6 / 50
他人の幸せが喜べることが一番の幸せかもしれない
しおりを挟む
夏休みに入ってから、驚くことが起きた。なんと鈴木の作品がとある文学賞を受賞した。
「アンダー二十」ではなく、年齢制限なしの割と名のある文学賞だったから、鈴木の名前が新聞や雑誌にも掲載されることとなった。
俺と伊月はその知らせを受けたある土曜日の昼間、何も考えずに電車に乗って鈴木の家まで行った。途中でケーキを買って行った。ピースのショートケーキ。伊月がホールを買うべきだと主張したが、俺はショートケーキを三つ買うべきだと主張した。小説が切羽詰まっていない時の鈴木は割と少食だからだ。結局伊月は俺の意見に従い、二人で鈴木の許へ向かった。
彼女の家に来たのはこの時が初めてだった。住宅街のマンションの真ん中の階に住んでいた。思えば、女子の部屋に入るのは幼稚園の時を除いてこの時が初めてだったが、伊月がいたせいで特別変な感情は湧きおこらなかった。
鈴木のお母さんは専業主婦で、汗だくの高校生二人がいきなり家に押しかけてきても、文句ひとつ言わず、にこやかに対応してくれた。娘が文学賞を獲ってご機嫌だったこともあるのだろう。
「鈴木さんと同じ文芸部の部長、伊月圭介です。宜しくお願いします」
伊月はこういう時、とても頼りになる。見た目爽やかな礼儀正しい高校生の伊月だ、大人受けは抜群だった。
「文芸部の日向昇です」
俺も精一杯、伊月の真似をした。
「はあい」
鈴木ママは、鈴木に似ず派手な人で、ピンクのシャツに白いスキニーを履いていた。鈴木ママがドアのチェーンを外す。
「お邪魔します」
果敢に伊月が乗り込む。
「お邪魔します」
俺も伊月の後に続く。
「伊月君」
奥から声がした。鈴木がいた。少し大きめのグレーのパーカにデニムスカートを履いた鈴木は、普段よりもかえって華奢に見えた。
「日向君も」
「お祝いしようと思って」
俺は持ってきたケーキを渡した。
「ありがとう、今お皿に出すね」
そう言って、鈴木は奥に引っ込んだ。皿の上に出されたケーキは見事に全て倒れていたが、鈴木はそれに関して何も言わず、美味しい美味しいと食べていた。どうやら俺たちは興奮で少し走り過ぎていたのかもしれない。
「メールしただけなのに、よくうちの場所分かったね」
「まあ、グーグルマップがあるしな」
伊月が自慢げに言う。
「何でちょっと誇らしげなんだよ」
俺が突っ込むと鈴木が笑った。鈴木の部屋はシンプルで、ベッドに机にクローゼット。あとは天井まで延びている本棚が壁一面に三つあるだけだった。当然、俺らの興味は本棚に向く。
「見ていい?」
たまらなくなって、俺は本棚を指さしながら聞く。
「うん」
俺は本棚を物色した。読んだことのある本が半分、タイトルだけ知っている本が三割、あとは全く知らない本だった。全体的に、絵本が多い。伊月も勝手にその中の一つを取り出し、
「わあ、懐かしいな、これ」
「私も懐かしいな」
二人で盛り上がっていた。俺は絵本を一つ抜き取る。小さな犬が、オオカミになりたいと願い、訓練するお話だった。
「それも懐かしい」
鈴木が優しい目つきで本を見る。
「面白いな、これ」
「日向君、絵本は読まないの?」
「読むけど、そこまで詳しく無いな」
「結構面白いでしょ?」
俺がああ、と返事をする前に、
「光、これ借りて良い?」
伊月の声にかき消された。
帰りの電車の中で、俺たちは殆ど会話をしなかった。バスに乗ればいいところを、歩いて鈴木の家に向かったせいもあるのだろう、俺たちは疲れていた。しかしそれ以上に、俺らは鈴木の才能に打ちのめされていた。鈴木の文才は、俺たちが一番知っていたし、それを見出したのは他の誰でもない、伊月だ。それでもやはり、俺たちはショックだった。好きなことに没頭し、自分の世界を作り上げることの出来る鈴木に、俺たちは心の中で嫉妬していた。お互い口には出さなかったが、今どんな感情を持っているのか、なんとなく俺らは理解していた。
伊月は普段から表立って態度には出さないものの、結構プライドが高い。根っからの負けず嫌いだ。普段からめちゃくちゃ努力している姿を見ているから、俺にはわかる。彼が圧倒的才能を前にして何も感じないはずはなかった。でも、俺の方が「下」だ。だって俺は何もできない。伊月みたいに友達が多いわけでもないし、勉強が出来てネタの引き出しがたくさんある訳でもない。プライドだけが高い。俺は今のままじゃ、きっとどこにも行けやしない。俺はわかっていた。
突然、鈴木の言葉を思い出す。
「日向君は小説を書かないんですか?」
小動物のような真ん丸な目の中に、俺の姿が映っていた。そんな簡単に言うな。俺は、お前じゃない。
その日、俺は家で初めて、作文の宿題も無いのに原稿用紙に向かってみた。何も書いていない四百字の原稿用紙。母校の中学校の名前が真ん中に印字されている、もう使わないと思って奥にしまっていた紙。
俺はそのまっさらな二十枚の紙と2Bの鉛筆を前に、一時間弱座っていた。
その日俺は、驚くべきことに、ただの一文字も書けなかった。何を書くべきかなんて全く検討もつかなかった。俺には何も書くべきことなんか無かった。何か一言でも書けさえすれば、そこから自然に言葉が出てくるような気もしたが、遂に俺はそれを捕えることが出来なかった。俺は自分自身に絶望し、諦めた。
