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二章〜(三)
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◆
「こんにちは、玲子さん!」
元気な小学三年生…基希は舞い上がっていた。
「こんにちは。あっちでジュリオくんのリボン、付けましょうか」
玲子は川の横にある階段を指さした。
橋を渡る手前、少し歩いた所に川辺へと続く階段があり、そのすぐ横には腰掛石がある。
ロミが疲れて歩かなくなってしまった時によく休ませてもらっている場所だ。
後ろには桜並木もあり、お花見シーズンにはご近所さんで賑わう憩いの場。
こんな近場に美しい川のせせらぎを聞きながら、お花見まで堪能できるのは欣幸の至りだ。
見慣れた景色だが、いつ見ても癒やされる玲子のとっておきの場所……
まさか愛する基希と来られる日がくるとは、そこまで考えていなかった。
ただただ会いたくてそればかりを願っていたが、会えたらどうしたい、どこへ行きたい、など考えが及ばず…今に至る。
今世での目標は基希と添い遂げる事。
加えて思ったのが、二人で人生を謳歌する事。
基希を愛した記憶があるのは嬉しいが、辛く苦しい記憶もある…これはなかなかにしんどかった。
時折夢で魘されることもあり、首を切られた瞬間の感覚は、痛みこそないものの思わず自分の首が繋がっているか確認するほどリアルに感じる。
前世の記憶がないのは、神様からの最初のギフトなのかもしれない。
でも玲子には記憶がある…それはギフトがないから?否、神様はちゃんと基希と出会わせてくれた!
これは立派なギフトと言えるだろう。
でも神様は出会わせてはくれても、基希の心までも与えてくれるわけではない。
チャンスはもらえた!
あとは玲子を愛してもらうだけなのだが、これが一番難しい気がする……
ー考えてなかったわ……
前世で愛してもらえたからといって、今世でも同じように愛してもらえるとは限らないのだ。
飛んだ誤算に頭を悩ます。
まずは玲子を外面的にも内面的にも見てもらわなくては始まらない。
自分だけに囁かれる甘い言葉を基希の口から聞きたい……
出会えうまでは会えないもどかしさに悩み、出会えたら今度は愛されたくて悩む…。
このままでは埒が明かない。
悩み事も人生のスパイス…と考えれば、少しは前向きにもなれる。
だいたい悩み事の答えというのはすでにでていることが多い。
それに玲子の悩みなど、広い宇宙からしたらミジンコのようなものだろう。
気にしたら負けだ!
悩むより愛される努力をしよう!
ゴチャゴチャと考えるよりも、今あるチャンスを活かそうと思う。
「あの…どうかした?何か悩み事?」
無言で歩く玲子を不自然に思ったのか、基希が不安気な顔を覗かせた。
つまらない事を考えている間ずっと基希を一人にしていたことに気づく。
「いえ、悩んではいますけど、大したことじゃないんです…すみません……」
言えるわけがない!
あなたに愛されたいんです!などと…
せっかく二人の時間なのだ。
有意義に過ごさなくてはもったいない。
それぞれに愛犬を従えて並んでいると、またこうして出会えた事が当たり前ではないと実感する。
「俺で良かったら聞かせてよ。玲子さんを悩ませるものが何なのか知りたいんだ」
そう言ってもらえるだけですでに両想いになった気分になれるのだから、悩みの半分は解決したも同然だ。
愛する人が自分を心配し、気にかけ、知りたいと言ってくれる。
その言葉に嘘はなく、なんら疚しさも感じられない。
愛する人が発する言葉一つで、こんなにも安心できるのだからその影響力は絶大だ。
だからと言って夢が叶った気になって満足している場合ではない。
玲子の頭の中の話などできないので、仕方なく新垣社長の事を話すことにした。
「実は…職場のお客さんにパーティーに誘われたんですけど、行きたくないのに何故か断りきれなくて…普段は断われる人間なんですけど……でも結局行く事になってしまって……」
「相手は男性?」
「はい…どこかの社長さんみたいなんですけど、ちょっと強引で……」
「そのパーティー、俺が一緒に行こうか?」
「本当に!?」
直ぐ様本音が漏れてしまった。
新垣社長には一人で来いとは言われていない。
パーティーには参加するのだから、約束を違えたことにはならないはずだ。
「うん。一緒なら楽しいかもしれないし、嫌だったら二人で逃げよう!」
二人で逃げる……前世でもそうだった。いつだって玲子の逃げ道を確保し、護ってくれていた。
懐かしい…優しくて頼もしい基希が今ここにいる。
「ありがとう、お願いします!」
玲子は軽く頭を下げ、遠慮なく基希に甘えることにした。
ーちょっと迷惑かけちゃうけど、一緒なら私も心強い!
