399 / 427
最終章 また春が来る
最終章・また春が来る(6)
しおりを挟む「へい、らっしゃい」
格子戸を開けたとたん、威勢の良い声が響いた。
寿司屋の店主は戸口に将と次男の了の姿を見つけたとたん、さらに相好を崩す。
「鷹枝くん。久し振り」
くだけた口調で店主は将に話しかけてきた。
「憲ちゃん、ごめんね……忙しい土曜日に」
「いいってことよ。こっちも総理にひいきにしてもらってるっていったら宣伝になるし」
寿司屋の店主、つまり兵藤は笑った。
高校時代にクラスメートだったあの丸刈りの兵藤は、独立して小さな寿司屋を経営していたのだ。
その寿司屋は宣伝・取材を一切断っているにも関わらず大変評判がよく、予約がないと入れないほどだった。
土曜日の今日、久々の休日をとることができた将は次男の了を連れて、早めの夕食に、とここを開店前のここを2年ぶりに訪れたのだった。
「……二番目の坊ちゃん?」
兵藤は笑顔のまま将の横にいる了に目をとめた。
「こんにちわ」
了がぺこりとその小さな頭を下げる。
「奥さんやお兄ちゃんのほうは?」
兵藤は、了にこんにちわ、と挨拶を返したあとで訊いてきた。
「奥さんは学会。海は夜まで塾。義母(はは)は友達と食事」
そう答えた将に、了が割り込むように
「お兄ちゃんは来週ちゅうがくじゅけんなんだよ。それでね、お父さんが今日はシチュー作ってくれるって言ってたんだけど、焦がしちゃったの。考え事してたんだって」
と割り込んだから、兵藤をはじめ店にいる若い衆も笑顔になった。
「おいおい、了」
照れながらもカウンターに腰かけようとする将に、
「あの、お部屋も用意してますが」
お運びの女性が案内しようとしたが、将は
「久し振りに大将と思い出話がしたいから」
とやんわり断った。
「了くんは何のお寿司が好きなんだい?」
「アナゴ!」
兵藤に訊かれて素直に答える了に、
「了、アナゴはあとにしなさい。お寿司屋さんでは、まず季節のさっぱりとしたお魚から楽しむものだよ」
と将はたしなめる。了は素直にうなづいた。
「今日は何があるの?」
「それが、極上の安乗フグがあるんだよ。……鷹枝くんは本当に運がいい。薄造りにしようか」
「いいね」
フグ、ときいて了も目を輝かせている。了は子供のくせに、トラフグの皮が大好物なのだ。
「つい先週、井口くん一家が長野から来てくれたよ」
「へえ、井口が」
「上の娘さんの結婚式だって。……子供ができたらしい」
話しながらも、フグをさばく兵藤の手元によどみはない。
まるで手が作業を覚えているかのように、一切の無駄がない。
了はカウンターのいすの上に膝を乗せて兵藤の手元に見入っている。
「何だ、えらく早いな」
「早いって、もう22だよ」
「そんなになるんだ」
井口の娘がもう22歳で、しかも結婚して子供も生まれるという事実に、将は時の流れの速さを感じた。
井口とも、もうずっと会ってない。
「……井口もおじいちゃんか。で、あいかわらずなんだ?」
「ああ。あいかわらず、仕事のあいまに中学でダンスを教えてるってさ」
「そっか」
将は微笑むと、新潟の純米吟醸を手酌でお猪口に注いだ。
心は井口のあれからをたどっている。
高校を卒業した井口は、キャッシュバックでなんとかひきこもりの兄がいる暗い家を脱出し一人暮らしを始めた。
バイトのかけもちをしながら、ダンスへの夢を捨てない暮らしは、本人いわく「壮絶なビンボー」生活だったらしい。
水道を止められて、公園の水を汲み置きしたり、バイト先のパンの売れ残りばかり1週間も食べ続けていたりしたこともあったという。
『まったく芽が出なかったらとっとと諦めたのによォ』
