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第1章・発端
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橋の上から落ちた男の身元は意外と早く割れた。
川の近くのマンションに住む35歳の会社員で、妻と2歳になる子供が1人いた。
騒ぎがあった日、男は体調を崩し欠勤していることが分かった。夫婦共働き。夫の様子は少し前から変だった……と妻は話した。
「仕事のストレスなのか……眠れないと話していて」
異変を感じた時から遡って、彼女は淡々と語った。
「夜中に突然、誰かが部屋にいるって騒いで。最初は寝ぼけているのかと思ったけど、昼間に職場でも常に誰かに見られてるって……」
「以前からそいうことは?」
野崎の質問に「いいえ」と妻は答えた。
「結婚する前も、した後も……そんなことは一度も」
そう答えて、疲れたように俯いた。
「ストレスが疑われるから、職場の産業医と面談したようですが……ストレスで幻覚や幻聴が聞こえるものでしょうか?」
「医療機関への受診は?」
あの日行くはずでした……と言って妻は顔を覆った。
「私も付き添えばよかった――」
野崎と白石は、「辛いな……」と呟いて部屋を出た。
「遺体からは薬もアルコールも出ていない。素面の状態で発狂して飛び降りた……原因はストレス?」
「ストレスで幻覚見るなら、俺たち全員見てる」
それは言えてる……と白石は苦笑した。
「でも極度のストレスを抱えてて、自殺願望を抱くようになっていた……って考えれば、無理な話じゃない」
廊下を歩きながら野崎は続けた。
「自分で自分を追い詰めた。傍から見れば異様な光景だけど、そもそも追い詰められて死を選ぶ人間はまともな思考状態じゃない」
「錯乱して転落……ってことはやっぱり自殺か?」
「残された人は辛いだろうけどね……」
あの動画を見て彼女はどう思っただろう。2歳の子を抱えて、これから生きていかなければいけないのに。
せめてそっとしておいてやりたい、と野崎は思った。
「そういえば、駅の被害者の身元がようやく割れたな」
野崎はそう言うと、刑事課の部屋に戻って机の資料を手に取った。
「中本正志、56歳か。意外と若かったな」
防犯カメラの感じでは、もう少し高齢の雰囲気だったが。
身元捜査が難航したのは、男がホームレス状態で住まいを転々としていたからだった。
もしかしたら中本では?という問い合わせがあったのが、騒ぎから一か月以上経ってから。市内ではなく、別の市のホームレス支援団体からの問い合わせだ。
「去年の11月に勤めていた派遣先を切られ、市内のアパートを出てる。そこから職に就けず河川敷や公園を転々。支援団体の炊き出しに顔を見せたりしてたけど、顔見知りができるほどじゃなくて孤立してた」
「アパートの大家に確認したら中本に間違いないって確認が取れた。人身事故の事は知ってたけど、それが中本だとは思わなかったらしい。よっぽど印象の薄い男だったのかな?」
白石は男の顔写真を見た。
確かに、これといった特徴はない。瘦せていて、やや前髪が薄くなった感じはあるものの、どこにでもいそうな普通の中年男性だ。
家賃を滞納したり、問題を起こしたりしていれば記憶にも残るだろうが、中本はそういうタイプではなく、非常に真面目で大人しい男だったようだ。
「仕事を失くして、住む場所も失って……自暴自棄にでもなってたのかな?」
「薬物やアルコールも検出されず……確かに今回の橋の被害者と似てるな」
こんな短いスパンで、ストレスによる幻覚で自殺――なんてこと、あるだろうか?
それに……
野崎にはどうしても気になる点があった。
それは、2人とも何かに追われて逃げるような素振りをしている事だ。
(彼らには、何か見えていたのでは?)
でも……何が?
