僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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9.俺は

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 今、父はなんと言った?

 連れ子、……そう言った?

 どういう事だ。何を言ってるんだ。

 そもそも意味が分からない。

 今ばかりは〝能無し〟と罵倒されても仕方がないほど、頭が働かない。


「…………」


 ……待て。落ち着け。

 考えるんだ。

 父は、母の交際相手だった男性の連れ子を探していると言っていた。

 〝連れ子〟を──。

 その連れ子が、冬季くんだということなのか?

 いや……そんなことあり得ない。

 そんな偶然、あるはずがない。

 ……考えられない。


「確認だが、お前はそれを知っていて彼に近付いたわけではないんだよな?」


 考え込みすぎてどっしりと重たく感じる頭を、深緑のカーペットを睨みながら縦に動かした。

 そんなわけがないだろう。

 ……知るもんか。冬季くんの顔に見覚えも無ければ、名前や年齢さえ知らなかった俺が……。


「…………」
「……こんな偶然があるのだな」


 今日の父は、一向に暴言を吐く気配が無い。

 俺がひどく狼狽え黙り込もうものなら、普段の父なら「話にならん」とかですぐに退室を促す。

 本当に話があったということだ。

 俺が今日ここへ来なければ、〝一生後悔する〟ような話が。

 二重のショックでもはや俺の心はズタズタだが、わずかに機能している脳の一部がひどい焦燥感を覚えている。

 いちいち頭の中を整理せずとも描ける簡単な家系図を、俺の心が拒否しようとしているのだ。


「まぁ、掛けろ」
「……冬季くんが連れ子って……どういうことですか」
「言葉通りの意味だ」
「ですから……っ!」


 俺は立ち竦んだまま声を荒げ、これ以上必要としない〝説明〟をなおも父に求めた。

 聞けば聞くほど焦燥感が心を占めていくと分かっているのに、信じたくない一心で微かな望みをかけている。

 置き手紙を見つけ、冬季くんは少し出掛けているだけだと光明を見出した先ほどとは違い、本当に微かな光だったが問い質さずにはいられなかった。


「どういうことなのかと聞いているんです!」
「そう声を荒げるな。いいか、お前の母親と、この上山冬季の父親は内縁関係にあった。この少年が、その父親の連れ子だ」
「……そ、それは……本当なんですか?」


 詳しい真実を突きつけられ思考がショートしかけた俺は、「連体詞ばかり使うな」と要らぬところに腹が立った。

 うむ、と深く神妙に頷かれ、さらに行き場のない怒りが湧く。

 誰かに憤っているわけではないのだ。

 やりきれない気持ちで、胸がひたすらに苦しいだけ。今どこにいるのか分からない冬季くんと俺が、こんなにも近しい関係だったことを他でもない父から聞かされたのが、殊更に悔しいだけ……。


「お前の母親と、この冬季という少年は五年ほど一緒に暮らしていたものとみられる」
「い、一緒にって……俺の母と、……?」
「冬季は七つで隣町の児童養護施設に入っておってな、そこから辿れたのだ。十八で施設を出てからの足取りを掴むのになかなか日数がかかってしまったがな。そう遠くないところに居て手間が省けた」
「待ってください、少し、……少しだけ、……っ」


 やはりそうだったのか……!

 冬季くんが語っていた通りの生い立ちに、くらりとめまいがした。父が調べたという〝連れ子〟は、どう考えても冬季くんに間違いない。


「そ、そんな……っ」


 俺の母と、幼かった冬季くんは、七つで施設に入所するまで一緒に暮らしていた……。

 だとすると、冬季くんの体に今もなお残る痛々しい痣の数々は……あれは……俺の母が、付けたもの……。

 俺と血の繋がった母が、血の繋がらない小さかった冬季くんを……怒鳴りつけ、平手打ちし、熱いタバコの火を押し当て、心も体も……痛めつけていた……。


「そんな……そんな……っ!」


 立っていられずしゃがみ込んだ俺を、父はただ黙って見ていた。

 また、涙が込み上げてきた。

 悲しいからじゃない。

 想いも伝えられないまま好きな人が出て行った寂しさからでもない。

 心からの……詫びの気持ちだ。

 痛かっただろう……。

 とても言葉では言い表せないほど、つらかっただろう……。

 なんてことを……俺の母は、なんてことを……!


