったように思います。確かに怪我をして気の毒だとは思っていましたが、自分を貶めようとするメルヴィルに対して、私は厳しいことを随分と言ってしまいました」

 それはさぞかし辛かっただろうな、と他人事ながらメルヴィルに同情したくなる。
 このオスカーの表情と口調で冷たい態度をとられれば、余計に辛くて心を閉ざしてしまうだろう。

「優しい言葉も、甘やかすような言葉も特に言ったつもりはありませんが・・・・・・2ヶ月ほど経った頃でしょうか、メルヴィルの方から急に『好きだ』と言われました」

「ほう?」

 なかなか積極的だな、と感心してしまう。
 話しかけにくい雰囲気を纏うオスカーに対して告白するのには、どれほどの勇気が必要だっただろう。

「最初は何の冗談かと取り合わなかったのですが・・・・・・それから何度も言われました。いつの間に仲良くなったのか、シルフィアまでもがメルヴィルに協力するようになって・・・・・・正直困りました」

「何故だ?同性同士だからか?」

「いえ。その点に関しては別に。私はシェラサルトの民の血を引いておりますので」

 センシシア王国の民がシェラサルトの民の末裔であることは知っている。
 だがそのことと今の話が何か関係するのだろうか。
 シェラサルトの民に関することは、アークレイも多くのことを知っている。
 いや、彼らを庇護するオルセレイドの国王として、知っていなくてはならないのだ。
 それこそ、アークレイしか知らないこともある。
 だが、たくさんありすぎてどのことを指すのかがわからなかった。

「陛下はご存知でしょうか」

「何をだ?」

「シェラサルトの民には男性しかいない・・・ということをです」
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