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命令をください、主様。_本編fin.
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翌朝
――「癒し任務」つまり…事後。
朝の光は柔らかかった。
夜空の三日月はもう薄く、窓の向こうには普通の日常が戻ってきている。
……戻ってきている、はずなのに。
僕はソファの端で、背筋を伸ばしたまま固まっていた。
毛布はきちんと畳まれ、飲み物のカップも洗われ、部屋は昨日より静かに整っている。
静かすぎて、余計に落ち着かない。
「……腰、だるい」
ぽつりと漏れた声は、かすれていて、独り言のつもりだった。
けれどザックスは、すぐに反応する。
「はい」
いつの間にか、近い。
いつの間にか、視線が優しい。
――そして、いつものように膝をつく気配すらある。
僕は慌てて咳払いした。
「ち、違う! 命令じゃない!
その、ちょっと…やりすぎただけ! たぶん!」
「承知しております」
ザックスは淡々と頷いた。
その“承知”が怖い。
どっちの承知なのか分からない。
僕は目を逸らしながら、続けてしまう。
「……寝不足だし、
あちこち吸われすぎて…
……搾り取られすぎた……」
言ってからしまったと思う。
昨日のあの距離、
あの静けさ、
あの“癒し”の濃度。
思い出すほど頬が熱くなる。
「……それに」
僕は声を落とす。
「……首筋のところが真っ赤…、
胸の先端も敏感になりすぎて、少しぷっくりしてる…。
服に擦れるだけでちょっと痛いし」
痛い、というより、触れると妙に意識が引っ張られる感じ。
服の襟を直すだけで、昨夜の空気が蘇る。
ザックスは表情を変えない。
変えないのに、言葉はやけに丁寧で長い。
「主様、確認いたします。
腰のだるさ、睡眠不足、首元の痛み――
いずれも、昨夜の“癒し”の影響と推測します。
主様が不快を感じた要素が含まれる場合、私は直ちに手順を見直し、再発防止策を講じます。
ですから、まず伺います。
主様は――
昨夜の癒しを、後悔されていますか」
「っ……!」
僕は勢いよく顔を上げた。
「してない!」
即答。
あまりにも即答で、
自分でも驚いた。
ザックスは、淡々とうなずく。
「承知いたしました。
では次に伺います。
主様は“癒された”と感じましたか」
「……感じたよ、感じすぎました……」
声が小さくなる。
その瞬間、ザックスはさらに畳みかける。静かなのに逃げ道がない。
「ありがとうございます。
では主様、なぜ、そのような表情をされているのですか。
癒されたのであれば、疲労は軽減され、表情は緩むはずです。
それなのに主様は、視線を逸らし、声を硬くし、
……私と距離を取ろうとしている。
私は忍として観察を怠りません。
主様は“癒し”そのものではなく、
癒しの過程で生じた何らかの要素――
例えば距離の近さ、
触れ方、
声の落とし方、
あるいは主様が最後に見せた反応――
それらを思い出して、照れているのですか…」
僕は、息を呑んだ。
「……な、なにその言い方」
「推測と確認です」
「そこまで言う!?」
「はい。主様の状態を正確に把握するためです」
淡々。
理屈。
逃げられない。
僕はクッションを抱きしめ、唇を突き出した。
「……だって、僕は一般人だし。
ああいうの、初めてだったし、慣れてないし……」
“ああいうの”が何かは言わない。
言えない。
でもザックスは、言わなくても分かっている顔をする。表情は変えないまま、
「主様、慣れは必要ありません。
主様が望む範囲で、
許可する範囲で、
安心できる速度で――
それだけが条件です。
私は主様を癒したい。
癒しは主様のために行うものであり、私の満足のためではありません。
ただし――」
「主様が昨夜、
途中から“やめて”ではなく“もっと”を選んだのは事実です。
それは私の勘違いではなく、主様の言葉として記録されています。
主様は恥じらっていました。
しかし最後には、主様のほうから距離を詰め、主様のほうから、
もっと近く、もっと深くを望み、
主様のほうから、
私に“止めないで。もう一度”と命じました。
私はそれを、軽い事として処理できません。」
僕の耳まで赤くなる。
「記録って……やめて……」
「主様の命令は、私にとって重要事項です」
「恥ずかしい!」
「お可愛らしい」
きっぱり。
柔らかい声で、見つめられる。
僕は、ぐっと言葉に詰まり、ぼそっと言う。
「…腰も胸も……痛いんだって言ったじゃん」
ザックスは静かにうなずき、すぐに確認を入れる。
「触れてもよろしいでしょうか」
「……優しくして…ちょっとだけ」
許可を出す声が震える。