こうして玲子は新垣社長のパーティーへ一緒に行ってもらう約束をした。
◆
パーティー当日。
幸か不幸か、今日は玲子も基希も休みだった。
基希に至っては急遽、溜まっていた有給休暇を消化したのだが、そのおかげで玲子との初デートが実現した!
昨夜は夢を見る事もなくぐっすり眠ったし、朝から生姜焼きを食べて気合も入れた。
ジュリオの散歩もシャワーも済ませ、準備は万端だ。
余裕を持って出てきたから当然なのだが、待ち合わせまであと一時間はある。
玲子もまだ来ていないはずだ。
早めに来たのは、万が一にも彼女が先に来て待たせてしまったら忍びないし、何より待ち合わせ場所に着いた玲子が基希を探す姿を見られるかもしれない。
もしくは基希を見つけて笑顔で走り寄ってくるかも……。
またはその両方を見られる可能性だってある。
キョロキョロとしている姿が目に浮かぶだけでもう可愛い。
そうこう考えながら駅に到着すると、待ち合わせていた改札口にはすでに玲子の姿があった!
何やら難しい顔をしている。
ー嘘だろ!俺、待ち合わせ時間間違えた!?
慌てて走り寄ると玲子がすぐに振り向いた。
「基希さん、そんなに慌てて大丈夫?」
さっきまでの曇り顔とは打って変わって、玲子は基希を一目見て相好を崩した。
「ゴメン、俺、時間間違えた?」
「ううん、一時間早いですよ。私が早く来たかっただけ」
「来たかった…って、なんで…?」
「基希さんに早く会いたかったから……」
ちょっとだけ照れたように少し俯いた彼女が紅潮しているのがわかる。
まるで全身で基希が好きだ!と訴えかけているように見えて自惚れてしまいそうだった。
「可愛い……」
思わず突いて出た言葉に釣られ、気づいた時には両手が玲子の頬を包んでいた。
「か、可愛くはないです……」
「あははっ、可愛い可愛い!」
柔らかな頬は増々赤くなり、照れてるくせにこちらを真っ直ぐに射貫く眼差しは昔と同じで変わっていない。
最後に触れた玲子の頬とはまるで違う感触に、確かな生命を感じる。
求めていた温もりと現実が重なって生きているのだと実感した。
ーこの世は玲子に優しいだろうか、楽しいだろうか…?
頭を過ぎった疑問の答えがこれからわかる。
ーたくさん話そう、昔のように……前世の記憶はないのが当たり前だと聞くが、玲子に記憶がなくても俺が覚えてるから大丈夫だ。
だが無事に出会えた今、いくら嫌われている気はしないとはいえ、調子に乗るわけにもいかない。
今夜のパーティーで誘ってきた社長が気になって仕方なかったからだ。
独身なのか既婚者なのか…一番はそこだが、玲子をどうしたいのか……
威圧的に玲子に迫ってきたとなると、社長と従業員のシンデレラストーリーとはなりにくいだろう。
何より玲子の拒否感が半端ないのが一番よろしくない。
これでは恋愛に発展しずらい事は一目瞭然だ。
だがこの世の中には嫌がる女性を従える事で己の力を誇示する者もいる。
この目で確かめるしかない。
「ところで社長のお宅には何時に行くの?」
「五時です。最初は迎えの車をやる、なんて言われて断ったんです。そうしたら〝なんでだ!〟ってまた怒鳴られて…お友達と伺いますのでって言ってようやく納得していただいて……」
「そうなんだ……本当に強引だな」
「そうなんです!私、少し怖くて…でも黙って従うのもちょっと違うと思って……」
玲子の瞳の奥にはいつも小さな炎が燃えている。
意思が強くて優しいこの灯火が、基希は大好きだった。
ー今度こそ、必ず護るよ。
そう心に誓うと改めて玲子の話に耳を傾けた。
初めてのデートはこの後の予定も考え、映画を見て軽く食事をするに留まった。
映画については、見ている間話せない事は痛かったが、見終わった後で得られる情報は貴重だった。
どの場面で心動かされたのか、玲子の今世での考え方を聞けたのは良かったし、今の価値観を知れた事は前世で語り合った時間を思わせ懐かしかった。
