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楽観の辺境伯
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昼食を片手間で食べ終え、いつものようにキャロルがお茶とお菓子を持ってくる時間まであと3時間ほど。皆、過去にはなかった小休憩を期待してソワソワしていた。
何よりも、僕自身が、彼女と過ごす時間が嬉しくて、今か今かと待ちわびている。
今日は、とてもいい天気だ。たまには、執務室じゃなく、庭園が楽しめる東屋でふたりきりで過ごすのも悪くない。そんな風に思っていた時、ドアがノックされた。
普段よりもかなり早い時間な事に訝しみながら、ドアを開けると、そこには顔を青ざめたシュメージュだけが立っていた。
「旦那様、失礼いたします。奥様のお姿が見えないのですが、何かご存じではないでしょうか?」
「なんだって? 僕は何も聞いていないが……」
キャロルが、僕はともかく、シュメージュに黙って何処かに行く事などあり得ない。そもそも、離れとこの本邸しか移動した事のない彼女が、一体何処に行くというのか。
しかも、今日こそ、僕の部屋の隣の、本来妻が入るべき部屋への移動を決めてもらう予定だったというのに、彼女がいないのではそれも叶わない。
「そういえば……。少し前から、魔の森の境目付近に人の気配を感じていたが……」
どれほど遠く離れていても、魔の森と僕は繋がっている。そこで起きている事は、見たい地点の光景が目に見えるほど。今は少々離れているため、人数や性別などといったおぼろげな内容しかわからないが、魔の森にさえ入れば、 どの地点であっても詳細がわかる。
少し前から、魔の森に人が入っているのは分かっていた。日頃から、手慣れた領民が、魔の森の安全地域に入る事は許可している。特に、今の時期は魔物も大人しいし、辺境に住む誰かがアイテム採集でもしているのだろうと、放置していた。もしかして、彼女がそこにいるかもしれない。
魔の森の事を、この辺境に住む人々は熟知している。いくら危険が少ないとはいえ、むやみやたらに採取を行ったり、必要以上の魔物を退治する事はない。万が一にも、魔物が出現すれば、逃げるように周知徹底している。
滅多にないが、もしもタブーを犯せば、魔の森の均衡が即時に崩れて予見できない不測の事態が起こりうるのだ。
「彼女たちに、魔の森の事を教えたかい?」
「それが……、まだこちらにきて日にちも経っておりませんし、おいおい覚えていただければと、簡単にしかお伝えしておりません。申し訳ございません……」
シュメージュが悲壮な顔をして謝罪する。彼女の肩を、夫であるフクロールケタが抱き、倒れそうなほど憔悴している彼女を支えた。
「恐らくなのですが、奥様は、安全地帯に生っているショウロを採りに行かれたのではないかと思われます」
「なんで、あんな変哲もないキノコを?」
「先日の昼食会で、王都ではとても珍しいと仰られていました。その時に、主様はおられなかったので、食べていただきたいと話をされていたのです」
「そうか……。僕のために」
万が一にも彼女がそこにいるのなら、保護して連れて帰るほうがいい。だが、愛らしい彼女が、僕のためにショウロを手づから収穫する姿を思い浮かべる。その姿は、可愛い以外の何者でもない。
僕は、呑気にそんな事を考える余裕があるほど、この時にはそれほど大変な事態になるだなんて、これっぽっちも思っていなかった。
「恐らくは大丈夫だとは思うが、様子を見に行ってくる。たとえ妻たちじゃなくとも、僕が直接行った方が早い」
「私も行きます! ちょうど手が空きましたし、現地で奥様がお怪我などをされていた場合、治癒魔法が使える私がお供していたほうが良いかと」
「主様、ちょうど皆も、書類に飽き飽きしているようですので、演習がてら、隊を組んで行きませんか?」
「そうだな……。では、フクロールケタ、第一小隊の準備を。15分後、ここを出よう」
