僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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10.君のプライオリティ

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◇   ◇   ◇



 なぜあの場に冬季がいると思ったのか、尋ねられた李一は実に端的に語った。

 ── あそこしか考えられなかった。

 冬季も、そして李一も、告げられた真実によって互いが〝死にたい〟と感じたのではないかと案じ、双方の目的は違ったものの見事発見に至れた。

 二人は、衝撃的な事実を聞かされるや真っ先にお互いを慮った。

 冬季は、恋しかっただろう母との時間を奪ったあげく、〝虐待をするような母〟だと息子である李一にはとても伝えられなかった。たとえ実際がどんな母親であろうと、彼にとってはその時間さえ喉から手が出るほど欲しかったものではないかと考え心を痛めた。

 李一は、冬季の体に今も痛々しく残る虐待の痕が、よもや我が母親によるものであることを突きつけられ愕然とした。だがそれは、冬季の心身を傷付けたのが血を分けた母親だと知り、いよいよ本当に冬季と居られなくなることへの恐怖と焦りが生まれたからだった。

 死にたくなって当然だろう。顔も見たくないと思って当たり前だ──。

 偶然と呼ぶにはあまりにも数奇な運命だとはいえ、冬季と李一の葛藤が自身に向かわなかったのは、相手を傷付けたくないという思いやりであった。


「りっくん……」


 李一が冬季を背負っての下山途中、二人はポツポツと会話をした。

 どこかよそよそしく気恥ずかしい空気が漂っていたが、冬季が李一の背中から降りることはなかった。


「冬季くん。このまま連れ帰りますが、構いませんよね?」


 助手席に乗せたところで、冬季が李一の腕を掴んで切なげに名前を呼んだ。それの返事である。

 冬季はまだ、戸惑っていた。

 本当にいいのかと、揺れる瞳が李一を射抜く。


「冬季くんが嫌だと言うなら、……考えなくてはいけません」
「考えるって……?」
「口実を、です」
「…………っ」


 その意味が分からない冬季ではなかった。

 ハッとした表情でそっぽを向いた冬季に、李一は困ったように笑いかけ助手席のドアを閉めた。

 運転席に乗り込み、すぐに車を走らせる。一刻も早く冬季の体を温めなくてはと、気が急いていた。

 李一のコートを借りたままの冬季はというと、もうそれほど寒くはなかったが襟をたぐり寄せて寒そうなフリをしている。

 彼の匂いに包まれているのが嬉しく、コートを返してしまうのが惜しくなっていたのだ。


「──こんなことがあるのか、とはじめは信じられませんでした」
「……うん。僕も」


 静かに口を開いた李一に、まさしく同感だった冬季は神妙に頷いた。


「冬季くんはその……どうして家を出ようと思ったんですか。いつ、母のことを知ったんですか」
「それは……」
「話したくなければ、無理に聞き出すつもりはありません。俺は今も、許されているとは思っていませんから」
「いや、……」


 夜道を安全運転中の李一は、真っ直ぐ前を向いている。

 口ごもる冬季の表情を確認出来ないため、自惚れられない李一の発言は卑屈を極めていた。

 しかし冬季は、そんな李一の涼しげな横顔をジッと見つめながらキュッと胸元を押さえている。

 李一があの橋にやって来たのは自分を探すため、しかも「あそこしか考えられなかった」と言ってくれたことが心に深く刺さっていた。

 心許ない一張羅のおかげで、月を堪能するどころか気を失う羽目になったが、彼の声で目覚められたことがたまらなく嬉しかったのだ。

 李一が思うほど、冬季は気に病んでいない。どちらかというと李一の方が、その衝撃は大きかったように思う。

 話していいものかとわずかに逡巡したが、この期に及んで隠すことでもないと冬季は開き直った。


「ママの写真を見ちゃったから、少し前には気付いてたよ」
「えっ!? あ、そうか……写真……!」


 やや言いにくそうではあったが、冬季の平然とした物言いに李一はギョッとして急ブレーキを踏みかけた。

 冬季がそれを知ったのは、父と接触した今日であると思い込んでいた李一だ。

 思えばリュックサックを奪い返しに行ったあの日、自宅に戻ってから冬季の様子がおかしかった。

 李一の母親だという女性が写った写真を見て呆然としていたのも、洗面所で倒れていたのも、丸一日冬季が寝込んでしまったのも、あのたった一枚の写真が原因だったのだと今更ながらに知る。

 精神的に疲れてしまったのだろうと、李一は安直にもそう思っていたが実際は違った。

 とんでもない事実を知ってしまい、冬季はそのショックで現実逃避をした。だがいつまでもベッドにいれば怪しまれる。彼は布団の中で、李一に話すか話すまいか、おそらく相当に思い悩み苦しんだはずだ。

 どうすることが最善か考えた結果、李一を傷付けまいとする気持ちが強くなり普段通りを決め込んだ──。


「冬季くんは……俺にそれを悟られないよう、知らないフリをしてくれていた、ということですよね」
「……うん」
「そんなの……そんなの、優しすぎます。どうして君はそんなに……」
「違うよ! 僕は優しいわけじゃない!」


 冬季の思いやりに心を打たれるも、李一の感動は一蹴される。

 夜中は点滅信号が多くて困った。ほぼノンストップで走り続けている李一は、冬季の表情を直に拝むことも、肩を抱き寄せることも出来ない。


「だって僕は……りっくんのお母さんと一緒に暮らしてたんだよ。ほんの少しだったし、あんまり覚えてないけど、でも……っ」


 冬季がどうしていきなり声を荒げたのか、問うまでもなかった。

 苦い顔付きになった李一の横顔に、冬季は必死に言い募る。

 確かに李一のことを第一に考えていたのは事実だが、それが随分美化されている気がして訂正せずにはいられない。


「僕はりっくんのお母さんのことを覚えてる。りっくんは少しも覚えてないって言ってたお母さんのことを、僕は……っ」
「ですがその母は、冬季くんを傷付けていました」
「…………っ」


 さらりと言い放たれ、つい熱を込めて訂正していた冬季はグッと押し黙った。

 李一には、この事実がとても耐え難かった。

 どんな理由でかは定かでないが、幼い子ども─ 冬季 ─に対し向けた母の虐待行為を到底許せるはずなどなかった。

 血の繋がった李一でさえおぞましく感じるというのに、それを受け続けた冬季が憎しみを覚えていないわけがない。

 冬季を見つけたら何よりも言いたかった言葉より先に、償いたいと申し出たのも李一の心からの本心だった。




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