恋というものは

須藤慎弥

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◆ しるし ◆ ─潤─

第九十四話

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… … …


 潤と天は、決まり事を作った。

 それは天の発案で、豊と美咲に潤なりの啖呵を切ったその日の夜の通話中のこと。

 何の異論も無かった潤があっさりと受け入れた形である。


「……天くん、しるしって知ってる?」
『何のしるし?』
「α性のヒトとΩ性のヒトが出会って、恋に落ちるしるし」
『な、……ななな、何それ?』


 確かめ合うには面と向かっての方がいいかと悩んでいると、豊はすっかり小姑的立場で「まだ早い」を繰り返していたものの、この件ついて異常に物知りだった美咲の方が背中を押してくれた。

 潤のフェロモンが染みついたコートを抱き締めて昼過ぎまで眠っていたという、絶妙に胸を打つ台詞に天井を仰ぎつつ、いつもの夜の通話時とは違い質の良い睡眠のおかげか明らかに天の声に張りがある。

 しかしその分かりやすいどもり方で、窓辺から曇り空を眺めた潤の片眉がやや上がった。


「もしかして何か知ってた?」
『えっ、いや、……んーと、……ちょっとだけ』
「へぇ? 天くんはどんな事を知ってたの?」
『…………俺達が手とか触ったらビリビリってきてたやつ』
「あぁ……あの静電気? そういえば天くん、静電気がどうとか言ってたよね」
『…………うん』
「はじめの頃だけビリビリきてて、少し経ったらこなくなったよね? あれの理由も知ってたりする?」
『……うん』


 潤は美咲から教えられて初めてそのしるしに気付いたというのに、少しの沈黙が天の本音を語る。

 パチッという微かな音と、痛みが走らない程度の体を突き抜ける何か───静電気のメカニズムを知る潤には、それが二人にとって大きな意味を持つものだとは思いもしなかった。

 スマホを手にベッドへと移動し、サイドテーブルの上にあった漢方薬を口に含んで水で流し込んだ潤は、今考えれば静電気の前兆(しるし)も理にかなうと納得している。

 あれはあたかも、静電気のようにどちらかが一方を引き寄せていたのだ。


「天くんは、理由知ってどう思った?」
『どうって……嬉しかったよ。 潤くんはβじゃなくてαだったから、……あの静電気にはちゃんと意味があったんだって』
「そんなに前からあのビリビリの正体知ってたんだ」
『……うん。 俺、自分の性別が嫌だって散々言い聞かせてたくせに、潤くんとビリビリきてた時にいっぱい調べたんだ。 あれはもしかしてそうなんじゃないかって……。 でも潤くんはβだと思ってたし、Ωとβにはそんなしるしは無いらしいから……悲しかった』
「………………」


 ───悲しかった……? 僕がβだと偽ってたから、しるしが無意味なものだと知った天くんは……心を痛めていた……?


 社会を欺くほどβ性で居たがっていた天が、心では否定しながらもその意味を調べていたと知った潤の気持ちは、どうすればいいのか。

 心がムズムズする。

 嘘を吐いていて申し訳なかったと思いながら、いじらしい天の行動に足先だけを動かしてひっそりと悶えた。

 一度目のヒートを起こしたあの日、久しぶりに会った天はしきりに潤の掌を触ってきた。 「あれ?」と何度も首を傾げて戸惑い、その後から天の様子がおかしくなった。

 潤との繋がりを絶たれたと思ったのかもしれない。

 β性とΩ性の間にも、例外としてしるしが起こり得るのではないかと、天は葛藤を無視して "いっぱい" 調べたのだろう。


 ───天くんの方が先だった……? 僕よりも先に、天くんの中では僕が一番だったのかな……。


 天の可愛気に気付いてしまうと、通話をしているこの現実の距離が途端にもどかしくなった。


「……今すぐそっちに行って、天くんを抱きしめたいよ」
『えっ……あ、……っ、……うん……』


 感慨深く瞳を閉じた潤の耳に、天の照れた頷きが心地良く浸透する。

 こうしている今もコートとマフラーを大事そうに握っているのだろうかと思うと、さらに心が疼いた。


「……あとは? 何か知ってる事ある?」
『うーん……。 あっ、潤くんの鎖骨のとこにあった点々』
「それも知ってるの?」
『いっぱい調べたって言ったじゃん。 αのヒトには、番相手と出会ったら体のどこかにしるしが表れるんだ。 潤くんにはそれが、……あった。 身に覚えがないんなら、そうなんじゃないかなって』


 ───そうだ……そういえば天くん、僕のココ触って照れてた。 ぶつけたんじゃないよって、……ほっぺた真っ赤にしてた……。


 天はかなり早い段階で、性別の葛藤よりも潤との様々な可能性を調べ尽くしている。


  "αでもいいじゃん。 性別ってそんなに重要?" 


 潤が天に言った台詞そのままを、天は潤に返してきた。 あれには実は、とてもとても深い、潤への想いが詰まっていたのだ。

 背中を押されたからと、我慢出来ずにこうして確かめ合うのを急いてしまった自我を後悔した。

 こんなに大好きなのに、すぐに天を抱き締められない。

 色付いたうなじに口付ける事も出来ない。

 天に対する愛おしくてたまらない感情を、ただ持て余すだけだ。

 潤は胸元を押さえて、絞り出すようにもう一つだけ質問してみた。


「……天くんにも、しるしがあるって知ってる?」



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