ユメノポリス

鵜飼 シロウ

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#03旋律『トロイメライ』子供の情景

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 シュラーを潜り抜け、その夢に一歩足を踏み込むと乾いた土の感触がした。
 前方は暗く辺りは静まり返っている。目を凝らすと広大な平地が広がっていた。遠くはぼやけて良く見えない。…ということは、あの遠方は夢主の意識が及んでいない夢の端、そこは重要ではないということだ。暗いがはっきりと地形が形成されているこの周辺は夢主にとって何か意味のある場所ということになる。しかし、足元は枯れた草木が生えているだけ。良く見ると人の手で慣らした跡が残っている。ここは元々田畑だったのだろうか。
 誰の姿もない。夢魔の気配すらこの辺りには感じられなかった。

「…違うな。水晶が見せた場所はここじゃない。もっと──」

 ふと、背を押すように背後からふわりと風がひとつ吹き、キラキラと何かが舞って頬を掠めていった。咄嗟に手のひらでその何かを掴み取る。

「これは…」

 見ると、それは金粉のようなものだった。

「にゃー。」

 レムが何かに気付いたのか、鼻の先で後ろを指し示すように鳴いた。言われるままに振り返ると、まるで先程までの暗闇を反転したかのように眩しい世界が広がっていた。少しの後、光に目が慣れて漸くはっきりとその全景を捉えた。
 どこまでも続く黄金の砂漠。そして、その中心で異様な存在感を放つ街──。

 飛んできた金粉はどうやらあの街の方から風に乗ってやってきているようだ。足元で輝く砂漠の砂もまた、こちら側にある暗闇の平地を少しずつ飲み込んでいるようにも見える。

「…あれだ。あの街のどこかに夢主はいる。レム、行こう。」

 レムはその場でぐっと伸びをするように体を撓らせたかと思うと、戻る反動で一気にラクダの姿へと変身した。

「街まで乗せてくれるの?ありがとう。砂漠だから、ラクダか。」

「グナァァァ。」

「ラクダってそんな鳴き声なんだ、面白いね。それに黒いラクダは初めて見たよ。」

 レムは長い睫毛を伏せて、どこか誇らしげだ。下顎を左右に揺らし口をモグモグしている。
 彼女は変幻自在で何にでも形を変えることができる。体の色に合わせた黒い生物や物体に変化するのが基本だが、稀にこんな例外もある。
 手綱を手にレムの背に乗ると目線が高くなり街も良く見えた。これなら砂に足を取られることもなく、レムも砂塗れにならなくて済む。急ぎ、夢主の元へと出発した。
 砂漠と言っても猛烈な暑さや寒さは感じない。これは夢主が現実世界で眠っている環境が夢に反映されるためだ。夢魔が潜んでいたり、罠が仕掛けられている様子もない。このまま進めば直ぐに街へ辿り着けるだろう。

「それにしても、夢の舞台が砂漠とは珍しいね。この気候から察するに実際に砂漠地帯で暮らしている者とは思えないけど…」

「グナァァ。」

「そうだね、夢主の深層心理が作用しているのは間違いない。…会って話せば、きっと分かる…」

 しばらくして街の入り口へ辿り着いた。そこから大通りが一直線に伸び、大きく開かれた広場が中央にある。それを更に進むと宝珠形の屋根を乗せた王宮のような建造物へと通じていた。その外観はまるで黄金に塗りたくったインドのタージ・マハルだ。
 最初に降り立った平地は月も明かりもない暗闇の夜だったが、砂漠の街は太陽の光を浴び色とりどりの花や豪華絢爛な装飾に彩られ、まるで楽園のような雰囲気だ。恐らくこの夢の主は悪夢ではなく、甘い夢によって囚われているのだろう。

「上手く塗り替えたな。こんな夢なら、誰もが目覚めたくなくなるかもしれない…」

 ────!

