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第94話 内緒話

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 唐突ですが、以前も行ったロキシール魔族領が見える崖の上に来ています。

 まあ、唐突に決めたけれど、俺は凛さんとシロさんの三人で、ここの様子を見に来たわけだ。最初の村アルミラは、ロキシール魔族領から充分離れているとはいえ、他の人間の村や町と比べると一番近い。だから、アルミラの安全のことを考えている凛さんとシロさんが気にするのは理解できたけれど。
 それにしても。
「……何かあったんですか?」
 俺はシロさんの横顔を見上げ、そっと囁いた。「何だか、凛さんの様子が変じゃないですか?」
 何だか無理やり明るく振る舞っているように見える。以前会話したときよりも饒舌に思えるけれど、いざ重要なことになると何も口にしない。
 凛さんは「見晴らしいいねえ」と言いながら、崖の上から遥か下を覗き込んでいる。広大な自然の広がる崖下は、時折魔物が走って土煙を上げていた。
「変だと思うけど、俺が訊いても何も言わないしな」
 シロさんは少しだけ、寂しそうに笑った。「俺もここ最近は、随分と自分のことを話すようになってきたんだ」
「自分のこと?」
「ああ。俺、恋愛で失敗して逃げてきたんだよ」
 それは随分とあっさり、彼の口から転がり出た言葉だった。
 聞いてしまった俺の方が気まずくなるくらい。
「え、それ、俺が聞いても大丈夫な話ですか?」
「別にいいよ。何だか最近、やっと踏ん切りがついた気がするしな。吐き出せるものは吐き出しておこうって思えるようになった」
「なるほど……?」
「つまらない理由に思えるかもしれないけど、俺にとっては凄く重くてな。付き合ってた彼女だけじゃなくて、その友人とかにも裏切られていたとか馬鹿にされてるとか解ったら、どうでもよくなったっていうか。だから、こっちの世界にこられて、少しだけ気楽だったんだよ。だから、獣人っていうことを差し引いても、ここで暮らしていく方がいい気がする。アルミラはいい村だし、もしかしたら魔族領の中にも俺の居場所があるかもしれないし」
「元の世界に戻らないって決めたんですか?」
 三峯も多分、元の世界に戻らないだろう。あれほど突き抜けて割り切っている男も珍しいが。
 それでも、なかなか決意するのは難しい問題だと思う。
 こっちの世界は確かに便利だ。マチルダ・シティがある限り、スローライフだって夢じゃない。
 それでも、日本には日本でいい部分もあったわけだし。

「俺は戻るつもりはないって……凛に言った。その後から、あいつの様子がおかしいんだ。俺は別に……凛までこっちの世界にいて欲しいなんて言うつもりはない。戻れるタイミングがあれば、笑顔で見送るつもりはあるよ。少し、寂しくなるけど」
「仲いいですもんね、二人は」
「ああ。不思議と気が合って……随分と前から知ってる気もするくらいでな」

 そう言った直後、シロさんの表情が気まずそうなものになった。俺が見上げていると、俺の視線を避けて遠くを見てため息をつく。
「アキラ君に訊きたいんだけど。その、君はあの王子様とその後、どう?」
「ふお!? 何ですかいきなり!」
 俺が裏返った声を上げると、崖の下を覗き込んでいた凛さんが驚いたようにこちらを振り返ったのが視界に入った。俺は慌ててシロさんの太い腕を掴み、男同士の内緒話をするために凛さんから遠い場所に逃げた。
「慌てるってことは、上手く行ってるってことか?」
「何でそうなるんです? 全然上手くいってませんよ」
「いや、森の奥の魔女だか何だかが……まあ、それはどうでもいいか」
「よくない。何それ。森の魔女ってあいつか」
「顔が赤いけど、いや、それはどうでもいいとして」
「よくない」
「それより君は今、女の子のアバターだけど中身は男だよな? 恋愛とかできそうな感じ?」
「してませんよ? してませんから」
 そう否定しながらも、俺の視線は地面へと落ちた。気まずいというか、何と言うか。
「実は俺も困惑してるんだよな」
 苦笑交じりの声が頭上から落ちてきて、俺は何とかもう一度顔を上げた。すると、シロさんは頭を掻きながら低く唸っている。
「エルフアバターって美形だし、あれだけ綺麗だと時々女性にも見えるだろう? 何だか最近ちょっと……ヤバいというか」

