15 / 36
第十四章 天蓋の下の名品
天蓋の下の名品
しおりを挟む
鶴松の死による忌中も喪中も、秀吉の殺戮政治にはほとんど影響を及ぼすことはなかった。
天正十九年(一五九一年)九月四日には陸奥国奥州、九戸城(くのへ)城に、豊臣秀次を総大将にした総勢三万五千の仕置き軍を送った。秀次は
「今、降伏すれば、城内の者の命はすべて救う」
と偽の和議を持ち掛け、降伏した城主、九戸政実を斬首。城内にいた者すべて兵から女子供に至るまで五千人をすべて殺害している。
この仕置きに並行して、秀吉は、奥州の伊達政宗を減転封処分にし、七十二万石の米沢城城主から五十八万石の玉造郡岩手沢城とした。これにともない、旧伊達領の七郡を蒲生氏郷に与え、黒川城(のちに改修して若松城)主とした。
また朝廷への大きな動きとして、京の洛中に地子銭永代免除令を出している。地子銭とは現在における宅地税に相当する税金で、京都内の住民の地子銭を免除すると、朝廷や貴族は地子銭を徴収できなくなり領主権を失う。
着々と秀吉は完全な天下統一に向けて、他を圧し、策を生み出し続けていた。
伊達政宗が転封地へ入った九月二十三日。大阪城では鶴松の四十九日の法要が終わった。
その夜――
妙の目の前に、下帯一つの関白秀吉がいる。
天蓋のかかったベッドに妙は突き倒されていた。
どれほどの数の女がここで秀吉の権力の前に手籠めにされたのか。この部屋は涙のような冷たくて悲しい匂いがすると、妙は思った。
秀吉の手が、妙の着物の帯にかかった。
犯されてのち、この大阪城で生きていくことは叶わないと妙は思う。今日まで命をかけて育ててくれた多田羅のために、妙は懐から刀を出した。
それは五歳まで母代わりになって育ててくれた百姓女のふちが、妙が多田羅に嫁入りする時にひそかに持たせてくれたものだった。
その時、ふちは言った。
「この懐剣は赤ん坊だった妙様を抱いて、長浜城から逃げる時、持ってきたものです」
「私とどんなゆかりがあるのです?」
「あなたの母様を殺したのは、この懐剣」
ふちが語るには、この刀で、妙の母は胸を突かれて殺されたのだという。
その時、ふちが生まれたばかりの妙をおくるみに抱いて逃げなければ、妙は母と同じようにその場で殺されていたのだと、ふちはぶるりと身を震わせて、明かした。
「私のお父上は? 母様と一緒に殺されてしまったのですか?」
そう尋ねる妙に、ふちはいたわし気な目を向けて言った。
「あなたの母様を殺したのは、妙様のお父君です」。
(かか様は、きっと私の本当の両親のことを知っている……)
養母ふちの目に宿る恐怖に、利発な妙はそう思った。
「私の父君は、いったい誰なのですか?」
そう妙が尋ねると、
「天下一、恐ろしい方です」
とたった一言、返ってきた。
「天下一……」
それは、物心ついた時から、いつともしれず妙の胸に住みついていた言葉だった。
それから妙が両親のことをどれだけ尋ねても、ふちは
「お父君は天下一、恐ろしいお方です。知らない方がいいのです。知るべきではないのです」
それだけを繰り返した。
養父の弥兵衛が何者かに斬り殺された時、
「とと様は、私のお父上に斬り殺されたのですか?」
と妙はふちに迫った。
けれども、ふちは何も答えず、しばらくして村から姿を消した。
そして今、母を殺した懐剣を握り締めている妙は、「鶴松の鶴汁を半分奪った悪童」という汚名のもとに、秀吉に犯されようとしていた。
それは、妙を殺してしまうより、取り上げて自分の側女にした方が、多田羅の苦しみは大きいだろうという、悪鬼のような秀吉の思いつきだった。
妙がその小さな手で握る懐刀を見て、閨の中で秀吉は笑った。
「無駄じゃ、こんなものはすぐに取り上げてくれる」
妙の手から苦もなく懐剣を奪った秀吉だったが、
「ずいぶんと良い物を持っているな」
と燭台にその剣をかざし、銘を見た瞬間、眦を吊り上げた。
「なぜ、これをお前が持っている!」
妙は裾をかき合わせて布団に座り直して答えた。
「我が母を殺したものだからです」
ううむと秀吉が唸った。
しばらくして、ぼそりと呟く。
「この刀は世に二つとないはず……」
「女、顔をよく見せよ」
秀吉は妙の頬を両手に挟んで、燭台に近づけた。
「女、話を聞かせよ」
秀吉の言葉に、妙は袂に手を差し入れると、袱紗(ふくさ)に包んだ小さな骨片を取り出した。
