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しおりを挟む─聖南─
聖南が所属する大塚芸能事務所は、他所よりも古株で確実な実績があり、所属する芸能人も無名の者から有名な者まで数百人が在籍するマンモス事務所だ。
十階建て事務所ビルを一等地に構えるほど大きくしたのは、二代目である現大塚社長である。
聖南とこの大塚社長は、単なる雇用上の付き合いのみではない。むしろ公にはなっていないが、思春期ゆえに聖南の素行が悪い時も見放さずに居てくれた、父親のように近しい存在だ。
仕事終わりに事務所に寄った聖南は、社長に挨拶しようと社長室に出向いたのだが、秘書の女性から不在の報告を受けて回れ右する羽目になった。
今日は女優オーディションの日らしく、たくさんの綺麗どころの一般人が大塚芸能事務所を訪れていた。
芸能界に入りたいと志す彼女等の多くは、事務所内をウロウロするCROWNのセナを発見しては叫びたいほど興奮しているが、オーディション会場でそんな失態は出来ないと堪えている。
怪しくウロつく聖南もまた同じく、内心では叫び出したい衝動を必死に堪えているところだった。
── なんで返事こねーんだよ! 学校なんかとっくに終わってる時間だろ!
朝はおはようから始まり、昼飯何食った?何時頃帰んの?など計5回はメッセージを送っている。
午前中は聖南も忙しく、葉璃も授業中だろうからと返事がなくても気にならなかったが現在午後五時だ。
葉璃は部活には入らず、学校を出るとダンススクールに直行すると聞いていたから、すでに授業が終わったであろう今も既読すら付かない事にイライラと不安が募っていた。
そこら辺を歩いていた事務所スタッフを捕まえてコーヒーを二杯頼み、聖南はいつも作詞する際にこもる六階の応接間へ入って、今日はもう何度触ったか分からないスマホを手にした。
「おぅ、ありがと。これ表に貼っといて」
コーヒーを持って来てくれた女性従業員が顔を赤らめながら居座ろうとした気配を感じ、雰囲気でピシャリと拒否しつつ「入室不可」と書かれた紙を渡した。
作詞する際は社長の許可を得ていつもこうして黙々と言葉を捻り出す事を知っている従業員は、何の疑いもなく「分かりました」と肩を落として出て行く。
コーヒーを一口飲み、聖南は葉璃に電話を掛けてみた。
プルルルル、という呼び出し音が何度も無情に聞こえ続け、留守電に切り替わったところで切る。
── 毎日連絡するっつったのに初日でこれかよ。
聖南は文字通り舞い上がっていたのだ。
昨夜のあの夢のように甘酸っぱいひと時は、一日カメラの前に居た疲れも吹っ飛ぶほど濃厚で、一生忘れられないであろう記念すべき思い出となっているのに。
春香と間違えているわけじゃないと真面目に、かつ必死に訴えて告白すると、恥ずかしそうに俯く葉璃があまりに可愛くて、我慢できなくなった聖南は試すような真似をしてしまった。
けれど葉璃は間違いなく、おずおずと抱き締めてくれた。
拙い舌遣いに押し倒してしまいそうになったものの、誤解を解いたその日のうちに淫らな行為に及べば、葉璃はまた混乱してしまうと必死に自制した。
この手の経験がなさそうな葉璃には、少しずつ時間をかけてやりたい。
ひたすらに好きだと伝えていけば、聖南が帰る間際まで戸惑っていた葉璃の気持ちもきっと追い付いてくるだろうと信じている。
葉璃は「俺なんか」とよく言う。
どういう経緯であんなに卑屈な子になったのか分からないが、誰が聞いてもナンパなそれを「俺が一人なのを可哀想だと思うんですよ」などと変な勘違いをしていて頭を抱えた。
── 葉璃は葉璃のままでもいいけど、あれはちょっと可哀想だ。
自分に自信がないというレベルを有に越えていて、だからこそ「春香と自分を間違えている」と頑なだったのだと合点がいった。
そう考えると、葉璃は今一人で悶々と、悪い方へ悪い方へ考え込んでいて、聖南からのメッセージを見られないでいるのかもしれない。
聖南の想いは伝わったと思うが、葉璃からはきちんとした返事をされていないし、だからといってこのまま連絡が付かず日が空けば葉璃がまた心を閉ざしてしまいそうで怖かった。
せっかく手に入りそうな愛しい人を、失うわけにはいかない。
今日詞を仕上げれば明日はスタッフのみのミーティングになるため、うまくいけば聖南は明日の午後が完全フリー(休み)となる。
めげずにもう一度、既読の付かないメッセージを送りスマホはとりあえず鞄にしまう。
今までの相手とは何もかもが違う葉璃相手には焦りは禁物であると、聖南は目の前の仕事に集中しようと決めた。
「やっちまうか」
パソコンを開いてCROWNの文字と三十二桁のパスワードを入力すると、作詞に取り掛かった。
三ヶ月後に延期となった新曲のデモを聴く。
現在の新曲と同じような、アップテンポで、陽気でキャッチーなメロディーだ。
葉璃への想いをしたためた甘々な恋愛小説のような歌詞はことごとくNGを食らったのだが、今聖南に書けるのはそれしかない。
「それじゃ明日も缶詰めになっちまうしなぁ……」
どうにか明日の午後休をもぎ取るために、聖南は考えた。
今までの曲達を、自分はどうやって生み出していたのかを必死に思い出すも、浮かぶのは葉璃への愛ばかりで、どうしたものかとコーヒーに手を伸ばす。
そしてふと、思い立った。
「そうか。それを抽象的に変えりゃいいのか」
葉璃への想いの丈をストレートに書いてしまうからいけないのであって、それを抽象的に、一般受けするように書いていけばいいと分かると、スラスラと言葉が思い浮かんできた。
何度もデモを聴き直し、語呂を合わせた言葉のチョイスを並べていく。
パズルのピースが全部揃い、当てはめて、自分でも歌ってみながらの作業は深夜にまで及んだ。
聖南の声でアキラとケイタのパート分の歌撮りも済ませ、お代わりで頼んだコーヒーの空カップがデスクに所狭しと並んでいる。
それでもその夜、聖南の集中が途切れる事はなかった。
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