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第10話 トイレに行きたいです

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 村長の家とやらは、思ったより小ぢんまりとした造りをしていた。俺は目の前に現れた、平屋の建物をまじまじと見つめてから、辺りを見回した。
 この村にある住居と言うのは、大抵が一階建ての木造建築。宿屋や何かの商売をしている建物だけが二階建ての構造をしているようだった。
 そして、道を通りすがる人たちの目がこちらに向いているのに気付いて、俺は目を細めた。
「……そちらのお嬢さんはお貴族様で?」
 俺たちを村長の家に連れてきてくれた男性が、恐る恐るといった様子で俺を見つめ、申し訳なさそうに笑う。「この村の人間は、そんな……高価そうな服に身を包んでいる……ええと、お方はあまり見かけないから物珍しいんだと思いますよ」
 少しだけ居住まいを正したような口調に俺は困惑し、自分の姿を見下ろした。
 なるほど。
 この、ゴシックロリータみたいな服がいけないらしい。そう思い当たってみれば、村人たちの服装は質素だと改めて気づかされる。女の子の服は、何の飾り気もないワンピースが主流のようだ。
 ミニスカートはないわな、普通。
 っていうか、ここの貴族はミニスカートを履くんだろうか。
「貴族じゃないし、気にしないで」
 俺が笑いながらそう言うと、男性は困ったように頭を掻いた。そして、村長の家のドアを叩いたのだった。

「こんな辺鄙な村に客人が来るのは珍しいんですよ」
 困惑したようにそう言ったのは、この村、アルミラの村長だ。てっきり老人が出てくるのかと思ったら、せいぜい四十歳くらいの男性が姿を見せて驚く。
 俺たちを連れてきた男性は玄関のところで別れてしまったので、俺たち三人だけが村長の家のリビングらしき部屋に通されたのだ。
「まあ、座ってください」
 その男性は、俺たちにソファに座るように促してくれた。それに従って座ったものの、ソファは年季が入っているらしく、酷く軋んだ音を立てる。
「まあまあまあ、こんな田舎にこんな綺麗な人たちがねえ」
 と、お茶のカップを持ってきてくれたのは、きっと村長の奥さんなんだろう。村長さんと同じくらいの年齢の、ふくよかな女性だった。人好きのする笑顔から、彼女の人となりが解ると言える。
「どうぞどうぞ、この村の特産品、王都でも人気のお茶なんですよ。何しろ、血行促進、美肌効果、疲れが取れるという効果が」
「お前は下がってろ」
「ええ? だって、こんなどこかの王子様みたいな人に会えるなんて滅多に」
「いいから」
「あ、お茶菓子を」
「いいから!」

 とまあ、何かのコントのような一幕の後、村長の奥さんはリビングから追い出されてしまった。申し訳なさそうに笑う村長は、情けなく眉を下げていた。
「すみません、騒々しくて」
「いいえ、いい奥様ですね」
 サクラはにこやかに笑い、俺たち三人の中で一番のコミュ強っぷりを見せている。俺と猫獣人は、ソファに座ってお茶を飲むだけ。あ、確かにこのお茶、美味い。

「魔物を退治する旅をされているとか」
「はい、そうなんです。この辺りに魔物は出るものなんでしょうか?」
 サクラはカップを優雅な手つきで取り、一口飲んでからそう応える。
「出ますね」
 村長もお茶を飲みつつ、そこで苦々し気にため息をこぼした。「最近、森の中には色々な魔物が住み着いていまして。人間が多いところには近寄ってはこないんですが、旅人を襲ったりはしているようで」
「なるほど。それを我々が勝手に倒してしまっても、問題はないですか?」
「問題ないどころか、助かります」
 村長は驚いたようにサクラを見つめ、そして俺とカオルに目を留めた。「しかし、そちらの……獣人はともかく、年若い女の子が……その」
 明らかに俺のことを心配しているような顔をする村長。
 まあ、仕方ないだろうな、俺は美少女だし! 見た目だけなら弱そうに見えるんだろう。
「大丈夫です、それ、見た目に似合わず凶暴なんで」
 サクラがあっさり言って、ムカついた俺はサクラの横っ腹に肘鉄を入れた。
「それに……獣人は凶暴だと聞きますが、一緒に戦うのは大丈夫なんでしょうか」
 村長は俺とサクラを笑顔で見つめた後、ふと眉根を寄せて続けた。「元々、獣人というのは魔物寄りの生き物だと言われています。その……つまり人間とは相いれないというか」
「大丈夫ですよ」
 サクラは嫣然と笑う。「うちのはとても大人しいので」
「大人しいにゃ」
 てへ、と小首を傾げつつ笑うカオル。凄まじくこの世界に馴染んでいるというか、状況への対応が柔軟だ。彼が人の顔色を見て対応するのが得意なのは昔からのこと。俺もそういうところは見習わねば、と思う。