 その時、左目に掛けているキュクロスのレンズが青く光りだした。大通りの街は賑わい、路上に連なる屋台の市場では物を売り買いする者や娯楽を楽しむ人々で溢れている。

「数が多いな…」

 街の人々だけではない、市場で売られている高価そうな品々や装飾品、金目のものはそれら全てが夢魔だということが見て取れた。

「これは夢主を誘き出した方が早そうだ。…アルニオン。」

 懐から取り出したアステルが呼び掛けに応えて瞬時にフルートへと変形する。レムの背から降り、アルニオンを奏でた。透き通った音色に辺りの空気も澄み渡っていく。
 一帯の人や物に化けている下級夢魔達は悲鳴を上げながら醜い悪魔の姿に戻ると、番人の出現に気付きこちら目掛けて襲ってきた。レムは全身を強く発光させながら黒豹へと姿を変え、敵の群れに突っ込むと、攻撃をかわしながらその身のこなしで次々と夢魔を倒していく。

「デュナミス。」

 彼女が気を引いてくれている間に、今度はフルートを杖に転換させ、精神力で魔法を練り上げながら左手に握る魔銃ウラノスで応戦する。
 ウラノスの見た目はフリントロック式の古式銃だが、祈りを込めた特殊な魔弾でない限りハンマーの操作は必要ない。小型の夢魔を撃ち落とすには精神力で魔弾を生成して内部に直装填し、後は引金を引くだけ。片手で連続して撃てるようになっている。ウラノスで撃ち落とせない夢魔はデュナミスからより強力な魔法を放ち破砕する。
 風に乗って金粉が舞う中、砂漠の街には夢魔達の断末魔の叫びと銃声がこだましていった…。


「何の騒ぎだ!?…そこのお前、何をしてる!」

 周辺の夢魔退治が片付いた頃、騒ぎを聞き付け現れた一人の男がこちらに向かって叫んだ。少し頬の痩けた細身で小柄な中年男性。服装は柄シャツにジーンズ姿。後ろには何人かの付き人を連れている。
 ───見付けた、彼だ。
 俺は左半身を覆っているマントでウラノスを隠したまま、彼に見せないよう静かに向き合った。男は辺りを見回し、一帯にあった人や金目の物がなくなっているのに気付くと疑いの目で俺を睨み付けた。

「おい、何をしてるって聞いてるんだ!」

「…君がこの夢の主だね。」

「主…?そうだ、この街を仕切ってる。」

「なるほど。」

「…だから、お前は誰だ!全身真っ黒で浮きまくってるし、怪しい奴。俺の街に何用だ、まさか強盗…?」

 思った通り、拘束はされていないようだ。なかなか待遇は良いらしい。
 話す言語や肌の色などから、やはり、実際に砂漠地帯に住む者ではないと推測できる。

「強盗ではないかな。そうだね…、言うなら掃除屋ってところか。」

「…は?こいつ、ふざけたことを…!おい、あいつを捕らえろ!」

 男の命令に、周りにいた取り巻きがこちらに向かってくる。人の皮を被った夢魔…正体は分かっているが、まだ何も知らない夢主が見ている手前、殺人を思わせるような凄惨な光景は見せられない。ここは一先ず武器は使わず急所を狙って倒し、動きを封じていく。普通の人間に比べれば怪力だが、人に化けている間は奴等も動きが制限され本来の力は出せない。

「くそ…、役立たずが…。」

 取り巻きは一人残らず地面に突っ伏した。手下を難なく退けられ、男は怯んで一歩後退る。その隙に、俺はウラノスに祈りを込めた魔弾を装填し、ハンマーを持ち上げた。
 
「もう終わり?」

 彼に詰め寄り、銃口を突き付ける。



「…な……!」

「動かないで。」

 銃を向けられ一瞬で男の顔が青ざめる。怯える夢主には悪いが、このタイミングしかない。引き金を引いて魔除けの魔弾を撃ち込んだ。彼の体を淡い光が包み込む。

「な、なんだ今のは…。当たったのか外したのか?…いやそれより、今あいつ俺を撃った?俺を殺そうと───!!」

 男は錯乱し慌てて逃げようとするが、その先は既にレムが行く手を遮っていた。追い詰められた男は直ぐ側の露店に置かれていた果物ナイフを掴み取ると、光る刃をこちらに向け血走った目で叫んだ。

