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ふたりは日常に
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■ 日々
――それが当たり前になるまで
それからの日々は、驚くほど穏やかだった。
朝、二つ分の器が並ぶ。
昼、街で顔を覚えられる。
夜、屋敷に灯りが二つとも消える。
どれも大事件ではない。
だが私は、一つとして欠かしたくないと思っている自分に、ある朝、気づいた。
あなたは、以前よりよく話すようになった。
言葉数が増えたわけではない。
だが、沈黙が「不安」ではなくなった。
同じ部屋で、それぞれ別のことをしている時間。
紙をめくる音。
カップを置く音。
それらが、心地よい。
……これは、危険だな。
私は内心でそう思う。
依存ではない。
だが、慣れという名の根が、確実に張っている。
ある日、あなたが言った。
「……これ、分からなくて」
差し出されたのは、街で買った小さな書物。
魔法文字の基礎だ。
私は自然に隣へ寄り、
同じページを覗き込む。
近い。
近いが――
あなたは、逃げない。
肩が触れそうで、触れない距離。
呼吸が、同じ速度になる。
私は指でページを指し示す。
触れないよう、意識しすぎている自分が分かる。
「……こう読むのです」
あなたは、素直に頷く。
その仕草に、
胸の奥で何かが、きゅっと締まる。
――私は今、
――この距離を、失いたくないと思った。
それは初めて、
明確に、自覚した欲だった。
夜、あなたが眠りについたあと、
私は一人で書斎に座る。
亡き伴侶のことを、思い出す。
だが、もう痛みはない。
代わりに、こう思う。
――もし、今ここにいたら、
――私は、叱られているだろうか。
いや。
きっと、肩をすくめて、こう言う。
「相変わらず、不器用だな」
私は、静かに笑った。
翌日、街へ出た帰り道。
石畳で、あなたが立ち止まる。
「……少し、疲れました」
その言葉は、
遠慮ではなく、信頼だった。
私は、即座に答えない。
だが、立ち止まり、あなたのほうを見る。
「では、少し休みましょう」
そして、ほんの一瞬、迷ったあと――
私は、外套の裾を、自分のほうへ引き寄せた。
手は出さない。
だが、距離は、縮める。
あなたは、驚いたように目を瞬かせ、
それから、何も言わず、隣に立った。
その瞬間、私は知った。
――手を繋がなくても、
――「離したくない」は、確かに存在する。
それは、熱ではない。
衝動でもない。
ただ、
この人が隣にいない未来を、想像したくないという、静かな確信。
屋敷へ戻る夕暮れ、
影が二つ、並んで伸びていた。
私は思う。
まだ、触れなくていい。
まだ、言葉にしなくていい。
だが――
もう、戻れないところまで来ている。
幸せは、もう「途中」ではない。
生活の中に、溶け込んでしまった。
私はその事実を、
否定も、拒絶もせず、
ただ、受け入れた。
――それが当たり前になるまで
それからの日々は、驚くほど穏やかだった。
朝、二つ分の器が並ぶ。
昼、街で顔を覚えられる。
夜、屋敷に灯りが二つとも消える。
どれも大事件ではない。
だが私は、一つとして欠かしたくないと思っている自分に、ある朝、気づいた。
あなたは、以前よりよく話すようになった。
言葉数が増えたわけではない。
だが、沈黙が「不安」ではなくなった。
同じ部屋で、それぞれ別のことをしている時間。
紙をめくる音。
カップを置く音。
それらが、心地よい。
……これは、危険だな。
私は内心でそう思う。
依存ではない。
だが、慣れという名の根が、確実に張っている。
ある日、あなたが言った。
「……これ、分からなくて」
差し出されたのは、街で買った小さな書物。
魔法文字の基礎だ。
私は自然に隣へ寄り、
同じページを覗き込む。
近い。
近いが――
あなたは、逃げない。
肩が触れそうで、触れない距離。
呼吸が、同じ速度になる。
私は指でページを指し示す。
触れないよう、意識しすぎている自分が分かる。
「……こう読むのです」
あなたは、素直に頷く。
その仕草に、
胸の奥で何かが、きゅっと締まる。
――私は今、
――この距離を、失いたくないと思った。
それは初めて、
明確に、自覚した欲だった。
夜、あなたが眠りについたあと、
私は一人で書斎に座る。
亡き伴侶のことを、思い出す。
だが、もう痛みはない。
代わりに、こう思う。
――もし、今ここにいたら、
――私は、叱られているだろうか。
いや。
きっと、肩をすくめて、こう言う。
「相変わらず、不器用だな」
私は、静かに笑った。
翌日、街へ出た帰り道。
石畳で、あなたが立ち止まる。
「……少し、疲れました」
その言葉は、
遠慮ではなく、信頼だった。
私は、即座に答えない。
だが、立ち止まり、あなたのほうを見る。
「では、少し休みましょう」
そして、ほんの一瞬、迷ったあと――
私は、外套の裾を、自分のほうへ引き寄せた。
手は出さない。
だが、距離は、縮める。
あなたは、驚いたように目を瞬かせ、
それから、何も言わず、隣に立った。
その瞬間、私は知った。
――手を繋がなくても、
――「離したくない」は、確かに存在する。
それは、熱ではない。
衝動でもない。
ただ、
この人が隣にいない未来を、想像したくないという、静かな確信。
屋敷へ戻る夕暮れ、
影が二つ、並んで伸びていた。
私は思う。
まだ、触れなくていい。
まだ、言葉にしなくていい。
だが――
もう、戻れないところまで来ている。
幸せは、もう「途中」ではない。
生活の中に、溶け込んでしまった。
私はその事実を、
否定も、拒絶もせず、
ただ、受け入れた。
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