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コツコツコツコツ
間に合え間に合え間に合え……!!
コツコツコツコツ
肩にかけたトートバッグの中でタンブラーが踊っている。
駅ビルの電光掲示板に表示された時刻は0時までしか確認できない。
終電に滑り込めるか込めないか、その瀬戸際で自分の足と戦う私にはよそ見をしている暇はない。
コツコツコツコツ
昼間は渋滞する交差点、この時間になると終電ぎりぎり間に合わなかった客たちを待ち受けるハイエナのようなタクシーが列をなす以外、車の通行もない。
一定間隔で引かれる横断歩道の白線の向こうで、駅員が終電発車の呼び込みをしている。
目前で無常に信号の赤が点灯すると同時に、駅員も声掛けをやめた。
遠く聞こえる、電車が線路の上を滑り出す振動と、音。
タクシーのライトが獲物を狙うように、ぎらきらと私の足元を照らしていた。
27歳に猛ダッシュはきつすぎる。
膝に手を置いて息を整えてから、ベージュのトートバッグを開き、中から目当てのそれを取り出す。
最近変えたばかりの、真っ白な手帳型のスマホカバー。
中に収まるスマホを操作して、通話履歴から呼び出した携帯番号に発信すれば、5コール目で木島は電話を取った。
「木島? 飲みに行かない?」
◇◇◇◇◇◇◇
木島は高校の同級生で、男子の中では一番仲が良かった。
1年のとき同じクラスで風紀委員を押し付けられたのが話すきっかけで、ひょろりと背の高かった木島を、背の低かった私はめいっぱい見上げていた。
数学の点数で木島に負ければ、英語の点数では私が勝って、2年でクラスが離れても廊下ですれ違えば声を掛け合った。
3年でまた同じクラスになったとき、「あいつら付き合ってるんじゃね?」と心無い男子の一言で木島と話す機会は格段に減ったが、体育祭の借りもの競争で“柔道着”をひいてしまった私に、柔道部の友人から柔道着を調達してくれたのは結局木島だったりする。
だからといって、別の大学に進学すると互いにわかっていた卒業式でも、連絡先を交換するようなことはなかった。
再会は偶然で、社会人3年目の疲れ果て終電を逃した夜だった。
そのときは何もかもが上手くいっていなかった。
付き合い始めた彼氏が浮気性だと発覚し、一人で仕事を任されればミスをして、その指導も入社1年目と比べれば格段に容赦がなくなっていた。
毎日終電ぎりぎりの生活。
溜まっていく洗濯物、土曜日も出勤なんてザラで、出かける気力など欠片も残っていないなか、流れてくる友人たちの華やかな私生活の様子を映すタイムライン。
あぁ、馬鹿みたい。
終電を逃したくらいで、私はその場にしゃがみ込んで、めそめそ泣きだしてしまった。
そこに声をかけてきたのが、木島だった。
最初、ぎょっとしたのであろう木島は「大丈夫ですか?」と控えめに声を掛けてきたが、私がアイラインを滲ませながら顔を上げると「……瀬名?」と再会に目を見開いた。
そのまま飲みに行って、馬鹿みたいに互いの愚痴を並べた。
木島は高校時代より体つきががっしりしていて、スーツのネクタイを緩める姿はどこか色っぽくて、25歳の木島に至るまでの木島を知らない私は妙にどぎまぎしてしまった。
しかし、目を見て私の話に耳を傾ける木島は、やっぱり木島だった。飾り気がなくて、さらさらしている。
学生時代に話が及びはじめたあたりから記憶が曖昧で、次に自我を取り戻したときには木島に脱がされていた。
朝、ラブホテルのソファーに並んで座り、初めて互いの連絡先を交換し、少し気まずい雰囲気になったのは今でも鮮明に覚えている。
アルバムをめくるように木島との思い出を辿っていた私の前に、白のセダンが止まる。
中から手を伸ばして助手席のドアを開けた木島が笑った。
「また?」
「そう、また。終電逃しちゃった」
車内に乗り込むと、また芳香剤の匂いが変わっていた。
先月は柑橘系だったのに、今日はやけに甘ったるい匂いがする。
子供の頃好きだった、棒付きキャンディーのイチゴ味が口のなかに蘇った。
「この匂い、新しい女の趣味?」
