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第一幕
第29話:森の静寂と、導かれる発想
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冒険者ギルドでの初仕事は、街の西側に広がる「緑の裾野」での薬草採取だった。Gランクの定番、いわゆる「新人の洗礼」とも呼ばれる地味な依頼だ。
俺は周囲の新人冒険者たちが闇雲に草むらをかき分け、泥にまみれているのを尻目に、一人足を止めて周囲の環境を冷徹に観察した。日当たり、土壌の湿度、そして特定の広葉樹との共生関係。かつての世界で齧った植物学の知識と、効率を重んじるビジネスマンとしての分析眼があれば、手当たり次第に探すよりも遥かに高い精度で群生地を特定できる。
(……今回はスキルは使わない。まずは真っ当な手段でこなし、この街の『基準』と周辺の生態系を身体に叩き込むのが先だ)
俺はあえて【複製錬金】を封印し、自らの手と目だけで作業を進めた。知識の裏打ちがあるおかげで、人並み以上の速度で籠は埋まっていくが、それでも「天才的な職人」として不自然に目立つほどではない。あくまで「手際の良い新人」という枠に収まるよう、適度に休息を挟みながら、目立たぬように作業を続けた。
だが、作業の最中、ふとした瞬間に背筋を薄氷で撫でられるような、鋭く冷たい感触を覚えた。
かつて数多の交渉の場で培った、背後からの視線に対する過敏なセンサーが、脳内で静かに警告を発している。殺気はない。だが、プロの仕事特有の、私情を一切排した冷徹な「観察」の気配だ。
(……見られているな。おそらく、ドランが言っていた領主の『犬』か)
ふと気づけば、周囲の森の鳥たちが、俺から少し離れた高い梢のあたりで不自然に声を潜めていた。俺はあえて気づかない振りを貫き、場違いな鼻歌を歌いながら淡々と薬草を摘み続けた。ここで過剰に警戒を見せれば、こちらに秘匿すべき何かがあると認めるようなものだ。俺はただ、依頼を実直にこなす一人の、どこにでもいる新米冒険者を完璧に演じきった。
◇
一方その頃、ドランの店の裏庭では、ミーシャが己の限界を強引に突破しようと藻掻いていた。
「……っ、あ……!」
指先で練り上げた二つの魔力が、互いの波長を乱し合って火花を散らし、黒煙を上げて霧散する。右手で「火」、左手で「風」。二つの異なる旋律を脳内で同時に、かつ完璧に奏でようとするたびに、頭蓋を内側からノミで叩かれるような激痛が走る。
ドランの奥義、二重螺旋詠唱(ツイン・スパイラル)。それは、彼女の想像を遥かに超える難易度の「深淵」だった。
「……ふぅ。……あと少し、あと一歩で繋がる気がするのに」
滴る汗を拭い、ミーシャはドランが店先で微睡んでいる僅かな隙間を見計らって、一冊の古い魔導書を開いた。ドランの棚の隅で埃を被っていた、補助魔法や下級司祭の奇跡について記された、本来なら今の彼女の適性外の書物だ。
この世界において、魔法は単に書物を読破すれば習得できるものではない。本人の適性があり、魂が一定の段階に到達した瞬間に、脳内に知識が「閃く」ことで初めて自分の権能となる。今のミーシャにとって、この書物はあくまで「知る」ための読み物に過ぎなかった。
そこには、初歩の回復魔法【プチヒール】の記述があった。
通常、司祭以外の者がこの系統の魔法を使うには、幾重にも重なる厳しい制約がある。その最たるものが、「対象に直接触れていなければ魔力を定着させられない」という、射程距離の物理的な限界だった。
(触れないと治せない……。でも、もし、二重螺旋詠唱が本当にできるようになったら……)
ミーシャの脳裏に、異世界人らしい、この世界の常識に縛られない柔軟な発想が浮かぶ。
右脳で将来的に習得するであろう回復魔法を構築し、同時に左脳で【ウインドカッター】の「不可視の衝撃」を完璧に制御する。もしその二つの異なる術式を、一つの座標に重ねて放つことができれば……風の刃に癒やしの力を乗せて、遠く離れた仲間に届けることができるのではないか。
「……風に乗せて、癒やしを飛ばす。そんなことができれば、いつかアドルさんの本当の力に……なれるかな」
今はまだ、二つの魔法を同時に維持することさえできず、回復魔法そのものも習得の域には達していない。けれど、その「可能性」という名の光を思い描いただけで、ミーシャの疲弊した瞳には新たな情熱の火が宿った。
夕暮れの朱い光が中庭に差し込む中、ミーシャは再びふらつく足取りで立ち上がり、右手と左手に別々の魔力を灯した。まだ火花を散らして消えるだけの、不完全で危うい光。だがその先には、この世界の誰も見たことのない、新たな「魔導」の形が確実に萌芽し始めていた。
