遠い島の子

あつあげ

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フジミ 3

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 その夜はまた雨が降った。本土よりずっと低緯度にあるこの島では、春が来たかと思えばもうこんな、空が暑さにしびれを切らしたような雨が襲来する。だが家の修繕はあらかじめしてあったので、僕は民宿のサンルームだったところで自分の育てたヤコウタケを観察していた。ようやく、原種とは違う、淡いピンク色に光るものを作ることに成功したのだ。この性質を落ち着かせることができれば、園芸用として商品化できる可能性もある。実際に僕はそうしていくつも新品種を登録している。
 あたりを包み込む光の色は、僕たちの島に咲く月桃の花に似ていた。そうだ、いっそ本物の月桃の色にもっと近付けてみようか。そう思って僕が顔を上げた、その時。
 濡れた窓ガラスの向こうに、人らしき影が見えた。僕はもちろん、自分の職務の一つを忘れなかった。現在一般人の立ち入りが禁止されている島で、人を見かけたらそれは漂流した遭難者か、外国からの不法入国者か。特に後者は大事だから、すぐに海上保安庁に来てもらわなければならない。僕は相手の姿を確かめようと、雨粒で曇る窓を、相手を刺激しないようそっと開けた。同時に向こうもこちらを見た。
 僕の耳についている温度センサーを使えば、相手の体温を感知して人間かどうか確かめるなんて朝飯前だったはずだ。なのにそうしなかったのは。
「モモカ?」
 僕は思わず声を上げてしまった。微かに青みがかった目、少し明るい色の髪、すらりと高い背。島にかつて入植した欧米人を先祖に持つという彼女の姿が、人工眼の暗視機能を使わなくとも、ピンク色の光ではっきりと浮かび上がって見えた。知覚メモリではなく頚椎のチップそのものに保存した数少ない記憶にある姿から、まるで変わっていない。呆気にとられた隙に雨粒がどんどん室内に吹き込んでくるのに、僕はどうするべきか判断がつかなかった。まったく珍しいことだ。
「フジミ君…フジミ君でしょ?」
 懐かしい声。しかも雨が降っているのに、それはまったくかき消されることはなく、直接知覚の中に響いてくる。それで僕は、これが生身の人間ではないと判断した。遭難者や不法入国者である可能性が排除されたので、僕は警戒を解いた。
「モモカ、君こそどうしてここに?」
 モモカはしばらく黙り込んだ。雨粒がその体の上を伝っていく。だがよく見ると不思議なことに、体も服もまったく濡れてはいないし、雨の中にいることを気にしている様子もない。服装も奇妙だ。着ているジャンパーは紫外線吸収繊維や空調繊維が現れるより前の時代の生地だし、その下にはヤブだらけになった無人の島ではすぐにケガをしてしまいそうな、ひざ上丈の短いスカートを履いている。
「わかった、本物の君はもう死んでいて、幽霊として現れたんだな。この建物が懐かしくなったんだろう?」
 僕が冗談めかしてそう言うと、モモカもフフと笑った。
「まあそんなものよ。それにしても、科学の力で生き永らえている人が、幽霊を信じているなんてね。」
「今は『死者の尊厳法』があるだろう?人的及び物的被害が予見できない限り、幽霊を信じる権利は誰にでも保証される。幽霊とは死者を想う気持ちの、自然な現れなんだよ。」
 またパラパラと雨粒が吹き込んできたが、僕はもう気にならず、ただ、一分でも一秒でも長く、モモカと話していたかった。
「ああ、そうだった。私たちが子供の頃は、科学が進めば幽霊なんて誰も信じなくなるって思ってたけど、科学じゃどうにもならないことが多すぎて、世の中は結局非科学的な感情論に戻っていったんだっけ。」
「そういう僕も、そんな世の中に生かされてる身だけどね。」
 僕は笑い、今まで702回も交換した自分の顔を撫でた。僕は第一首都のプロジェクトによって、この島に残された機械人間だ。不法入国者が来ないよう見張るとか、得られるデータが様々な分野の技術に応用できるとか、もっともらしい理由は用意されたものの、結局人々がほしがったのは自分たちに代わってこの島にい続ける「島の守り神」。最先端の技術を使って結局生み出したのが神様だったなんて、人間とは不思議な生き物だ。
「あなたの本名は『藤未知彦ふじみちひこ』だったから、私たちは『フジミ』ってあだ名をつけたよね。」
「うん。だけどそれから治らない方の『不治身』になった。」
「今は死なない方の『不死身』なんだね…」
「実に皮肉な名前だ。」
 僕は少し考え、
「モモカ、よければまた現れてくれないかな。」
 雨の中、モモカが僕のいる窓に向かって身を乗り出し、微笑むのが見えた。「お願いなんてしなくても、私、フジミ君が思い出してくれればいつでも目を覚ますことができるよ。」
 モモカは言い終えるとゆっくりと瞬きをし、その動きに合わせて静かに消えてしまった。あとには、ヤコウタケの光に照らされ激しく降る雨だけが残された。
 僕は窓を閉め、びしょ濡れになった床を黙々と雑巾で拭いた。こんな時生身の体なら何らかの反応が起きるのだろうが、効率性を追求した機械の体にそのようなものはない。ただそれを寂しいと思う気持ちが、自分にまだあったことに驚いていた。
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