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5:激流の向こう側(4)
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金曜日。海斗は、ようやく学校へ行く気になった。
もともと不登校気味だった翔生の体だ、休み続けてもたいした問題はない。
だが、アキトの心配そうな LINE が鳴り止まないし、家にいても午後にやってくる家政婦の志乃さんの仕事ぶりを眺めるくらいしかやることがない。
──ただ、登校して里玖の顔を見るのが怖かった。
その一点だけが、足を重くしていた。
だから、わざと始業時間を外して遅刻した。あいかわらずの雨で怠かったというのもある。
一時間目の終わりに、廊下に誰もいないタイミングで教室のドアを開ける。
(……俺も、なかなか堂に入った問題児になってきたな)
そんな自嘲を胸の奥で転がした瞬間だった。
「ショウ! やっと来たあ!」
アキトが弾丸のように駆け寄ってきた。
そんなアキトを無造作に押しのけ、水泳部女子の石川が前に出る。
「朝倉、みんなで手分けしてノート取っといたから。ほら」
ぶっきらぼうに差し出されたノート。海斗は少し戸惑いながら受け取った。
「……ありがとう。助かる」
石川はそっけなく、スカートを翻すように踵を返すと、さっさと行ってしまった。
すると、待っていたように他の生徒たちがわらわらと集まってきた。
「朝倉君、家族旅行行ったからお土産。いなかったから取っといたよ」
「朝倉君のプールの写真見た? あれヤバかったよね」
「朝倉君、今日英語当たるっちゃけど教えてくんね~」
この体になって初めて登校した日とは、えらい違いだ。
翔生と話したいクラスメイトが海斗の机の周りにわちゃわちゃと群がったが、二時限目のチャイムと共に、嵐が去るように散っていった。
ふと視線を向けると、斜め前の杏奈がひっそりと背を向けていた。
──おとついはつい、大人げない態度で追い出してしまった。
海斗はあのときの自分を後悔していた。
杏奈からすれば、自分のボーイフレンドが、急に担任教師に色目を使い始めたように見えただろう。
急に心変わりしたボーイフレンドに「ババアに必死」と毒づくのも、十七、八の少女としては無理のない反応なのかもしれない。
まさか、中身が二十五歳の大人に入れ替わっているなんて、知るはずもない。
それにしても――と海斗はさらに考える。
顔認証であの部屋に入ることができて、あんな風に押し倒してきたということは、翔生と彼女はすでに「そういう関係」だったのだろうか。
だとしたら、翔生として大人しく暮らすにしても、彼女との関係を以前“翔生として”続けるのは到底無理だ。
昼休みはアキトと別棟の学食を利用する。雨が結構降る中、二人して「行くぞ!」ダッシュする。
やっすい肉うどんに、ごぼう天の追加トッピングをオーダー。
「ショウ、食欲ないやん。それだけ?」
アキトのトレイには「木の葉丼定食」と、デザートとして売店で買った『マンハッタン※』が添えられている。
相変わらずの食欲だ。
「ショウ、明日のボランティア BBQ 行くよな」
「あ~……ごめん、パス」
「なんで~!?」
アキトが心底びっくりした顔で、マンハッタンを握りしめた。
「俺、ショウのアヒージョまた食べられると思ったのに!」
「いや、川にタコはおらんやろ」
「ええ~! ショウがいないとつまんね~。行こうよぉ。タダだし~……シャトーブリアンよ?」
アキトは寂しそうに、しきりに誘ってくる。
「七海もたぶん来るやろ~? ショウぱぱがいないと寂しがるよ」
「…………」
その七海が来るからこそ、参加を躊躇しているのだ。
自分のことを「ぱぱ」と呼ぶ七海。
里玖と七海の本当の父親がどうなっているのかは知らないが、今現在、別れているのは事実だ。
もしその別れが、里玖にとって消したい記憶だったとしたら。
七海が「ぱぱ」と口にするたびに、彼女は古傷を抉られるような思いをしているのではないか。
……考えすぎかもしれない。
だがあの日、あんな悲痛な顔をさせてしまった自分でもある。
行けば、また彼女の心を乱してしまうかもしれない。
「二組の参加がタダになったのはショウのおかげなのに、本人が来なかったらみんな残念がるばい」
アキトの純粋な気持ちに、海斗は、箸を握ったまま深く考え込んだ。
学食の窓に雨がザッと強く降り注いだ。