「俺の母は……っ、とんでもないことをしてくれましたね……!」


 それが冬季くんであろうとなかろうと、〝虐待〟は絶対に犯してはならない罪に値する行為だ。

 世の中にはひどいことをする人がいたものですね──身の上話をしている冬季くんの悲しげな笑顔に、俺は分かったふりでそんな言葉をかけた。

 体に刻まれている痣諸とも、漠然とではあるが彼の心を救ってやりたいと思ったのは事実だ。

 ほとんど覚えていないと言っていたが、断片的に蘇るであろう忘れたい過去を持ちながら、冬季くんは……あのリュックサックを大切そうに抱きしめていたのである。

 どんな仕打ちを受けても、どんなに痛いことをされても、冬季くんは母を恋しがっていた。

 そんな幼い思いを踏みにじるように、母は冬季くんに……虐待を繰り返した……。


「お前はその子とどういう関係なのだ」


 流れる涙を手のひらで拭い、無表情で問う父を一瞥する。


「……冬季くんは、俺の命を救ってくれた恩人です。一緒に暮らしていたのは、彼が宿無し一文無しだからで……」


 言いかけた俺の脳裏に、突如として出会った日のことが蘇ってきた。

 そうだ。冬季くんは宿無し一門無しなのだった。

 ではあてもなく出て行ったということか?

 まさか嫌悪感いっぱいだった元カレのもとへ行くわけはないだろうし、……じゃあ本当に、いったいどこへ……?

 そもそもなぜ急に出て行こうと思い立ったんだ。

 もしかして冬季くんは……この事を知ってしまったのではないか……?

 俺が、幼い彼を傷付けた者の息子だと知って……嫌になったのでは……。


「なんだ、どうした」
「冬季くんと接触しましたか」
「…………」
「どうなんですか!!」


 ルートは、この父親以外に考えられない。

 どういう経緯でどんな風に冬季くんに伝わったのかは分からないが、いかにも厳格そうな父の目元が一瞬ぴくりと動いたのを、俺は見逃さなかった。


「彼にも話があって、夕方ここへ連れ帰ってきた。だが……」
「え!? ここに!? 冬季くんはこの家に居るんですか!?」
「いや、逃げられた」
「逃げられた!?」


 な、何をやっているんだ!

 冬季くんが父と接触したことにも、一度この家の敷居を跨いだことにも驚愕したというのに、よもや逃げられたとは……!

 光明が差しては陰りを繰り返している。

 だめだ。ここにいてはおかしくなる。

 俺は痛む心を庇いながら立ち上がり、扉へと急いだ。


「なんだ、そんなに血相を変えて。どうりで浮いた話一つ聞かんはずだ。お前が同性愛者だとは知らな……」
「それ以上言ったら問答無用で絶縁します」


 嘲るような言い回しに我慢ならず、振り返って捨て台詞を吐いた俺は何も間違っていないと言い切れる。

 ──あなたに何が分かる。

 恋愛に年齢も性別も関係ないだろう。好きになった人が冬季くんだったというだけで、満足に人を愛せもしないあなたにそれを咎められたくはない。

 扉に手を掛けた俺を、父は体に障るような大声で「待て!」と呼び止めた。


「見つかったらここへ二人で寄れ。いいか、二人でだ」
「……彼が見つかればの話です」


 俺はそれだけ言い残し、滲む視界を再度手のひらで拭うと、一目散に車へと走った。

 俺のもとからも、この家からも逃げ出したくなるような苦しい真実を聞かされた冬季くんが、果たして俺の言うことを聞いてくれるかどうか。

 否、それも……〝見つかれば〟、〝許してくれれば〟、〝生きていてくれれば〟の話だ。







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