天正十九年(一五九一年)九月四日には陸奥国奥州、九戸城(くのへ)城に、豊臣秀次を総大将にした総勢三万五千の仕置き軍を送った。秀次は
「今、降伏すれば、城内の者の命はすべて救う」
と偽の和議を持ち掛け、降伏した城主、九戸政実を斬首。城内にいた者すべて兵から女子供に至るまで五千人をすべて殺害している。
この仕置きに並行して、秀吉は、奥州の伊達政宗を減転封処分にし、七十二万石の米沢城城主から五十八万石の玉造郡岩手沢城とした。これにともない、旧伊達領の七郡を蒲生氏郷に与え、黒川城(のちに改修して若松城)主とした。
また朝廷への大きな動きとして、京の洛中に地子銭永代免除令を出している。地子銭とは現在における宅地税に相当する税金で、京都内の住民の地子銭を免除すると、朝廷や貴族は地子銭を徴収できなくなり領主権を失う。
着々と秀吉は完全な天下統一に向けて、他を圧し、策を生み出し続けていた。
伊達政宗が転封地へ入った九月二十三日。大阪城では鶴松の四十九日の法要が終わった。
その夜――
妙の目の前に、下帯一つの関白秀吉がいる。
天蓋のかかったベッドに妙は突き倒されていた。
どれほどの数の女がここで秀吉の権力の前に手籠めにされたのか。この部屋は涙のような冷たくて悲しい匂いがすると、妙は思った。
秀吉の手が、妙の着物の帯にかかった。
犯されてのち、この大阪城で生きていくことは叶わないと妙は思う。今日まで命をかけて育ててくれた多田羅のために、妙は懐から刀を出した。
それは五歳まで母代わりになって育ててくれた百姓女のふちが、妙が多田羅に嫁入りする時にひそかに持たせてくれたものだった。
その時、ふちは言った。
「この懐剣は赤ん坊だった妙様を抱いて、長浜城から逃げる時、持ってきたものです」
「私とどんなゆかりがあるのです?」
「あなたの母様を殺したのは、この懐剣」
ふちが語るには、この刀で、妙の母は胸を突かれて殺されたのだという。
その時、ふちが生まれたばかりの妙をおくるみに抱いて逃げなければ、妙は母と同じようにその場で殺されていたのだと、ふちはぶるりと身を震わせて、明かした。
「私のお父上は? 母様と一緒に殺されてしまったのですか?」
そう尋ねる妙に、ふちはいたわし気な目を向けて言った。
「あなたの母様を殺したのは、妙様のお父君です」。
(かか様は、きっと私の本当の両親のことを知っている……)
養母ふちの目に宿る恐怖に、利発な妙はそう思った。
「私の父君は、いったい誰なのですか?」
そう妙が尋ねると、
「天下一、恐ろしい方です」
とたった一言、返ってきた。
「天下一……」
それは、物心ついた時から、いつともしれず妙の胸に住みついていた言葉だった。
それから妙が両親のことをどれだけ尋ねても、ふちは
「お父君は天下一、恐ろしいお方です。知らない方がいいのです。知るべきではないのです」
それだけを繰り返した。
養父の弥兵衛が何者かに斬り殺された時、
「とと様は、私のお父上に斬り殺されたのですか?」
と妙はふちに迫った。
けれども、ふちは何も答えず、しばらくして村から姿を消した。
そして今、母を殺した懐剣を握り締めている妙は、「鶴松の鶴汁を半分奪った悪童」という汚名のもとに、秀吉に犯されようとしていた。
それは、妙を殺してしまうより、取り上げて自分の側女にした方が、多田羅の苦しみは大きいだろうという、悪鬼のような秀吉の思いつきだった。
妙がその小さな手で握る懐刀を見て、閨の中で秀吉は笑った。
「無駄じゃ、こんなものはすぐに取り上げてくれる」
妙の手から苦もなく懐剣を奪った秀吉だったが、
「ずいぶんと良い物を持っているな」
と燭台にその剣をかざし、銘を見た瞬間、眦を吊り上げた。
「なぜ、これをお前が持っている!」
妙は裾をかき合わせて布団に座り直して答えた。
「我が母を殺したものだからです」
ううむと秀吉が唸った。
しばらくして、ぼそりと呟く。
「この刀は世に二つとないはず……」
「女、顔をよく見せよ」
秀吉は妙の頬を両手に挟んで、燭台に近づけた。
「女、話を聞かせよ」
秀吉の言葉に、妙は袂に手を差し入れると、袱紗(ふくさ)に包んだ小さな骨片を取り出した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる