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第二章 移住しましょう

2.お試し滞在住宅

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翼とグラウスディルが車を向かわせていた場所は、市役所で紹介されたお試し滞在させてくれる住宅だ。
向かっている途中、グラウスディルの運転に、何度も肝を冷やした翼。
赤信号だというのに、なかなかブレーキを踏まず、慌ててシフトレバーをドライブからニュートラルに変えた。アクセル、ブレーキの踏み方も激しい。かなりの急発進、急ブレーキだ。
シートベルトが、何度も翼の首を締めた。
ぐったりだ。

そんな惨状で、運転の指導をしながら地図をみれるはずはなかった。車のナビゲーションも、古くて、正確な位置を示していない。
あっという間に道に迷い、そして気づく。もはや、この為に贈呈されたのではないか?

「アァップゥーールウォッチィイイ!!!」

アップル●ォッチには、ナビゲーション機能が備わっていた。なんとも素晴らしい機能!神様、ありがとうございます。
フル充電で贈呈してくれたことに、とても感謝いたします。



アップル●ォッチを頼りに、運転すること20分。無事、目的地にたどり着いた。

「や、やっと、ついたー」

翼はぐったりだ。肉体的な疲労感だけでなく、心労もすごかった。車の助手席から降りると、思いっきり伸びをした。

「グラウスも、運転ありがとう。お疲れ様」

グラウスディルが運転席から降りてくる。

「ふむ。はじめがねぎらいの言葉とはな。散々な運転であったため、悪態をつかれるだろうと思っていたのだが」

「あ、散々な運転だったって認識はあるんだ」

「隣であれだけ叫ばれればな」

むむむっと、翼は肩を窄めた。確かに、少し騒ぎすぎたかもしれない。申し訳ない気持ちになる。
グラウスディルを責める気は毛頭ない。むしろ、グラウスディルの免許証がなければ、レンタカーだって借りれなかったわけだし。感謝しかない。初めての運転で公道を走れと言われているのだから、グラウスディルも澄ました顔の裏で焦っていたのかもしれないし。

「それにしても、この世界は随分と穏やかな運転技術なのだな。9回目の転生時に似たような乗り物を運転したが、このような運転ではやられていたぞ」

「初めてじゃなかった!!」

というか、グラウスディルは今までどんな世界で生きてきたのだろう。
再会してから、ほとんど表情筋動かないし。

「グラウスがいたのは、どんな世界だったの?」

疑問に思ったとほぼ同時に聞いてしまった。
グラウスディルは、少し右上へと視線を動かした。

「前の世界では、このような発達した技術はなかったな。建物も、このような構造ではなく、石を積み上げて造ったものが多かった。それで・・・いや、これ以上は余談だな」

そういいながら、グラウスディルはお試し滞在させてくれる住宅に近づいた。
住宅は、築50年ほどは建っている平屋だった。外壁の塗装は剥がれ落ち、緑色の苔や蔦が広がっている。
格安で住めるのだから、文句を言うつもりはないが、いささか不安である。耐震性とか。

「我からすれば、この家は、とても頑丈な建物だ」

「・・・そうかな」

このような住宅、日本では当たり前で、むしろ古くて嫌厭けんえんされる物件なはずなのに。グラウスディルは、とても有難そうにしている。
翼は、少しだけ自分を恥じた。
高い技術で守られて生活していたのだ。それが、有り難いことにも気づけないほど。

「いやいや、そう言っていただけますと、こちらとしても嬉しいですね」

建物の裏から、一人の中年男性が顔をだした。

「私、この建物の大家をしております、池本です。この度は、お試し滞在ありがとうございます。ぜひぜひ、日向市を堪能していただき、正式に移住していただけるよう、尽力してまいります」

池本は、そう言いながら住宅の鍵を開けた。
引き戸式の磨り硝子があしらわれた玄関扉をガラガラと開くと、電気をつけた。
電気に照らされた池本は、人当たりのいい笑顔を浮かべている。

「あ、あの、こちらこそ、よろしくお願いします」

翼が声をかけると、池本は軽く会釈する。

「若い方には、古すぎる物件ですが。まあ、簡単な物ですが、家財も置いてあります。自由に使ってください」

小さな小上がりの玄関から、靴を脱いで家にあがる。入るとすぐに台所。蛇口をひねるタイプのシンクに、二口のガスコンロがつけてある。冷蔵庫、電子レンジもある。
奥へ進むと、台所の左手にはトイレとお風呂場。独立洗面台はないが、トイレとお風呂場が分かれているのは嬉しい。電気も全部ついている。
さらには6畳の和室。畳は新しく、青草の匂いがした。四角いちゃぶ台が置いてあり、その上にはスポンジ、洗剤、トイレットペーパーなどの日用品が新品で揃えられていた。

「こんなにたくさん、ありがとうございます!」

助かった。無一文の中、どうやって生活を整えればいいのか心配だったのだ。

「いえいえ、皆さまに差し上げているものですから。炊飯器はありませんが、フライパンと鍋はシンクの下にありますので。まあまあとにかく、今日は、遠くからお疲れでしょ?」

池本は冷蔵庫を開け、中から白いビニール袋を取り出した。

「買ったものですが、お弁当とお茶もありますんでね。2日分ほどですが」

なんという、心遣い!感謝を述べようとした翼より先に、グラウスディルが池本の前で片膝をついた。

「池本!素晴らしい働きだ!この恩は、いずれ、必ず」

「いやいやいや、重いから止めなさい」

慌ててとめたが、片膝を付いたまま立ち上がろうとしない。恥ずかしい!
池本も困惑しているのか、自然と後ろに下がった。

「いえいえ、あの~、お気になさらず。本当、先ほども伝えましたが全員にお渡ししておりますので。あと、これが家の鍵ですね。紛失の際は別途費用がかかりますので失くされませんように」

池本は、鍵をグラウスディルに、渡した。片膝をついたまま、受け取ると、池本に深く頭を下げた。

「心に留めておこう」

「すみません、池本さん。夜分遅くに」

「かまわないですよ。私の家は、この建物の裏になるので。困った時は、声かけてください。平日の夜と土日はだいたい居ますので」

ではーーと言いながら、池本は靴を履き、家を後にした。翼は、何度も池本にお辞儀をした。
ガラガラと戸が閉まると、グラウスディルがようやく立ち上がった。
そして、息を吸う。

「よし、食事の時間だ」

それはそれは、とてもいい声で言う、グラウスディル。
そういえば、朝から何も食べていなかったと、翼は気づいた。
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