「承知致しました」
「シュメージュは、引き続き、彼女たちが館内にいないか探していて。僕が不在の間に、見つかれば伝令を頼むよ」
「はい、かしこまりました」
執務室にいた部下たちの半分が、あっという間に姿を消した。残りの部下に仕事を任せて部屋を出た。
足早に、僕専用の馬小屋に向かう。ちょっとした館くらいの大きさのそこには、黒い馬が一頭だけいて、僕が馬小屋に入ると飼葉を食べていた彼が駆け寄ってきた。
「スレイプニル、久しぶりに出陣だ」
「ブルルッ!」
「よしよし。退屈だっただろう? 今日は、僕の妻を紹介しよう。とても可愛くて賢い人だから、きっとお前も気に入るよ。ただ、あまり怖がらせないようにしてくれるかい? こら、今日は僕たちだけじゃないんだ。頭巾をひっぱるなって」
僕は、幼い頃から一緒に育ったスレイプニルの首を撫でた。大きな僕を軽々乗せてくれる相棒は、気性が荒く、他の馬との集団生活を好まない。8本の足があり、長いたてがみは艶やかで無駄な肉がひとつもない。その脚力は、地面をひと蹴りするだけで、僕をはるか遠くまで連れて行ってくれる。
スレイプニルは、人間と違って僕の見た目を全く気にしない。頭巾が気に入らないからか、いつも取ろうとがぶがぶ噛んでくる。甘えてベロベロ舐められたから、頭巾の半分くらいがぐっしょり濡れてしまった。
スレイプニルの背に跨り、集合地点に向かう。すると、すでにそこには、精鋭だけで編成された第一小隊が整列していた。
「魔の森に行き、侵入者を保護する。演習でもあるため、隊列は崩さないように。そうだな、最近、魔の森に行っていないから、馬たちも走り足らないだろう。今日は普段よりも3倍の速度で現地に向かう。ついてこれるか?」
「たとえ5倍であっても、ここにいる者たちを振り切る事はできませんよ」
「はは、そうだった。じゃあ、行こうか」
スレイプニルが、とても楽しそうに僕をのせて地を駆ける。フクロールケタたちは、スレイプニルの速度に悠々ついて来ている。僕は、行軍をフクロールケタに任せて、目の前に見えてきた魔の森の侵入者が一体誰なのか、詳細を探ってみたのであった。
何よりも、僕自身が、彼女と過ごす時間が嬉しくて、今か今かと待ちわびている。
今日は、とてもいい天気だ。たまには、執務室じゃなく、庭園が楽しめる東屋でふたりきりで過ごすのも悪くない。そんな風に思っていた時、ドアがノックされた。
普段よりもかなり早い時間な事に訝しみながら、ドアを開けると、そこには顔を青ざめたシュメージュだけが立っていた。
「旦那様、失礼いたします。奥様のお姿が見えないのですが、何かご存じではないでしょうか?」
「なんだって? 僕は何も聞いていないが……」
キャロルが、僕はともかく、シュメージュに黙って何処かに行く事などあり得ない。そもそも、離れとこの本邸しか移動した事のない彼女が、一体何処に行くというのか。
しかも、今日こそ、僕の部屋の隣の、本来妻が入るべき部屋への移動を決めてもらう予定だったというのに、彼女がいないのではそれも叶わない。
「そういえば……。少し前から、魔の森の境目付近に人の気配を感じていたが……」
どれほど遠く離れていても、魔の森と僕は繋がっている。そこで起きている事は、見たい地点の光景が目に見えるほど。今は少々離れているため、人数や性別などといったおぼろげな内容しかわからないが、魔の森にさえ入れば、 どの地点であっても詳細がわかる。
少し前から、魔の森に人が入っているのは分かっていた。日頃から、手慣れた領民が、魔の森の安全地域に入る事は許可している。特に、今の時期は魔物も大人しいし、辺境に住む誰かがアイテム採集でもしているのだろうと、放置していた。もしかして、彼女がそこにいるかもしれない。
魔の森の事を、この辺境に住む人々は熟知している。いくら危険が少ないとはいえ、むやみやたらに採取を行ったり、必要以上の魔物を退治する事はない。万が一にも、魔物が出現すれば、逃げるように周知徹底している。