 ――え、何それ。

「変な気を起こさないうちに、離れた方がいいとも思ってるんだ。でも最近ずっと、考えてる。凛がどうして女性じゃなかったんだろうって」
「それって」
「でも、誤解はするな。俺の恋愛対象は女だし、あいつはいい友人だよ。きっと、あいつもそうだろう。だから、いっそのこと別行動の方がいいというか、凛が元の世界に戻ってくれたら一番いいんだろうとも解ってるんだけど」
 シロさんはまた、乱暴に頭を掻いた。
 苦悩の色がよく見える瞳だった。
「でも俺、一人でこっちの世界で生きていく自信がない」
 ぽつりと続けられたその言葉は、さらに重かった。

 一人で。
 確かに俺だって、それは寂しいと感じるかもしれない。
 でも。

 俺だったら一人でも気にならない……気がする。サクラやカオルがいなくても生きていけるだろう。寂しいと感じることはあったとしても、そこまで重要じゃない。マチルダ・シティの中に死ぬまで引きこもっていたとしても、それはそれでやっていけると思うし。

 やっぱり、性格の違いだろうか。シロさんは強そうに見えて、やっぱり弱いんだと思う。

「おーい! いつまで内緒話をしてるつもりかな!?」
 そこに、焦れたような凛さんの声が飛んでくる。シロさんは俺に何か続けて言いたそうだったけれど、すぐに表情を和らげて凛さんに返事を返した。
「話は終わった! そっちはどうだ、何か見えたか!?」
 シロさんが俺の肩を軽く叩いてから、行くぞ、と合図をしてくる。
 俺も僅かに苦笑した後、彼の後をついて足を踏み出すと、凛さんが崖の下を指さしながら何でもないことのように続けた。
「ドラゴンみたいなのがこっちに向かってる。どうする、戦うべき?」
「何?」
 シロさんが困惑した声を上げた瞬間だった。

 凄まじい風圧と共に、巨大な黒い影が俺たちの上に伸びた。太陽の光を遮るようにして滞空している影は、そのまま咆哮を上げた。
「やっと姿を見せたな、娘!」
 そう嬉しそうに喉を鳴らしたドラゴンの双眸は、まっすぐ俺を見下ろしてくる。
 改めて見つめ直してみれば、ここで『ピクニック』みたいなことをやった時、俺が蘇生薬を渡したドラゴン氏なのかもしれない、と思う。他のドラゴンを見たことがないから解らないが、少なくとも躰の大きさ、翼の形、声も似ている。
 しかし……。
 いつの間にかシロさんは凛さんを庇うように立っていて、さっきの会話の後だけに生ぬるい気持ちになる。
 俺だってアバターは女なんだけど、風圧と土煙から守ってくれるつもりは……ないんだろうな、この狼男は。

「えーと、お久しぶりです、でいいんでしょうか」
 俺が恐る恐る右手を上げて笑うと、ドラゴン氏はぶるる、と鼻を鳴らした。
「まさか、見忘れたとは言わんだろうな? お前が持ってきた薬は、しかと主に届けた。そして、我が主がお前に礼を述べたいとおっしゃっている」
 俺はそこで凛さんとシロさんに視線を投げると、思いつめたような表情の凛さんが口を開いた。
「私も一緒に行っても大丈夫でしょうか?」
「……何だ、今回は連れが違うのか」
 ドラゴンは困惑したように凛さんとシロさんを見下ろした。しかし、すぐにシロさんに視線を固定すると咳き込むような響きで笑った。
「まあ、獣人が連れなら問題ではないから一緒にくればいい。さて、我の背中に乗ってもらうぞ」
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