「いや? 柑橘系が女の趣味。これは俺が好きなの。柑橘系とは別れたから気分転換」
木島はいつも女と長く続かない。
知る限り、もう4人は女が変わっている。
意外だった。木島はもっと誠実な人だと、私は勝手な印象を押し付けていたのかもしれない。
「で、飲みに行くの? 家送るよ?」
シートベルトを締めた私を確認するように顔だけ向ける木島に、私は首を振った。
駅ビルの電光掲示板は0時48分を示している。
「今日は、飲みたい気分。いい?」
「いいよ」
夜のオフィス街を、静かにセダンが走り出した。
◇◇◇◇◇◇◇
居酒屋なかだるみは、私と木島の行きつけで、よく冷えた枝豆がお通しで出されるくせにおしぼりが妙に生ぬるいちぐはぐな大衆居酒屋である。
半分ほど埋まった席はほろ酔いのサラリーマンが多く、メニューも客のニーズに合わせたオヤジの聖地。その奥まったテーブル席で、私は2杯目のジョッキを空けた。
おかわりを求めて私は空のジョッキを掲げる。
「お兄さーん、おかわり!」
「はいよ!」
威勢よく答える店員の声に持ち上げたジョッキをテーブルに置くと、木島が恨めしそうに私を見る。
「ちょっとは俺に気遣おうな?」
「木島も飲めばいいよ」
「飲酒運転、ダメ絶対」
何の標語なの、とツッコミを入れようとした私の前に、ややチャラそうな茶髪の店員がジョッキを置いた。
「お兄さん、ごめん、ビールもう一杯追加で」
「はいよ!」
チャラ店員は愛想よく応じて小走りにのれんの向こうの厨房に去って行く。
テーブルの上に置かれたジョッキをぐい、と木島の前に押してやると、木島も氷で薄まったウーロン茶の残る細いグラスを脇に避ける。
「木島も飲んで」
「お待たせしましたー!」
チャラ店員が戻ってくると、再び私の前にキンキンに冷えたジョッキが置かれる。
店員に「ありがと」と微笑みかけてから、私は目の前のジョッキを木島のジョッキに押し当てる。
「かんぱーい」
木島は黙っていたが、私が構わずビールを流し込むと、意を決したように彼も冷えたジョッキに口をつけた。
間に合え間に合え間に合え……!!
コツコツコツコツ
肩にかけたトートバッグの中でタンブラーが踊っている。
駅ビルの電光掲示板に表示された時刻は0時までしか確認できない。
終電に滑り込めるか込めないか、その瀬戸際で自分の足と戦う私にはよそ見をしている暇はない。
コツコツコツコツ
昼間は渋滞する交差点、この時間になると終電ぎりぎり間に合わなかった客たちを待ち受けるハイエナのようなタクシーが列をなす以外、車の通行もない。
一定間隔で引かれる横断歩道の白線の向こうで、駅員が終電発車の呼び込みをしている。
目前で無常に信号の赤が点灯すると同時に、駅員も声掛けをやめた。
遠く聞こえる、電車が線路の上を滑り出す振動と、音。
タクシーのライトが獲物を狙うように、ぎらきらと私の足元を照らしていた。
27歳に猛ダッシュはきつすぎる。
膝に手を置いて息を整えてから、ベージュのトートバッグを開き、中から目当てのそれを取り出す。
最近変えたばかりの、真っ白な手帳型のスマホカバー。
中に収まるスマホを操作して、通話履歴から呼び出した携帯番号に発信すれば、5コール目で木島は電話を取った。
「木島? 飲みに行かない?」
◇◇◇◇◇◇◇
木島は高校の同級生で、男子の中では一番仲が良かった。
1年のとき同じクラスで風紀委員を押し付けられたのが話すきっかけで、ひょろりと背の高かった木島を、背の低かった私はめいっぱい見上げていた。
数学の点数で木島に負ければ、英語の点数では私が勝って、2年でクラスが離れても廊下ですれ違えば声を掛け合った。
3年でまた同じクラスになったとき、「あいつら付き合ってるんじゃね?」と心無い男子の一言で木島と話す機会は格段に減ったが、体育祭の借りもの競争で“柔道着”をひいてしまった私に、柔道部の友人から柔道着を調達してくれたのは結局木島だったりする。
だからといって、別の大学に進学すると互いにわかっていた卒業式でも、連絡先を交換するようなことはなかった。
再会は偶然で、社会人3年目の疲れ果て終電を逃した夜だった。
