必然ラヴァーズ

須藤慎弥

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63・ETOILE初舞台当日

─3─




 まったく効かないと半泣きになりながら、葉璃が手のひらに聖南という文字を書いて何度も何度も飲み込んでいる。

 約三万四千人を収容するこのドームが、すでに観客で埋まり始めていた。

 控え室に居ても客席からの声援が聞こえてきて、聖南達はこれによって徐々にテンションが上がって気持ちが作られていくが、あがり症である葉璃は違うようだ。

 リハーサル時はまだ、この手のひら文字の回数はそれほど多くなかった。

 CROWNとも、ダンサー達とも違う、ETOILEとしての衣装を身に纏った葉璃は何度も盗み見してしまうほど超絶に可愛い。

 大きな襟が特徴の真っ赤なスーツとネクタイ、シャツは白いカッターで、赤とピンクと白が複雑に交わった小ぶりの百合のコサージュが左の胸元を彩っている。

 何故かヘアメイクの者にいつもカールアイロンで髪を巻かれる葉璃は、ゆるやかにパーマがかかっていてそれだけで華やかさが増す。

 葉璃に寄り添う恭也はというと、濃紺のスーツとネクタイ、白のカッターシャツ、百合のコサージュは青と水色と白を基調にしており、髪型も後ろにゆるく撫で付けていて葉璃とは対象的にクールな印象だ。

 ETOILEの二人だと一目で分かるようにしなければツアー同行の意味がない、と社長に申し渡された通り、二人の衣装は対極のようでいて表裏一体である。

 見た目と雰囲気と印象が真逆な二人に、それぞれ相応しいヘアメイクを施してあるあたり完璧だった。


「葉璃、一回水飲んで落ち着けよ。 そんな一生懸命それやってたらぶっ倒れるぞ」
「………………」


 本番も間近になると、控え室の隅っこで一心不乱に手のひら文字を飲み込んでいる葉璃は、もはや誰の事も目に入っていなさそうだった。

 間もなく出番である聖南の前半用の衣装は、ブラックスーツに装飾を施したものの上から漆黒の長いマントを着用している。

 着替えてヘアメイクもバッチリ決まっているので、こちらを向いてこの姿を見てほしいと思うのに、葉璃の体はひたすら壁に向かっていて手のひら文字に忙しい。

 そんな葉璃に寄り添っている恭也は、飽きもせずジッとその様子を見ている。

 恋人である聖南はミネラルウォーターのペットボトルを持って葉璃の背後に張り付き、「こっち向けよ」と何度も声を掛けているのだが反応がなく、それでも「なぁなぁ」と話し掛け続けていた。


「ちょっと面白いんだけど……」
「不謹慎だぞ、ケイタ」
「アキラも口に手やってるじゃん。 その下、笑ってるんでしょ」
「笑ってねぇよ……」


 しばらく遠巻きに見ていたアキラとケイタは、壁際の三人が可笑しくてたまらず吹き出す寸前である。

 葉璃が緊張すると毎度この姿を拝めるので、心配しつつ微笑ましくもあった。


「CROWNさーん、袖待機お願いしまーす」


 スタッフが控え室のドアをノックし、大きな開閉音と声に葉璃の肩が盛大にビクついた。

 手のひら文字が治まっている今しかないとばかりに、聖南が葉璃を後ろから抱き締める。


「葉璃、行ってくるからな。 出番までこのモニターでしっかり俺の事見てろよ」


 背後からペットボトルを手渡した聖南の方を、葉璃がやっと見てくれた。


「聖南さん……もう行っちゃうんですか……」
「行くよ。 本番まであと十五分」
「うぅぅ…………聖南さん……」


 今にも泣き出しそうに顔を歪めて振り返ってきた葉璃を、強引にこちらに向かせて強く抱き締めてやる。

 あがり症な葉璃を、出番前にこうして宥めてやれる機会はツアー同行を除くとそうそう無い。

 ここには二人を見守ってくれている人間しか居ないので、聖南は震える体を力いっぱい抱き締めて背中を撫でてやった。


「大丈夫だから。 葉璃、大丈夫。 俺もみんなもついてる。 めちゃくちゃ練習しただろ。 本番は練習した時間の分だけダンスが活きるから。 なぁ葉璃、緊張はしててもいいけど弱音は吐くな。 分かった?」
「……うぅ……分かりません……」


 聖南の言葉の意味をしっかりと理解する余裕が、今の葉璃には無いようだ。

 ハの字眉で聖南を見上げてくる瞳が「行かないで」と訴えてくるのに、弱音を吐くなと言ったからか小さく頷いた。


「プッ……! そこは分かれよ。 ……ETOILEのハルくん、CROWNのセナは行ってきます」
「……はい……。 ……っ、が、がんばってください……! アキラさん、ケイタさん、……がんばってください……っ」


 聖南が葉璃を解放すると、少しだけ歩を進めてアキラとケイタに向かってペコッと一礼した。

 二人は、葉璃の悲壮感漂う表情に愛玩動物の面影を見た。


「ハル、また一時間後な」
「ハル君、恭也、待機中は今までのレッスン思い返してイメトレ、な!」


 そう言って晴れやかな笑顔を見せる事で、葉璃に「心配要らないよ」と伝えられたらいい。

 奥で力強く頷いた恭也がついていれば、きっと大丈夫だ。

 アキラとケイタは一足先に控え室を出て行った。

 残った聖南は、マントを揺らめかせながら葉璃の傍へ寄り、頬を優しく撫でる。

 やはり葉璃の瞳に「行かないで」と止められてしまったが、聖南はフッと意地悪く微笑んで屈んだ。

 葉璃の耳元で、自身の声に意識して最後にこう囁いてやる。


「ちゃんと気張ってモニター見てねぇと、今夜の衣装決まんねぇぞ」
「…………っっ!!!」


 この場でそんな事を言われるとは思っていなかったらしく、その意味だけは理解の早かった葉璃の頬がみるみる紅く染まっていく。


「恭也、あとは頼んだ」
「了解です」


 あれで少しは緊張を打ち砕けただろうか。

 長いマントを翻し、ステージ袖までの廊下を闊歩する。

 聖南も、いつもとは明らかに心持ちが違った。

 ETOILEがCROWNのツアーを彩る初日、緊張で倒れそうな恋人は本番でどのような花を咲かせるのだろうかという期待で、胸がいっぱいなのだ。



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