個人授業は放課後に

須藤慎弥

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 そこで初めて、由宇は橘のほんの少しだけ寂しげな表情を垣間見た気がした。

 確かに嫌いだったけれど、今はそれほどでもない。

 むしろイイ奴かも、などと以前から比べたら凄まじい気持ちの変化を、由宇自身もきちんと自覚している。

 すぐに由宇を苛立たせるのは彼の性分だという事も分かっているからか、イラッとはしても、嫌いという感情は湧いてこなくなった。

 怜の事で様々動いてくれているのを知ってからは、特にかもしれない。


「先生、俺先生の事嫌いって言ったけど、今は嫌いじゃないよ。  一緒に食べてよ、お願いだから」


 灰皿にタバコを捨てようとテーブルに身を乗り出す橘の傍まで行って、由宇は「ねぇねぇ」と彼のシャツを摘んで引っ張った。


(気にしてたんだ……ごめんなさい、先生。  嫌いだなんて、もう二度と言わないよ、誰にも)


 平和主義者の由宇に「嫌い」と発言させてしまう橘もかなりの強者だが、相手が誰であろうと人が傷付く台詞は言ってはならなかった。

 しゅん……と肩を落として俯く由宇の前で、橘はニヤリとほくそ笑む。

 そして、したり顔の橘は凹む由宇のバスローブの前をペロンと捲った。


「マジでノーパンじゃん」
「ちょっ!?!?  何してんだよ!!」
「何も?」
「い、い、い今見ただろ!?  やめろよ!」


(なっ、なっ、何なんだよ!  先生が傷付いてるかもってめちゃくちゃ反省してたのに!!)


 寂しげな表情を垣間見ただなんて、幻想だった。

 目の前のセクハラ橘はフッといつもの悪魔な笑顔でそこに居て、由宇の落ち込んでいた気持ちは一気にどこかへ飛んで行く。


「食お食お。  腹減ったなー」
「先生!  ごめんなさいは!?」


 由宇の脇をすり抜けてダイニングに着席した橘が、テーブルに肘を付いて「は?」とまた笑う。


「何のごめんなさいだよ」
「……そ、そのっ、……捲ってごめんなさいって!」
「誰が言うか。  早くこっち来い。  これ火付けっぞー」
「あ、待ってよ!  俺もお腹空いたー!」


 突然のセクハラで怒り続けるよりも、今は空腹を満たすために橘の隣にちょんと腰掛ける。

 苦手な豆腐料理を橘へ渡すと、代わりに刺し身皿を丸ごとくれた。


「これは……物々交換にしては品が違い過ぎ……」
「食え。  俺生魚あんま好きじゃねー」
「そうなんだ。  意外……」
「意外って何だよ。  ビール取ってきて」
「えぇ?」
「冷蔵庫。  三本でいーや」


 マイペースは健在のようで、客人なはずの由宇を平気でパシリに使う。

 この男の本質を知る由宇は、あんまり言い合いをしても疲れるだけなので、素直に立ち上がった。


(おっかしいなぁ~俺お客様でしかも生徒なんだけどなぁ~)


 生徒にアルコールを取りに行かせるというワンマンさも、橘なら十分あり得る話なのでそこもわざわざ口になんか出さない。


「はいはい。  てか三本も飲むのかよ」
「三本しか、だろ。  いつもは五本空けてそっから焼酎だ。  でも今日は野良猫いるだろ。  一応加減しねーとな」
「焼酎って……野良猫って……」
「早く。  喉カラカラ」
「キィィ……っっ!!」


 生徒を前にしてそんなに明け透けに喋っていいのかと面食らっていると、早くと急かされて今度こそキレそうになった。

 なぜこの男は、優しいくせに思いやりが所々欠けるのだろうか。

 ローストビーフを頬張って、渡した缶ビールを一気に飲み干した橘は由宇を見て唇の端を上げた。


「また鳴いてんの。  それ得意な、お前」
「得意じゃない!!  腹立つな、もう!  いただきます!」


 橘がイライラさせるのが悪い。  奥歯を噛み締めて奇声を発してしまうのは、橘のせいでしかない。

 こんな機会は二度とないだろうから、この際 今日の事や園田家と橘の関係を落ち着いたトーンでじっくり聞こうとしていたのだ。

 今日一日の出来事で、大人の汚さという意味が重々分かってしまったから、橘の意見も聞きたかった。

 だが隣には、仮にも教師が、生徒の前でグイグイお酒を進めている。

 ビール三本でいいと言いながら、ものの十分で三本とも飲み干した橘は一目で飲み足りないのだと分かった。

 知らないフリでご飯をもぐもぐしていた由宇は、ふと視線を感じて隣を見ると橘と目が合った。

 何も言わず、ジーッと見詰めてくる。

 憎たらしいほどカッコイイのに、何とも意地悪な顔で。

 そして、気付いてしまった。  …それはとても、何かを言いたそうな瞳───。


「……あと何本いるの」
「すげー!  よく分かったな。  あと三本」
「飲み過ぎだろ!」
「焼酎いかねーから許せ」


 アルコールなんて家でもそんなに見た事はなく、この缶ビールはどれくらいの度数なのかなど由宇はさっぱり分からない。

 ただ一時間も経たないうちに六本も飲もうとするとは、橘はかなりお酒が強いのだとさすがに驚いている。

 渋々立ち上がって冷蔵庫から三本を持って戻ると、何故かおつかい終わりの子どものように頭をヨシヨシされて戸惑う。


「なっ……」
「その顔いいな。  それはいい」
「はぁぁ??」
「いいから冷めねーうちに食っちまえ。  んで寝ろ」


 ──たまに橘は妙な事を言う。

 ガムをくれる時も、変な事をする。


(寝るよ、寝る!  今日は一日がすごく長く感じたから早く眠りたいっ)


 着席し、食べ掛けだった料理達を次々と片付けていく。

 マイペースだと分かっていても尚、掴みきれないこの男の行動や言動に、由宇はすでに振り回され始めていた。




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