※マンハッタン:
九州地方(主に福岡)で絶大な人気を誇る、チョコがけの硬めなドーナツ状のパン。
もともと不登校気味だった翔生の体だ、休み続けてもたいした問題はない。
だが、アキトの心配そうな LINE が鳴り止まないし、家にいても午後にやってくる家政婦の志乃さんの仕事ぶりを眺めるくらいしかやることがない。
──ただ、登校して里玖の顔を見るのが怖かった。
その一点だけが、足を重くしていた。
だから、わざと始業時間を外して遅刻した。あいかわらずの雨で怠かったというのもある。
一時間目の終わりに、廊下に誰もいないタイミングで教室のドアを開ける。
(……俺も、なかなか堂に入った問題児になってきたな)
そんな自嘲を胸の奥で転がした瞬間だった。
「ショウ! やっと来たあ!」
アキトが弾丸のように駆け寄ってきた。
そんなアキトを無造作に押しのけ、水泳部女子の石川が前に出る。
「朝倉、みんなで手分けしてノート取っといたから。ほら」
ぶっきらぼうに差し出されたノート。海斗は少し戸惑いながら受け取った。
「……ありがとう。助かる」
石川はそっけなく、スカートを翻すように踵を返すと、さっさと行ってしまった。
すると、待っていたように他の生徒たちがわらわらと集まってきた。
「朝倉君、家族旅行行ったからお土産。いなかったから取っといたよ」
「朝倉君のプールの写真見た? あれヤバかったよね」
「朝倉君、今日英語当たるっちゃけど教えてくんね~」
この体になって初めて登校した日とは、えらい違いだ。
翔生と話したいクラスメイトが海斗の机の周りにわちゃわちゃと群がったが、二時限目のチャイムと共に、嵐が去るように散っていった。
ふと視線を向けると、斜め前の杏奈がひっそりと背を向けていた。
──おとついはつい、大人げない態度で追い出してしまった。
海斗はあのときの自分を後悔していた。
杏奈からすれば、自分のボーイフレンドが、急に担任教師に色目を使い始めたように見えただろう。
急に心変わりしたボーイフレンドに「ババアに必死」と毒づくのも、十七、八の少女としては無理のない反応なのかもしれない。
まさか、中身が二十五歳の大人に入れ替わっているなんて、知るはずもない。
それにしても――と海斗はさらに考える。
顔認証であの部屋に入ることができて、あんな風に押し倒してきたということは、翔生と彼女はすでに「そういう関係」だったのだろうか。
だとしたら、翔生として大人しく暮らすにしても、彼女との関係を以前“翔生として”続けるのは到底無理だ。
昼休みはアキトと別棟の学食を利用する。雨が結構降る中、二人して「行くぞ!」ダッシュする。
やっすい肉うどんに、ごぼう天の追加トッピングをオーダー。
「ショウ、食欲ないやん。それだけ?」
アキトのトレイには「木の葉丼定食」と、デザートとして売店で買った『マンハッタン※』が添えられている。
相変わらずの食欲だ。
「ショウ、明日のボランティア BBQ 行くよな」
「あ~……ごめん、パス」
「なんで~!?」
アキトが心底びっくりした顔で、マンハッタンを握りしめた。
「俺、ショウのアヒージョまた食べられると思ったのに!」
「いや、川にタコはおらんやろ」
「ええ~! ショウがいないとつまんね~。行こうよぉ。タダだし~……シャトーブリアンよ?」
アキトは寂しそうに、しきりに誘ってくる。
「七海もたぶん来るやろ~? ショウぱぱがいないと寂しがるよ」
「…………」
その七海が来るからこそ、参加を躊躇しているのだ。
自分のことを「ぱぱ」と呼ぶ七海。
里玖と七海の本当の父親がどうなっているのかは知らないが、今現在、別れているのは事実だ。
もしその別れが、里玖にとって消したい記憶だったとしたら。
七海が「ぱぱ」と口にするたびに、彼女は古傷を抉られるような思いをしているのではないか。
……考えすぎかもしれない。
だがあの日、あんな悲痛な顔をさせてしまった自分でもある。
行けば、また彼女の心を乱してしまうかもしれない。
「二組の参加がタダになったのはショウのおかげなのに、本人が来なかったらみんな残念がるばい」
アキトの純粋な気持ちに、海斗は、箸を握ったまま深く考え込んだ。
学食の窓に雨がザッと強く降り注いだ。
※マンハッタン:
九州地方(主に福岡)で絶大な人気を誇る、チョコがけの硬めなドーナツ状のパン。
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