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第八章 意外な恩賞
意外な恩賞
しおりを挟む多田羅が大阪城に来てから一月(ひとつき)あまりが過ぎた二月の半ば、ついに鶴松が平癒し、根尾に帰れる日がやってきた。
その日、多田羅は斑目とともに、天守閣の一室で秀吉に拝謁していた。この座に妙は伴わなかった。
男心とは奇妙なものだ。
妙の体を我が物にした途端、どんな男の目にも触れさせたくないという思いが生まれていた。ことに女好きの秀吉に拝謁など絶対にさせたくないと思う。
秀吉の側には、九能、それにもう一人、大野治長が控えていた。
治長――細い顎と切れ長の目で、どこか公家じみた空気のある二十二歳の若者だ。淀殿の乳母、大蔵卿局の嫡男で、金の出納管理といった実務の才があり、重宝されている。高い気位が顔の造作と相まって、よく言えば品高く、悪く言えば気障に見せている。
多田羅は(小姓にしてはトウが立っているな)と単純な感想を抱いて、治長を見ただけだ。
まさか、二十五年後に再びこの大阪城で治長と邂逅することになるとは夢にも思っていない。
その日、秀吉は快活だった。
「褒美を取らす。望みの物を言うてみよ」
「はっ」
多田羅と斑目は深く平伏した。
「申し上げる前にお願いがござります!」
「よい。言うてみよ」
秀吉は笑っている。
「まず、私めには二つ、望みがございまする。殿下にはその二つともお聞き届けいただけますようお願い申し上げまする」
「ほお、意外に欲深よの。聞いてみよう」
秀吉は愉し気に扇子を広げた。多田羅の願いに、この男の度量を見極めてやろうという好奇心が疼いている。
「一つ! 殿下が先だって南蛮人より献上された物を、私に分けていただきとうございます!」
果たして怒るか? と思ったが、秀吉はわはっと声を上げて笑った。
笑われたことで多田羅は焦って、言葉を継いだ。
「我が日本の国に初めて入ってきたものだという噂を耳にしております。そのような物を頂ければ、これほどの名誉はございませぬ。賜った後には必ず家宝にいたしまする」
「褒美の一つはそれでよいのか?」
秀吉は笑いを納め、長い眉を触った。
「はっ、我が国にただ一つしかないもの、さすれば天下一の品でございましょう」
「何に使う?」
秀吉はさらに言葉を重ねる。
「はっ、妻に与えてやりとうございます」
「なんと、奥殿にやると申すか。あい、わかった。拝領して使わす。お前は実に妻女思いのよい男子(おのこ)であるようじゃ。それに何より面白い」
よほど面白かったのか、秀吉は立ち上がり、多田羅のそばに行き、わはっわはっと笑いながら肩を何度も叩いた。
関白はやはり猿だと思いながら、多田羅はそのおぞましい感触に耐えた。
しかし、心の中では安堵していた。
実はこれこそが多田羅が大阪城に向かう雪の道中で、九能から授けられた知恵だった。
その知恵というのは、「太閤に鶴を差し出す代わりに、鶴松が平癒した暁には褒美として、南蛮渡来の薬を求めよ」というものであった。その薬でもって、妙の命を助けよ、と九能はいうだ。
これを聞いた時、多田羅はすぐには頷かなかった。鶴肉は、秀吉にはやらぬと。多田羅には、南蛮渡来の薬ではなく、俺が捕まえた鶴肉こそが妙の命を救うはずだという信念がある。
しかし、九能は「関白に逆らって、命を捨ててはならぬ」と話を続けた。
それによれば、九能が大阪城を発つ少し前に、ポルトガル人が鶴松の平癒を祈って南蛮の薬を献上したという。珍佗酒が死にかけた妙を救ったように、南蛮薬ならば再び、その命を救ってくれるかもしれぬと。
そして大阪城に着き、秀吉に拝謁して、
「鶴を半分こにする代わりに、褒美を与えて遣わす」
という言葉を聞いた時、多田羅は真っ先に、この南蛮渡来の薬のことを思った。
大事な妙を失いたくない。妙がまた病に冒されたらと思うと、恐怖に身がすくむ。となれば世にも稀、天下人しか手に入れられぬ南蛮薬こそ、褒美にもらうに相応しい品と、そう考えた。
「ありがとうござりまする」
畳に頭をこすりつけて秀吉に礼を述べる多田羅を、治長が鼻で笑って見ていた。
「さあ、もう一つの望みはなんじゃ? 申してみよ」
秀吉は多田羅の肩をつかんだまま、励ますように問うた。
