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第二章 その魂、奮い立つ
第66話 災難越えて
しおりを挟む……長いこと沈んでいた気がする。
身体中を蝕む鋭痛は、もう感じない。痛覚の代わりに得ていたものは、苦しみが嘘と思える日常の空気だ。
「――――え?」
目の前に、肉球が二つ。
無意識の真っ暗闇から戻ってきたら、ぼんやりとした世界にそれがある。
そして、肉球が落ちてきて……目玉にヒィーット!
「あだぁ――っ!?」
ああっ! 目がっ! 目がああああぁぁぁぁ――っ!!
「キュキュ、キュッ」
明るい世界が真っ暗闇へ逆戻り。今度はぷにぷにの感触を添えて。
圧迫する肉球はレトのもの。ほど良い柔らかさが目玉をグリグリとこねくり回す。主人とペットの主従関係が脅かされつつある。
この畜生めぇ! 人を面白く弄り倒しやがってぇ……!
お前が来てくれた時は有難かったのによぉ! なのに起きた途端に……雰囲気台無しじゃねえか!
くっ……やめっ、やめろおぉ――っ!!
「このっ! そぉーいっ!」
「キューイ!?」
身体を掴んで、窓の外へぽーんと放り投げてやる。レトは空中を舞い、茂みの中へ墜落した。
イタズラ好きめ。外で散歩してくるんだな……。
「ああっ、レトさんがっ!」
一息つくと、慌てる声が一つ。
家に入ってきたばかりのテレサが窓に駆け寄り、レトの消えた方を見やる。
「なんてことを……ひどいじゃないですか。レトさんのおかげで帰れたのに」
「散歩に行かせてやっただけさ。大丈夫だって。いつもの調子で戻ってくるから」
「は、はあ。でも……良かったです。シンジさんがお元気で」
と喜ぶテレサ。そんな彼女を見て、現況を再認識した。
ああ、そうか。戻ってこれたんだ。
此処はテレサの家。あの洞窟から無事に帰れたんだ。
シュヴェルタルがいなくなった後、俺はミリアムをモンスターから守り、ココルへ戻った。
包帯に包まれた肉体は、深い損傷を負った事実を教えてくれる確たる証拠。
もう痛みは引いてる。包帯を少し外すと、ズタズタだったはずの部分が元の状態に治っていた。
安心したところで、助けたはずの人間が居ないことに気付く。
ミリアム。テレサの家の何処を見ても姿形すら無い。此処には居ないのか?
「ミリアムは? あいつは何処に居るんだ?」
「診療所で治療を受けていますけど……まだ安心できる容態ではありません……」
「そっか……」
「遠くからお医者さんを呼べば希望はありますが……」
いつ死んでもおかしくない状態、ということか。
不謹慎かもしれんが納得してしまう。あいつはシュヴェルタルに斬られたり刺されたりした。生きてる方が奇跡なもんだ。
必死こいてココルまで運んだが……望みは薄いか……。
「シンジさんもひどい怪我だったんですよ。いったい何があったんですか?」
「モンスターに……シュヴェルタルに襲われたんだ」
「そんな……」
「あの姿は間違いない。それで……俺もミリアムも……」
非常に恐ろしい敵だった……。
重い一撃を生み出す長剣を振り回し、大振りかつ巧妙に、モンスターの荒々しさを感じない攻勢に叩きのめされた。
なに一つ太刀打ちできなかった。
できたことと言えば、ミリアムの命を守るだけ。
あれが高難度のクエストの討伐対象か。なるほど、今まで討たれなかったのも頷ける。
敵わなくて諦めた者、返り討ちに遭い死んだ者、そして不幸にも遭遇し殺された者も何人か出たはずだ。
いないはずの場所に現れたから戦うしかなかったが、どうにも敵わん。俺とミリアムだけでは当然倒せる相手ではなかった。
次はテレサ達も連れて上手いこと攻略していかないと。
「嘘なのに……本当に遭遇するとは驚いたなあ」
「どういうことです? 嘘とは何ですか?」
「実を言うとな……ミリアムは泥棒なんだ」
「えぇ……!?」
「油断を突いて金とか奪おうとしたんだよ。まあそれは失敗したんだけどさ……」
シュヴェルタルに会う前の、ミリアムとの出来事を打ち明ける。
偽の情報で釣って、誰にも目撃されない場所で始末して、金品を奪おうとした。
しかし、よりにもよってシュヴェルタルに阻止された。なんとも皮肉な話だ。
他人を罠に嵌めて金品を奪い、あとはモンスターに襲われたと見せかける。なんて狡猾な行為か。
誰にも犯行はバレないし、目撃者がいなければほぼ完全犯罪になる。