「畜生!折角手に入れた自由なんだ、こんな所で殺されてたまるか……っ!!」

 レムが唸って止めようと身構えたが、目配せで合図しそれを制すと、俺は手にしていた武器を全て収め、丸腰で彼と向かい合った。

「なめやがって…!!」

 男は激昂しこちらへと駆け出す。それを避けることなく、抱き留めるように受け止めた。ナイフの刃は深々と俺の左脇腹に突き刺さっていた。

「あ…、お前が…悪いんだぞ…!お前が先に撃ったんだからな…!」

 無抵抗で刃を受けるとは思っていなかったのか、刺した本人が動揺している。それに加え、呻き声一つ上げず表情を変えない俺を見て、男は徐々に顔面蒼白になっていく。ナイフを握り締める手から力が抜けるのが分かると、震える男の手首を掴み身動きを奪った。

「無駄だ、痛みは感じない。」

「え…。」

 脇から抜き取った血塗れのナイフを放おると、地面を蹴って転がり短く金属音を立てた。

「落ち着いて聞いて欲しい。俺は君の敵じゃない。君がここから抜け出す手助けをしに来た。ここは君が思っているより危険な場所なんだ。」

「…は?何を言ってる。たった今俺に銃を向けて撃ち殺そうとした奴の言う事とは思えないな、それにこの街は俺の街だ。なんの危険もありゃしない。危険な奴がいるとしたら…今目の前に居る、お前だろ!」

 予想通りのセリフが返ってくる。夢主の反応は様々だが、警戒心の強い大人は大体こんなものだ。

「離せよ!」

「…仕方ない、アルニオン。」

 男を解放すると、再びフルートを手にした。

「そこに倒れている君の付き人達を見ていて、このフルートの音色で、本当の姿を暴き出す。」

「本当の、姿…?」

 アルニオンの音色が辺りに響き渡り、先程まで夢主の命令に従っていた取り巻きの人々が人間とは思えない悲鳴を上げながら黒く醜い夢魔の姿へと変貌する。 

「なんだこいつら…!!うわああっ‼」

「心配ない。さっき君に魔除けの銃弾を撃ち込んだ。下級夢魔程度なら今の君に手は出せない。」

 正体を暴かれた夢魔達は一斉にこちらへ襲い掛かるが、夢主を包む光のオーラによって近付くことができない。

「魔除けの銃弾、さっきのが?…は、わけわかんねぇ…どいつもこいつも、化け物かよ。」

「そこでじっとしていて、直ぐに片付ける。」

 レムが先行を切って夢魔に飛び掛かる。俺は左腰に下げた鞘から剣を引き抜いた。この程度の夢魔なら精神力を使うまでもない、聖銀で鍛えられた剣だけで十分だ。もう人の姿ではなくなった悪魔相手に容赦は無用だろう。一気に敵中に踏み込み、二度と起き上がれないよう腕、脚、翼、そして首を斬り落とす。レムとの連携でそこにいた全ての夢魔を倒すと、一時的に辺りが静かになった。
 これでやっと彼と話ができる。保護して状況を説明し、早くこの夢から脱出しよう…そう思ったが、辺りを見回しても当本人の姿が見当たらない。

「グルル…」

 半ば呆れたようにレムが溜息をついた。どうやら逃げられてしまったらしい。

「まだ俺達を疑ってるな、無理もないか。…恐らくこの通りの先にある彼の拠点へと向かったんだろう。後を追おう。」

 そう言って先へ進もうとすると、レムが俺の前で行く道を遮った。何か言いたげにこちらを見つめている。

「あぁ、忘れるところだった…。」

 精神力を脇の刺創部へ集中させ、傷口を塞いだ。
 夢の番人である俺達には肉体的なダメージによる痛覚がほとんどない。傷口から出血していたとしても、痛みを感じないせいで止血を忘れたり、傷を負っていることにすら気付かない場合もある。多少の傷であれば自然に治っていくが、大きな損傷は精神力を使って修復する必要がある。放っておけば失う血と同じように、徐々に精神力が削られてしまうからだ。無駄な消耗を少しでも避ける為、互いに気に掛けるようにしている。

「傷は大したことない。ほら、もう塞いだから、心配してくれてありがとう。さぁ、行こう。」

「ガルル!」

 レムは安心したのか気を取り直して通りの先へと向き直ると、先陣を切って駆け出した。その後に俺も続く。
 大通りを進んでいくと頑丈そうな門があり、それを護るようにして左右に象の彫刻が建ち並んでいる。キュクロスを通して見える夢魔の数は六体。その彫刻の一頭一頭が自分の身長を軽く越える程の高さがある、中型の夢魔だ。   
 時間を稼ぐのが奴等の狙いか。今ここでまともに戦っている暇は無い。先に夢主を保護しなければ。

「彼はこの街を自分が仕切っていると言っていた。きっとあの建物の一番奥、最上階にいるだろう。」

「グルル…。」

「そうだね、正面突破が無理なら──…」

 目を合わせると、レムは俺が言うよりも先に全身の毛を逆立て、青く強く発光し、お安い御用、と言わんばかりに一鳴きしてみせた。



────────────────


「一体なんだったんだ、でもここなら…。突然現れたあの黒いマントの男も、気色悪い悪魔みたいな奴らもここには入って来れないはずだ。」

 夢主の男は王室のような豪華な部屋で内側から鍵を掛け閉じ籠もり、高級ベッドに横たえていた。

 「もうここから一歩も外に出るもんか。…あぁ、ずっとここにいよう。……なんだか身体が怠いし動く気力もない。きっと俺は疲れているんだ。」

 寝返りを打とうと体を捩るとシルクの手触りだったシーツが突然ジャラリと音を立てた。手に触れる硬く冷たいその感触に驚き飛び起きると、辺りには黄金に煌めくコインが散らばっていた。

「なんだ…これ…。」

 それはどこからともなく増え続け、一面が金一色になっていく。

「はは…すげぇ、湧き水みたいに、金が湧いてくる。これでもう生活には困らない、何不自由無く一生楽して暮らせるぜ…。」

 みるみる内に室内は黄金で埋め尽くされ、男の体はコインの沼に沈み込んでいく。しかし胸の高さまで迫っても、湧き出るコインは止まらない。

「おい…、これ、どこまで増えるんだ…。」

 喜んでいたのも束の間、直に恐怖へと変わっていく。必死に藻掻き、コインの沼から這い上がろうとするが叶わない。藻掻けば藻掻くほど、まるで蟻地獄のように深みに吸い寄せられていく。

「もういい、これ以上は…!うあぁっ!!助けてくれ…!!誰か───っ!!」

 喉元まで沈み込み、コインの沼に溺れそうになったその時、

ガシャーンッ‼

 突然、吹き抜けの高い天井の窓が砕けた。逆光で良く見えないが、そこには黒い人影が揺れている。

「デスモス…!」

 人影がそう叫び、光るロープのようなものを鞭のように振るうと、それは瞬時に男の元まで届き、腕に巻き付いた。

「間に合ったか…。」

「お前は…、さっきの…!」

 天井の窓枠に立っていたのは先程出会ったフルートを奏でていた黒いマントの青年だった。

「もう逃げたりしないか?」

「…に、逃げたりしない。だから助けてくれ…!」

「わかった、しっかり掴まって。」

 光る鞭はシャラシャラと不思議な音を立てながら少しずつ短くなっていき、埋まった体はコインの沼から引き上げられ、天井の割れた窓枠まで上り切ると、建物の外側へと出た。
 そこには黒いマントの青年以外に3メートル程はあるかという、大きなカラスもいた。

「お前、さっきは黒豹と一緒にいなかったか。」

「その黒豹がこの子だよ。」

「あ?変身したって言うのか。」

「そう。」

 男は呆気にとられた。
 マントの青年が手にしている鞭は、グリップの先端から光るロープ、ボディが伸びていた。先ほどまで必死に掴んでいた鞭のテール部分を男が手放すとスゥッと魔法のように消え、グリップだけが彼の手の中に残った。そのグリップは良く見ると銀の装飾が施された長細いハンドベルのような形状をしている。

「このカラスも、あんたの持ってるそれも、どんな仕掛けだよ。俺は夢でも見てるのか。」

「正解。」

「…は?」

「ここはもうじき呑み込まれる、話はここを離れてから、さぁ乗って。」

 そう即され大カラスの背に乗ると、街の中央広場まで緩やかに滑空していった。
 増え続けるコインの沼は留まることなく範囲を拡大していき、やがて建物があった場所にはただ、黄金の大きな蟻地獄だけが残されていた…。