その願いの内容は秀吉には予想がついている。大阪城の門番でも端役でも何でもいい、とにかく豊臣家に仕官させてほしいという願いであろう――と。
しかし、多田羅はまるで別のことを言った。
「ここにおります、我が家臣、斑目盛信を関白殿下がこれと思う、御方の元に仕えさせていただきとうございます」
「多田羅、お前は自身の立身出世を願わぬのか?」
「はっ。願いませぬ! どうかこの斑目をお引き立て下さいますよう、お願い申し上げ奉ります。
この斑目は、この大阪城に来る道中、雪にやられ、一子、助信を亡くしておりまする。斑目がいればこそ、私は鶴を生け捕りすることができ、こうして鶴を関白殿下に献上することができたと思うておりまする。この斑目こそ天下一の忠義者でござりまする。殿下が天下一の父君であり、主君であるならば、何卒、何卒、お願い申し上げ奉りまする」
多田羅の横で平伏する斑目の肩が上下している。泣いていた。多田羅の言葉がよほど嬉しかったのだろう。
班目の横で額を畳にこすりつけている多田羅にしてみれば、女好きの秀吉の目に怯えて大阪城で仕官するなど真っ平御免だった。
それにもし妙が死んだ助信のことを好いていたらと思うと、助信と面差しが似た斑目を妙のそばに置いておくのは一刻たりとも耐えられなかった。
とにかく妙を連れて、早く根尾に帰り、妙に溺れて暮らすのだと多田羅はそのことばかり考えている。
秀吉は言った。
「よし、斑目のこと、承知した。我が甥、秀次の元に仕えさせてやろう。よいな。九能、それに治長、よく計らうように!」
はっ、九能と治長が、揃って平伏した。
なんだ、これは!?
部屋に引き取って後、秀吉の小姓から拝領品を受け取った多田羅は仰天した。
中身は南蛮薬などではなかった。
「これか! まことにこれなのか?」
と小姓に詰め寄る。
「確かに、こちらでございます。先だって、関白殿下が南蛮人より献上された品『ずろうす』でございまする」
塗りの文箱の中に顔ほどの大きさの黄色っぽい布切れが入っている。二枚縫い合わされており、巾着袋かと思ったが、大きな穴が三カ所開いている。麻や絹のような織物としての美しさも柄もない。固くごわごわとするただの布切れだ。晒しの方がまだずっと綺麗で手触りがいい。
「南蛮人の考えることはわからん」
と多田羅は独りごちる。
これで妙が喜ぶとはとても思えなかった。どこがどう天下一なのか、何に使うものなのかもわからない。
「ずろうす」と口の中で呟いてみたが、わかるはずもない。
片腕の斑目はもうそばにいない。もっとも斑目にしても、ずろうすの正体が女性用の下着、今でいう「パンティ」だとは知るはずもなかったが。
多田羅が望んだ南蛮薬は、確かに秀吉に献上はされたが、お毒見役が確かめ、あまりの苦さに、鶴松様にはとても与えられぬ、むしろ毒かもしれぬと判断され、とうに捨てられていた。
そうして九能が大阪城から根尾に向けて発った後、新たに献上されたのが、この「ずろうす」であった。
ポルトガル人は便利な文明品を贈ったという誇らしい気持ちでいたが、着物文化花盛りの日本では、腰までたくし上げなければ着脱できない形状の下着は不便この上なく、秀吉はこの南蛮渡来の下着を一度は穿いてみたものの、着け心地も悪く、すぐに興を失って放り出していた。
大阪城を発つ間際に、九能から申し訳なさそうな顔で、
「どうやら、これはポルトガル人の女がつける下帯のようでござる」
と教えられた多田羅は、なんだと拍子抜けした。
その一方で、もしやこれをあの淀殿も着けたのであろうかとそんなことを考えた。多田羅の中の淀殿の記憶といえば金属的な声と妙の頭に伸ばされた白い腕(かいな)、それに鶴の血の飛んだ銀の打掛、それがすべてであった。
しかし、それらすべてはあいまって、まるで「ずろうす」が淀殿から直接、拝領されたかのような印象を、多田羅の心にもたらした。
実際のところ、淀は、ずろうすを身に着けたことなど一度もない。
生来、美しい物好みの彼女は南蛮渡来の下着になど興味がなく、ましてや秀吉が一度、身に着けたものだ。汚物と言い切ってしまえる感覚であった。
献上品の「ずろうす」が女性用だったのは、単純に秀吉が五尺足らず(一四八㎝程度)と非常な小兵だからであった。
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