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31♡迫る足音
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去年の事を思い出す──。
聖南はそう言って俺の手の甲にキスをしたまま、何分も項垂れている。
唇の感触にドキドキしても、赤茶色の髪がさらさらと腕をくすぐっても、俺は微動だに出来なかった。
俺だって、あの日の事は忘れてない。
スタンガンをあてられた時、痛かった。首の後ろを殴られて気絶させられて、怖かった。どこかに連れ去られている時、ちょっとだけ「このまま殺されちゃうのかな」という最悪な事態がよぎっていた。
でも……不思議と、恐怖はそんなに無かった。
気絶させられてたから、というのもあるけど、俺はあんまり危機感を覚えてなかったんだ。
どちらかというと、目を覚ました後の、聖南と佐々木さんが二人して過去のヤンチャ時代を彷彿とさせる暴れっぷりを披露してた事の方が、怖かった。
そして──あのとき目覚めた俺の頭の中を支配してたのは、「ライブに穴を開けてしまう、どうしよう」だった。
お腹のジンジンする痛みとか、拉致された恐怖とか、そんなものよりも焦りと怒りの方が大きかった。
だってあの日は、初めてETOILEがお披露目されるという大事なライブだったから。CROWNのファンに少しだけ時間を貰って、俺と恭也を大々的に紹介してもらう……そんな日に穴は開けられない。
聖南の背中を追いかける第一歩を邪魔された事への怒りが、恐怖を上回ったんだと思う。
偶然にも俺の傷痕は聖南の後悔と同じ場所にある。
だからどれだけ聖南が不安がっても、俺にはその気持ちをあんまり理解してあげられない。
どんな事があっても、どんな状況下でも、俺は〝ハル〟を全力でがんばるだけ。
聖南の隣に居るために。
自分の存在意義を模索するために──。
「……葉璃」
「……っ、はいっ」
俺の手をギュッと握った聖南が、少し下の位置から見詰めてきた。
寂しそうで、苦しげで、力強く輝いているべき瞳から、今にも綺麗な涙がこぼれ落ちそうだ。
こんな時に何だけど……普段強い人の弱ってる姿って、いつ見ても心臓に悪いほどキュンとするのは何なんだろう。
「ネックレス、……肌見放さず着けといて」
「え、えっ? ネックレス? ……これですか?」
「違う。トップが付いてる方」
「あ、……こっちですか」
頷いた聖南が、長い指で俺の首元をなぞる。
そこにあるのは、聖南から俺への誕生日プレゼント。去年と今年、どちらも印象の違うネックレスだ。
今年くれた細くて華奢な方じゃなく、聖南は長方形のトップが付いたネックレスを指先で触って、「お願いだから」と呟いた。
「ネックレスなら、寝る時以外はずっとつけてますよ」
「うん。……それでいい。外すなよ、絶対」
「わ、分かりました」
鋭い視線と声音に、ビクッと肩を揺らしながらたくさん頷く。
どうしたんだろ。聖南の剣幕がこわい。
心配しなくても、聖南は毎回ネックレスをプレゼントしてくれる時にそう言うから、俺はちゃんと守ってるよ。
恋人がネックレスを贈る意味を知っちゃったから、照れくさいけど毎日欠かさずにね。
けど、どうして急にネックレス外すな、なんて言うのかな。
「聖南さん……?」
「ん」
「ネックレスがどうかしました?」
「いや……外さないでほしいってだけ」
「…………??」
うん、……それは分かったんだけど。
さっきの話でこんな風に落ち込んでるんだとしたら、俺はずっと「大丈夫」って言ってるのに。
聖南の事は何も疑ってないし、犯人がアイさんだって明かしてもらえて俺はむしろスッキリしてる。
また拉致されてしまうんじゃないか、どんな危害を加えられるか分からないから不安だっていうのは、もちろんある。
でも俺は、怖くないんだってば。
「え、聖南さん? どうし、……んっ!」
トップの付いたネックレスをひとしきり指先でなぞった後、聖南は俺を抱き上げて膝に乗せた。
突然動いた聖南にドキッとしてると、ちゅっと軽いキスをされてまた心臓がピクンッと跳ねる。
でもそんな俺の心と聖南の表情は、まったく噛み合ってない。
「葉璃。俺と付き合ってるの嫌になってない?」
無表情の聖南は、俺の両方のほっぺたを大きな手のひらで包み込んで、とんでもない事を言い始めた。
「えぇっ? なんですか、それ!」
「俺のせいで危険な目にばっか遭わせてる気がする。そろそろ葉璃が俺に嫌気が差しても文句言えねぇくらい」
「そ、そんなこと……っ」
「俺はいつでも、葉璃のためだったら何もかも捨てる覚悟があるんだ。でもそんな事したって葉璃は喜ばねぇし、多分望んでもいねぇだろ。俺は葉璃を守るしかなくて、っつってもずっとそばにいてやるわけにもいかねぇ。葉璃が俺を追いかけたいって夢背負ってくれてんのに、仕事投げ出すわけにはいかねぇじゃん……? 俺に出来んのは、最低限の根回しするくらいだ。俺……葉璃を守ってやる、任せとけって胸張って言えねぇよ……。俺はどうしたらいい? どうしたら……」
「聖南、さん……」
ぎゅーっと縋るように抱きしめてきた聖南の腕が、微かに震えてるように感じた。
こんな事になっても、仕事があるから俺について回るわけにもいかない聖南は、俺を〝守りたくても守れない〟と苦しそうに語った。
「聖南さん」
「……ん」
「俺が嫌気が差したって言ったら、聖南さんは俺から離れちゃうんですか」
「離れねぇよ」
「即答じゃないですか」
「離れたくねぇけど……っ、でも葉璃が嫌だと思う事はしたくねぇし、起こってほしくもねぇんだよ!」
「それなら、聖南さんがいくら不安がってても、俺のそばに居ないとですね」
「えっ……?」
俺達はアイドル同士、秘密の恋人。
片やトップアイドル様だ。新人の俺は日々、その人の背中を追うためにがんばってる。
だから何も怖くないんだよ。聖南がそんな不安を抱えて仕事に行く方が、俺は心配でたまんないよ。
珍しく呆気にとられた顔をした聖南に、俺は下手くそな笑顔を向けた。
「聖南さんがいつも言ってる事じゃないですか。〝俺から離れるな〟って。それ、たまには俺が言ってもいいでしょ?」
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