改めて俺は認識した。
俺は空っぽだ。
「アンダー二十」ではなく、年齢制限なしの割と名のある文学賞だったから、鈴木の名前が新聞や雑誌にも掲載されることとなった。
俺と伊月はその知らせを受けたある土曜日の昼間、何も考えずに電車に乗って鈴木の家まで行った。途中でケーキを買って行った。ピースのショートケーキ。伊月がホールを買うべきだと主張したが、俺はショートケーキを三つ買うべきだと主張した。小説が切羽詰まっていない時の鈴木は割と少食だからだ。結局伊月は俺の意見に従い、二人で鈴木の許へ向かった。
彼女の家に来たのはこの時が初めてだった。住宅街のマンションの真ん中の階に住んでいた。思えば、女子の部屋に入るのは幼稚園の時を除いてこの時が初めてだったが、伊月がいたせいで特別変な感情は湧きおこらなかった。
鈴木のお母さんは専業主婦で、汗だくの高校生二人がいきなり家に押しかけてきても、文句ひとつ言わず、にこやかに対応してくれた。娘が文学賞を獲ってご機嫌だったこともあるのだろう。
「鈴木さんと同じ文芸部の部長、伊月圭介です。宜しくお願いします」
伊月はこういう時、とても頼りになる。見た目爽やかな礼儀正しい高校生の伊月だ、大人受けは抜群だった。
「文芸部の日向昇です」
俺も精一杯、伊月の真似をした。
「はあい」
鈴木ママは、鈴木に似ず派手な人で、ピンクのシャツに白いスキニーを履いていた。鈴木ママがドアのチェーンを外す。
「お邪魔します」
果敢に伊月が乗り込む。
「お邪魔します」
俺も伊月の後に続く。
「伊月君」
奥から声がした。鈴木がいた。少し大きめのグレーのパーカにデニムスカートを履いた鈴木は、普段よりもかえって華奢に見えた。
「日向君も」
「お祝いしようと思って」
俺は持ってきたケーキを渡した。
「ありがとう、今お皿に出すね」
そう言って、鈴木は奥に引っ込んだ。皿の上に出されたケーキは見事に全て倒れていたが、鈴木はそれに関して何も言わず、美味しい美味しいと食べていた。どうやら俺たちは興奮で少し走り過ぎていたのかもしれない。
「メールしただけなのに、よくうちの場所分かったね」
「まあ、グーグルマップがあるしな」
伊月が自慢げに言う。
「何でちょっと誇らしげなんだよ」
俺が突っ込むと鈴木が笑った。鈴木の部屋はシンプルで、ベッドに机にクローゼット。あとは天井まで延びている本棚が壁一面に三つあるだけだった。当然、俺らの興味は本棚に向く。
「見ていい?」
たまらなくなって、俺は本棚を指さしながら聞く。
「うん」
俺は本棚を物色した。読んだことのある本が半分、タイトルだけ知っている本が三割、あとは全く知らない本だった。全体的に、絵本が多い。伊月も勝手にその中の一つを取り出し、
「わあ、懐かしいな、これ」
「私も懐かしいな」
二人で盛り上がっていた。俺は絵本を一つ抜き取る。小さな犬が、オオカミになりたいと願い、訓練するお話だった。
「それも懐かしい」
鈴木が優しい目つきで本を見る。
「面白いな、これ」
「日向君、絵本は読まないの?」
「読むけど、そこまで詳しく無いな」
「結構面白いでしょ?」
俺がああ、と返事をする前に、
「光、これ借りて良い?」
伊月の声にかき消された。
帰りの電車の中で、俺たちは殆ど会話をしなかった。バスに乗ればいいところを、歩いて鈴木の家に向かったせいもあるのだろう、俺たちは疲れていた。しかしそれ以上に、俺らは鈴木の才能に打ちのめされていた。鈴木の文才は、俺たちが一番知っていたし、それを見出したのは他の誰でもない、伊月だ。それでもやはり、俺たちはショックだった。好きなことに没頭し、自分の世界を作り上げることの出来る鈴木に、俺たちは心の中で嫉妬していた。お互い口には出さなかったが、今どんな感情を持っているのか、なんとなく俺らは理解していた。
伊月は普段から表立って態度には出さないものの、結構プライドが高い。根っからの負けず嫌いだ。普段からめちゃくちゃ努力している姿を見ているから、俺にはわかる。彼が圧倒的才能を前にして何も感じないはずはなかった。でも、俺の方が「下」だ。だって俺は何もできない。伊月みたいに友達が多いわけでもないし、勉強が出来てネタの引き出しがたくさんある訳でもない。プライドだけが高い。俺は今のままじゃ、きっとどこにも行けやしない。俺はわかっていた。
突然、鈴木の言葉を思い出す。
「日向君は小説を書かないんですか?」
小動物のような真ん丸な目の中に、俺の姿が映っていた。そんな簡単に言うな。俺は、お前じゃない。
その日、俺は家で初めて、作文の宿題も無いのに原稿用紙に向かってみた。何も書いていない四百字の原稿用紙。母校の中学校の名前が真ん中に印字されている、もう使わないと思って奥にしまっていた紙。
俺はそのまっさらな二十枚の紙と2Bの鉛筆を前に、一時間弱座っていた。
その日俺は、驚くべきことに、ただの一文字も書けなかった。何を書くべきかなんて全く検討もつかなかった。俺には何も書くべきことなんか無かった。何か一言でも書けさえすれば、そこから自然に言葉が出てくるような気もしたが、遂に俺はそれを捕えることが出来なかった。俺は自分自身に絶望し、諦めた。
改めて俺は認識した。
俺は空っぽだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる