異世界複製錬金術師

あくす

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第一幕

第30話:銅貨の重みと、零された警告

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薬草の詰まった重い籠を背負い、俺がドランの店に戻った頃には、商都リュステリアは澱んだような夕闇に包まれていた。石造りの家々の隙間を冷たい風が吹き抜け、路地裏には昼間の熱気の残滓と、饐えたような生活臭が混じり合っている。

「ただいま、ミーシャ」

店の重い扉を開けると、そこには昼間の猛特訓……あの「脳が焼ける」ような二重螺旋詠唱の修練を終え、ソファで糸の切れた人形のように横たわるミーシャの姿があった。俺の声に、彼女は重い瞼をゆっくりと持ち上げ、意識の混濁を振り払うように瞬きを繰り返す。

「おかえりなさい、アドルさん……。今日も、一日お疲れ様です」

その声は掠れていたが、瞳の奥に宿る光までは消えていなかった。俺は背負っていた籠を下ろし、彼女の横に腰を下ろした。



その夜、俺たちは「ひのき風呂」で一日の汚れと、凝り固まった神経を湯の中に溶かした。霊香木の清々しい香りは、この殺伐とした街において、唯一俺たちが「自分」を取り戻せる境界線となっていた。
二階の「城」に戻り、ささやかな夕食を囲む。メニューは、カルンの村で保存してきた食材を【複製錬金】で調整した質素なスープとパンだが、俺たちにとってはどんな豪華な晩餐よりも価値がある。今日一日の進捗報告……それは、異世界という孤独な場所で俺たちが正気を保ち、明日への歩みを止めるための、欠かせない儀式になっていた。

「採取の方は順調だよ。かつての世界の植物学を応用すれば、薬草の群生地を見つけるのはそれほど難しくない。……ただ、少し気になることがあったんだ」

俺は「緑の裾野」で感じた、あの視線の正体――「黒犬」の気配について、ミーシャに伝えた。不安にさせたくはなかったが、これからの危険を共有しておくことは「パートナー」としての最低限の誠実さだと思ったからだ。

「……誰かに見られている、ですか。やっぱり、領主ヴァルゴスの差し金でしょうか」

「おそらくね。でも、今は泳がされている段階だ。俺たちが、単に『腕の良い新米』という枠に収まっている限り、すぐには手を出してこないはずだ。あいつらは、決定的なボロを待っている」

ミーシャは俺の言葉を噛み締めるように頷くと、自身の進捗を語ってくれた。二重螺旋詠唱はまだ完成には至らないが、ドランの棚から見つけた魔導書にある【プチヒール】の記述から、風の魔法と組み合わせる独自の戦術――癒やしを風に乗せて遠くへ届けるという、異世界人らしい発想の構想を。

「今はまだ、魔法そのものを習得できる Lv. 9 の壁を感じているけれど……。もし、二つの術式を同時に並列処理できるようになったら、私、もっとアドルさんの背中を預かる自信があります」

「ああ、期待してるよ。でも、無理だけはしないでくれ。君の脳が焼き切れたら、俺は一人でこの街を生き抜く自信がない」

お互いの決意を、温かいスープの熱と共に確かめ合い、俺たちは深い眠りについた。



翌朝。俺は昨日の成果である薬草の束を抱え、再び冒険者ギルド「リュステリア支部」の門をくぐった。
納品カウンターで待っていたのは、いつものように冷静沈着、隙のない事務作業をこなすカミラだった。

「薬草の納品ですね。……これほど状態の良いものをこの量、驚きました。根の処理も完璧です。お疲れ様です、アドルさん」

カミラが手際よく検品を済ませ、カウンターの上に小さな革袋を置いた。中からは、チャリンという金属特有の、労働の終わりを告げる心地よい響きが聞こえる。

「こちらが今回の報酬、銅貨二十枚です。初回の依頼としては十分すぎるほどの成果ですよ」

初めて手にする、この世界での労働の対価。かつて組織の歯車として稼いでいた数字に比べれば微々たるものだが、手のひらに伝わるその冷たい重みには、単なる通貨以上の確かな「生存の証明」が宿っていた。

「ありがとうございます。……カミラさん、次の依頼も受けたいんですが、掲示板を確認しても?」

俺が掲示板に目を向けようとした、その時だった。

「アドルさん。少し、こちらへ」

カミラが手招きし、俺はカウンター越しに身を乗り出した。
不意に、彼女が周囲を警戒するような鋭い動きを見せ、俺の耳元に顔を寄せた。
ふわっと、彼女が纏う清潔な石鹸のような香りが鼻先をかすめる。至近距離に彼女の透き通るような白い肌と、柔らかな唇の輪郭があり、俺の心臓は不意を突かれて激しく跳ね上がった。ドギマギする俺の様子に構わず、彼女は事務的な表情を崩さないまま、周囲には決して漏らさないほどの低い声で囁いた。

「……気をつけてください。あなたの周囲を探っている者たちがいます。ギルドの上層部にも、あなたの『師匠』……ドラン様について、不自然な探りを入れた形跡がありました」

「……カミラさん、それは」

「……これ以上の詮索は、私の職務権限を著しく超えます。ですが、敵はあなたの想像以上に近く……そして執拗に、あなたたちの綻びを狙っています」

彼女は平静を装い、俺からスッと一定の距離を置いた。先ほどの体温すら感じる距離感が嘘のように、彼女の表情は再び冷徹な事務職員のものに戻っている。

「……現在、Fランクへの昇格試験を受けるには、あと五回の採取依頼、または二回の討伐依頼を完遂することがノルマとなります。早く上のランク、つまり法的な保護が厚くなる階級へ行きたいのであれば、効率よくこなすことをお勧めします」

「……肝に銘じておきます、カミラさん」

俺は彼女の命懸けの警告と、その真意を深く汲み取り、軽く頷いてギルドを後にした。
手の中の銅貨は、俺の体温を受けて温かかった。だが、ギルドの外に出て俺の背中を撫でた風は、どこまでも冷酷に、そして鋭く、俺の肌を裂くように吹き抜けていた。
領主ヴァルゴスの監視、「黒犬」の無音の足音、そしてギルド内に潜む不穏な視線。
平穏な下積みを装う俺たちの日常の裏側で、俺たちを捕らえ、絡め取ろうとする網は、着実に、そして確実にその目を狭めていた。
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