───────────────


「うぅ…。」

「大丈夫?」

 先程よりも顔色が悪くなっている夢主の男。広場の地面に胡座をかいて座り込んでいる。そろそろウラノスの祈りの魔除けも効力が消える頃か…この夢に長く居続けることで、徐々に疲弊してきているのが窺える。

「あぁ…なんとか。そういえば、お前は俺を助けに来たと言っていたな、一体何者なんだ。」

 夢主はようやく自分の身に危険が迫っていることと、我々が敵でないとこを悟ったようだ。

「俺は夢の番人、イスマだ。夢魔から人々の夢と君のような夢主を守るのが役目だ。こっちはレム、相棒だよ。ここは君が眠りの中で見ている夢の世界なんだ。」

「夢の…番人?ここが夢の中…。は…通りでおかしい訳だ。…そこのそいつも、さっきまででけぇカラスだったのにいつの間にか黒猫だし。」

「にゃ~。」

「そう、だけどただの夢じゃない、君は夢魔に囚われている。このままこの夢に留まれば、命が危ない。」

「命?夢ならいくら死んだって死なねぇだろ。夢だと分ったら怖くもなんとも…自分の思い通りにだってできるだろ……。」

「確かに、ここは君の夢の中だが、普段の夢とは違う。ここで命を失えば、現実の君にも影響が出るんだ。」

「影響って、まさか寝てる現実の俺も死ぬってことか?」

「最悪、そういうことになるね。君が吸い寄せられていたコインの沼の底は闇への入り口になっている。あのまま呑み込まれていたら、君は二度と目覚めることはなかっただろう。」

「そんなまさか…夢だから適当なことを…。」

「嘘なら、君の夢を邪魔したりしない。」

 真面目に答える俺の顔を見て、彼は眉を寄せ、溜息をついた。

「…はぁ…良い夢だったのにな、現実での苦しみから解放されて、ここで幸せに暮らせたら良かったのに…。」

「それが奴らの狙いだ。幸福に思えるのは僅かな時だけ、徐々に君の身体は弱っていき、自力では動けなくなる。奴等は君の生気を吸い尽くすまでこの夢を見せ続ける。君自身も今、その身に異変を感じているはずだ。」

 男は身に覚えのある様子で口元に手を当てた。

「………そんなに脅すなよ。」

「脅しで済めばいいけど、そうはいかない…。夢魔に囚われた君が見ているものは全てまやかしなんだ。最後にもう一度、このフルートを奏でる。これで奴等の真の姿、そして君が囚われている夢の檻の正体を暴こう…。」

 今度は街中に響き渡るよう、精神力を乗せてアルニオンを奏でる。
 美しかったオアシスの街の面影は最早跡形もなく、コインの沼は黒ずんだ砂になり、建物は廃墟と化した。腐敗した匂いが立ち込め、悍ましい夢魔達が溢れている。

「…これが、俺の本当の夢だって?…お前が俺に悪夢を見せてるってことじゃないのか?今までみていた夢は幸せそのものだったんだぞ!」

「そう思うのも無理はない。でもこれが真実なんだ。夢魔達は君達人間から生気を奪う為にあらゆる手段を使ってくる。それは、必ずしも悪夢とは限らない。君が望む夢を見せ続けることで夢に留まらせ、君は気付かない内に生気を吸い尽くされる。気付く頃には手遅れだ、さっきの君も危うくそうなるところだった。」

「…………。」

 コインの沼に呑み込まれそうになった時のことを思い出したのか、男は黙り込んだ。

「君の精神…心と魂は、今も少しずつ奴等に蝕まれている。それでもまだ、君はここに留まるのか。」

「はぁ…分かったよ。…ここはもう諦める…。どの道もうこんな目茶苦茶な所にはいられねぇし───。」


 夢主がそう言葉を発した瞬間、地響きがして蟻地獄の中心部から黒い何かが現れた。蛇のような体にサソリの尾を持つ大型の夢魔。

ギギギギギ────!!

