交の鳥(こうのとり)

夏目真生夜

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第十三章 茶室の謁見

茶室の謁見

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大阪城の庭先で激しく鳴いていた蝉の声が尽き果てる九月になって、ようやく秀吉の謁見があった。
すでに大阪城に来て、一月(ひとつき)が経っている。

 謁見の場は茶室だった。
茶室の客は多田羅一人である。どうやら秀吉の意志で人払いをしているようであった。 
 亭主を務める秀吉から、茶をすすめられ、平伏していた多田羅は顔を上げた。
改めて秀吉の顔をまざと見て、菓子に伸ばした手が怯んだ。
眼下が落ちくぼみ、頬がこけ、眼球は黄色く、肌はくすんで灰色じみている。猿そっくりに見えた前回の会見の時も驚いたが、今度の秀吉の様子は、まるで悪鬼ではないかという禍々しさである。
供された菓子は千利休が考案した「ふの焼」だった。小麦粉を水で溶いたものを焼き、味噌を塗って、くるりと丸めた素朴な見目の菓子である。
貴重な小麦粉で作られたこの菓子は、秀吉の最上のもてなしであり「お前も利休のように死にたいのか?」という意志でもあった。
ままよ! と口に放り込んだふの焼が、喉にはりつき、多田羅は必死で呑み下した。
続いて、抹茶茶碗を持った多田羅の手が震える。
秀吉の点てた茶など、一口たりとも飲みたくない。
 しかし飲まねば、またどんな言いがかりをつけられるかわからぬと、多田羅は「妙」と胸の中で呟いて茶碗に口をつけた。その瞬間、秀吉が言った。
「儂の鶴松が死んだことは知っているな」
茶碗を置き、多田羅が平伏しようとするのを
「よい、飲め」
と秀吉がとどめた。
毒を飲むのだという気分で、多田羅は目をつむって、茶碗をあおった。
「もう半分こはやめじゃ。此度のお前が捕えた鶴は、すべて茶々(淀)に与えよ。ようやっと鶴松の葬儀のすべてが終わった。茶々は近く、子孕み祈願のため寺に参籠する。その茶々にたっぷりと、お前の鶴汁を与えてやってくれ。のう、多田羅」
 鶴松が死んで、まだ喪も明けておらぬのに子孕み祈願とは、と多田羅は呆れるような思いがしたが、鶴汁の献上で妙が助かり、平穏な日々が戻るのなら喜ぼうと、深く平伏した。  
次に秀吉の口から意外な言葉が投げかけられた。
「多田羅、お前は儂の甥、秀次のことは知っているか?」
「正二位様(しょうにいさま)ですな。お会いしたことはございませんが」
 斑目から聞いた秀次の話はいっこうに要領を得ず、多田羅にとって秀次は天下人の甥という印象しかない。
「儂はな、この秀次とこれから茶々が産む儂の子に、日の本を半分こして与えたい、そう考えておる」
「素晴らしきお考えと存じまする」
「茶々は、儂に向かって言うた。多田羅の作る鶴汁を飲めばまた男子を産めるような気がすると。そう言うたのじゃ。儂の鶴松は死んだ。
だが、冬に一度、お前の捕えた鶴の汁で回復したのもまことじゃ。儂は、茶々の言葉を信じる。それがお前とお前の妻女が生かされている理由よ、わかるな?」
 多田羅は平伏した。
「で、あるから、儂はまた茶々に子種を授けてやらねばならん」
 この骸骨のような老爺の体のどこに子種などという余力があるのか――。
多田羅は秀吉の口臭に、「臭い」と眉を寄せ、精力を使い果たして早く死ねと肚の中で吐きすてる。
秀吉は、多田羅の首筋に向かって皺びた六指の手を伸ばし、歌うように言った。
「お匙から、虎の肝が精を強めるのによいと聞いた。明国には虎がたくさんおるそうじゃ。
儂は近々、明に攻め入る。多田羅よ、鶴捕りに長けたお前なら、虎を捕まえるのも上手いであろう? どうじゃ、秀吉の兵とともに明に行く気はないか?」
「恐縮至極。もったいないお言葉でございます」
そう言いながら、多田羅は食いしばった歯がぎゃりぎゃりと鳴るような激しい怒りの中にいた。
鶴汁を飲んでも淀に子が出来ねば、お前を明に行かせ、愛しい妙と引き離すと、秀吉はそう脅しているのだ。
これは嫉妬ではないのか。
前回と今回、何の偶然か、淀の方が進言して多田羅と妙の命を、一度ならず二度も救った。その淀殿の気持ちに、この老人は激しく嫉妬しているのだと思った。
 こうなれば秀吉の言う通り、明でもどこへでも行ってやる! 
ただし、妙も連れて行く。決して、妙を離さない、どこまでも一緒だ。妙さえいれば怖いものなど何もない。
俺の天下は、俺の半分は妙の体の中にある――。
 多田羅は平伏したままで、らんと目を剥いて言った。
「この多田羅、明国に参り、必ず虎を捕え、肝を献上いたしまする。その前褒美として、もう一煎、関白様の茶を頂きとうございます」

 