遠くの路地から、薬草の重みで鳴る籠を背負ったアドルの、懐かしい帰宅の足音が聞こえてきた。
俺は周囲の新人冒険者たちが闇雲に草むらをかき分け、泥にまみれているのを尻目に、一人足を止めて周囲の環境を冷徹に観察した。日当たり、土壌の湿度、そして特定の広葉樹との共生関係。かつての世界で齧った植物学の知識と、効率を重んじるビジネスマンとしての分析眼があれば、手当たり次第に探すよりも遥かに高い精度で群生地を特定できる。
(……今回はスキルは使わない。まずは真っ当な手段でこなし、この街の『基準』と周辺の生態系を身体に叩き込むのが先だ)
俺はあえて【複製錬金】を封印し、自らの手と目だけで作業を進めた。知識の裏打ちがあるおかげで、人並み以上の速度で籠は埋まっていくが、それでも「天才的な職人」として不自然に目立つほどではない。あくまで「手際の良い新人」という枠に収まるよう、適度に休息を挟みながら、目立たぬように作業を続けた。
だが、作業の最中、ふとした瞬間に背筋を薄氷で撫でられるような、鋭く冷たい感触を覚えた。
かつて数多の交渉の場で培った、背後からの視線に対する過敏なセンサーが、脳内で静かに警告を発している。殺気はない。だが、プロの仕事特有の、私情を一切排した冷徹な「観察」の気配だ。
(……見られているな。おそらく、ドランが言っていた領主の『犬』か)
ふと気づけば、周囲の森の鳥たちが、俺から少し離れた高い梢のあたりで不自然に声を潜めていた。俺はあえて気づかない振りを貫き、場違いな鼻歌を歌いながら淡々と薬草を摘み続けた。ここで過剰に警戒を見せれば、こちらに秘匿すべき何かがあると認めるようなものだ。俺はただ、依頼を実直にこなす一人の、どこにでもいる新米冒険者を完璧に演じきった。
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一方その頃、ドランの店の裏庭では、ミーシャが己の限界を強引に突破しようと藻掻いていた。
「……っ、あ……!」
指先で練り上げた二つの魔力が、互いの波長を乱し合って火花を散らし、黒煙を上げて霧散する。右手で「火」、左手で「風」。二つの異なる旋律を脳内で同時に、かつ完璧に奏でようとするたびに、頭蓋を内側からノミで叩かれるような激痛が走る。
ドランの奥義、二重螺旋詠唱(ツイン・スパイラル)。それは、彼女の想像を遥かに超える難易度の「深淵」だった。
「……ふぅ。……あと少し、あと一歩で繋がる気がするのに」
滴る汗を拭い、ミーシャはドランが店先で微睡んでいる僅かな隙間を見計らって、一冊の古い魔導書を開いた。ドランの棚の隅で埃を被っていた、補助魔法や下級司祭の奇跡について記された、本来なら今の彼女の適性外の書物だ。
この世界において、魔法は単に書物を読破すれば習得できるものではない。本人の適性があり、魂が一定の段階に到達した瞬間に、脳内に知識が「閃く」ことで初めて自分の権能となる。今のミーシャにとって、この書物はあくまで「知る」ための読み物に過ぎなかった。
そこには、初歩の回復魔法【プチヒール】の記述があった。
通常、司祭以外の者がこの系統の魔法を使うには、幾重にも重なる厳しい制約がある。その最たるものが、「対象に直接触れていなければ魔力を定着させられない」という、射程距離の物理的な限界だった。
(触れないと治せない……。でも、もし、二重螺旋詠唱が本当にできるようになったら……)
ミーシャの脳裏に、異世界人らしい、この世界の常識に縛られない柔軟な発想が浮かぶ。
右脳で将来的に習得するであろう回復魔法を構築し、同時に左脳で【ウインドカッター】の「不可視の衝撃」を完璧に制御する。もしその二つの異なる術式を、一つの座標に重ねて放つことができれば……風の刃に癒やしの力を乗せて、遠く離れた仲間に届けることができるのではないか。
「……風に乗せて、癒やしを飛ばす。そんなことができれば、いつかアドルさんの本当の力に……なれるかな」
今はまだ、二つの魔法を同時に維持することさえできず、回復魔法そのものも習得の域には達していない。けれど、その「可能性」という名の光を思い描いただけで、ミーシャの疲弊した瞳には新たな情熱の火が宿った。
夕暮れの朱い光が中庭に差し込む中、ミーシャは再びふらつく足取りで立ち上がり、右手と左手に別々の魔力を灯した。まだ火花を散らして消えるだけの、不完全で危うい光。だがその先には、この世界の誰も見たことのない、新たな「魔導」の形が確実に萌芽し始めていた。
遠くの路地から、薬草の重みで鳴る籠を背負ったアドルの、懐かしい帰宅の足音が聞こえてきた。
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