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案ずるよりも産むが易し
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月曜日の朝、俺は伊月の姿を見つけると、すぐに飛んで行った。
「全国大会のブロック、二週間後じゃねえか!」
「あ、そうだけど」
相変わらず、こいつの態度は変わらない。
「何かあるの?」
クラスの茶髪女子が言う。伊月とは仲が良いが、俺とは話したことがない。確か吹奏楽部。
「ビブリオバトル。日向は一昨日、大会で優勝したんだ」
伊月が説明する。
「へえ、何それすごい。バトルって、カードゲームか何か?」
「ぜんぜん違う!」
俺が思わず突っ込む。鈴木以外の女子と自然に会話できたのは、すごく久しぶりのことだった。俺は大会の説明をする。
「へえ、日向って意外とすごいんだね、頭いいんだ」
「頭はよくないけど、本は好きだからな。っていうか、支部(ブロック)大会まで二週間しかねえのかよ」俺は伊月を睨む。
「二週間ありゃ十分だろ。っていうか、情報収集不足を人のせいにするな」
伊月が珍しく、ぴしゃりと言った。俺はその通り過ぎて、ぐうの音も出なかった。それ以来、俺は自分に情報収集を怠らないことを誓った。
「心配しすぎなんだよ、まったく」
伊月が珍しく、カリカリしていた。
放課後、そのことを鈴木に話した。
「日向君がこの前優勝したからね、伊月君がカリカリして当然でしょ。本人気づいてないみたいだけど」
鈴木は相変わらず淡々としていた。ただ、このところ鈴木の食欲がずっと右肩上がりだから、作品は大分佳境に入っていると窺える。俺は思わず彼女にチョコボールをあげる。俺は机の上に積み上げた本の山を見る。横には、途中まで印刷された鈴木の新作原稿があった。
最近、伊月は鈴木の作品に口出ししない。今日も生徒会の仕事でまだ部活に来てないし、忙しいせいもあるのだろう。その点に関して、鈴木は何も言わない。今まで通り、淡々と描き続けている。もしかしたら、今回の作品には伊月が口出しすることは何もなかったのかもしれない。今作は前回の物と比べ、テーマが複数ある訳では無くはっきりしていたし、分量も少し抑えめだった。登場人物も前の半分ほどしかいない。伊月が味付けしなくても十分面白い作品に仕上がっていた。前回はエンタメ要素が強かったが、今回は純文学寄りだ。
「なんでそんなに自信ないの?」
鈴木が手を止めずに聞く。目線はパソコンに向けたまま。
「俺が?」
「うん」鈴木が淡々と聞く。
「逆に聞くけど、なんで俺が自分自身に自信持てると思うわけ?」
「日向君はいろんなことを知ってる」鈴木が言う。手を止めずに。カタカタとパソコンの音が響く。
「何も知らないよ」
「日向君は気づいてないかもしれないけど、日向君の本の知識は大人顔負けだと思う。本を好きな気持ちなら誰にも負けてないと思う」
「ただ好きなだけだよ」
俺はため息をつく。
「好きなだけじゃ何もできない」
「この前の大会で日向君が優勝したのは当然の結果だったと思う」
鈴木は相変わらず淡々と言った。ニュースのキャスターが今日の天気を知らせるみたいに。
「なんかね、すごくその本が好きなんだなあって感じられたの」
感情をこめずに鈴木が言う。俺は奴の目を見る、鈴木は俺を見ない。
「その作家さんの本だけじゃなくってね、その作家さんが影響を受けた本も、同じ時代に書かれた小説も、たくさん知ってるでしょ? それは本当にすごい事だと思うけど、結局、その本がすごく好きだからのめり込んじゃったんでしょ?なんかね、本当に本を愛している人のプレゼンなんだなあって伝わって来たよ」
「本を読むしか才能が無いんだよ、俺」
「うん」
鈴木が笑う。ようやく目が合う。
「否定しねえのかよ」
俺も笑う。
「私もそうだもん」
「はあ?鈴木はすげえじゃんか。高校一年で、あんなすげえ作品作って、文学賞獲って。お前のせいで俺、自尊心ボロボロになったんだからな」
俺はほとんど自暴自棄だった。今更隠してもしょうがない。
「俺には本当に何もない」