 通りの門の前に残されていた六体の象の彫刻も自ら夢魔の姿へと戻るが、それより遥かに大きな大蛇はそれ等を捕食し取り込むように巨大化していく。

「おい、何だよ、あれ…。」

「…姿を現したか。奴が君に甘い夢を見せた張本人だ。君を闇に引きずり込もうとしたが、捉え損なって直々に迎えに来たらしい。」

「嘘だろ?あんな奴が俺の夢にいただなんて…、ヤバすぎるだろ!俺達も丸呑みされちまうぞ、…どうするんだ!?」

「なーぉ!」

 レムは一鳴きすると、素早く黒馬の姿に変身した。

「とにかくここは走って逃げるか…。」

「馬にも変身できるのか、すげぇな黒猫の相棒!」

「ブルルル…。」

 夢主と共にレムの背に乗ると街の外へと通じる門へ向かって走りだした。成長した大蛇の夢魔は街を破壊しながら後を追ってくる。

「君に聞きたい、何故この黄金の街を夢見たのか。君が現実の世界で望むもの…それは……。」

「知るかよ。ただ、金が欲しかっただけだ。金があれば全て解決するだろ、生きるのに苦労しねぇ。俺の身も心も懐も干上がっていた、丁度、この砂漠のようにな…。」

「……だから、オアシスを求めたのか。湧き出る水のように金が絶えることがなく、裕福に暮らせる場所、全てが黄金でできた街…。」

「まさに、理想郷だったぜ。勿体ねぇ…。」

「理想郷…か。だけど、俺にはそれだけじゃないように思える。君の心の奥底には、他に望むものがあるんじゃないか?」

「…は?そんなものねぇよ。」

 街の門を抜け砂漠に差し掛かると、レムは青く輝く黒翼を生やしペガサスの姿になった。そして加速し空中へと飛び上がる。砂の上を蹄で走るのは困難な為だ。
 大蛇は砂漠の上であろうと物ともせず、夢主を追って砂を巻き上げながらしつこく追いかけてくる。時折口から強い酸性の黒い液体を吐き出し触れたものを溶かしている。あれに当たれば一溜まりもない。俺はウラノスを手に、大蛇の頭を狙い撃った。何発かの内の一発が目玉に直撃し、夢魔は悲鳴と共に巨体をくねらせた。動きが鈍っている内に距離を離し、目的の場所へと急いだ。
 ここへ来て最初に降り立った、暗闇の平地へと…。



「おい…、一体何処へ向かってるんだ!このままあいつから逃げ切れるのか?」

「君に見せたい場所がある。」

「悪魔が作り出した世界なんだろ、この先に何があるって言うんだ…!」

 砂漠の砂が途切れ、その先に、山々に囲まれた、乾いた土の大地が広がっている。

「光の差さない荒れた土地。まるでここは君の心の隅に追いやられるようにして、暗闇の中にある…。ここは君にとって何か意味のある、重要な場所だったんじゃないか…?」

「…ここは…。」

 静まり返る暗闇の平地。レムはそこへ着地すると、翼を畳んで黒馬の姿に戻った。

「夢魔すら近寄らないこの場所、しかしはっきりと君の夢の世界に存在している。ここは奴等が作り出した場所ではない。…だとしたら、この場所こそが、君が本来見ていた夢の無台。」


「ここは…、俺が捨てた…俺の………。」



ギギギギギ───‼


「追い付かれたか。丁度良い、ここでヤツを迎え討つ。」

 夢主の男をレムに頼むと乾いた土のうえに一人降り立ち、俺はデュナミスを手にした。

「元々彼が見ていた夢に、お前が余計なものを見せて彼の心を横取りしたんだろう。」

 彼が最初に見ていたのは、この暗く荒れた土地の夢だった…その夢の続きを見る前に、彼の弱みに付け込んで黄金の街の夢に塗り替えた───。

「だが、完全に塗り替えるのはもう無理なようだ、諦めるんだな。」
 
ギシャ───ッ!!