嘆かわしいことに、そういうのは珍しい話じゃなさそうだ。
討伐者は誰もが善人とは限らない。脅威を取り除く貴重な戦力だが、条件を果たせば誰でもなれるが故に質の幅が大きい。
一般市民の為モンスターの脅威を排除する者もいれば、日銭を稼ぎ飢えを凌ぐことしか考えない者もいる。千差万別の事情を抱えて討伐者達は今日も稼業を続けている。
その中には……ミリアムのような、討伐の傍らで盗取を繰り返す――どっちが本業かは分からんが――奴も存在するはず。犯罪者や素行の悪い輩も容易になれてしまうのが難点だ。
……ま、大陸各地に出現するモンスターに対抗するには、そういう所に多少目を瞑るしかないだろうが……。
今でも裏切られた瞬間は衝撃的だった。
あいつは金を得るカモとしか見ていなかった。金が欲しくて、手っ取り早く手に入れようと目をつけたんだ。
「シンジさんから物を奪おうとするなんて……でも、どうしてそんな目に遭っておきながら助けようとしたのですか?」
「そりゃあ……」
あんな風に……生きたいって欲求を見せられちゃあな。
もう助けるしかねえだろ。
「心ってもんが訴えたのさ。『助けてやりてえ』って」
「…………」
「だから……バカだなあ俺。自分を騙した奴なんか助けてさ」
あはは、と笑い話で終わらせようとしたが、それに釣られるテレサではなかった。
「そうは思いませんよ。あれだけ傷付いた姿になってまで助けたのですから」
あ……そう言えばココルに戻った時、一度会ったな?
つまり、あの時の俺を見たのか。それはもうキツい姿を見ただろうに。
何を思いついたかテレサは棚に向かい、そこから何かを取り出そうとする。
すぐに戻ってきた彼女の手には、金の入った袋があった。
「あの、これ……」
取ってきた理由を、テレサはすぐに明かした。
「このお金……ミリアムさんの治療に使いませんか?」
「え!? そんな……本気かよ?」
「まだ許せませんですけど、シンジさんが救った命ですから」
「ダメだって。せっかく貯めてきたのに今使ったら、お前は……!」
「私のことよりミリアムさんの命が優先です。大丈夫ですよ、私が死ぬのではありませんから」
そのとおりだが……それはロザリーヌに渡す金だ。
カルドが狩り尽くしたおかげで、自分達では成し得ない金額が貯まっている。
ここで使えば水の泡。わざわざ手放そうとするのだから、止めたくもなる。
「ダメ、でしょうか……?」
「……わかった。それ使って医者を呼ぶか」
断りたかったが、意思を曲げられなかった。
助けてあげましょう、と訴える目が強かったからだ。
ミリアムの行為は許せるものじゃないが、死にゆく者を見殺しにしたくないんだろうな。
誰かの……終わりを迎えた命を見届けてきたから。
「じゃ、すぐにでも出掛けるか。準備するよ」
あれでも、あんな事をされても一応は仲間だった。
まあミリアムは命を取り留めたとしても、なんら思わなくてまた窃盗を繰り返すかもしれない。そうだとしたら、金輪際関わらないでほしくはある。
でも、万が一にでもミリアムが改心してくれたのなら、その時は……。
「あっ、忘れていました。シンジさんが起きた時に元気が出るものを用意したんです」
「お、本当か? まだ食べてないから助かったよ。で、何をくれるんだ?」
「コンシール、です!」
いや、もういいって。
その劇物はもういいよ……。
「……げっ」
「お、おやおや? その姿はどうしたんですの?」
外へ出ると、お嬢様が華麗に再登場。
まだ包帯の残っている姿を一目見て、何故か口端を引きつらせながらも「無様」とクスクス笑っている。
またお前か。しつこいな。輝くような美顔もうんざりする。
昨日あんな事があったのに懲りずに来るなあ。
「フィオーレさん……」
「ご、ごきげんよう。テレーゼ。それと……えー、ミナモテンス」
「皆本進児な」
お嬢様は本日も名前を覚えてくれない。
「可哀相なお姿ですこと。転んだんですの?」
「そう見えるか? モンスターに襲われたんだよ。それもかなりな」
「まあ。そ、それはご愁傷さま。おほ、おほほっ……」
腹立つのは相変わらずだが……どうしたんだ? この前より歯切れが悪い。上品で傲慢で憎たらしい笑い方も少し引きつってるし。
「で? 俺達に用か?」
「い、いえ……そ、そうですっ。テレーゼのお顔を拝見しに来たのですっ。おほほ……」
「はあ?」
