僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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8.晴れてゆく。

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 ……ドキッとした。

 こんなに近くでりっくんから見つめられて、平気でいられるはずない。

 りっくんは、世間の感覚とは少しだけズレてる。それをヘンだって言う人もいるかもしれない。

 一般的には短所とされる過度なマメさ、ちょっとしつこいところ、興奮すると声が大きくなるところ、見かけによらず子どもっぽいことが好きなところ……。

 諸々、僕には理想的にしか思えない。

 連絡をマメにしてくれたら、僕は不安に陥らなくて済む。どんなにしつこくされても、構ってもらえて嬉しいから笑って接してあげられる。子どもっぽいことが好き? 僕もだよ。

 りっくんとなら、何が飛び出すか分からないバスボール一つでワクワク出来る。

 今日は何を食べようか。どんなところに行こうか。どんな景色を観ようか。

 こんな会話を一日中してられる。

 それに何たって、この少しハーフっぽいパーフェクトな顔面。

 ママに似てる、と思い始めてからあんまり直視出来てなくて斜め上を見てる僕だけど、りっくんを〝かっこいい〟と思わなかった日は無い。

 僕は今、その人から凝視されてるんだ。

 何かを伝えようとする間際の緊張気味の表情で、信じられないくらい熱い視線で。


「…………っ」


 やっぱり見てられない……! と、僕はさりげなく天井に視線を戻した。すると同時に、りっくんがガバッと上体を起こす。


「俺、思ったんです! 手を繋いで眠りたいと言った冬季くんは、実は人肌恋しいのではないかと……!」
「う、うんっ?」
「ですので、抱きしめてもいいですか!?」
「えぇっ!?」


 ま、また!? なんかデジャブなんですけどっ?

 りっくんの大声が、驚いて目を見開いた僕の鼓膜を突き破るかと思った。

 咄嗟に繋いでた手を離し、両手で耳を塞ぐ。……と、今度は「やはり気持ち悪いですか……」と言ってりっくんが落ち込んでしまい、しょぼんと肩を落として向こうを向いてしまった。

 クールそうに見えた第一印象を裏切る、この感情の起伏。僕にはこれも新鮮でたまらない。


「ち、違っ……! 気持ち悪くないよ! 僕、そんなこと一ミリも思ってないよっ?」
「で、では……っ」


 慌ててフォローすると、りっくんが目にも止まらぬスピードでこちらを向いた。

 パッと表情を輝かせたりっくんに、僕もつられて笑顔になってしまう。

 でも……いいのかな。

 ほんとに僕、〝抱きしめられても〟いいのかな。

 りっくんの考えてることがよく分からない。

 両手が上がったり下がったりしてる時点で、僕の返事待ちなんだろうなってことがなんとなく伝わってくるだけ。

 そりゃあ……抱きしめられたいよ。抱きしめてほしいよ。

 僕は愛情に飢えている。僕に触ってくれて、僕を毎日安心させてくれて、大事に構ってくれる人だったら、誰でも見境なく尻尾を振っていたくらいには。

 それも、りっくんに出会うまでは、の話──。


「……ぎゅ、していいの?」


 喉から絞り出すような声で、確認してみた。

 こないだのはりっくんからの感謝のハグだった。だけど今日は……なんだろう。

 どんな理由付けが要る?

 人肌恋しく見えてる僕に、情けをかけてるってことでいい?

 どうしてもポジティブには考えられない僕は、相変わらずりっくんの顔の斜め上を見ていた。

 だから見逃してたんだ。

 りっくんのハッとした表情や、みるみる瞳が輝いてく様を。


「──っ! ぎゅ、していいよ!! あ、いやっ、すみません! ぎゅ、しましょう!」
「え、ちょっ……! りっくんなんで言い直したの……っ」


 初対面の時から欠かさなかった敬語をうっかり忘れるくらい、おっかなびっくりだった僕が思わず吹き出してしまうくらい、りっくんは身振り手振りを忙しくさせて喜びを伝えてくれた。

 これだから……離れがたいんだ。

 かっこいいのに全然気取ってなくて、優しくて、生真面目で、一生懸命なりっくんのそばから……離れたくないって思っちゃうんだ。


「冬季くん、……いいですか」
「……うん」


 上体を起こしてるりっくんを、僕は横になったまま見上げた。頷くのもすごく緊張した。

 この態勢でどうやって抱きしめるんだろう。

 僕も体を起こした方がいいのかな、と動いた瞬間、りっくんが上に覆い被さってきた。


「わわっ……!」


 えっ! なになにっ? 抱きしめるって、こういう事!?

 りっくんは、仰向けで横になってる僕をそのままふわっと抱きしめてきたんだ。


「り、りっくん……っ」
「はい?」


 まさかこんな風に抱きしめられるとは思わなかった。

 上に乗ったりっくんの体重が、僕にかかる。と言ってもわずかだけど。

 「何か?」とでも言いたげな声が、僕のすぐそばで聞こえた。りっくんの落ち着いた声色にドキッとしても、ガチガチに固まった体では身動き一つ取れない。

 密着したところから、服越しなのにお互いの大きな心音が聞こえたような気もして、つま先がピンと緊張した。

 これはまるで、押し倒されてるみたいな……いや愛されてるみたいな抱擁だと思った。手を繋いでドキドキしてた時の比にならない。頭が痛くなるほど、全身の血がざわめいていた。

 しかも耳元で悩ましげなため息まで吐かれる始末で、僕はりっくんに命を吸い取られた人形状態になり動けなくなった。


「はぁ……。ずっと、こうしたかったです」
「え、っ?」
「やはり許可をもらわないと、いきなりこんな事をしたらただの変態ジジイじゃないですか、俺」
「えぇっ?」


 ずっと、こうしたかった……?

 深読みしたくなる台詞の数々に、僕の頭が混乱した。

 りっくんは冗談を言うような人じゃない。ましてやこんな状況で。

 じゃあ、それは……りっくんの本心ってこと……?


「りっくん、僕のこと……抱きしめたかったの……?」
「はい。迷惑でないなら、毎晩このまま眠りにつきたいほどには」
「…………っ!」
「冬季くんはどうですか? これは俺の自己満足に過ぎませんか? こうしていると、安心……しませんか?」


 違ったら赤っ恥だな、と苦笑いを浮かべる隙すら無かった。

 即答されたあげく、りっくんは怒涛のように僕の心を奪いにかかる。

 これが天然ハイスペ男子の威力か。すごいや。

 空き容量の少ない頭の冷静な部分でそんなことを思いながら、僕はじわりと腕を上げた。

 こんなに自分の腕が重たいと感じたことはない。緊張に次ぐ緊張のなか、ロボットのような動きでりっくんの背中を抱く。

 安心しませんか、と聞かれたから。

 その返事を、しなきゃいけないから。


「……安心、する……」


 僕は、ちょっとだけ嘘を吐いた。

 心臓が破けてしまいそうで眠れる気がしないのに、離してほしくなくて虚勢を張った。

 ぎゅっと抱きついたら、もっと腕に力を込めて抱きしめ返してくれた。


「……俺もです」


 耳元で囁くように言われて、とうとう僕の心臓はキャパオーバーになった。



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