「凍てつく氷の手よ…《パーゴス》」

 荒れ狂う大蛇の猛攻をかわし、氷の魔法で体の一部を凍結させ、動きを封じる。少しだけ時間を稼げればいい。
 デュナミスの先端に輝く石に精神を集中し呪文を紡いでいく。青白く光る大きな魔刃が左右に伸び、三日月のような大鎌を形成する。透き通るその刃には紡いだ呪文が流れるように浮かび上がっている。

 まだだ、もっと大きく…

 更に精神力を注いで極限まで魔刃を拡張していく。
 …この一振りで終わらせる。  

「闇から出し者よ、ここにお前の居場所はない。お前に最も相応しい場所へ送ってやろう。
 奈落の底へ、堕ちろ───冥界《ハデス》」

 夢魔の頭の先から尾の先まで、切り裂くように魔刃を振り下ろした。空を劈くような悲鳴を上げて夢魔の巨体が地に崩れ落ちていく。


 ドオオオオオ……


 どうやら止められたようだ…。ハデスは刃の大きさに比例して精神力の消耗も激しくなる。息が上がり額には汗が滲む。今ので随分消費してしまったらしい。
 デュナミスから魔刃が消えると、夢主を乗せ安全な場所に離れていたレムが戻ってきた。俺の頬に鼻先を擦り寄せ心配してくれている。大丈夫と言う代わりに頬を撫でてやると、今度は背に乗る夢主の男が声を掛けてきた。

「すげぇ、あんなデカいのを一撃で仕留めるなんて!!……て、お前大丈夫か?まさか、俺が刺した傷がまだ…」

「…いや、そうじゃない。心配してくれてありがとう。前に言った通り、体に受ける傷に痛みはないんだ、傷口ももう塞がっている。ただ、俺も無敵ではない。無限に力を振るえるわけではないからね。…でも大丈夫、あと少しだ。」

 デュナミスを杖にして体勢を立て直すと、彼に手を差し伸べ、レムの背から降りるよう促した。
 男は素直に従い土の上に降りると、レムは黒猫の姿に戻った。

「…さぁ、君が本当に望む夢の世界を、夢の続きを…俺にも見せてくれ。」

「……?…何を、言って…。」

「アフェシス…!」

 手の内で杖を弦楽弓へと変化させるのを合図に、レムが地面を蹴って空中でバイオリンへと姿を変え、俺の腕の中に収まった。
 夢主の男は目を丸くして息を呑む。

「猫が…バイオリンに…!」

 息を整え、弓を構える。

「…君が望めば、この場所は君の望む場所に蘇るはずだ…。」

 あとは、この旋律と、彼の心次第……。

 静かに、浄化の演奏が始まる。
 音色と共に輝く魔法陣が次々に形成され広域に広がっていく。
 地に落ちた夢魔の巨体を光が包み込み、跡形もなく消し去っていった。

「………あ……。」

 男の目に光が差す。

 演奏が後半に差し掛かると更に浄化が進み、次第に辺りの様子も変化し、闇が剥き出しになった砂漠と街も光の中に消えていく。


「俺が、本当に望む、場所………。」


 今、荒れ果てていた暗闇の荒野はどこにもない。空には眩い夕日が輝き、稲穂がその光を浴びて黄金色に照らされ、爽やかに風に揺れている。舗装されていない砂と砂利の小道を子供たちが笑い声を上げながら駆けて行く。

 男は揺れる稲穂の中をフラフラと歩み進んだ。その先には二つの人影が見えた。

「あらおかえり、帰っていたの。お母さんそろそろ夕飯の支度するから、代わりにお父さんを手伝ってあげて。」

「どこをほっつき歩いてたんだ、全く。遊んでばかりいないで、少しは手伝え。」


 それは何気ない夕暮れの家族の一コマ。子供の頃の記憶だろうか…。男は懐かしさを噛み締めるように瞳を閉じると、夕日を浴びながら佇み風を感じていた。
 彼は多くは語らなかった。しかしその姿を見ていれば、ここが彼にとって特別な場所であることは明白だった。何故彼が夢魔に囚われ、金が欲しいという理由で、異様なまでに黄金に着飾れた街の夢をみたのか、それは、彼の夢世界が《金》という一つのキーワードから成っていたからなのだろう。
 金は金でも、黄金色こがねいろに輝く稲穂の懐かしい風景と思い出こそが、彼にとっての本当に価値ある宝物だったのかもしれない…。

 アフェシスの演奏が終わり光の粒が舞う中、稲穂が風に揺れる音だけが余韻のように残った。瞼を開いた夢主は瞳を少しだけ潤ませている。

「これが…君の本来の夢の世界か……美しいな。」

「ここは俺が子供の頃に住んでいた故郷だ。だがもう誰もいない…。現実でこの場所に戻ったって、何も残っちゃいない。それでも俺は、憧れているんだ、かつてのこの場所こきょうに…。」