本当にそれだけか? それに……さっきから何か様子が変なんだよな。
ま、仕方ないか。あんなショッキングな目に遭えば変にもなるか。
「何しに来たんだか……用が無いんならもう行くぞ」
「今からお出かけですの?」
「まあな。怪我人治して医者呼ぶんだよ。この金でな」
「あらあら? それはそれは……御大層な心掛けですわね。ソール様が喜びましょうが、いいんですの?」
「いいんだよ。お前の件は後回しだ」
「申し訳ありませんが、これで失礼します」
あまり時間を掛けたくないし、お嬢様との立ち話は気分が良くない。
さっさと立ち去っていくも、笑い声が背中に浴びせられる。
「哀れですこと! もうすぐでテレーゼが……」
苛つくが、今はミリアムの命が優先だ。ロザリーヌの相手などしてられん。
早く診療所に行かなきゃだ。
「キュッ!」
「ひあぁっ⁉」
そんな時、カサカサと茂みをかき分ける音とレトの鳴き声、そしてロザリーヌの悲鳴が。
何が起こったのか見てみると……レトがロザリーヌの足元に駆け寄り、ぐるぐると周回していた。
「レトさ……シンジさん?」
ロザリーヌのところへ行こうとするテレサを制止。「行くな」とジェスチャーで伝える。
関係あると発覚すれば面倒事になるからな。赤の他人のフリをしておこう。
「な、なんですの、この野良犬は……ひっ!」
ロザリーヌの周囲を走り回るレト。そして、あろうことか……彼女のドレススカートの中に忍び込んでいった。
「な、中に! 中に入ってますわ! 早く離れなっ、ひゃん! くくくすぐったいですわぁ~‼」
もぞもぞと暴れまわる淫獣。スカートの中が遊び場と化している。
抵抗するロザリーヌだが、レトの暴走を止められなかった。
なんとぉ……羨ましけしからんっ。
俺もその領域に入りたいっ。グッドスメル香るだろうし。
「どこに触れていますの!? あひっ! そこは……んぅっ!」
「おお……」
あの高慢な令嬢が、びくびく痙攣させて良い声で喘いでいますなあ。
いいぞお、レト。そのまま縦横無尽に暴れてしまえっ!
「キュキュッ」
「きゃあっ!」
中で駆け回りまくったレトがドレススカートから飛び出し、裾がぶわっと盛大に舞い上がった。
(赤……!)
ドレススカートの中が一瞬見えてしまった。
鮮血のように赤く、扇情的なデザインの布切れがあったのを、動体視力が捉えていた。
これは凄い……きわどい物を穿いてんな。
性格はアレでも流石お嬢様。お召し物も派手でらっしゃる。誰に見せるはずもないのに、誇示せんとばかりのデザインだ。
ナイスだ、レト。よくやってくれた。
そして、ロザリーヌお嬢様もありがとう。眼福だったぜ。
「あの破廉恥な野良犬を捕らえて始末なさい!」
捕まえろとは言うものの、メイド達では俊敏な生き物を捕らえられない。
すばしっこく回避し、レトは何処かへ逃げ去っていった。
「ぐぬぬ……あっ。そ、それではごきげんようっ」
恥ずかしい有様を見せてしまった事にロザリーヌは顔を赤く染め、そそくさと退散していった。
はー、癒された。あいつ、あんなアダルティなものを身に着けるのか。
おかげで精神が回復した。後でレトにご馳走をあげようかな。
「シンジさん、ちょーっと伺いたいことがあるんですけど……」
「あっ!」
命の危険。背後の殺意から逃げようとして、がしっ、と肩をしっかり掴まれる。
急にこのような行動に出た理由は簡単。テレサも目撃したからだ。
「何処へ行くんですか? 診療所はそっちじゃないですよ?」
「い、いやぁー。レトを捜しに行こうと……」
「ダメですよ? レトさんは散歩中なんです」
「それでも心配だから……くっ……!」
「いけませんよ、離れちゃ」
い、痛いっ。逃げられん……!
少女の華奢な手でありながらも「ニガシマセンヨ」という意志が込められているのか、肩がバキバキに壊れそうなくらい握力が強かった。
「ミリアムさんの用件を済ませたら、お話ししたい事があるので、それまでに良い子にしてください……ねっっっ?」
やけに強調される語尾。意味は聞きとうございませぬ。
「うーふーふーふー♪」
「あ、あぁー……」
笑顔がとってもとっても怖ぁーいテレサからは逃げられず、そのまま連行されていく。
用件を済ませた後は宣言通り、尋問と説教が始まった……。
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