恋というものは

須藤慎弥

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◆ 誕生日の出来事 ◆

第五十話

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 カップルの会話を聞いた天は、ヒートを起こしているのが女性なのか男性なのか知らないが、まさに今店内で同性の者が独り苦しんでいると思うと、いても立ってもいられなかった。

 無言を決め込んでいる潤を置いて、天はウエイターの元へ駆け寄る。


「あ、あの……っ、中でヒート起こしてる人が居るんですか?」
「えぇ、……男性のお客様が……。 救急車が到着されるまで店のスタッフも被害を被りますので、恥を承知でこれからお客様一人一人に緊急抑制剤をお持ちでないか聞いて回るところでして……」
「緊急、抑制剤……っ」


 ───男性のΩ。 それを聞いただけで、天の胸騒ぎがさらに大きくなる。

 番の居ないΩがヒートを起こしてしまった場合、数カ月前の天もそうであったように緊張抑制剤でしか抑える方法はない。

 救急車は呼んでいるらしいが到着はあと何分後なのだろう。

 天は数秒のうちに様々考えを巡らせた。

 また、……自衛のなっていない "Ω" が軽蔑の対象になる。 優雅なディナー時、たった一人のせいで関係のない一般客が寒空の下へ誘導される羽目になったとなれば、あからさまな不平不満を唱えるのも当然だ。

 現にあちこちのβ性の者達から「迷惑だ」との声が上がっていて、天はまるで自分がそう言われているような気になり狼狽えた。

 しかし、ヒートのツラさはΩ性の者にしか分からない。

 ……分からないのだ。

 どれだけ心細いか。 どれだけ「周囲に迷惑をかけたくない」と思っているか。 生きにくいと感じながらも、心のどこかで運命の番を欲してしまう本能をどれだけ恨んでいるか……。


「それでは失礼しま……、」
「お、俺っ、持ってます。 使い方も分かります! 鞄に入ってるのですぐに取ってきます!」 
「えっ!?」


 背伸びをし、驚いたウエイターの耳元で小さく叫んだ天は潤を振り返った。


「あっ、あの美形過ぎて目立ってる連れには性別バレたくないので、すみませんが引き止めていてください!」
「……っ、分かりました!」


 これだけ言うと、頷いたウエイターを背に潤の元へ駆けた。

 見捨てる事など出来なかった。

 あのウエイターに自らの性がバレてしまおうが、二度と会わなければいいだけの話。

 ヒートで苦しんでいる同性の者に緊張抑制剤を打ち、そそくさと退散して無かった事にすればいい。

 同性にしか分からない苦悩を、同性である天が見て見ぬフリなどしてしまえば後々必ず後悔する。

 何なら死ぬまで、その後悔を引き摺るかもしれない。

 Ωのフェロモンは、同性であれば狂う事は無いと何度も忌々しく読んだ説明文に書いてあった。 昨今の希少性である事を鑑みれば、助けられるのは自分しか居ないと、天の頭はそれだけに突き動かされていた。


「天くん? 血相変えてどうしたの……」
「ごめん、潤くん! 緊急事態発生だから、今日は解散にしよ! 先に帰ってていいから!」
「───え!? ちょっと、天くん!」
「ごめんな! 今度埋め合わせするよ!」


 潤に腕を伸ばすと、何も言わずとも鞄を差し出してくれた。

 矢継ぎ早にそれだけ言い放つと、一分一秒でも惜しいとばかりに天は踵を返す。

 けれど潤は、追い掛けてくる。 それが分かっていたからこそウエイターに足止めを頼んだ。

 β性の潤は、中には入れない。

 無論、天が緊張抑制剤を持ち歩いている理由と、フェロモンに惑わされない天の嘘まで説明しなくてはならないので、追い掛けられては困る。

 店内に入る間際、慌てた様子でウエイターから耳打ちされた「奥のスタッフルームです」の通り、天は鞄をギュッと抱いて足早にそこを目指した。

 ウエイターの足止めは成功しているらしく、潤も追って来ない。

 がらんとした厨房やテーブル席は見ないようにして歩を進め、うめき声の聞こえる『STUFFONLY』と書かれた扉の前で一瞬立ち竦む。

 潤の言葉を借りるならば、一年に一度しかない誕生日にこんな事が起きるなんて、何となく何かに導かれているようにも思えた。

 まるっきり同性の者に出くわすのは初めてだ。

 もちろん、ヒート中のそれを見るのも。


「う、……っ、……はぁ……っ……うぅ……っ」


 扉を開けると、小柄な男性がいかにも苦しげに胸を押さえて蹲っていた。

 天もそうであったように、立っていられない本能的な欲に涙し小刻みに震えている。

 慌てて近寄った天に、男性は涙の滲む目元を細めてチラとこちらを見た。


「だ、大丈夫ですか!? すぐ緊急抑制剤打ちますからね! お腹と太もも、どっちがいいですかっ?」
「あ、あなた、……Ω、なんですか……?」
「俺のことはいいから、早くどっちか選んで!」
「はぁ、っ……はぁっ、おなか、で……っ」
「分かりました! ちょっとだけチクッとしますよ! でもほんとにこれよく効きますから安心してください!」
「は、い、っ……ありが、とう……っ」


 大急ぎで緊張抑制剤の封を開き、中から注射器と小瓶を取り出す。

 記憶はもはや朧気だが体は覚えている。

 男性が悶え苦しんでいる体内の異変。 彼は今、こんな最中でもこれから先のことを不安視し、よりによって今この時にヒートを起こすなんてという焦りと罪悪感に満ちている。

 きっとこの者も、Ωである事を隠して生きているに違いない。

 天はそう直感した。

 自分にもそうしたように、透明の液体を吸い上げた注射器を男性の脇腹付近目掛けて恐る恐る刺していく。

 極めて針先の細いそれは、歯科用の注射針よりも細く精巧に作られている。 ましてや興奮状態の体には何ら苦痛を伴わない。


「もう、大丈夫ですよ」


 じわりと針を抜き、荒い呼吸を繰り返しながらぱたりと床に倒れ込んだ男性にそっと声を掛けて後始末をした。

 即効性のある抑制剤の効き目は、天が一番よく知っている。

 だが、───。


「……あ、……あれ……」


 指先が震えてきた。

 しゃがんでいた膝に力が入らなくなり、ぺたっと床に手を付く。


「す、すごい……苦しくなくなってきた……」
「それは良かった、……良かった、です……うっ!」


 ドクドクと嫌な動悸がし始めていた天が、胸元を押さえて倒れ込んだ。

 天の緊急抑制剤でヒートが落ち着いた男性は、今度は同じように苦しみ始めた天に寄り添い慌てている。


「ちょっと、君! もしかして抑制剤飲まないでここに……!」


 力無く見上げた先で、男性がおぼつかない足取りで扉から出て行くのが見えた。


「……はぁ、はぁっ……なに、……?」


 体が熱い。 うまく息が出来ない。

 あれだけ苦しそうだった男性が、抑制剤の効果であっという間に自分の足で立ち、歩けただけで天がここへ来た意味があるというものだ。

 同性の者を助けられて本当に良かった。


「……や、……やば……っ、はぁ、これは……っ」


 けれど自分がこうなっては、何の意味も無い。








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