 その者の人生が夢に深く関わっているケースは多い。彼もその一人だったようだ。
現実での困窮から生まれた欲望、その心の弱みに付け込まれ、夢魔に夢を侵された。だが、彼が特別ということはない、どんな些細な悩み、後悔、不安、恐れ、悲しみ、怒り、欲望、…そこに負の感情と隙さえあれば、夢魔は侵入し、こうして健全な夢を侵すのだ。

「現実で失くしてしまったものはもう戻らないかもしれない。それでも、君の記憶の中でこうして輝き続け、心の中ここに確かに存在している…。故郷とはそういうものなのかもしれないね。」

「そうさ…、現実に戻ったところで、俺の生活は変わりはしねぇ…、生きていくのでやっとさ。だが、この景色をもう一度見られて良かった…。」

「ここは君の夢世界だ。君の潜在意識が、またきっと、この場所へと君を導いてくれるだろう。」

 夢主の男は顔を上向け、そして、もう一度目に焼き付けるように黄金に輝く稲穂畑を前方に見つめた。

「…いつになるかは分からない、でもいつか、現実でこの場所に戻れたらいい。それでこんな風にもう一度蘇らせることができたなら…。…忘れていた、いや、正確には蓋をして見ようとしていなかった…。夢魔とやらのせいでもあるかもしれないが、俺自身のせいでもある。本当はずっと心の奥で引っ掛かっていたのに。」

「そうか。…見てみたいな、現実で見るこの光景は、きっともっと鮮明で、美しいだろうからね。」

「…そうだといいな。」


「にゃ~。」

 バイオリンから黒猫の姿に戻ったレムが、体をほぐす様に伸びしたのを合図に、懐からカイロスを取り出し確認する。時計の針は正常に時を刻んでいた。彼の目覚めの時刻が近付いている。

「…イスマって言ったか、お前のことも覚えているといいが…。」

「ありがとう。君が俺のことを忘れても、俺が君を覚えているよ。
 ………また、夢で逢おう。」

「そんなセリフを野郎から言われるなんてな…勘弁してくれ。じゃあな、世話になった、夢の番人。…お前さんもな、黒猫の相棒。」

「んにゃ~!」


 彼の苦笑いに微笑み返すと、夢世界はゆっくりと白い光に包まれていく。
 俺は心地の好い風の音を耳に、アステルを鳴らしシュラーを召喚した……。


───────────────


 拠点に戻ると、既に朝を迎えていた。レムは暖炉の側のソファで眠っている。彼女も今回は何度もの変化と長い移動の連続で疲れただろう。目が覚めたら、大好きなおやつとミルクをあげよう。
 留守番をしていたリベルは本棚の一棚を自分の寝床にしていた。居ない間に家中何か悪戯されているかと思ったが、真面目に書物の整頓をしていたらしく、綺麗に片付いていた。彼も一仕事して疲れたのか、今は眠っている。
 紅茶を淹れて少し休んだ後、俺は二階の寝室へ向かい今日の夢渡りの日記をつけることにした。
 外は穏やかに晴れている。極夜のような俺の夢世界では、太陽が高く昇ることはなく、昼間でも薄暗いことが多い。しかし今日は綺麗な朝焼けが、まるで夕空を連想させるような中黄から茜色の鮮やかなグラデーションに染め上げられている。
 窓を開けると、心地の良い風が室内に吹き込んできた。それは今回の夢渡りで夢主の故郷で感じた風とどこか似ていた。

「幼い頃の記憶、両親、そして故郷か…。俺には思い出せないな。忘れてしまったのか、そもそも俺には無いのか……。」

 人と同じ時の中に生きつつも、年を取り老いることも無い。この身に終わりがあるのかどうかも…。

「…少し、羨ましいな。」

 日記帳を閉じると、窓辺のグランドピアノの鍵盤蓋を開け、椅子に腰かける。
 夢主の彼が見ていた子供の頃の情景を思い浮かべながら、穏やかにその曲を弾き始めた…。




#03旋律『トロイメライ』子供の情景「完」
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