まるで別人だと思うような違和感は全くなく、陽だまりにいるような心安らぐ時間は基希にあの頃を思い出させ、記憶が津波のように押し寄せるのを楽しんでいられた。
この世に生まれて初めて感じる安堵感が、玲子に触れたい衝動を掻き立てる。
「基希さん、あそこに神社があるんですよ。ちょっとお参りしていきませんか?」
これからゆっくり社長宅に向かおうとしていた時、玲子がそんな提案をしてきた。
約束の時間にはまだ早いし、陽が暮れるまでには間がある。
意図せずだが、ここは縁結びで名高い神社であることを基希は知っていた。
何を隠そう学生の時、玲子と早く会えますように……と祈願した神社がここだからだ。
ーすっかり忘れてたけど、玲子と出会えたお礼を言ってなかったな。
「いいね、行こう」
二人は揃って赤い大鳥居をくぐった。
長い石畳の参道をしばらく行くと、玲子が少し興奮気味に指をさした。
「基希さん見て!黒アゲハ、優雅で綺麗……」
ふいにヒラヒラと漂ってきた蝶は、二人の周りをくるりと一周すると、夕陽の向こうへ飛んで行った。
「知ってる?蝶は霊界からの使いで、前世から約束した恋人同士を祝福してくれる事があるんだ。特に神社で蝶が近寄ってきた時は神様からのメッセージなんだって。すごく縁起がいいんだよ」
〝前世からの恋人〟というフレーズに玲子がどう反応するかが気になった。
「そうなんだ…素敵……」
蝶を見送る玲子がまばゆい光に包まれ輝いて見える。
そのあまりの美しさに、今瞬きしたら一生後悔する気がして目が離せなかった。
この遠くを見透かすような瞳を忘れた事はない。
生きている玲子に想いを馳せると、これまでの道のりに万感交交至る。
それだけで基希はもう満足だった。
「夢みたいだ……」
消え入りそうな涙声を必死で隠す。
「ん…?何か言った?」
「いや、何でもないよ」
奇しくもここは神社で感謝を伝える場所……この奇跡に礼を伝える機会を玲子にもらえた。
昔から玲子といると大切な事に気づかされる。
いつも基希にきっかけをくれる人…女性としてだけではなく、一人の人間として尊敬できる尊い人……
〝ありがとう〟心の中でそう呟いた。
しばらく行くと赤い太鼓橋に辿り着く。
そこからは神域だ。
通ってきた石畳を一歩逸れて玉砂利を踏むと、ジャリッジャリッと音を立てて足が少し沈む。
その音と感触は身体中に心地よく響き、自分が浄化されていくようだった。
手水舎に着くと手と口を清める為に袖を捲る。
一通りの作法は知っていたので、もし玲子が知らなければ教えてあげようと見ていると、何の問題もなく彼女も手を清めていた。
ー来たことあるんだな。
「ハンカチどうぞ」
玲子が清めた手を拭うようにと、自分のハンカチを差し出してくれた。
昔と変わらない笑顔で基希を包み込む。
「ありがとう」
「行きましょうか」
「行こう」
神様の御前に立つと、さっきまでチラホラいた参拝客がはけて、いつの間にか基希と玲子の二人だけになっていた。
どこからともなくフワッと風が吹き、時が止まったように感じる。
異空間にいるような不思議な感覚のまま、二礼二拍手をして神様へご挨拶をする。
ー神様…玲子と出会わせて下さり、ありがとうございます。これからは玲子に愛してもらえるよう努力します。そして玲子がこの世で幸せでありますよう、玲子の願いが叶いますよう、お見守り下さい……
初めて参拝した時は、玲子と出会えるように、と彼女の幸せを祈った。
今回は出会えたお礼が言えた。
最後に一礼して横に並ぶ玲子を見るとまだ祈っている。
おかげで美しい彼女の横顔を見る事ができ、少し得した気分になった。
長い睫毛で閉じられた瞳の奥で、何を思い、何を願っているのだろう。
最後に一礼した玲子と目が合った。
「すみません、お待たせしちゃいました」
少し慌てた様子も可愛くて、この腕に閉じ込めたかった。
度々訪れるこの衝動を、いつまで抑えておけるだろうか……
「大丈夫だよ。何を願ってたのか聞いてもいい?」
せっかく出会えた玲子のことを、何一つ取りこぼしたくない。
ー知りたい、君を…!
