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第十七章 淀の参籠
淀の参籠
しおりを挟む翌日の天正十九年(一九五一年)九月三十日。
大阪の大融寺(だいゆうじ)。
くくっ、と淀は俯いて笑った。
今、淀は子孕み祈願のための参籠という名目で、この寺の一室に幽閉されていた。
常に淀の行くところに付き従う乳母の大蔵卿局も一人の侍女もいない。たった一人だ。日暮れた寺の一室は薄暗く、陰り、抹香の匂いがかすかに漂っている。
前夜、南蛮渡来の天蓋付きベッドの上で秀吉は皺びた手で淀の顔を撫でまわし、執拗にその体をまさぐった。
「そなたにはどうしても、我が豊臣の血を継いだ子を産んでもらわねばならぬのだ」
淀の体に突き立てていた指を不意に抜き取り、その濡れた指で淀の顔を指差して、迫る。
「茶々、儂は怒らぬ。言うてみよ。死んだ鶴松はどのようにして出来たのだ? 誰の種じゃ」
淀は、秀吉の黄色く濁った眼を見つめた。
「さあ? 茶々は存じませぬ。子の種など、天下人である関白様がお決めになればいいこと。関白様が鶴松の父は、儂であるといえばそうなのでございましょう。治長の種とお思いあそばすなら、そうなのでございましょう」
秀吉はしつこい。
「治長と契ったのか? 夫婦(めおと)のことをしたのか?」
「しておりませぬ」
呆れながら首を振る。
「では他の男か?」
「誰とも私は不義密通などしておりませぬ」
こんな問答を二人は、淀が鶴松を身籠った時から呆れるほど繰り返してきた。あるいは、こんな痴戯痴態も年老いた秀吉にとっては、性欲を盛り立てるための言葉遊びかもしれなかった。
しかし、それも鶴松が死んだ今、秀吉の声は違う色を帯びた。
鶴松の父親は、誰なのか――。
それは淀に次の子を孕ませるため、天下人として秀吉がどうしても解かねばならぬ命題であった。
淀がおかしかったのは、実父浅井長政をたやすく攻め落とした戦の手腕、刀狩りに太閤検地、そんな知恵と策略に優れた秀吉ほどの男が、鶴松の種が誰かという、こんな簡単な謎が解けないことだった。
その昔、淀の父、浅井長政は信長に攻め殺された。
優しい父、長政と美しい母、お市の仲睦まじさは、五歳だった淀の心に深く刻まれている。「冥途の旅路までともに」と夫の長政に願った母お市の方は、「生きよ」と説かれ、淀たち子とともに城から落ちのびた。その際に、慕っていた二人の兄は秀吉に殺された。そののち、母、お市の方は秀吉の側室にと請われたのを断り、柴田勝家に再嫁し、秀吉に攻め滅ぼされ、勝家とともに自害して果てた。淀は再び、初(はつ)、江(ごう)の二人の妹とともに城から落ちた。そういう血埃にまみれた娘時代を経て、彼女は秀吉の元に召し出された。
どんな時もそばには乳母の大蔵卿局、それに彼女の子で同い年の治長がいた。そして、淀が秀吉の側室になった時も、治長はついてきた。
「茶々様を一生、お守り申す」
苦しい逃亡の折々、時に手を握り、時に目に熱をためて、彼女を見つめた治長は、幼名を十一郎(といちろう)といった。
「乳母の小倅の分際では、浅井の姫様と結ばれる道はございませぬ」
淀が何も言わないのに、治長はそんなことを、度々口にした。
秀吉の側室になることが決まった時には、こう言った。
「十一郎は茶々様をお慕い申しておりまする。どうか茶々様の忘れ形見として、その着物の袖を頂きたい」
淀は、この男は阿呆なのかと思った。
――袖などただの布切れではないかと。
幼い頃から近親の死を間近に見すぎてきた淀には、「愛」という概念が欠落していた。その代り、彼女の中で肥大したものは「嫌」という鬱鬱とした感情である。秀吉の側室になるという耐え難い苦痛が、見るものすべて、触れるものすべてを厭う昏い闇に、淀の心を引きずり込んだ。
淀は馬鹿ではなかった。秀吉に花を散らされ、何度か秀吉とことを成し、理解した。
この男との間に、決して子はできぬと。
四人の子を持つ大蔵卿局から聞いていた男女のことと、秀吉との閨はあまりにもかけ離れていたこともそれを裏付けた。
五十の坂を超えた秀吉にとって、精を放つことはあまりにも大事業であるようだった。無駄に長い時間がかかり、床の上で淀が眠くなり、飽きる頃、やっとその時がきた。
むろん、ことを成せないまま、体を離すことも度々あった。そうやってやっと放出できたものも、雀の涙をこぼしたようなものであった。
そして精を果たした秀吉はそのまま、阿呆のように深い眠りに落ちた。失敗した夜は、そそくさと床を出て、正室のおねの元に行く。
そんな夜が幾たびも巡った。
ある夜、淀は秀吉がよく眠っているのを確かめて、次の間に控えている宿直方(とのいがた)に襖越しに声をかけた。
(十一郎)と。
(はっ、茶々様。何事かございましたか)
治長の低い声が返ってきた。声変わりした男の声だった。
淀は言った。
(そなたの下帯を外して、こちらに)
(何を仰っているのか……)
襖越しの治長は、明らかに動揺していた。
(殿下が起きてしまう。早う寄越してたもれ)
(某の下帯など……)
小声で口ごもる治長に、淀は刺すように言った。
(汚れておるのであろう? さきほど漏らしたもので)
治長は顔中に血が上るようだった。
淀はもう一度、言った。
(よい、十一郎、早う、こちらに)
治長が観念して下帯を外し、わずかに開けた襖の隙間から差し込むと、淀はそれを己が身に着けた。
(冷たいのぅ……)
これからは襖越しに十一郎に精を放たせ、その直後の下帯を手に入れようと考えた。
そして、実際に、淀はそれを遂行した。十一郎、と幼名で淀に呼ばれると治長は、彼女のいうことに抗えなかった。
この淀の行為は原始的な方法ではあったが、ようは人工授精であった。そして淀の恐ろしいところは、治長にさせたのと同じことを、宿直方を務めた、治長の弟、治房(はるふさ)や治胤(はるたね)、真田源二郎(さなだげんじろう)ら他の者にもさせたことであった。
その理由も種付けの機会は、なるべく多い方がよい、というごく単純なものであった。
実際、そうやって鶴松を孕み、産んだ時、淀には誰の種であるか、まったくわからなかった。
とばっちりじみた不義密通の疑惑を受けて、治長の妻が秀吉に手籠めにされ、小指を切り落とされたと聞いても、まるで心に響かなかった。
十一郎は、私を好いていて、喜んで下帯を差し出していたのだから、その咎を受けるのは当然だと思っている。
秀吉はやっきになって淀の不義密通の証拠を探させたが、噂があるばかりで、証拠は何一つ出なかった。種の提供者となった男たちはみな、沈黙していた。そしてそれぞれ出世に乗じて、宿直方の役目を離れていった。
けれど、そうやって生まれた鶴松も死に、今はどこにもいない。
鶴松を産んだ時、淀は体の中から光が溢れたような気がした。鶴松がいる空間にだけ、命というものは照り輝いていると思ったが、どうやらそれは錯覚であったらしい。
鶴松を失った今、淀は全身が氷につけられたように、冷たい無の中にいると思った。
「お方様、大丈夫でございますか」という大蔵卿局の声も、「茶々様」と呼ぶ治長の声も、誰の声も聞きたくなかった
「儂の鶴松が……」と、父でもないのに、その名を呼ぶ秀吉の大仰な嗚咽も聞きたくなかった。
しかし、そんな鶴松の死から、秀吉は瞬く間に回復した。重く沈んだ淀の心の内にも、まるで動じなかった。国を挙げての鶴松の葬儀がすむと、この希代の英雄は、外交や戦と同じように、淀に次の子を孕ませる奇策を思いつき、それを彼女に強いた。
それがこの大融寺での参籠である。
秀吉から参籠を命じられた時、これは秀吉との知恵比べの戦だ、と淀は思った。
そして、その戦で戦うための布石の一つが、多田羅を犯したことだった。
自分の下にあった多田羅の大柄な体を思い出し、淀は、ふふっと笑って、袂から鶴の羽を取り出した。
永遠の命を約束する証(あかし)のように、淀の手の中で白い羽が揺れている。
その時、彼女がいる部屋の襖を開けて、男が一人、入ってきた。
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