ザックスの指先が、襟元に触れない程度に近づく。丁寧に、丁寧に。
「……ここですね」
僕は反射的に肩をすくめた。
昨夜の余韻が、肌の下で跳ねる。
「う、うん……」
「痛みがあるなら、対処します。
ですが主様、これは重要です。
主様が痛いと感じることは、お身体が“限度”を教えているということです。
私はその限度を尊重します。
主様昨夜、積極的になったことを私は嬉しく思います。
しかし、主様が無理をした可能性があるなら、それは喜びではなく反省材料です。
臆病な主様が最後に“積極的”になったのは、安心したからです。
私はその安心を壊したくない」
言葉が真っ直ぐで、重い。
僕は顔を伏せたまま、ぽつりと漏らす。
「……無理は、してない」
「本当ですか」
「……本当」
僕は意を決したように、ザックスを見上げた。
視線が合う。近い。
「……むしろ、僕が……」
言いかけて、息が止まる。
言葉にしたら戻れない気がした。
ザックスは急かさない。
黙って待つ。
それが逆に、逃げ道を消す。
僕は観念したように小さく言った。
「……僕が、もっと欲しいって感じたの。
……嫌じゃなかったから。
むしろ、触られるのも、吸われるのも、身体を重ねるのも……好きだと思ったから」
ザックスは、ほんのわずかに瞳を細める。表情は変えない。
でも空気が和らぐ。
「承知いたしました」
「……で、だから……」
僕はクッションを脇に置き、少しだけザックスに近づく。
言い訳みたいに早口で。
「今朝のは恥ずかしかっただけ。
癒されたのは本当だし、……たぶん、またしたいって思うし。
そのときは、ちゃんと…言うから」
ザックスの声が、低く落ちる。
「……ありがとうございます。主様」
それから、淡々と、しかし容赦なく続ける。
「では確認します。
主様は今、腰がだるい。寝不足。首元と胸の先端に痛み。
それでも“癒された”と感じ、昨夜の距離が嫌ではなく、むしろ安心だった。
つまり主様は、癒しの方法そのものを拒絶しているのではなく、
事後の照れと、余韻と、身体の反応に戸惑っている。
その戸惑いを減らすには、主様が安心して命令できる環境を整えることが必要です。
よって私は、主様が今後“癒されたい”と言った際の手順を、
より安全で負担の少ない形に改めます。
主様の許可があれば、
痛みの出ない範囲で、
主様が満足できるところまで導き、
翌朝のだるさを軽減し、
首元や腰や胸の先端に、違和感が残らないよう――」
「ちょ、待って待って!」
僕は慌てて遮った。
「そこまで詳しく言葉にしなくていいから!」
「……先に言ったほうが主様は安心します」
「僕、そういうタイプじゃない!」
「では、主様は何が安心でしょうか」
詰め方が丁寧で怖い。
でも、僕は分かってしまった。
この忍は、優しさを“設計”してしまうのだ。
僕のために。
僕は、ふっと息を吐いて、素直に言った。
「……ザックスが、ちゃんと確認してくれるのが安心」
ザックスは静かに頷いた。
「承知しました。
では主様、今この瞬間、確認いたします。
主様は今――
癒しを、私を…必要としていますか」
僕の心臓が跳ねる。
朝なのに。
昨夜の余韻がまだ残っているのに。
恥ずかしい。
でも、言葉にすると確かに楽になることを知ってしまった。
僕は視線を逸らしながら、しかし近づいて言う。
「……少しだけ」
ザックスの声が、穏やかに落ちる。
「命令をください、主様」
僕は赤くなりながら、小さく、でもはっきり言った。
「……そばにいて。
抱き寄せて…キスから、ゆっくり、優しくして」
ザックスの腕が、丁寧に回る。
守る位置。
近い距離。
僕は顔を見せないまま、胸元に額を預けた。
(……昨日より、僕のほうが近づいている)
その自覚が、恥ずかしくて、でも少し誇らしい。
ザックスは淡々と囁く。
「承知しました。
主様が積極的になったことは、主様が私を信じた証拠です。
私はその信頼を守ります。
ですから主様、安心してください。
主様が止めれば止まり、
望めば望むだけ続き、
恥ずかしがれば、私は主様の顔を見ません。
……ただし、主様が望むなら、
私はいくらでも近くにおります」
僕は、声にならない小さな息を吐いた。
「……ザックス」
「はい」
「……喋りすぎ」
「申し訳ありません」
謝るのに、腕は緩めない。
僕は降参みたいにザックスの服を掴んだ。
「……早くして、欲しい」
その一言で、ザックスの声が一段落ち着いた。
「承知しました、主様」
朝の光の中で、
主従の想いは深くなり、
僕は少しだけ命令に慣れ、
忍は相変わらず、
丁寧に、重く、優しかった。
⸻
本編fin.
SS追加予定あります。
(時系列バラバラ、ボツ案など)
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