「お願い事はしてません。家族やロミが元気でいてくれてる事への感謝と、新しい出会いにお礼を言ってたら、思いの外長くなってしまって……」
ー新しい出会い?俺か?それは俺の事だと思っていいのか?
「俺も、玲子さんと出会わせてくれた事への感謝を伝えてた。それから…玲子さんの願いが叶うように………」
そこまで口にしたが、急に言葉に詰まり視界が涙で滲んだ。
ー玲子、今幸せか?この世は生きずらくないか?俺たち愛し合ってたんだよ、だからまた会えたんだよ、この思いの全てを告白できたらどんなに良いか……でも言えない!前世の記憶は玲子にとっては苦しいものばかりだ。俺たちが過ごした時間はほんの僅か……覚えていなくて当たり前なんだ…知らない方がいい、玲子が今幸せならそれでいい……
堪らず片手で顔を隠した。
「基希さん……ありがとう。私の為に祈ってくれて……」
顔を覆った基希の手を、玲子はそっと剥がして握った。
「基希さん…好きです。私の為に涙を流してくれるあなたを、これからは私が護るから、だからもう泣かないで…大丈夫だから……ね?」
温顔に笑みをたたえる玲子の背後から夕陽がさし、息を呑むほど美しかった。
彼女の目からも涙が溢れ、基希は今度こそ離すまいときつく抱きしめる。
「玲子…玲子……!」
柔らかな夕陽に照らされて、二人はしばらく抱きしめ合った。
二章~(四)に続く
「こんにちは、玲子さん!」
元気な小学三年生…基希は舞い上がっていた。
「こんにちは。あっちでジュリオくんのリボン、付けましょうか」
玲子は川の横にある階段を指さした。
橋を渡る手前、少し歩いた所に川辺へと続く階段があり、そのすぐ横には腰掛石がある。
ロミが疲れて歩かなくなってしまった時によく休ませてもらっている場所だ。
後ろには桜並木もあり、お花見シーズンにはご近所さんで賑わう憩いの場。
こんな近場に美しい川のせせらぎを聞きながら、お花見まで堪能できるのは欣幸の至りだ。
見慣れた景色だが、いつ見ても癒やされる玲子のとっておきの場所……
まさか愛する基希と来られる日がくるとは、そこまで考えていなかった。
ただただ会いたくてそればかりを願っていたが、会えたらどうしたい、どこへ行きたい、など考えが及ばず…今に至る。
今世での目標は基希と添い遂げる事。
加えて思ったのが、二人で人生を謳歌する事。
基希を愛した記憶があるのは嬉しいが、辛く苦しい記憶もある…これはなかなかにしんどかった。
時折夢で魘されることもあり、首を切られた瞬間の感覚は、痛みこそないものの思わず自分の首が繋がっているか確認するほどリアルに感じる。
前世の記憶がないのは、神様からの最初のギフトなのかもしれない。
でも玲子には記憶がある…それはギフトがないから?否、神様はちゃんと基希と出会わせてくれた!
これは立派なギフトと言えるだろう。
でも神様は出会わせてはくれても、基希の心までも与えてくれるわけではない。
チャンスはもらえた!
あとは玲子を愛してもらうだけなのだが、これが一番難しい気がする……
ー考えてなかったわ……
前世で愛してもらえたからといって、今世でも同じように愛してもらえるとは限らないのだ。
飛んだ誤算に頭を悩ます。
まずは玲子を外面的にも内面的にも見てもらわなくては始まらない。
自分だけに囁かれる甘い言葉を基希の口から聞きたい……
出会えうまでは会えないもどかしさに悩み、出会えたら今度は愛されたくて悩む…。
このままでは埒が明かない。
悩み事も人生のスパイス…と考えれば、少しは前向きにもなれる。
だいたい悩み事の答えというのはすでにでていることが多い。
それに玲子の悩みなど、広い宇宙からしたらミジンコのようなものだろう。
気にしたら負けだ!
