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第2部

5.

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 翌日も蛍子は午後の授業を抜け出したが、美術室はほかのクラスが使っていたので入れなかった。
 放課後、明里と魅那子はあたりまえのようにほかの部員に混じっていつもの場所にいた。

「おっ、来たね」

 明里が蛍子に気づいて声をかける。
 蛍子は安心したような残念なような複雑な気持ちだった。
 いなかったら絶対に寂しい。しかし、お互いずっとここにはいられない。彼女たちにとっては成仏とかしたほうがいいのではないだろうか。
 そしてもうひとつ、彼女たちは蛍子が生み出した妄想という可能性も拭いきれない。蛍子が以前観た映画では、統合失調症による幻覚はあたかもそこに友人がいるように錯覚させていた。蛍子はときとして、現実と見紛うような夢を見ることがある。そうなると夢か現実かは自分では判断できないのだった。

(もしかすると、精神疾患による幻覚と幽霊には共通点があるのかも)

 そんなことを考えながらキャンバスを引っ張り出した。

「まだそれいじるの? もう完成でしょ」

「蛍子は完璧主義者だからな」

「そうだっけ?」

 部員たちがいるあいだは会話に加われないので、蛍子は言われ放題になっているしかなかった。



「あの、部長」

 蛍子がみんなに帰っていいというと、最後まで残っていた二年生の女子生徒が蛍子の前に立った。

「ん、なに?」

「相談があるんですけど……」

 二年生はもじもじしながら話しはじめた。

「最近、その……男子に告白されまして」

「あ、そっち」

 部活のことかと思えばプライベートな相談のようである。恋愛関連はあまり得意ではない。

「それが、一年生で、あまり年下は好みじゃないんですけど……」

「ふむ」

 部員が話しつづけるので、蛍子は一応聞くことにした。

「とりあえず付き合ってみることにしたんですが、毎日連絡とりたがるんでどうかと思ってるんですけど」

「それで、あなたは彼のことどう思ってるの」

「けっこう見た目はいいし、よくしてくれるんでこのまま付き合ってもいいかなあとは思ってるんですけど、なんかあんまりベタベタするのもどうかなあって思ってて」

「なんだろう、惚気を聞かされてるのかな?」

 魅那子が言ったが、当然部員には聞こえていない。
 他人の恋愛事情を明里と魅那子は興味津々で聞いていたが、相談されている側はそうもいかない。たしかに惚気を聞かされているだけで、どういった相談なのかわからない。自分が恋愛にうといから質問の主旨が理解できないのだろうか。

「うーん……」

 蛍子は両手を上げてググッと伸びをするふりをしてチラリと魅那子に視線を向けた。
 蛍子同様あまり恋愛ごとが得意でない魅那子は、しれっと視線をそらした。

「そうねえ……」

 蛍子は反対側を向いた。

「えっ、あたし?」

 明里はドギマギしたが、蛍子や魅那子が恋愛にうといのは知っていたので、ちょっと考えて、蛍子の耳に囁いた。
 蛍子がそれをやや棒読みでくり返す。

「愛情は出し惜しみしちゃ駄目よ。明日どうなるかわからないんだから、今日の分は今日出し切りなさい」

「あっ、はい」

 女子は納得したようである。

「ありがとうございます。さすが部長」

 そう言って、相談しにきたときよりもやや足取り軽く去っていった。

「さすが部長」

 魅那子がくり返す。

「やめてよ。明里の案なんだから」

 蛍子は、出入口でペコリと挨拶して出て行く部員に片手を上げながら言った。

「さすが明理、あたしたちとは経験が違う。『明日どうなるかわからない』なんて、妙に説得力あるわ」

 魅那子が冷やかす。

「悩み事の相談なんて、あらかた自分の中で答えは出ているから、そこを強く肯定してやればだいたい納得するのよ。彼女の場合、本当はベタベタしたいんだけど、年下はあまり好みじゃないって言った手前自分からは行きにくいから、そんなの気にしなくていいわよガンガン行きなさいってひと言だれかが言ってやれば喜ぶのよ」

「そうなの?」

 蛍子が聞くと明里は「たぶんね」と肩をすくめた。

「まあ、間違ってはいないと思うのよ」



 蛍子は早めにキャンバスをかたつけはじめた。

「お、今日はもう終わり?」

「見てたらずっと手直ししたくなるから、もう完成でいいわ」

「なるほど」

「それでね。昨日帰ってから考えてたんだけど」

 蛍子はかたつけながらふたりを見た。

「あなたたち、家族に会いたいでしょ? 家まで行ってみない?」

「ええっ……?」

 明里と魅那子は一度顔を見合わせて、また真顔の蛍子のほうを向いた。
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