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第十六章 蔵の多田羅
蔵の多田羅
しおりを挟む天正十九年(一九五一年)九月二十九日。九能と妙がこんな約定を交わしたその夜。
岐阜本巣郡根尾村 多田羅家の屋敷――
多田羅は、暗い蔵の中にいた。
荒縄で縛り上げられ、自分の垂れ流した大小の悪臭にまみれている。その喉には短刀で突こうとして負った刀傷があり、乾いた血がこびりついている。
多田羅のこの惨状、実は九能の策である。
妙を秀吉に召し上げられたのを知り、反乱の挙兵を息巻いている多田羅には、妙が根尾の屋敷に戻らぬ限り、どんな説得も通じまいと踏んだ九能は
「屋敷に戻ったら、家中の者総出で協力して、多田羅を縛り上げて蔵にでも放りこめ」
と辰木に策を与えたのである。さらにこうも続けた。
「いずれ、妙殿は、屋敷に戻れる。だが、それがいつ、とは約定できぬ。それまでに多田羅殿にはおとなしくしておいてもらわねば、すべて無になる」
根尾に戻った辰木は、素直に九能の策を実行した。
家中の者が二十人、総出で多田羅に襲い掛かり、縄にかけた。その際、多田羅は短刀一本で戦い、凄まじい反撃ぶりを見せた。みな手を焼き、多くの者が怪我をした。多田羅も首に怪我をした。しかし、ついに多田羅は蔵に閉じ込められた。
腰のものを奪われ、後ろ手に縛られ、舌を噛み切らぬよう猿轡を噛まされ、もう三日三晩、多田羅は床に転がされている。
首の傷は浅く、じりじりした痛みを残して、すでに血はとまっている。腹もすかず、その場に垂れ流される大小も気にならなかった。ただ、狂うほどに妙のことばかり考えていた。
秀吉、目が高いわ。妙を一目見て、貴種の生まれと気づきおったか――。
大阪城に伴わなければよかったと、全身全霊で悔いている。
三日目の晩、懐に、淀からの拝領品の銀細工の簪があることに気が付いた。あれこれと体をよじって、口を使って、苦心して簪を懐から出した。
これで喉を突けば、一息に死ねる。
冷たい蔵の中、窓から月明かりが差し込んで、簪を照らしている。
「私はまた子を孕まねばならぬ」
淀の漏らした冷たい金属のような声が頭に響く。
ふと多田羅は、あれは悲しみの声でなかったのかと思った。あの時、多田羅の腹に落ちたのは、本当に淀の口から溢れた鶴汁だったのか。鶴松の死を悼み、流された涙ではなかったのか。秀吉に飼われ続ける絶望ではなかったのか。
淀の方がいるのと同じところ、大阪城に今、俺の妙はいる――。
それはなぜだか、ひどく温かい思いで、多田羅を強く揺さぶった。
多田羅は、猿轡ごと簪を咥えた。そして一気に簪で猿轡をひき割くと、その隙間から声を限りに叫んだ。
「俺は生きる、生きるぞーっ!! 俺は必ず妙を取り戻す。一刻も早く縄を解けーっ」
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