悩むより愛される努力をしよう!
ゴチャゴチャと考えるよりも、今あるチャンスを活かそうと思う。
「あの…どうかした?何か悩み事?」
無言で歩く玲子を不自然に思ったのか、基希が不安気な顔を覗かせた。
つまらない事を考えている間ずっと基希を一人にしていたことに気づく。
「いえ、悩んではいますけど、大したことじゃないんです…すみません……」
言えるわけがない!
あなたに愛されたいんです!などと…
せっかく二人の時間なのだ。
有意義に過ごさなくてはもったいない。
それぞれに愛犬を従えて並んでいると、またこうして出会えた事が当たり前ではないと実感する。
「俺で良かったら聞かせてよ。玲子さんを悩ませるものが何なのか知りたいんだ」
そう言ってもらえるだけですでに両想いになった気分になれるのだから、悩みの半分は解決したも同然だ。
愛する人が自分を心配し、気にかけ、知りたいと言ってくれる。
その言葉に嘘はなく、なんら疚しさも感じられない。
愛する人が発する言葉一つで、こんなにも安心できるのだからその影響力は絶大だ。
だからと言って夢が叶った気になって満足している場合ではない。
玲子の頭の中の話などできないので、仕方なく新垣社長の事を話すことにした。
「実は…職場のお客さんにパーティーに誘われたんですけど、行きたくないのに何故か断りきれなくて…普段は断われる人間なんですけど……でも結局行く事になってしまって……」
「相手は男性?」
「はい…どこかの社長さんみたいなんですけど、ちょっと強引で……」
「そのパーティー、俺が一緒に行こうか?」
「本当に!?」
直ぐ様本音が漏れてしまった。
新垣社長には一人で来いとは言われていない。
パーティーには参加するのだから、約束を違えたことにはならないはずだ。
「うん。一緒なら楽しいかもしれないし、嫌だったら二人で逃げよう!」
二人で逃げる……前世でもそうだった。いつだって玲子の逃げ道を確保し、護ってくれていた。
懐かしい…優しくて頼もしい基希が今ここにいる。
「ありがとう、お願いします!」
玲子は軽く頭を下げ、遠慮なく基希に甘えることにした。
ーちょっと迷惑かけちゃうけど、一緒なら私も心強い!
こうして玲子は新垣社長のパーティーへ一緒に行ってもらう約束をした。
◆
パーティー当日。
幸か不幸か、今日は玲子も基希も休みだった。
基希に至っては急遽、溜まっていた有給休暇を消化したのだが、そのおかげで玲子との初デートが実現した!
昨夜は夢を見る事もなくぐっすり眠ったし、朝から生姜焼きを食べて気合も入れた。
ジュリオの散歩もシャワーも済ませ、準備は万端だ。
余裕を持って出てきたから当然なのだが、待ち合わせまであと一時間はある。
玲子もまだ来ていないはずだ。
早めに来たのは、万が一にも彼女が先に来て待たせてしまったら忍びないし、何より待ち合わせ場所に着いた玲子が基希を探す姿を見られるかもしれない。
もしくは基希を見つけて笑顔で走り寄ってくるかも……。
またはその両方を見られる可能性だってある。
キョロキョロとしている姿が目に浮かぶだけでもう可愛い。
そうこう考えながら駅に到着すると、待ち合わせていた改札口にはすでに玲子の姿があった!
何やら難しい顔をしている。
ー嘘だろ!俺、待ち合わせ時間間違えた!?
