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人との出会いは化学反応だ
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新卒一年目のクリスマスイブの日、なんと予期せぬ残業が入った。ある雑誌の原稿が落ちそうになったのだ。とある記事を作家さんにお願いしていたのだが突然失踪したとのことで、普段はそんなことを滅多にしない人だから編集部は騒然となった。捜索願も出し、担当編集は作家さんの家族や知人の家を渡り歩いた。
俺は代わりのライターを見つけることでてんてこまいだった。作家さんは結局愛人の家にいて、愛人がほかの人と一緒になろうとしていたのでそれを阻止するために逃避行したとのことだった。担当編集は何とか愛人問題を片付け(本当に片付いたかどうかは定かではないが取り敢えず作家さんを宥め)、原稿自体は完成していたのでそれを受け取った。それが不幸中の幸いだった。
俺たちは何か嵐に巻き込まれたように、すごいものを見たような気がした。
「編集って、大変な仕事ですね」
クリスマスイブの日、俺と上司の熊谷さんが二人で深夜までオフィスに残っていた。優理愛にも会えず、俺たちは野郎二人でローソンのプレミアムロールケーキをバカ買いして食べた。
熊谷さんはその名の通り見た目は熊みたいな人で、編集者と言うよりかは漁師と言われた方がしっくりくるようなずんぐりとした見た目をしていた。しかし海外文学の知識はめっぽう強く、何より見た目とは裏腹に英語がペラペラだった。海外の買い付けやセミナーにも臆することなく参加し、毎年発言していた。何より本に対する情熱がすごく、俺はこの人からいろいろな仕事のイロハや姿勢を教わった。
「大変だねえ」
熊谷さんは四個目のプレミアムロールケーキを食べていた。彼は見た目に反して美味しいスイーツに目が無く、コンビニのおいしいお菓子情報などにも精通している。
「でも、同じくらい何かを生み出す苦しみってのもあると思うよ」
熊谷さんはロールケーキを手づかみで食べながら言う。
「そういう孤独さってさ、多かれ少なかれ個人が抱えている問題だろうとは思うけれど、作家の場合もっと深刻だと思うね」
「そうですよね」
俺も二個目のロールケーキを開ける。
「どんな風にな作品になるかわからないし、発表したところでどんな風に言われるかわからない。まして、本なんてあればいいけれど無くてもいい人にとってはとことんいらないものだ。どんな人が手に取ってくれるかもわからない。誰も手に取ってくれないかもしれない。そんな孤独な暗闇を、作家は抱えているんじゃないかな」
「じゃあなんで書くんでしょうね」
俺はずっと思っていたことを言った。
「已むに已まれないんだよ」
と熊谷さんは言った。
その言葉は軽く発せられたように思えたが、俺の心にずしんと響いた。作家はどうしようもできないから、已むに已まれず書く。それだけだ。大きな意味なんてない。
「あーなんかいいニュースでもないかな」
そういいながら、熊谷さんはインターネットを漁り出した。
「ああ、アイドルのみうちゃん、卒業だって」と熊谷さんがパソコンを見ながら言う。
「そういえば俺、小説を書いていたんです。学生のころ」
俺は唐突に言った。社会人になってから誰にも言ったことが無かった。でもその時、言葉はすらすらと出てきた。不思議なことに、操られているかの如く俺はしゃべることができた。
「へえ、どんな? そういえば君、入社試験の作文の項目だけは一番だったんだよねえ。まあ、それでほとんど受かったって言っても過言ではないくらいうまかったよ。今だから言えるけどね」
「そうだったんですか」
俺はびっくりした。この会社に入った時、あまり対策が十分にできておらず、ましてや出された課題が難しかったので、時間いっぱいまで作文を修正した思い出があった。
「実はそうなんだよ。だから、」
と熊谷さんはこちらを向いて、ニヤッと笑った。
「その話、気になるな」
「いろいろ書いたんですけどね、一番気に入っているのは短編の童話なんです」
俺は語り始めた。
「『ごはんとチョコレートの国』っていうタイトルで」
俺は熊谷さんにこの話を聞かせた。時間にして五分くらいだったと思う。でも熊谷さんはうんうんとうなずき、目をつぶり、腕を組んで、時には相槌を打った。さすが編集者だ。話を聞く態度と姿勢が上手で、俺はついつい熊谷さんに乗せられた。俺は熊谷さんと話していると、自分が話上手になった錯覚に陥る。聞き終わった熊谷さんは深呼吸をして、二秒目を閉じながら考えた。
その後、
「いいね!!」
と言った。
「文字には起こしてあるの?」
「起こしてはあります。修正は必要かもしれませんが……」
「社長に提案してみよう。それ、すごく面白いよ」
「え? でも子供向けですよ?」
「何言ってんの。これは『大人向け絵本』って売り文句で出すんだよ。帯は『いろいろな生き方、価値観』とかにして、誰か有名人に読ませればいい」
「よくそんなこと思いつきますね」
とぼそっと言った。
新年になってから、俺と熊谷さんは社長に原稿を提出した。社長は確かに面白いと言ってくれたが、うちの会社の毛色とは違うから、癪だけど知り合いの会社に掛け合って出してくれるよう頼むと言ってくれた。
「あいつの会社に借りを作るのは悪くはないからな」
と社長は言った。
「ありがとうございます」
俺は人生で初めて、心の底からお辞儀した。
俺は代わりのライターを見つけることでてんてこまいだった。作家さんは結局愛人の家にいて、愛人がほかの人と一緒になろうとしていたのでそれを阻止するために逃避行したとのことだった。担当編集は何とか愛人問題を片付け(本当に片付いたかどうかは定かではないが取り敢えず作家さんを宥め)、原稿自体は完成していたのでそれを受け取った。それが不幸中の幸いだった。
俺たちは何か嵐に巻き込まれたように、すごいものを見たような気がした。
「編集って、大変な仕事ですね」
クリスマスイブの日、俺と上司の熊谷さんが二人で深夜までオフィスに残っていた。優理愛にも会えず、俺たちは野郎二人でローソンのプレミアムロールケーキをバカ買いして食べた。
熊谷さんはその名の通り見た目は熊みたいな人で、編集者と言うよりかは漁師と言われた方がしっくりくるようなずんぐりとした見た目をしていた。しかし海外文学の知識はめっぽう強く、何より見た目とは裏腹に英語がペラペラだった。海外の買い付けやセミナーにも臆することなく参加し、毎年発言していた。何より本に対する情熱がすごく、俺はこの人からいろいろな仕事のイロハや姿勢を教わった。
「大変だねえ」
熊谷さんは四個目のプレミアムロールケーキを食べていた。彼は見た目に反して美味しいスイーツに目が無く、コンビニのおいしいお菓子情報などにも精通している。
「でも、同じくらい何かを生み出す苦しみってのもあると思うよ」
熊谷さんはロールケーキを手づかみで食べながら言う。
「そういう孤独さってさ、多かれ少なかれ個人が抱えている問題だろうとは思うけれど、作家の場合もっと深刻だと思うね」
「そうですよね」
俺も二個目のロールケーキを開ける。
「どんな風にな作品になるかわからないし、発表したところでどんな風に言われるかわからない。まして、本なんてあればいいけれど無くてもいい人にとってはとことんいらないものだ。どんな人が手に取ってくれるかもわからない。誰も手に取ってくれないかもしれない。そんな孤独な暗闇を、作家は抱えているんじゃないかな」
「じゃあなんで書くんでしょうね」
俺はずっと思っていたことを言った。
「已むに已まれないんだよ」
と熊谷さんは言った。
その言葉は軽く発せられたように思えたが、俺の心にずしんと響いた。作家はどうしようもできないから、已むに已まれず書く。それだけだ。大きな意味なんてない。
「あーなんかいいニュースでもないかな」
そういいながら、熊谷さんはインターネットを漁り出した。
「ああ、アイドルのみうちゃん、卒業だって」と熊谷さんがパソコンを見ながら言う。
「そういえば俺、小説を書いていたんです。学生のころ」
俺は唐突に言った。社会人になってから誰にも言ったことが無かった。でもその時、言葉はすらすらと出てきた。不思議なことに、操られているかの如く俺はしゃべることができた。
「へえ、どんな? そういえば君、入社試験の作文の項目だけは一番だったんだよねえ。まあ、それでほとんど受かったって言っても過言ではないくらいうまかったよ。今だから言えるけどね」
「そうだったんですか」
俺はびっくりした。この会社に入った時、あまり対策が十分にできておらず、ましてや出された課題が難しかったので、時間いっぱいまで作文を修正した思い出があった。
「実はそうなんだよ。だから、」
と熊谷さんはこちらを向いて、ニヤッと笑った。
「その話、気になるな」
「いろいろ書いたんですけどね、一番気に入っているのは短編の童話なんです」
俺は語り始めた。
「『ごはんとチョコレートの国』っていうタイトルで」
俺は熊谷さんにこの話を聞かせた。時間にして五分くらいだったと思う。でも熊谷さんはうんうんとうなずき、目をつぶり、腕を組んで、時には相槌を打った。さすが編集者だ。話を聞く態度と姿勢が上手で、俺はついつい熊谷さんに乗せられた。俺は熊谷さんと話していると、自分が話上手になった錯覚に陥る。聞き終わった熊谷さんは深呼吸をして、二秒目を閉じながら考えた。
その後、
「いいね!!」
と言った。
「文字には起こしてあるの?」
「起こしてはあります。修正は必要かもしれませんが……」
「社長に提案してみよう。それ、すごく面白いよ」
「え? でも子供向けですよ?」
「何言ってんの。これは『大人向け絵本』って売り文句で出すんだよ。帯は『いろいろな生き方、価値観』とかにして、誰か有名人に読ませればいい」
「よくそんなこと思いつきますね」
とぼそっと言った。
新年になってから、俺と熊谷さんは社長に原稿を提出した。社長は確かに面白いと言ってくれたが、うちの会社の毛色とは違うから、癪だけど知り合いの会社に掛け合って出してくれるよう頼むと言ってくれた。
「あいつの会社に借りを作るのは悪くはないからな」
と社長は言った。
「ありがとうございます」
俺は人生で初めて、心の底からお辞儀した。
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