優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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接近者 ─和彦─

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 見上げてくる瞳に、文字通り吸い込まれた。

 抵抗しなくなった体を押さえ付ける必要が無くなって、僕は七海さんの両頬にそっと手のひらを添える。


「……僕にも「分かんない」が出来てしまいました。可愛い七海さん……今日のキスをしましょう」
「な、なっ、何を言っ……っ!」


 いつも不意打ちでしていたキスを告知した事で、七海さんに覚悟が生まれる……それを期待してみた。

 薄く開いた唇に、ゆっくりと顔を傾けて自分の唇を合わせた。

 柔らかなそれは程よく温かくて、甘いリップクリームの味がする。

 一日一回のキスは、今日で八回目。

 それなのにいつも驚いて目を丸くして、少し経つとじわりと瞳を閉じ、僕の肘をか弱く持つ。

 ……受け止めてくれている自覚も、ないのかな。

 七海さんは嫌なものは嫌ってちゃんと言える人だから、拒まないのはそういう事だって、あと何回キスしたら気付いてくれるんだろう。

 僕には生まれた事が無かった感情を、七海さんにだけは強く思った。

 ──優しくしたい。

 いつも七海さんは唇から舌を覗かせて僕を誘うけれど、初日以外は我慢していたのに…今日は出来なかった。

 少しだけ強引に舌を入れ込むとビクッと全身が揺れる。

 僕の腕を七海さんが弱々しく握ってきたのを合図に、思い切って絡ませてみた。

 ……抵抗、しない。

 嫌がってはいないと分かるや、尻込みした七海さんの舌先を舐めて誘うとおずおずと舐め返してきて、否応無しに興奮が増す。


「……ん、……っ」


 顔の向きを変える度に七海さんのほっぺたに触れる僕の鼻先が、その熱を知らしめてくる。

 鼻にかかった甘い吐息が鼓膜を震わせて、僕の理性はどんどん地に落ちていく。

 ──しないけれど。出来ないけれど。

 口付けも、深くは交わらなかった。

 七海さんが怖がらないように、舌で遊ぶだけで目一杯楽しんだ。

 舐めて、ささやかに絡ませて、力を抜いてほしいと舌先で問い掛けてから、最後に唇に一度、左のほっぺたにも一度キスをして、離れた。

 何度も響いた、バードキス音。

 きっと、七海さんの鼓膜も震わせた、誰しも気分が高揚する粘膜音。

 美味しいと感じたのは僕だけじゃないはずだ。

 一度も僕の胸を押し戻さなかった七海さんは、たどたどしいそれがやはり初だった。

 たった数分のキスでこんなに蕩けそうな表情をする七海さんの事を、男漁りする経験豊富な人間だと誤解していたなんて、僕は本当に馬鹿だ。

 これじゃ僕もあの人達となんら変わらない。

 噂に流されて、後ろ盾ばかり気にして、本質を知ろうとはしてくれずに僕の事を「変人だ」と決め付けていたあの人達と、何も──。


「……狼だ」
「────え?」


 上気したほっぺたが頬紅のようで可愛くなった七海さんが、真っ直ぐに僕を射抜いて呟いた。

 欲を掻き立てるその姿で確かな熱情を含んだ瞳は、このまますべてを食べ尽くしてしまいたくなるほど、凶悪そのものだ。


「和彦は、やっぱり狼だ。優しい顔して近付いてきて。どうやったら優しく出来るのかって、そんな事もう分かってるくせに、俺に噛み付いてくる」
「僕が、狼……っ?」
「俺の事好きってほんと?」
「えぇ……っ? あの……たった今キスしましたよね? 七海さんも応えてくれましたよね? ……まだ気付きませんか?」
「何を? 何を気付くって? 和彦が狼だって事は再確認したよ」
「違いますよ! そうじゃなくて、……」


 どうして僕が狼なの。

 やっぱり、って、前々からそう思っていたって事?

 僕が本当の狼なら、もうとっくにこの場で七海さんを裸にしてしまっているよ。

 目の前にふんわりとモヤがかかるくらいドキドキした、あんなに甘くて初々しいキスをたった今二人で経験したじゃない。

 七海さんの事が好きだという思いを、たくさん込めたんだよ。

 怖がらせたくないから、いっぱい我慢して舌先で遊ぶだけにしておいたのに、七海さんはすでにトロトロだった。

 声にも覇気が無くて、心なしか甘えたような口調にも聞こえて、下半身が痛い。

 ──いっそ、なってしまいたいよ。狼に。


「……優しいくせに」


 下腹部が疼いてしょうがなくて、僕が上体を起こしても七海さんはそのままコロンと横になっていた。

 視線だけで僕を捉えて、恨めしそうに言い放つ。


「優しくする方法なんか、俺が教えられるわけないだろ。好きって言われても困るし、もうこんな……キ、キス、しないでよ」


 いきなり狼になんないでよ、と呟いた七海さんは、体の向きを変えて僕から視線をそらした。

 向こうを向いてしまった耳が、真っ赤だ。


「七海さん……」


 こんなに可愛い人を、僕は見た事がない。

 体は「いいよ」って言ってくれているのに、心がまだ「ダメ」。

 七海さんも教えてくれないみたいだから、手探りだけれど、優しくしなきゃ。

 どんなに体が七海さんを求めても、心ごと七海さんが欲しいから、……今は我慢するんだ。


「僕は七海さんの事が好きです。優しく、したいです。狼になんかなりたくない。……早く、七海さんの「初めて」をやり直したい……」
「やり直しなんて出来るわけないだろ……っ。そもそも和彦とやり直しなんてするつもりないっ」
「するんですよ。七海さんが自分の気持ちに気付いたら、その瞬間に」
「また訳分かんない事言っ……!」


 こちらを向いた七海さんの、可愛い常套句をその唇ごとすかさず奪った。

 優しくキスをして、優しくほっぺたを撫でて、優しく微笑んで見せると、七海さんはすぐに全身から「好き」を放出させてくる。

 無意識なのが信じられないくらい、僕を虜にする魔性と共に。


「明日から、分かんないって言う度にキスしますね」
「なんでだよ!!」


 プンプンして僕を見上げるその顔が、もう「分かんない」だった。

 僕はふっと笑って、「おやすみなさい」と声を掛けて七海さんの部屋から余裕綽々なフリで出て行く。



 ──その後、自分の部屋ではなくバスルームに駆け込んだのは言うまでもない。



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