慌てて走り寄ると玲子がすぐに振り向いた。
「基希さん、そんなに慌てて大丈夫?」
さっきまでの曇り顔とは打って変わって、玲子は基希を一目見て相好を崩した。
「ゴメン、俺、時間間違えた?」
「ううん、一時間早いですよ。私が早く来たかっただけ」
「来たかった…って、なんで…?」
「基希さんに早く会いたかったから……」
ちょっとだけ照れたように少し俯いた彼女が紅潮しているのがわかる。
まるで全身で基希が好きだ!と訴えかけているように見えて自惚れてしまいそうだった。
「可愛い……」
思わず突いて出た言葉に釣られ、気づいた時には両手が玲子の頬を包んでいた。
「か、可愛くはないです……」
「あははっ、可愛い可愛い!」
柔らかな頬は増々赤くなり、照れてるくせにこちらを真っ直ぐに射貫く眼差しは昔と同じで変わっていない。
最後に触れた玲子の頬とはまるで違う感触に、確かな生命を感じる。
求めていた温もりと現実が重なって生きているのだと実感した。
ーこの世は玲子に優しいだろうか、楽しいだろうか…?
頭を過ぎった疑問の答えがこれからわかる。
ーたくさん話そう、昔のように……前世の記憶はないのが当たり前だと聞くが、玲子に記憶がなくても俺が覚えてるから大丈夫だ。
だが無事に出会えた今、いくら嫌われている気はしないとはいえ、調子に乗るわけにもいかない。
今夜のパーティーで誘ってきた社長が気になって仕方なかったからだ。
独身なのか既婚者なのか…一番はそこだが、玲子をどうしたいのか……
威圧的に玲子に迫ってきたとなると、社長と従業員のシンデレラストーリーとはなりにくいだろう。
何より玲子の拒否感が半端ないのが一番よろしくない。
これでは恋愛に発展しずらい事は一目瞭然だ。
だがこの世の中には嫌がる女性を従える事で己の力を誇示する者もいる。
この目で確かめるしかない。
「ところで社長のお宅には何時に行くの?」
「五時です。最初は迎えの車をやる、なんて言われて断ったんです。そうしたら〝なんでだ!〟ってまた怒鳴られて…お友達と伺いますのでって言ってようやく納得していただいて……」
「そうなんだ……本当に強引だな」
「そうなんです!私、少し怖くて…でも黙って従うのもちょっと違うと思って……」
玲子の瞳の奥にはいつも小さな炎が燃えている。
意思が強くて優しいこの灯火が、基希は大好きだった。
ー今度こそ、必ず護るよ。
そう心に誓うと改めて玲子の話に耳を傾けた。
初めてのデートはこの後の予定も考え、映画を見て軽く食事をするに留まった。
映画については、見ている間話せない事は痛かったが、見終わった後で得られる情報は貴重だった。
どの場面で心動かされたのか、玲子の今世での考え方を聞けたのは良かったし、今の価値観を知れた事は前世で語り合った時間を思わせ懐かしかった。
まるで別人だと思うような違和感は全くなく、陽だまりにいるような心安らぐ時間は基希にあの頃を思い出させ、記憶が津波のように押し寄せるのを楽しんでいられた。
この世に生まれて初めて感じる安堵感が、玲子に触れたい衝動を掻き立てる。
「基希さん、あそこに神社があるんですよ。ちょっとお参りしていきませんか?」
これからゆっくり社長宅に向かおうとしていた時、玲子がそんな提案をしてきた。
約束の時間にはまだ早いし、陽が暮れるまでには間がある。
意図せずだが、ここは縁結びで名高い神社であることを基希は知っていた。
何を隠そう学生の時、玲子と早く会えますように……と祈願した神社がここだからだ。
ーすっかり忘れてたけど、玲子と出会えたお礼を言ってなかったな。
「いいね、行こう」
二人は揃って赤い大鳥居をくぐった。
長い石畳の参道をしばらく行くと、玲子が少し興奮気味に指をさした。
「基希さん見て!黒アゲハ、優雅で綺麗……」
ふいにヒラヒラと漂ってきた蝶は、二人の周りをくるりと一周すると、夕陽の向こうへ飛んで行った。
「知ってる?蝶は霊界からの使いで、前世から約束した恋人同士を祝福してくれる事があるんだ。特に神社で蝶が近寄ってきた時は神様からのメッセージなんだって。すごく縁起がいいんだよ」
〝前世からの恋人〟というフレーズに玲子がどう反応するかが気になった。