本人がぼやいたとおり、ときおりステージのバックダンサーや映画などの声がかかったから、諦めきれなかったらしい。
そんな貧乏暮らしながら長野に住む、藤井さやかとの付き合いは、ときどき愛想をつかされながらも細々と続いていた。
そんな井口が夢を諦めたきっかけは、さやかの妊娠である。それは奇しくも井口が22のときだった。
さやかの妊娠を知った井口の行動は早かった。
ダンサーへの夢をすっぱりと諦めて、さやかがいる長野に移り入籍、そして会社勤めを始めたのだ。
今は長野で、さやかの夢だった『美味しいパンがあって気軽な値段で泊まれるB&B』を夫婦で経営して、そこそこ成功しているらしい。
3人いる子供も大きくなって、時間にゆとりができたここ数年、B&Bを経営する傍らで、週2回だけ地元の中学でヒップホップダンスを教えている。
教え子が全国大会に出場した、と嬉しそうに話していたのはいつだっただろうか。
他のみんなは元気?という質問に、兵藤は寿司を握りつつそれぞれの近況を話してくれた。
その手つきはまるで手品のようだ。
小さい了には、了の口に一口で入るサイズの握りを握ってくれる。
だから子供の了といえど、醜い『食いちぎり』をしないでいい。
特に考えながら握っている風でもなく、よどみなく握り続けている中から、気がつくと了の前に小さな寿司が出てきている、といった具合。
いちいち確認しなくても手がちょうどいい量を見切っているようなのだ。
「鷹枝くん、これなんだかわかる?」
兵藤は、いったんクラスメートの近況を話すのをやめて、淡いピンク色の塊を将に見せた。
「……フグの肝?」
「さすが、鷹枝くん。……食べたことある?」
「一度だけ。○○県で」
フグの肝は、ときに毒を持つとされ、一般に食用を禁じられている。
しかし、まったりとして一切の臭みがない美味ゆえに、こっそり食べる地域や店もあるのだ。
政治家になる前にこわごわ食べた将も、その美味に思わず唸ったほどだ。
「そっか……。でも一国をになう総理には、残念ながら出せないね」
「どうせ当たりっこないけどね」
と軽口をたたきながらも将は、自分の立場で、今それを食す無責任さについては、充分にわかっているからそれ以上は言わない。
養殖フグならほぼ、毒にあたることはないとされるが、天然もののトラフグは可能性は少ないとはいえ、エサによってあたる可能性もあるかもしれないからだ。
しかし目の前にある肝は、食べられないとなるといっそうなまめかしく見えた。
天然ものの、しかも貴重とされる安乗フグだけに、その肝はおそらく極上の味だろう。
禁じられた美味。
そんな言葉が頭に浮かんだ将はふと、甘い既視感を覚える。
許されないそれは、ただひたすらに切なく、甘かった。
あの頃は、そのあとに待っているものなど、何も考えやしなかった……。
兵藤の見事な仕事ぶりを眺めながら……気がつくと将は、聡の話題が出てくるのを、いまかいまかと身構えていた。
そもそも、ここを急に訪れる気になったのも、それが原因だったのだ。
とうとう……聡の話はひとかけらも出てこないまま、最後の玉子焼が出てきてしまった。
兵藤が修行していた店の味をそのまま引き継いだ甘じょっぱい味は、将も了も大好物だった。
お運びさんが、濃いお茶を置いてくれる。
そろそろ、開店時刻になる。
警備の都合上、将がカウンターにいる間は、店は貸切状態にしないといけない。
兵藤に迷惑をかけられないから、そろそろ帰らないといけない。
諦めた将が、おあいそを、と言いかけたときだった。
「そういえば、鷹枝くん。1年くらい前に先生もきてくれたよ」
と兵藤は何気なく付け加えた。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる