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3.孤島

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 部長の家が所有している孤島には、船着場からずいぶん坂を上った先に大きな屋敷がポツンとある。今回はスマートフォンでの撮影とはいえライトやガンマイクに編集用のパソコンなど、荷物の多い映研だ。主な大荷物はマッチョの安来先輩が持ってくれたけれど、俺も宇都木もまあまあな荷物を持たされて、女性陣といえどもそれぞれ個人の荷物をキャリーバックなどで引っ張って、暑い中汗をかきながら坂の頂上にある屋敷に辿り着いた時には、皆ヘトヘトで玄関前の地べたに座り込む者もいるくらいだった。

「皆、だらしがないわよ! 今日から早速撮影を始めるんだから、気合を入れなさい!!」
「いや部長……部長はだって安来先輩に荷物を、」
「市原、何か言った?」
「いや、はあ、別に良いです」

 俺が言った通り、安来先輩に荷物を持ってもらってひとり軽々歩いていた上品ながらスポーティーな格好の部長が屋敷のベルを鳴らすと、住み込みらしい執事さんとメイドさんが扉を開けて部長を迎えた。『お帰りなさいませ、お嬢様』『おまちしておりました、お嬢様』。機械のように無表情に一礼する執事さんとメイドさんに部長は『久しぶりね』と挨拶をしてから皆を振り返って、

「さあ入って。まずはそれぞれの部屋で荷物を片付けて、今日の流れを整理しましょう」

「「「はぁい」」」

 みんなの気の抜けた返事に部長は口をへの字に曲げたが、それ以上を言及することはせずにさっさと先に屋敷内のロビーへと入っていってしまった。俺もそれを追おうと任されているまあまあな荷物を背に担いで、腰を上げた所で響ちゃんに声をかけられた。

「市原さん、凄い汗。大丈夫ですか? 少しわたし、手伝えたら、」
「あはは、大丈夫だよ。それに、大事な主演女優に力仕事なんかさせられないし」
「でも、本当に汗だく……あっ、ちょっと待ってくださいね」

 響ちゃんはその美女眉を上げて、手荷物の中からハンカチタオルを取り出しては、そのままそれで俺の額を拭ってくれる。にこっと花のような笑顔。

「はいっ。目に汗が入ったらいけないですから、これだけでも」
「あ、ありがとう」

 なんだこの、特別扱い。むずむずしてしまって気恥ずかしくて、俺は思わず同じく近くで汗をかいている宇都木の顔色を伺ってしまった。幸い宇都木はこちらを気にもせず、他の女性陣に誑しに『大丈夫?』と声をかけている最中であった。

「市原ぁ! 何してるのよ、さっさとしなさい!!」

 しかし、響ちゃんと俺が何やらモジモジしあっているのに気が付いた部長に、何故か俺だけが怒鳴られて急かされてしまったから、チラッと響ちゃんを一瞥して俺も、さっさと屋敷に荷物を運びこむことをする。

***

 部屋割りはこうだ。部長と響ちゃんが二人部屋。俺と安来先輩も二人部屋で、何故か宇都木だけ(部屋数の関係らしいが)一人部屋。カメラマンと大道具小道具の二年生二人が三人部屋と、美術関係の女の子たちが二人部屋。先ほども言ったが合計十名の大所帯で、皆がそれぞれ宛がわれた部屋に入ると俺は必然的に安来先輩と部屋で二人になる。

「市原お前、寝つきは良い方か?」
「えっ? まあ普通です」
「はっはっは! 実は俺、いびきが結構うるさいらしくてな!! 迷惑をかけたらすまん」
「いびきくらいは平気ですよ。気にしないでください」
「おう、相変わらずお前は気の良いやつだな!!」

 そうして先輩に背中を叩かれて(少し痛い)、荷物を片付けてから今日使う撮影道具だけを持ち出して、俺含めた部員たちは再びロビーに集合している。

「響ちゃんと宇都木くんにはもう説明してあるけれど、取りあえずは二人の出会いのシーンから撮り始めるわ。スタッフ、準備して配置について!」
「「「はいっ」」」

 そういうわけで響ちゃんは別室でメイクと着替えをしに離脱して、宇都木も軽いメイクをもう一人の三年生のメイクさんに立ったままやってもらっては、俺は機材の準備やカメラの位置を確認したりして、二十分もしないうちに、響ちゃんの準備が終わった。

 今回の部長の脚本内容はこうだ。

 ひょんなことからある夏休み、この孤島に同級生たちと旅に来た大学生の宇都木青年が、屋敷の管理人である謎の美女、響ちゃんと出会う。他二名の宇都木の友人(大道具小道具さんふたり)とこの孤島に三泊する予定の宇都木はここで、この孤島に噂される不思議な伝説を聞く。即ちそれは、管理人が実のところ魔女であるという噂である。日本文化になじみのない『魔女』という言葉を最初、笑い飛ばしていた宇都木青年だが、孤島で過ごすうち、他二人が翌日には体調不良で寝込んでしまい、三日間のほとんどを美女と宇都木は二人で生活することになる。二人きりで過ごすうち、管理人の美しさもあり流れでの情事もあり、宇都木は管理人に夢中になって、帰りの船が迎えに来た際に美女に『一緒に本島に行こう』と誘う。管理人は戸惑うが、管理人も宇都木にその気がある素振りで恥じらってそれを承諾し、本島での二人の生活が始まる。日本の東京で暮らすうち、美女は日に日に弱っていき、いつしか宇都木の部屋に篭りっきりになって『帰りたい』『あの場所に帰りたい』と泣いて過ごすようになってしまう。それでも美女を手放したくない青年は彼女を部屋に閉じ込めることをして、そんなある日部屋から裸足で抜け出した美女が、港に立ちつくす。

『私は海の魔女なの。広い海で一人きり、過ごすことが私の運命(さだめ)だった』

 美女を探して追いついた青年が、最後に見たのは港から夜の海に消えていく、彼女の美しい濡れ羽色の髪の毛であった。彼女がそのまま海の藻屑となったのか、あの孤島に帰っていったのかはもう、誰にもわからない。取り残された青年も、時を経ては美女との記憶を忘れていってしまう。と、そういう話。

 タイトルは『魔女との季節』。部長のお嬢様にしてはじめっとした、しかし俺にはいつもの部長らしい大人の恋愛サスペンスである。

 俺が部長から配られた脚本の内容を思っているところ。いつもどこか憂いのある響ちゃんだけど、より憂いのある黒いワンピース姿になった響ちゃんにスタッフたちが『おお』と沸く。俺は自分の仕事(撮影用のパソコンのセット)を再開して準備を完了させて、そうして宇都木と響ちゃんの、出会いのシーン撮りが始まった。

「いらっしゃいませ、お客様方」
「っ、こんにちは。予約していた宇都木ですが」
「電話で伺っておりますわ。どうぞ、寂しい島ですがゆっくりなさっていってくださいませ」

 演技なんかしたこともない。響ちゃんはそう言っていたが、彼女の雰囲気はまるで本当の『魔女』で、撮影中部長もスタッフも息を飲むくらいだった。一方の宇都木はまあ普通に演技ができる程度で、もちろん別に期待していなかったから俺には『ふーん』程度だったけれど、奴の甘いマスクは女子部員に好評で、部長も『響ちゃん、サイコーよ!』『宇都木君も、イイ感じね』と二人を同等に褒めていた。
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