「私は好きなことをしてるだけだよ」
「それがすげえんだよ、ホント。すげえ奴にはわからないよ。だって、俺には書けない」鈴木の手が止まる。彼女の目が開く。大して大きくも無い目だが、丸い。小動物のように純粋な目。
「書いてみたの?小説」
声が大きい。俺は周りに人がいないことを確認し、鈴木を睨んだ。鈴木の目は開いたままだった。
「あーー……その、まだだけどさ、その」
「書いたんだ」
「ちょっとだけだけどな。でも、できるまではあんまり人に言いたくない」
「そうだよね、私もそうだし」
「伊月には絶対に言うなよ」
鈴木は一瞬がっかりしたような顔をしたが、やがて頷いた。その目は、いつもの小説を書いている鈴木の目だった。
「わかった。約束する」鈴木が小指を差し出す。俺はびっくりした。
「約束の仕方が古いな」
「古いよね」
鈴木がそう真剣な顔で言うから、俺には冗談なのか本気なのか判断がつかなかった。俺は小指を出す。こんなことをするのは久しぶりだったから、妙に恥ずかしかった。俺は周りに人がいないことをもう一度確認し、小指をクロスさせた。
「約束だから」
そう言って鈴木が力を入れる。俺は指に殆ど力を入れなかった。なぜか彼女の細い指に、自分からは触れてはいけない気がしたからだ。
四秒か五秒くらい、俺たちはじっとしていた。本当はもっと短かったのかもしれないが、俺はそのくらいの長さに感じた。完全な静寂が俺たちを包んだ。やがて彼女は力を入れるのをやめ、手を引っ込めた。俺はこの時生まれて初めて、女子の身体に触れた気がした。勿論そんなはずはないのだが。
「もう一つ約束してくれる?」
鈴木が俯きながら言った。夕暮れで、後ろの窓からは日が射していた。鈴木の顔が眩しい。
「場合によっては」
「できたらちゃんと私にできた作品を見せて欲しい。たとえどんな風になっても」
なんだ、そんなことか。
「わかった」
何かの音楽が鳴った。時計だ。ここの図書室の時計は少し変わっていて、毎時間、オルゴールで何かしらの童謡が流れる仕組みになっていた。確か流れた曲は、『君をのせて』。
「五時だね、もうすぐ伊月君来るんじゃない?」
鈴木はすごく穏やかな表情で言った。
「全国大会のブロック、二週間後じゃねえか!」
「あ、そうだけど」
相変わらず、こいつの態度は変わらない。
「何かあるの?」
クラスの茶髪女子が言う。伊月とは仲が良いが、俺とは話したことがない。確か吹奏楽部。
「ビブリオバトル。日向は一昨日、大会で優勝したんだ」
伊月が説明する。
「へえ、何それすごい。バトルって、カードゲームか何か?」
「ぜんぜん違う!」
俺が思わず突っ込む。鈴木以外の女子と自然に会話できたのは、すごく久しぶりのことだった。俺は大会の説明をする。
「へえ、日向って意外とすごいんだね、頭いいんだ」
「頭はよくないけど、本は好きだからな。っていうか、支部(ブロック)大会まで二週間しかねえのかよ」俺は伊月を睨む。
「二週間ありゃ十分だろ。っていうか、情報収集不足を人のせいにするな」
伊月が珍しく、ぴしゃりと言った。俺はその通り過ぎて、ぐうの音も出なかった。それ以来、俺は自分に情報収集を怠らないことを誓った。
「心配しすぎなんだよ、まったく」
伊月が珍しく、カリカリしていた。
放課後、そのことを鈴木に話した。
「日向君がこの前優勝したからね、伊月君がカリカリして当然でしょ。本人気づいてないみたいだけど」
鈴木は相変わらず淡々としていた。ただ、このところ鈴木の食欲がずっと右肩上がりだから、作品は大分佳境に入っていると窺える。俺は思わず彼女にチョコボールをあげる。俺は机の上に積み上げた本の山を見る。横には、途中まで印刷された鈴木の新作原稿があった。
最近、伊月は鈴木の作品に口出ししない。今日も生徒会の仕事でまだ部活に来てないし、忙しいせいもあるのだろう。その点に関して、鈴木は何も言わない。今まで通り、淡々と描き続けている。もしかしたら、今回の作品には伊月が口出しすることは何もなかったのかもしれない。今作は前回の物と比べ、テーマが複数ある訳では無くはっきりしていたし、分量も少し抑えめだった。登場人物も前の半分ほどしかいない。伊月が味付けしなくても十分面白い作品に仕上がっていた。前回はエンタメ要素が強かったが、今回は純文学寄りだ。
