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1:俺が、俺じゃない(3)
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佳乃に促されるまま病院を後にした海斗を待っていたのは、自衛隊の公用車とは比較にならない、重厚な輝きを放つ黒塗りの高級外車だった。
車が滑り込んだのは、高い塀に囲まれた広大な邸宅——門から玄関までのアプローチだけで、実家の定食屋が三軒は入りそうだ。
「翔生様、お帰りなさいませ」
玄関を開けると、家政婦が深々と頭を下げた。
海斗は思わず固まった。“様”ってなんだ。お
金持ちのお坊ちゃまかよ。
「松村さん、熱いお茶をお願い。アッサムがいいわ。あ、翔生さんにはミルクティにしてあげて。お部屋にもっていってあげてね」
「かしこまりました」
佳乃の指示に家政婦がきびきびと動く。
お部屋。お部屋といわれても。海斗にはこの広いおうちのどこに自室があるのか知る由もない。
海斗はその場に立ち尽くしてなすすべもなくボケっとしていた。
そこへ、ティーポットをお盆に乗せた「松村さん」が通りかかった。
「あの……俺の部屋、どこだったかな」
「あら、まあ。……滅多にこちらの本宅にはお帰りになりませんから、お忘れになったのですね。こちらでございます」
どうやら「翔生」には別の生活拠点があるらしい。
案内された自室は、一人部屋には広すぎるほどだった。
キングサイズのベッドを置いてもありあまるスペースの中央にはソファが置かれ、窓に向かって高級そうな学習机、棚には地球儀などが置かれている。
一応「子供部屋」っぽいが、生活感が極端に薄い。まるで時間が止まったまま、主の帰りを待っていた客間のような違和感がある。
松村さんにソファを促され、ミルクティーを淹れてもらう。
「どうも」と一礼すると、松村さんはとても驚いた顔をした。口の形が「え」の形に開いたまましばらく閉まらないまま、首をかしげながら部屋を辞した。
「ふぅ~……うまっ!?」
ミルクティなんて何年ぶりだろう。
松村さんが淹れたミルクティーは素晴らしく美味しく海斗はしばらく現実を忘れて和んだ。
と、寛いでいる場合ではない! ガバとソファから立ち上がる。
もう一度、自分の姿を確認しなければ落ち着かない。
鏡を探して部屋を見回すが、どこにもない。
ベッドの奥にあるウォークインクロゼットの中に姿見をやっと見つけるが、そこに映し出された姿を見て落胆する。
「やっぱり髪が黄色い……」
ワンチャン、自分に戻っていることを期待しなかったと言えば嘘になる。
だが、鏡の向こうには相変わらず、金髪の少年がいて、海斗の絶望をそのまま映し返していた。
「わけわからん……」
海斗は姿見の前でしゃがみこんだ。
「俺、どうなってんだ……? あの攻撃で死んで、コイツに取り憑いたのか……?」
混乱が思考を埋め尽くす。しかし、そのノイズの中に、一筋の光のように里玖の姿が浮かんだ。
浮かんだとたんに、海斗の思考は里玖で埋め尽くされる。
早川先生――里玖は、そう呼ばれていた。
ということは、里玖はこの“翔生”の担任の先生なのか。
(じゃあ俺、よくわからないけど……里玖の教え子になってる?)
そして、もうひとつの可能性が胸を冷たくする。
(俺、やっぱり死んだのか?)
死んで、この“翔生”の身体に取りついてる……?
わからない。
何もわからない。
思考はどんづまったが、里玖の笑顔だけは残った。
(里玖。あの任務が終わったら、プロポーズするはずだったのに)
海斗の知る里玖は、よく笑い、よく泣いて、よく食べた。
服装は、付き合い始めた高校生の頃からずっと、体の線が出ないカジュアルなデザインで、家で洗える素材のものばかり。
今日着ていたような、スーツなんて絶対に着なかった。
大学生の頃、就活用のリクルートスーツを嫌がっていたのを思い出す。
感染症が流行した年で就活もうまくいかず、やっと見つけた仕事も三ヶ月で辞めてしまった里玖。
仕事辞めた後は、護衛艦に乗っていた海斗の拠点の町に移り住んで、バイトを掛け持ちした極貧生活をしていた。
『ちゃんと就職せんと?』と海斗が聞いたら
『だって海斗が休みの時、できるだけ一緒にいたいけん』
照れながらそう言った里玖は、本当に可愛かった。
最近では昼は弁当屋、夜は塾のバイトをしていたはずだ。
里玖とのやりとりは思い出そうとしなくても勝手に脳裏によみがえる。
たしか、一番最後……あの任務の前に届いた LINE には
「今度会ったとき、報告したいことがあります」
て書いてあった。里玖は何を俺に報告したかったんだろう……。
もし俺が死んだのだとしたら――里玖はあの日からどんな五年を過ごしたんだ。
里玖のことを考えているうちに、海斗は居ても立ってもいられなくなった。
彼女が担任の先生なら、学校に行けば会える。
海斗は立ち上がると部屋を飛び出した。
階段を下りると、キッチンから佳乃の声が飛んできた。
「翔生さん、あんな大事故の後なんだから、しばらくこちらで養生しなさいね」
「俺……じゃなくて、僕、帰ります」
「え?」
「明日、学校に行きたいんで。ここには制服もないみたいだし」
ぽかんとする佳乃を置き去りにし、海斗は徒歩で豪邸を出た。初夏とはいえ、曇っているせいか、薄闇がしのびよってきている。
(て、俺こいつの別宅知らないわ!)
戻って母親にあらためて聞くのも変だ。
無意識にスマホを探り出していた。指紋認証がないタイプだが、顔認証でロック解除できた。
他人のスマホを勝手に触るのに一瞬罪悪感がよぎったがそんなことを言ってる場合ではない。
Googleマップあたりに履歴が残っているのではないか。アプリを開こうとするとピロン、と LINE の通知が来た。
AKITO:「事故て大丈夫?」
車が滑り込んだのは、高い塀に囲まれた広大な邸宅——門から玄関までのアプローチだけで、実家の定食屋が三軒は入りそうだ。
「翔生様、お帰りなさいませ」
玄関を開けると、家政婦が深々と頭を下げた。
海斗は思わず固まった。“様”ってなんだ。お
金持ちのお坊ちゃまかよ。
「松村さん、熱いお茶をお願い。アッサムがいいわ。あ、翔生さんにはミルクティにしてあげて。お部屋にもっていってあげてね」
「かしこまりました」
佳乃の指示に家政婦がきびきびと動く。
お部屋。お部屋といわれても。海斗にはこの広いおうちのどこに自室があるのか知る由もない。
海斗はその場に立ち尽くしてなすすべもなくボケっとしていた。
そこへ、ティーポットをお盆に乗せた「松村さん」が通りかかった。
「あの……俺の部屋、どこだったかな」
「あら、まあ。……滅多にこちらの本宅にはお帰りになりませんから、お忘れになったのですね。こちらでございます」
どうやら「翔生」には別の生活拠点があるらしい。
案内された自室は、一人部屋には広すぎるほどだった。
キングサイズのベッドを置いてもありあまるスペースの中央にはソファが置かれ、窓に向かって高級そうな学習机、棚には地球儀などが置かれている。
一応「子供部屋」っぽいが、生活感が極端に薄い。まるで時間が止まったまま、主の帰りを待っていた客間のような違和感がある。
松村さんにソファを促され、ミルクティーを淹れてもらう。