そのときは何もかもが上手くいっていなかった。
付き合い始めた彼氏が浮気性だと発覚し、一人で仕事を任されればミスをして、その指導も入社1年目と比べれば格段に容赦がなくなっていた。
毎日終電ぎりぎりの生活。
溜まっていく洗濯物、土曜日も出勤なんてザラで、出かける気力など欠片も残っていないなか、流れてくる友人たちの華やかな私生活の様子を映すタイムライン。
あぁ、馬鹿みたい。
終電を逃したくらいで、私はその場にしゃがみ込んで、めそめそ泣きだしてしまった。
そこに声をかけてきたのが、木島だった。
最初、ぎょっとしたのであろう木島は「大丈夫ですか?」と控えめに声を掛けてきたが、私がアイラインを滲ませながら顔を上げると「……瀬名?」と再会に目を見開いた。
そのまま飲みに行って、馬鹿みたいに互いの愚痴を並べた。
木島は高校時代より体つきががっしりしていて、スーツのネクタイを緩める姿はどこか色っぽくて、25歳の木島に至るまでの木島を知らない私は妙にどぎまぎしてしまった。
しかし、目を見て私の話に耳を傾ける木島は、やっぱり木島だった。飾り気がなくて、さらさらしている。
学生時代に話が及びはじめたあたりから記憶が曖昧で、次に自我を取り戻したときには木島に脱がされていた。
朝、ラブホテルのソファーに並んで座り、初めて互いの連絡先を交換し、少し気まずい雰囲気になったのは今でも鮮明に覚えている。
アルバムをめくるように木島との思い出を辿っていた私の前に、白のセダンが止まる。
中から手を伸ばして助手席のドアを開けた木島が笑った。
「また?」
「そう、また。終電逃しちゃった」
車内に乗り込むと、また芳香剤の匂いが変わっていた。
先月は柑橘系だったのに、今日はやけに甘ったるい匂いがする。
子供の頃好きだった、棒付きキャンディーのイチゴ味が口のなかに蘇った。
「この匂い、新しい女の趣味?」
「いや? 柑橘系が女の趣味。これは俺が好きなの。柑橘系とは別れたから気分転換」
木島はいつも女と長く続かない。
知る限り、もう4人は女が変わっている。
意外だった。木島はもっと誠実な人だと、私は勝手な印象を押し付けていたのかもしれない。
「で、飲みに行くの? 家送るよ?」
シートベルトを締めた私を確認するように顔だけ向ける木島に、私は首を振った。
駅ビルの電光掲示板は0時48分を示している。
「今日は、飲みたい気分。いい?」
「いいよ」
夜のオフィス街を、静かにセダンが走り出した。
◇◇◇◇◇◇◇
居酒屋なかだるみは、私と木島の行きつけで、よく冷えた枝豆がお通しで出されるくせにおしぼりが妙に生ぬるいちぐはぐな大衆居酒屋である。
半分ほど埋まった席はほろ酔いのサラリーマンが多く、メニューも客のニーズに合わせたオヤジの聖地。その奥まったテーブル席で、私は2杯目のジョッキを空けた。
おかわりを求めて私は空のジョッキを掲げる。
「お兄さーん、おかわり!」
「はいよ!」
威勢よく答える店員の声に持ち上げたジョッキをテーブルに置くと、木島が恨めしそうに私を見る。
「ちょっとは俺に気遣おうな?」
「木島も飲めばいいよ」
「飲酒運転、ダメ絶対」
何の標語なの、とツッコミを入れようとした私の前に、ややチャラそうな茶髪の店員がジョッキを置いた。
「お兄さん、ごめん、ビールもう一杯追加で」
「はいよ!」
チャラ店員は愛想よく応じて小走りにのれんの向こうの厨房に去って行く。
テーブルの上に置かれたジョッキをぐい、と木島の前に押してやると、木島も氷で薄まったウーロン茶の残る細いグラスを脇に避ける。
「木島も飲んで」
「お待たせしましたー!」
チャラ店員が戻ってくると、再び私の前にキンキンに冷えたジョッキが置かれる。
店員に「ありがと」と微笑みかけてから、私は目の前のジョッキを木島のジョッキに押し当てる。
「かんぱーい」
木島は黙っていたが、私が構わずビールを流し込むと、意を決したように彼も冷えたジョッキに口をつけた。
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