「なんでそんなに自信ないの?」
鈴木が手を止めずに聞く。目線はパソコンに向けたまま。
「俺が?」
「うん」鈴木が淡々と聞く。
「逆に聞くけど、なんで俺が自分自身に自信持てると思うわけ?」
「日向君はいろんなことを知ってる」鈴木が言う。手を止めずに。カタカタとパソコンの音が響く。
「何も知らないよ」
「日向君は気づいてないかもしれないけど、日向君の本の知識は大人顔負けだと思う。本を好きな気持ちなら誰にも負けてないと思う」
「ただ好きなだけだよ」
俺はため息をつく。
「好きなだけじゃ何もできない」
「この前の大会で日向君が優勝したのは当然の結果だったと思う」
鈴木は相変わらず淡々と言った。ニュースのキャスターが今日の天気を知らせるみたいに。
「なんかね、すごくその本が好きなんだなあって感じられたの」
感情をこめずに鈴木が言う。俺は奴の目を見る、鈴木は俺を見ない。
「その作家さんの本だけじゃなくってね、その作家さんが影響を受けた本も、同じ時代に書かれた小説も、たくさん知ってるでしょ? それは本当にすごい事だと思うけど、結局、その本がすごく好きだからのめり込んじゃったんでしょ?なんかね、本当に本を愛している人のプレゼンなんだなあって伝わって来たよ」
「本を読むしか才能が無いんだよ、俺」
「うん」
鈴木が笑う。ようやく目が合う。
「否定しねえのかよ」
俺も笑う。
「私もそうだもん」
「はあ?鈴木はすげえじゃんか。高校一年で、あんなすげえ作品作って、文学賞獲って。お前のせいで俺、自尊心ボロボロになったんだからな」
俺はほとんど自暴自棄だった。今更隠してもしょうがない。
「俺には本当に何もない」
「私は好きなことをしてるだけだよ」
「それがすげえんだよ、ホント。すげえ奴にはわからないよ。だって、俺には書けない」鈴木の手が止まる。彼女の目が開く。大して大きくも無い目だが、丸い。小動物のように純粋な目。
「書いてみたの?小説」
声が大きい。俺は周りに人がいないことを確認し、鈴木を睨んだ。鈴木の目は開いたままだった。
「あーー……その、まだだけどさ、その」
「書いたんだ」
「ちょっとだけだけどな。でも、できるまではあんまり人に言いたくない」
「そうだよね、私もそうだし」
「伊月には絶対に言うなよ」
鈴木は一瞬がっかりしたような顔をしたが、やがて頷いた。その目は、いつもの小説を書いている鈴木の目だった。
「わかった。約束する」鈴木が小指を差し出す。俺はびっくりした。
「約束の仕方が古いな」
「古いよね」
鈴木がそう真剣な顔で言うから、俺には冗談なのか本気なのか判断がつかなかった。俺は小指を出す。こんなことをするのは久しぶりだったから、妙に恥ずかしかった。俺は周りに人がいないことをもう一度確認し、小指をクロスさせた。
「約束だから」
そう言って鈴木が力を入れる。俺は指に殆ど力を入れなかった。なぜか彼女の細い指に、自分からは触れてはいけない気がしたからだ。
四秒か五秒くらい、俺たちはじっとしていた。本当はもっと短かったのかもしれないが、俺はそのくらいの長さに感じた。完全な静寂が俺たちを包んだ。やがて彼女は力を入れるのをやめ、手を引っ込めた。俺はこの時生まれて初めて、女子の身体に触れた気がした。勿論そんなはずはないのだが。
「もう一つ約束してくれる?」
鈴木が俯きながら言った。夕暮れで、後ろの窓からは日が射していた。鈴木の顔が眩しい。
「場合によっては」
「できたらちゃんと私にできた作品を見せて欲しい。たとえどんな風になっても」
なんだ、そんなことか。
「わかった」
何かの音楽が鳴った。時計だ。ここの図書室の時計は少し変わっていて、毎時間、オルゴールで何かしらの童謡が流れる仕組みになっていた。確か流れた曲は、『君をのせて』。
「五時だね、もうすぐ伊月君来るんじゃない?」
鈴木はすごく穏やかな表情で言った。
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