数刻の後、多田羅は鶴汁を乗せた膳を持って、淀の方の局に向かった。
「淀の方様に献上する鶴汁をお持ちいたした」
声を張り、膳を横に置くと、一人、廊下に平伏する。
 当時、大奥という概念はまだなかったが、秀吉はその嫉妬深さから、側室たちの局への立ち入りを男子禁制にしている。側室の周りには数多の侍女が常についていた。
今、多田羅が平伏している襖の向こうにも、数人の女の気配がある。
 襖が開いた。
 次の瞬間、多田羅は顔を上げる間もなく、女たちの手に引っつかまれるようにして、部屋に引きずり込まれた。膳部も女の誰かが持ち上げて中に運んだようだ。鶴汁の匂いが部屋に満ちる。
 座した姿勢のまま、部屋に引きずり込まれた多田羅の肩が棒のようなもので、思い切り突かれ、転がされた。
その体の下に布団がある。絹なのか、ひどく手触りがいい。金の刺繡が多田羅の体の下でのたうっている。
いったい、何が起きているのだ?
女たちの体が多田羅に群がり、その四肢を押さえつける。起き上がり抗しようとすると「騒げば、あなたの大事なご妻女が死にますよ」
と氷のような言葉が、多田羅を刺した。
 色とりどりの着物を着た女たちの体が山のようになって、目の前を埋め尽くす。誰かの手が多田羅の着物の帯に伸びた。あっと思う間に、帯が解かれ、女たちは多田羅が身に着けているものを容赦なく剝ぎ取っていく。
「待て、何をするつもりだ!」 
声が出た。
だが、その口も猿轡を噛まされ、すぐにふさがれた。
 するすると下帯まで取られ、多田羅の下半身に一人の侍女の手が伸びた。その白い手が無機質に上下した時、多田羅はやっと気が付いた。
 またも秀吉に騙されたのだと。
俺は今、ここで秀吉に犯されるのだと、恐怖が身を貫いた。
天下一の女狂いと言われ、男にはまるで興味がないという秀吉がなぜ――。
嫌だ! 
多田羅は侍女の手の中で膨れ上がる己の下半身を、必死でなだめようとした。
けれど、侍女の手は容赦なく、多田羅のそこをこすり上げ、腹に甘い息をかけ、全身を痺れさせる。
「多田羅よ」
声がした。
それは金属を打ったような女の声だった。
 淀の方――。
叫ぶように閃いた瞬間、多田羅の下半身を温かい物が包んだ。
 何が起きている……?
 淀の体が多田羅の上に乗っている。
体中にとりついている侍女たちの着物、顔に降りかかる女どもの髪が視界を遮って、淀の方の顔は見えなかった。ただ細い顎と喉首にかけての白が、女たちの髪の隙間からちらちらとのぞいた。
 見たくない――。
多田羅は目をつむり、顔を逸らした。
その時、多田羅を押さえつけていた女の一人が立ち上がりどこかに行こうとして、誤って多田羅の指を踏みつけた。ねじ切れるような痛みがして、あっと多田羅は声を上げた。 
目の前に火花が飛び、大野治長の顔が脳裏に浮かんだ。
そして治長の妻女が小柄で小指を切り取られる場面も。
切り落とされた治長の妻女の小指は、妙の小さな掌と重なった。
妙――。
妙の指も、治長の妻女のように切られるのかという恐怖が、多田羅を泣かせた。
許せ、どうかもう許せ。
猿轡の奥で嗚咽が鳴った。
目をきつく閉じて、いやいやをするように激しく頭を振る。
「多田羅よ」
金属の声が言った。
「私は子を作らねばならぬ」
 多田羅は答えなかった。
毒のような愉悦がすでに全身を巡っている。歯を食いしばり、それに必死で耐えている。淀の中に精を放てば、つい先刻、自分が首を斬り落とした鶴のように、斬られるという確信がある。
 頭上で、こっこっこっと音がした。
淀の喉が動く気配がつながっている下半身を通して伝わってくる。侍女が椀を淀の口元にあてがい、鶴汁を飲ませているらしい。
 淀の口から溢れた鶴汁がその体を細く長くつたって、多田羅の腹に落ちた。
それは、一瞬で、恐ろしいほどの快楽に化けた。
「お前は面白い」
 ああっ と多田羅が精を漏らす瞬間、息を吐くように淀はそう呟いた。

 
侍女から「他言無用」という言葉を耳に垂らされ、その日のうちに多田羅は大阪城を発った。鶴を献上した褒美として、秀吉から馬一頭、淀からは珊瑚をあしらった銀細工の簪を賜った。
 拝領馬の上で、多田羅は呆としている。どれほど考えても、淀の行為の意味がわからなかった。
 大事なお子、鶴松様を亡くして動転していたのだ。一刻も早く次の子を孕まなければならぬという重圧があの方をおかしくさせたのだ。それでかつて治長殿に手をつけたように、たまたまあの日、局を訪れた俺を……。
 淀の声とその首の白さを思い出しそうになり、多田羅は何度も頭を振った。
最後まで淀の顔は見なかった。見ては、妙に対するひどい裏切りだと思ったのである。
多田羅の精を受け止めて、しばらくして体を離した淀は、布団の横に投げ出された多田羅の袴についていた一片の鶴の羽を「もらう」と言って、摘み上げた。それは、ひどく白く細い指だった。



数日後、多田羅が根尾の屋敷に戻ると、妙の姿が消えていた。
怯えた顔で、留守を預かっていた重臣、辰木が言った。
「礼様がお留守の間に、関白殿下の使者が来て、妙様を大阪城にお連れになりました」
やはり妙を殺すのか……と多田羅が虚ろに呟くと、家臣が口ごもりながら答えた。
「妙様を、関白秀吉の側女として召し上げるとの仰せでございました……」
 多田羅は、がくりとその場に崩れ落ちた。
















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