3 / 4
IF
【後編】一体、何があったのですか?
しおりを挟む
王城内治癒所の区画内にある処置室前。物言わぬ長い廊下に治癒術師と騎士が相対し、ゆっくりと息を吸い込む音が微かに響く。
「一体、何があったのですか?」
そう聞いた治癒術師の言葉は震えが隠せていなかった。
強張った顔を薄っすらと青くさせて王城内の治癒所に飛び込んできた警備騎士。その腕の中には一目で階級が高いと分かる外套で隠す様に包まれた満身創痍の女性。
何がと、聞かなくても本当は治癒術師も分かっている。女性の傷、纏う臭気、付着する体液、処置室から漏れ聞こえる心を痛めた同僚の悲痛な唸り声。
ここはウィザンドラードではないのか、と疑いすらした状態の女性を前に、動揺を隠し切れずどう処置しどこから癒せばいいのか分からずただ狼狽える事しか出来なかった自分を治癒術師は恥じた。
王城内の治癒所といえども冷静な判断を下せる者は少なく、結局は最年長で矍鑠たる老治癒術師が悲しみに染まった瞳のまま一手に指揮を振るった。
次々と治癒術師として正気に戻っていく同僚を横目に、一番使い物にならないと判断されたのか警備騎士から事情を聴く役目を与えられたのが、聞き手たる治癒術師だ。
騎士の口から言葉が紡がれればられるほど、魔術師を呼んで来いと処置室から上がった叫び声に縋りたくなった。
慌ただしく駆けていく同僚に私が呼んでこようと言いたくなるのをグッと堪える。もし代われたとして、同僚の役目も困難なのは分かっていた。
女性は性的暴力を受けている。ならば一刻も早く避妊処置を魔術師から受けなくてはいけない。ただその任務を受けてくれる魔術師を見つけるのが非常に難しいだろうことも。
知識としては魔術師が持つ高純度な魔力で体内に入った子種の機能を停止させる。簡単に言えば魔力で精子を殺す。技術的にも然程難しくはない。対象者の腹の上から純粋な魔力を注ぐだけだ。
ただ、それが一番難しかった。魔術師は伴侶と家族以外の女性に対して排他的な上、忌避する。
赤の他人に自身の魔力を沁み込ませる事を嫌うのは、火を見るよりも明らかだ。
困難な役目だろう同僚を遠目に、それでも代わりたかったと治癒術師は心中で弱音を吐露するに留めた。
言葉で吐き出して幾分か顔色の良くなった騎士を見送った治癒術師は、対照的に顔色を青くしていた。
休息を勧めたくなる程だが彼にはまだ仕事が残っている。聞き取った情報を簡潔にまとめ、それでいて正確に仲間と共有しなくてはいけない。
体力的には問題なくても先程から続く精神的衝撃と疲労は多大で、今も治癒に励んでいる仲間に治癒術師は引け目を感じながらも、ほんの少しだけ一息つく事にした。
処置室のドアの前、クロスさせた両手を胸元に当てると治癒術師はゆっくりと息を吸い込む。
隣に立って耳をそばだてたとしても聞こえない程の、口元に直接耳を近付けないと聴きとれない静かさで。そして一杯まで吸い切った息は同じように吐き出す。
ゆったりとした深呼吸を終わらすと同時に、目の前の処置室からガラスが激しく割れる音が響く。
続いて仲間達の小さな悲鳴と諫め制止する声が耳に入り、微力でも何か役に立てないかと治癒術師が慌てて中に駆け込めば恐慌状態の女性が腕から血を流しているのが視界に飛び込んできた。
殆ど無意識に女性に駆け寄ろうとするが、後ろから伸びてきた何者かの手に乱暴に腕を掴まれ静止され後方に放られると同時に「退け」と鋭い叱咤の声が飛んできて治癒術師にぶつかった。
処置室の中には他の治癒術師が怪我を負っている女性を刺激しないよう距離を取って出来た空間があった。
そこにまるで濃い影を落としたような黒が躊躇せず躍り出た瞬間、窓枠に向かい合っていた女性は糸が切れた操り人形の様に力を無くし崩れる。
一番近くで隙を伺っていた老治癒術師が進み出て難なく女性を胸に抱きとめる事で、床に叩きつけられる二次被害は回避できた。
室内の簡素な寝台に寝かされた女性の腹に、手を翳したまま深黒を纏った魔術師が問う。
奇しくもそれは彼が騎士に対して投げかけた言葉と同じ。
今度は己が語る側に回った治癒術師が重い口を開く番だった。
「一体、何があったのですか?」
そう聞いた治癒術師の言葉は震えが隠せていなかった。
強張った顔を薄っすらと青くさせて王城内の治癒所に飛び込んできた警備騎士。その腕の中には一目で階級が高いと分かる外套で隠す様に包まれた満身創痍の女性。
何がと、聞かなくても本当は治癒術師も分かっている。女性の傷、纏う臭気、付着する体液、処置室から漏れ聞こえる心を痛めた同僚の悲痛な唸り声。
ここはウィザンドラードではないのか、と疑いすらした状態の女性を前に、動揺を隠し切れずどう処置しどこから癒せばいいのか分からずただ狼狽える事しか出来なかった自分を治癒術師は恥じた。
王城内の治癒所といえども冷静な判断を下せる者は少なく、結局は最年長で矍鑠たる老治癒術師が悲しみに染まった瞳のまま一手に指揮を振るった。
次々と治癒術師として正気に戻っていく同僚を横目に、一番使い物にならないと判断されたのか警備騎士から事情を聴く役目を与えられたのが、聞き手たる治癒術師だ。
騎士の口から言葉が紡がれればられるほど、魔術師を呼んで来いと処置室から上がった叫び声に縋りたくなった。
慌ただしく駆けていく同僚に私が呼んでこようと言いたくなるのをグッと堪える。もし代われたとして、同僚の役目も困難なのは分かっていた。
女性は性的暴力を受けている。ならば一刻も早く避妊処置を魔術師から受けなくてはいけない。ただその任務を受けてくれる魔術師を見つけるのが非常に難しいだろうことも。
知識としては魔術師が持つ高純度な魔力で体内に入った子種の機能を停止させる。簡単に言えば魔力で精子を殺す。技術的にも然程難しくはない。対象者の腹の上から純粋な魔力を注ぐだけだ。
ただ、それが一番難しかった。魔術師は伴侶と家族以外の女性に対して排他的な上、忌避する。
赤の他人に自身の魔力を沁み込ませる事を嫌うのは、火を見るよりも明らかだ。
困難な役目だろう同僚を遠目に、それでも代わりたかったと治癒術師は心中で弱音を吐露するに留めた。
言葉で吐き出して幾分か顔色の良くなった騎士を見送った治癒術師は、対照的に顔色を青くしていた。
休息を勧めたくなる程だが彼にはまだ仕事が残っている。聞き取った情報を簡潔にまとめ、それでいて正確に仲間と共有しなくてはいけない。
体力的には問題なくても先程から続く精神的衝撃と疲労は多大で、今も治癒に励んでいる仲間に治癒術師は引け目を感じながらも、ほんの少しだけ一息つく事にした。
処置室のドアの前、クロスさせた両手を胸元に当てると治癒術師はゆっくりと息を吸い込む。
隣に立って耳をそばだてたとしても聞こえない程の、口元に直接耳を近付けないと聴きとれない静かさで。そして一杯まで吸い切った息は同じように吐き出す。
ゆったりとした深呼吸を終わらすと同時に、目の前の処置室からガラスが激しく割れる音が響く。
続いて仲間達の小さな悲鳴と諫め制止する声が耳に入り、微力でも何か役に立てないかと治癒術師が慌てて中に駆け込めば恐慌状態の女性が腕から血を流しているのが視界に飛び込んできた。
殆ど無意識に女性に駆け寄ろうとするが、後ろから伸びてきた何者かの手に乱暴に腕を掴まれ静止され後方に放られると同時に「退け」と鋭い叱咤の声が飛んできて治癒術師にぶつかった。
処置室の中には他の治癒術師が怪我を負っている女性を刺激しないよう距離を取って出来た空間があった。
そこにまるで濃い影を落としたような黒が躊躇せず躍り出た瞬間、窓枠に向かい合っていた女性は糸が切れた操り人形の様に力を無くし崩れる。
一番近くで隙を伺っていた老治癒術師が進み出て難なく女性を胸に抱きとめる事で、床に叩きつけられる二次被害は回避できた。
室内の簡素な寝台に寝かされた女性の腹に、手を翳したまま深黒を纏った魔術師が問う。
奇しくもそれは彼が騎士に対して投げかけた言葉と同じ。
今度は己が語る側に回った治癒術師が重い口を開く番だった。
10
あなたにおすすめの小説
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
魚人族のバーに行ってワンナイトラブしたら番いにされて種付けされました
ノルジャン
恋愛
人族のスーシャは人魚のルシュールカを助けたことで仲良くなり、魚人の集うバーへ連れて行ってもらう。そこでルシュールカの幼馴染で鮫魚人のアグーラと出会い、一夜を共にすることになって…。ちょっとオラついたサメ魚人に激しく求められちゃうお話。ムーンライトノベルズにも投稿中。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる