それでも日は昇る

阿部梅吉

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「じゃあ、俺から。今日は特別に海外路線じゃないのを選んで来たわ。最近の日本の作家さんのエッセイだけど」

「こんなのも読むんだ」鈴木が思わず口を挟む。

「最近っていつだ?」伊月も思わず聞く。

「五年前」俺は正確にそれを答えることが出来る。

「この作家さんも賞を獲ってる。直木賞。皆知っていると思う。この作家さんの作品はドラマ化もされてるしね。
 シリアスなミステリーとか恋愛とかを書いてる。
 けど、俺がこの作家さんの作品で好きなのは、意外にもエッセイなんだよな。あまり有名ではないけど。
 この人の作品は基本的に暗い。どちらかと言えば重い内容がテーマになる事が多い。スクールカーストとかレイプ問題だとか。それに引き換え、エッセイでは本当にくだらない、笑えることしか書いていない。ちょっと拍子抜けというか、あんな作風からは考えられないような著者の意外な日常を描いている。食が細くて肉があまり食べられないとか、姪に職業を偽っているとか。
 雑誌に投稿していたエッセイらしいが、どの話も笑える。ついつい目を通してしまう。エッセイでの文章は流れるような感じかな。力が良い意味で抜けているから、彼の小説を読み疲れた時に、息抜きで読める。

 このエッセイの凄い所は、意図して毎回の話にメッセージ性を込めていないところかな。自分が主張したいことは小説で主張するタイプなんだろうな、エッセイではあまり教訓のようなものが前面に出されていない。しかし彼は何といっても第一線で活躍している作家だから、文章は上手いし、ついつい無意識的に俺たちは何かを学ばされている。
 なんだろうな、読者に自分の理想像や思想を押し付けるんじゃなくって、自らの体験を吐露することで進んで反面教師になろうとしていると言うか。面白おかしく、俺みたいにはならないでくれって言うんだ。それが共感できる。普段の作風からは全く想像できない彼の日常を通じて、いつのまにか俺らは彼に踊らされてる」

「へえ、面白そう」

今日の鈴木はおしゃべりだ。

「話も毎回面白いよ。姪っ子の話とかが多いかな。姪っ子のプリキュアごっこに付き合ったりしている話とかね。でも、文章が超絶にうまいから何気ない日常が凄く面白くなるんだよな。文体に無駄がないっていうか。他の小説の合間にもサクサク読めるよ」

「他の小説を読む合間に本読むのはお前しかいねえよ」

伊月が突っ込む。

「いるだろたくさん」

俺も突っ込み仕返す。鈴木が笑う。

 「で、トリは?」

鈴木が伊月の目を見て促す。

「これ。みんな知ってるだろ?」

伊月が取り出したのは、ある有名な児童書シリーズの一作目だった。どこの小学校の図書館にも置いてある。絵がたくさんあって、文字が大きい。

「うわ、懐かしい」

「読んでた読んでた」

鈴木も思わず笑顔になる。

「改めて考えてみるとさ、これ、すごく面白いんだよな」

伊月も笑う。にやにや顔ではない、優しい表情だ。

「話はみんな知っている通り。あるクリスマスの日に、少年が自分の友達を欲しいと言う。翌朝起きて見ると自分の部屋に大きな人形がいくつか置いてある。それが突然喋り出し、動き出し、少年は色々な冒険に連れ出す」

「うんうん」

鈴木は伊月の話にのめり込んでいた。

「そこで少年は色々な体験をする。いろいろな国や世界に行って、理不尽なことをたくさん目の当たりにする。その話の一つ一つがこれまた面白い。このシリーズはもう十五冊にも及ぶ。でも、大人になってからこの話を読んでみると、また発見があるのよな。
 ある国ででは戦争をしているし、ある国では他の国との親交を一切断っている。ある国と国が条約を結びながら、裏ではお互いを裏切っている。独裁国家もあれば、民主国家もある。でもそれぞれの国で、それぞれの問題を抱えている。主人公たちは冒険の中で迫害を受けたり、差別されたり、はたまた歓迎されたり、無視されたり、多くのレッテルを貼られながらも戦いを潜り抜けていく。

 この作品の凄い所は、以前別の国で出てきた登場人物も、大人になって登場する点にある。かつて喧嘩しあっていた奴らが仲直りしていたり、主人公に遭って生活が一変した奴もいたり、或いは別の夢を追って成功した奴もいる。依然として、主人公たちを好きになれない奴らもいる。
 登場人物たちは、基本的に前しか見ていない。問題を解決するために全力で戦っている。平和のためには、時にある種の暴力も行使している。面白い事に、彼らが暴力を使う時は必ず理由があるんだ。主人公も、暴力を使うことを本当はしたくなんだ。彼らは基本的に誰かを殺したりしない。殺さない罰を考えるんだ。でもまあ、物事は、どう単純じゃない。この作品では少なからず人が死ぬ。そういうのは、やっぱり避けられないんだろうな」

「物語の都合上?」

俺は聞く。

「そうだろうね」

伊月が言う。鈴木だけが口に力を入れて黙っている。

「この物語は、子供向けに書かれてはいるが、その実、内容は深い。現代社会に通じるものもたくさんある」

「確かに、今読んでみたらまた違うかもな」

その意見には俺も賛成だった。

「物語にはね、どうしても避けられないことってあるんだよね」

鈴木が突然口を開いた。あまりにも滑らかな会話のパスだった。

「最後の結末にかなり悩むときもあるし、出来上がって見たらまるきり違う作品になっていることもしばしばだけど、それでも、変えられない幾つかのポイントみたいなのがあると思う。だから、必然的な死っていうのはやっぱりあるのよね。どう転んでも同じ結果になってしまうっていうか」

「そういうもんなの?」

無知な俺は言う。

「そういうもんでしょ?」

鈴木が俺にいたずらっぽく笑う。二人だけの約束を、彼女はまだ守ってくれているみたいだ。

「避けられないポイント、か。そういうのって確かにあるかもな」

伊月が納得したようにゆっくり言う。

「あるの」

「うん」

伊月がじっと考え込んだ。俺にはその感覚が全く分からなかった。俺だけが置いてけぼりになった感覚がした。

「書こうとしたことは、何でも書けるもんじゃないのか?」

鈴木が悲しいような目で笑った。

「そんなわけないでしょう?」

そういうもんかな。

「で、誰の本が一番面白そうだった?」

伊月が聞いた。
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