「それと、もう一つ訊きたいことがあったのですが。村長さんは邪神というものをご存知ですか?」
 サクラの問いかけは続いている。
 そう、俺たちの最終目標は邪神の復活を防ぐということだ。しかし、邪神ってなんなのか解っていない。その名称から、きっと魔物よりもずっと強いんだろうとは思われる。
「邪神、ですか? さて……、魔物とは違うんですかね?」
 村長は首を傾げる。その困惑に嘘はないようで、サクラの問いにどう答えたらいいのか解らないようだ。
「すみません。こちらも、噂で聞いただけのことでよく解らないのです。魔物よりも恐ろしそうなので、ちょっと不安というか」
「ああ、なるほど」
 そこで、村長が何かに気づいたように僅かに目を見開いた。「それなら、この村から北に進んだ森の中に、一人暮らしをしている魔女がいると聞きます。私も実際には会ったことがないのですがね、王都からの客も来るほど、未来視の力が凄いのだと言いますよ」
「未来視? 未来が見えるということですね?」
「ああ、はい。我々が知らないことも、彼女なら知っているという噂です。だから、あなた方が知りたいことも教えてもらえるかもしれません」
「なるほど。いい情報をありがとうございます」
「いいえ」
 村長はにこやかに笑いつつも、こう言うのを忘れなかった。「こんな辺境の村で魔物を退治してくださる方は貴重なので、ぜひ、お願いしたいのです」

 なるほど。
 俺がそっとサクラの方に目をやると、自信たっぷりに頷く綺麗な横顔があった。サクラはさらに笑みを強くした。
「村長さんは優先的に倒して欲しい魔物がいるとかないですか? できるだけご期待に添うようにしますが」
「ああ、それなら」
 そこで、村長は目を細めて見せた。「この村から東に伸びている道沿いに、我々がよく使う湧き水がありまして。そこに、夜中になると魔物が出るという話が出ています。正直なところ、その湧き水だけは守らないと、この村の生活に響きますので……」
「解りました、何とかしましょう」
 サクラがそう言った途端だった。

 ピコン、という電子音と共にメッセージウィンドウが開き、討伐イベントのアイコンにもお知らせマークがついた。
『クエスト依頼を受けました! 湧き水に近寄る魔物を倒そう! 期限は二日・達成報酬は村人との友好度アップ、無料宿の獲得』
 無料宿って何だろう。この村の宿に泊まり放題になるんだろうか。
 それにクエストクリアのマークもついてる。これはマチルダ・シティの外の人間と話そう、というやつ。報酬は千コインで、闘技場の受付に行かないともらえないらしい。
 ――ちょっと、面倒だな。
 俺がそんなことを思いつつメッセージウィンドウを見つめていると、いつの間にかサクラはソファから立ち上がっていた。俺も慌てて立ち上がったが、カオルは少しだけ俺の腕を掴みつつ、ソファから立ち上がるのを拒んでいる。
 どうした、とカオルの顔を見下ろしていると。

「残念なお知らせがあります」
 猫獣人は酷く真剣な目を俺に向けていた。
「何?」
「トイレに行きたいです」

 ……行けばいいじゃん、と言いたかったけれど。
 そうか、トイレか、と遠い目をしたくなったのも事実だった。
 身体は女だもんな、カオルも。あんなに簡単にパンツを下して見せたカオルでも、さすがに抵抗があるのかもしれない。

「……手伝って欲しいのか」
 そう言うと、猫の目が僅かに潤んだ。
「怖いからついてきてくれ……にゃ」
「じゃあわたしも」
 と、サクラも言うが、カオルはすぐに噛みつくように叫んだ。
「恥ずかしいから駄目!」

 そして、俺たちは村長の家のトイレを借りることになる。俺はトイレの扉の前で待っているというスタイル。
 何コレ、連れション? と顔を顰めていた。まあ、一緒にトイレの中にまで入らずに済んでほっとしているけれども。

 でも、トイレに行くという概念もここに来て出てきたわけだ。
 マチルダ・シティの中では、空腹も何も感じなかった。でも、マチルダの外では違うのだ。腹も空くしトイレにも行きたくなる。まるで、ゲームの中ではなくて、現実の世界みたいに。

 それに、おかしくないだろうか。
 思い返してみれば、村長も村長の奥さんも、酷くリアルな存在だ。現実にここに生きているかのように、しっかりとした人格があるように思える。ここがゲームの中なら、もっと……形式的な言葉しか言えないものなんじゃないだろうか。同じ台詞を繰り返す、NPC――ノンプレイヤーキャラクターみたいになるんじゃないか?

 そんなことを考えていると、トイレのドアが開いて、死んだ魚の目をしたカオルが姿を見せた。
「大丈夫だったか」
 俺が訊くと、力なくカオルが首を横に振った。
 そうか、何も言わずにおこう。きっと俺も通る道なのかもしれない。ってことは、ここで俺もトイレを借りておいた方がいいのか!?
 いや、まだ大丈夫!
 俺は戦々恐々としつつ、何とか心の中に生まれそうになった修羅場を押し殺した。
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