滅多にないが、もしもタブーを犯せば、魔の森の均衡が即時に崩れて予見できない不測の事態が起こりうるのだ。
「彼女たちに、魔の森の事を教えたかい?」
「それが……、まだこちらにきて日にちも経っておりませんし、おいおい覚えていただければと、簡単にしかお伝えしておりません。申し訳ございません……」
シュメージュが悲壮な顔をして謝罪する。彼女の肩を、夫であるフクロールケタが抱き、倒れそうなほど憔悴している彼女を支えた。
「恐らくなのですが、奥様は、安全地帯に生っているショウロを採りに行かれたのではないかと思われます」
「なんで、あんな変哲もないキノコを?」
「先日の昼食会で、王都ではとても珍しいと仰られていました。その時に、主様はおられなかったので、食べていただきたいと話をされていたのです」
「そうか……。僕のために」
万が一にも彼女がそこにいるのなら、保護して連れて帰るほうがいい。だが、愛らしい彼女が、僕のためにショウロを手づから収穫する姿を思い浮かべる。その姿は、可愛い以外の何者でもない。
僕は、呑気にそんな事を考える余裕があるほど、この時にはそれほど大変な事態になるだなんて、これっぽっちも思っていなかった。
「恐らくは大丈夫だとは思うが、様子を見に行ってくる。たとえ妻たちじゃなくとも、僕が直接行った方が早い」
「私も行きます! ちょうど手が空きましたし、現地で奥様がお怪我などをされていた場合、治癒魔法が使える私がお供していたほうが良いかと」
「主様、ちょうど皆も、書類に飽き飽きしているようですので、演習がてら、隊を組んで行きませんか?」
「そうだな……。では、フクロールケタ、第一小隊の準備を。15分後、ここを出よう」
「承知致しました」
「シュメージュは、引き続き、彼女たちが館内にいないか探していて。僕が不在の間に、見つかれば伝令を頼むよ」
「はい、かしこまりました」
執務室にいた部下たちの半分が、あっという間に姿を消した。残りの部下に仕事を任せて部屋を出た。
足早に、僕専用の馬小屋に向かう。ちょっとした館くらいの大きさのそこには、黒い馬が一頭だけいて、僕が馬小屋に入ると飼葉を食べていた彼が駆け寄ってきた。
「スレイプニル、久しぶりに出陣だ」
「ブルルッ!」
「よしよし。退屈だっただろう? 今日は、僕の妻を紹介しよう。とても可愛くて賢い人だから、きっとお前も気に入るよ。ただ、あまり怖がらせないようにしてくれるかい? こら、今日は僕たちだけじゃないんだ。頭巾をひっぱるなって」
僕は、幼い頃から一緒に育ったスレイプニルの首を撫でた。大きな僕を軽々乗せてくれる相棒は、気性が荒く、他の馬との集団生活を好まない。8本の足があり、長いたてがみは艶やかで無駄な肉がひとつもない。その脚力は、地面をひと蹴りするだけで、僕をはるか遠くまで連れて行ってくれる。
スレイプニルは、人間と違って僕の見た目を全く気にしない。頭巾が気に入らないからか、いつも取ろうとがぶがぶ噛んでくる。甘えてベロベロ舐められたから、頭巾の半分くらいがぐっしょり濡れてしまった。
スレイプニルの背に跨り、集合地点に向かう。すると、すでにそこには、精鋭だけで編成された第一小隊が整列していた。
「魔の森に行き、侵入者を保護する。演習でもあるため、隊列は崩さないように。そうだな、最近、魔の森に行っていないから、馬たちも走り足らないだろう。今日は普段よりも3倍の速度で現地に向かう。ついてこれるか?」
「たとえ5倍であっても、ここにいる者たちを振り切る事はできませんよ」
「はは、そうだった。じゃあ、行こうか」
スレイプニルが、とても楽しそうに僕をのせて地を駆ける。フクロールケタたちは、スレイプニルの速度に悠々ついて来ている。僕は、行軍をフクロールケタに任せて、目の前に見えてきた魔の森の侵入者が一体誰なのか、詳細を探ってみたのであった。
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