「どうも」と一礼すると、松村さんはとても驚いた顔をした。口の形が「え」の形に開いたまましばらく閉まらないまま、首をかしげながら部屋を辞した。
「ふぅ~……うまっ!?」
ミルクティなんて何年ぶりだろう。
松村さんが淹れたミルクティーは素晴らしく美味しく海斗はしばらく現実を忘れて和んだ。
と、寛いでいる場合ではない! ガバとソファから立ち上がる。
もう一度、自分の姿を確認しなければ落ち着かない。
鏡を探して部屋を見回すが、どこにもない。
ベッドの奥にあるウォークインクロゼットの中に姿見をやっと見つけるが、そこに映し出された姿を見て落胆する。
「やっぱり髪が黄色い……」
ワンチャン、自分に戻っていることを期待しなかったと言えば嘘になる。
だが、鏡の向こうには相変わらず、金髪の少年がいて、海斗の絶望をそのまま映し返していた。
「わけわからん……」
海斗は姿見の前でしゃがみこんだ。
「俺、どうなってんだ……? あの攻撃で死んで、コイツに取り憑いたのか……?」
混乱が思考を埋め尽くす。しかし、そのノイズの中に、一筋の光のように里玖の姿が浮かんだ。
浮かんだとたんに、海斗の思考は里玖で埋め尽くされる。
早川先生――里玖は、そう呼ばれていた。
ということは、里玖はこの“翔生”の担任の先生なのか。
(じゃあ俺、よくわからないけど……里玖の教え子になってる?)
そして、もうひとつの可能性が胸を冷たくする。
(俺、やっぱり死んだのか?)
死んで、この“翔生”の身体に取りついてる……?
わからない。
何もわからない。
思考はどんづまったが、里玖の笑顔だけは残った。
(里玖。あの任務が終わったら、プロポーズするはずだったのに)
海斗の知る里玖は、よく笑い、よく泣いて、よく食べた。
服装は、付き合い始めた高校生の頃からずっと、体の線が出ないカジュアルなデザインで、家で洗える素材のものばかり。
今日着ていたような、スーツなんて絶対に着なかった。
大学生の頃、就活用のリクルートスーツを嫌がっていたのを思い出す。
感染症が流行した年で就活もうまくいかず、やっと見つけた仕事も三ヶ月で辞めてしまった里玖。
仕事辞めた後は、護衛艦に乗っていた海斗の拠点の町に移り住んで、バイトを掛け持ちした極貧生活をしていた。
『ちゃんと就職せんと?』と海斗が聞いたら
『だって海斗が休みの時、できるだけ一緒にいたいけん』
照れながらそう言った里玖は、本当に可愛かった。
最近では昼は弁当屋、夜は塾のバイトをしていたはずだ。
里玖とのやりとりは思い出そうとしなくても勝手に脳裏によみがえる。
たしか、一番最後……あの任務の前に届いた LINE には
「今度会ったとき、報告したいことがあります」
て書いてあった。里玖は何を俺に報告したかったんだろう……。
もし俺が死んだのだとしたら――里玖はあの日からどんな五年を過ごしたんだ。
里玖のことを考えているうちに、海斗は居ても立ってもいられなくなった。
彼女が担任の先生なら、学校に行けば会える。
海斗は立ち上がると部屋を飛び出した。
階段を下りると、キッチンから佳乃の声が飛んできた。
「翔生さん、あんな大事故の後なんだから、しばらくこちらで養生しなさいね」
「俺……じゃなくて、僕、帰ります」
「え?」
「明日、学校に行きたいんで。ここには制服もないみたいだし」
ぽかんとする佳乃を置き去りにし、海斗は徒歩で豪邸を出た。初夏とはいえ、曇っているせいか、薄闇がしのびよってきている。
(て、俺こいつの別宅知らないわ!)
戻って母親にあらためて聞くのも変だ。
無意識にスマホを探り出していた。指紋認証がないタイプだが、顔認証でロック解除できた。
他人のスマホを勝手に触るのに一瞬罪悪感がよぎったがそんなことを言ってる場合ではない。
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