カメラには何も映っていない。男が1人、錯乱して飛び込んでいるだけだ。被害者2人が知り合いだという事実もない。
「結局、自殺ってことで片づけるのかな?」
「それ以外に何かあるなら知りたいよ」
野崎はそう言うと自分のスマホを取り出して、チラリと画面を見た。
メッセージが1件入っている。
「どうした?」
白石に聞かれてスマホの画面を見せる。
「例の先生が会いたいって」
「ははぁ」
白石も意味ありげに頷くと、「レイの先生ね」と笑った。
「いいんじゃない。何か参考になる話、聞かせてくれるかもしれないぜ」
川の近くのマンションに住む35歳の会社員で、妻と2歳になる子供が1人いた。
騒ぎがあった日、男は体調を崩し欠勤していることが分かった。夫婦共働き。夫の様子は少し前から変だった……と妻は話した。
「仕事のストレスなのか……眠れないと話していて」
異変を感じた時から遡って、彼女は淡々と語った。
「夜中に突然、誰かが部屋にいるって騒いで。最初は寝ぼけているのかと思ったけど、昼間に職場でも常に誰かに見られてるって……」
「以前からそいうことは?」
野崎の質問に「いいえ」と妻は答えた。
「結婚する前も、した後も……そんなことは一度も」
そう答えて、疲れたように俯いた。
「ストレスが疑われるから、職場の産業医と面談したようですが……ストレスで幻覚や幻聴が聞こえるものでしょうか?」
「医療機関への受診は?」
あの日行くはずでした……と言って妻は顔を覆った。
「私も付き添えばよかった――」
野崎と白石は、「辛いな……」と呟いて部屋を出た。
「遺体からは薬もアルコールも出ていない。素面の状態で発狂して飛び降りた……原因はストレス?」
「ストレスで幻覚見るなら、俺たち全員見てる」
それは言えてる……と白石は苦笑した。
「でも極度のストレスを抱えてて、自殺願望を抱くようになっていた……って考えれば、無理な話じゃない」
廊下を歩きながら野崎は続けた。
「自分で自分を追い詰めた。傍から見れば異様な光景だけど、そもそも追い詰められて死を選ぶ人間はまともな思考状態じゃない」
「錯乱して転落……ってことはやっぱり自殺か?」
「残された人は辛いだろうけどね……」
あの動画を見て彼女はどう思っただろう。2歳の子を抱えて、これから生きていかなければいけないのに。
せめてそっとしておいてやりたい、と野崎は思った。
「そういえば、駅の被害者の身元がようやく割れたな」
野崎はそう言うと、刑事課の部屋に戻って机の資料を手に取った。
「中本正志、56歳か。意外と若かったな」
防犯カメラの感じでは、もう少し高齢の雰囲気だったが。
身元捜査が難航したのは、男がホームレス状態で住まいを転々としていたからだった。
もしかしたら中本では?という問い合わせがあったのが、騒ぎから一か月以上経ってから。市内ではなく、別の市のホームレス支援団体からの問い合わせだ。
「去年の11月に勤めていた派遣先を切られ、市内のアパートを出てる。そこから職に就けず河川敷や公園を転々。支援団体の炊き出しに顔を見せたりしてたけど、顔見知りができるほどじゃなくて孤立してた」
「アパートの大家に確認したら中本に間違いないって確認が取れた。人身事故の事は知ってたけど、それが中本だとは思わなかったらしい。よっぽど印象の薄い男だったのかな?」
白石は男の顔写真を見た。
確かに、これといった特徴はない。瘦せていて、やや前髪が薄くなった感じはあるものの、どこにでもいそうな普通の中年男性だ。
家賃を滞納したり、問題を起こしたりしていれば記憶にも残るだろうが、中本はそういうタイプではなく、非常に真面目で大人しい男だったようだ。
「仕事を失くして、住む場所も失って……自暴自棄にでもなってたのかな?」
「薬物やアルコールも検出されず……確かに今回の橋の被害者と似てるな」
こんな短いスパンで、ストレスによる幻覚で自殺――なんてこと、あるだろうか?
それに……
野崎にはどうしても気になる点があった。
それは、2人とも何かに追われて逃げるような素振りをしている事だ。
(彼らには、何か見えていたのでは?)
でも……何が?
カメラには何も映っていない。男が1人、錯乱して飛び込んでいるだけだ。被害者2人が知り合いだという事実もない。
「結局、自殺ってことで片づけるのかな?」
「それ以外に何かあるなら知りたいよ」
野崎はそう言うと自分のスマホを取り出して、チラリと画面を見た。
メッセージが1件入っている。
「どうした?」
白石に聞かれてスマホの画面を見せる。
「例の先生が会いたいって」
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