「そうなんだ…素敵……」
蝶を見送る玲子がまばゆい光に包まれ輝いて見える。
そのあまりの美しさに、今瞬きしたら一生後悔する気がして目が離せなかった。
この遠くを見透かすような瞳を忘れた事はない。
生きている玲子に想いを馳せると、これまでの道のりに万感交交至る。
それだけで基希はもう満足だった。
「夢みたいだ……」
消え入りそうな涙声を必死で隠す。
「ん…?何か言った?」
「いや、何でもないよ」
奇しくもここは神社で感謝を伝える場所……この奇跡に礼を伝える機会を玲子にもらえた。
昔から玲子といると大切な事に気づかされる。
いつも基希にきっかけをくれる人…女性としてだけではなく、一人の人間として尊敬できる尊い人……
〝ありがとう〟心の中でそう呟いた。
しばらく行くと赤い太鼓橋に辿り着く。
そこからは神域だ。
通ってきた石畳を一歩逸れて玉砂利を踏むと、ジャリッジャリッと音を立てて足が少し沈む。
その音と感触は身体中に心地よく響き、自分が浄化されていくようだった。
手水舎に着くと手と口を清める為に袖を捲る。
一通りの作法は知っていたので、もし玲子が知らなければ教えてあげようと見ていると、何の問題もなく彼女も手を清めていた。
ー来たことあるんだな。
「ハンカチどうぞ」
玲子が清めた手を拭うようにと、自分のハンカチを差し出してくれた。
昔と変わらない笑顔で基希を包み込む。
「ありがとう」
「行きましょうか」
「行こう」
神様の御前に立つと、さっきまでチラホラいた参拝客がはけて、いつの間にか基希と玲子の二人だけになっていた。
どこからともなくフワッと風が吹き、時が止まったように感じる。
異空間にいるような不思議な感覚のまま、二礼二拍手をして神様へご挨拶をする。
ー神様…玲子と出会わせて下さり、ありがとうございます。これからは玲子に愛してもらえるよう努力します。そして玲子がこの世で幸せでありますよう、玲子の願いが叶いますよう、お見守り下さい……
初めて参拝した時は、玲子と出会えるように、と彼女の幸せを祈った。
今回は出会えたお礼が言えた。
最後に一礼して横に並ぶ玲子を見るとまだ祈っている。
おかげで美しい彼女の横顔を見る事ができ、少し得した気分になった。
長い睫毛で閉じられた瞳の奥で、何を思い、何を願っているのだろう。
最後に一礼した玲子と目が合った。
「すみません、お待たせしちゃいました」
少し慌てた様子も可愛くて、この腕に閉じ込めたかった。
度々訪れるこの衝動を、いつまで抑えておけるだろうか……
「大丈夫だよ。何を願ってたのか聞いてもいい?」
せっかく出会えた玲子のことを、何一つ取りこぼしたくない。
ー知りたい、君を…!
「お願い事はしてません。家族やロミが元気でいてくれてる事への感謝と、新しい出会いにお礼を言ってたら、思いの外長くなってしまって……」
ー新しい出会い?俺か?それは俺の事だと思っていいのか?
「俺も、玲子さんと出会わせてくれた事への感謝を伝えてた。それから…玲子さんの願いが叶うように………」
そこまで口にしたが、急に言葉に詰まり視界が涙で滲んだ。
ー玲子、今幸せか?この世は生きずらくないか?俺たち愛し合ってたんだよ、だからまた会えたんだよ、この思いの全てを告白できたらどんなに良いか……でも言えない!前世の記憶は玲子にとっては苦しいものばかりだ。俺たちが過ごした時間はほんの僅か……覚えていなくて当たり前なんだ…知らない方がいい、玲子が今幸せならそれでいい……
堪らず片手で顔を隠した。
「基希さん……ありがとう。私の為に祈ってくれて……」
顔を覆った基希の手を、玲子はそっと剥がして握った。
「基希さん…好きです。私の為に涙を流してくれるあなたを、これからは私が護るから、だからもう泣かないで…大丈夫だから……ね?」
温顔に笑みをたたえる玲子の背後から夕陽がさし、息を呑むほど美しかった。
彼女の目からも涙が溢れ、基希は今度こそ離すまいときつく抱きしめる。
「玲子…玲子……!」
柔らかな夕陽に照らされて、二人はしばらく抱きしめ合った。
二章~(四)に続く
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