武者修行の仕上げは異世界で

丸八

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第6章

四話

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「お、終わった」

 事務仕事が終わり、机に突っ伏して脱力したのは、すっかり日が暮れてからの事だった。
 慣れている者なら一時間もかからないのだが、武芸一筋だった三郎にはかなり手強い相手であった。
 このような事がこれから続くのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

「お疲れ様でした」

 ルナがタイミングを見計らったかのように執務室に入ってきた。
 実際、そうなのだろう。
 手には二人分の夜食がお盆に乗せられている。
 ルナは応接セットにお盆を置くと、三郎を手招きした。

「よろしければこちらでご一緒しませんか?」
「おお、サンドイッチではないか。これはありがたい」

 ルナが持ってきたのは、兎の肉をソテーしたものとレタス、トマトをライ麦パンで挟んだサンドイッチと、オレンジの果汁を蒸留酒で割ったものだった。
 どちらも寝る前につまむには適度な量で、三郎は喜んで頬張った。

「う~む、それにしてもこのマヨネーズというのは絶品でござるな」

 この世界に来て、初めて野菜を生で食べた三郎だったが、この時に知ったマヨネーズにはまってしまった。
 最初はサラダにかける程度だったが、今では隙あらば何にでもかけるまでになっていた。

「あはは、三郎さんは本当にマヨネーズが好きなんですねぇ」
「うむ、まさかこの世にこんな旨いものがあるなんて思いもよらなんだ」
「そう言えば、三郎さんの故郷はどんな所なんですか?」
「ん?江戸の事か?」

 三郎は酒のグラスをあおりながら少し考える。
 ルナもチビリと酒をなめながら気長に三郎が話し始めるのを待つ。

「どんな所かといきなり聞かれても難しいな。良いところだとは思うよ。マヨネーズ程ではないが、旨いものもあるし」

 三郎の師匠は食道楽で、どこからか金を手に入れてきては三郎を連れて食べ歩きをした。
 それは屋台のニハチ蕎麦や寿司、鰻なんかが多かったが、時には一流と呼ばれる料亭もあった。
 その時の事を思い出しながらルナに語って聞かせた。

「へぇ、蒲焼きですか。美味しそうですねぇ」

 酒によりいささか滑りが良くなった三郎の語りは思いの外軽妙で、ルナは見知らぬ異郷に思いを馳せる。
 三郎の多くを占める記憶は武芸に関するものだが、女性であるルナに話題を選ぶ配慮はある。
 姉達が好んでいた役者の話や、自分が好んで読んでいた黄表紙など語るうちにすっかり夜も更けていた。


 明けて翌日。

 三郎は厩舎の中で朝稽古に励んでいた。
 最近はクローにも覚えさせ、打太刀と受太刀として二人で組太刀を行ったりもしている。
 オーガという種族の特性なのか、クローはこと戦闘に関しての勘所はすこぶる良い。
 瞬く間の間に、通り一辺の事はすっかり覚えてしまった。
 その稽古は夜が明けきる前から行われ、約二時間続く。

 キールは三郎達の形稽古を見ながら、魔力を身体に回していく練習をしている。
 最初の頃は魔力が身体を巡っていく事に違和感を強く感じていたが、今ではその感覚は随分と薄らいできている。
 ただ、才能は程々にしか無いらしく、未だにスキルの補助を借りても魔力の運用は拙いものだ。
 それでも、前進はしているとキールは思っている。

「そう言えば、砦より戻ってからミドリを見ておらぬな」

 三郎がふと漏らしたのは、一通りの稽古を終え、水場で汗を拭っていた時だ。
 いつも三郎に邪魔にならない所で稽古を見ていたミドリをここ二日程いなかった。
 森等に餌を狩りに行くときも付いてこなかった気がする。

「あ、そう言えばオイラも見てないですね、どうしちゃったんだろう?」

 キールも水を浴び、服を着替える。
 身仕度を整えると、厩舎の中央に聳える精霊樹を見やる。
 そこにはミドリが巣を作っていたはずだ。
 大食らいのミドリが食事をしないとは考えられない。
 どうした事かと皆が心配し始めた。

「取り敢えず、ミドリの営巣地へと参ろうか」
「そうですね、行ってみましょう」

 ぞろぞろと連なって、三郎、キール、シロー、クロー、ギン、チャチャの面々は厩舎中央の精霊樹に向かった。

「改めて見ると、やっぱり大きいですねぇ」
「ほんにのう」

 天に摩するほど高い精霊樹は見上げても頂上が見えないほどだ。
 だが、これが厩舎の外からだと全く見えないのが不思議だと、魔法の素養がまったく無い三郎は思っていた。

 ミドリの巣は、この精霊樹の中程だと聞いていた。

「では、参ろうか」

 一言残すと、三郎は跳び上がった。
 一蹴りで一番下の枝に飛び乗る。
 そのまま、次の枝に跳び移る。
 それにキール、クロー、シローも続いていく。残念ながらそこまでの身体能力の無いギンとチャチャは地上でお留守番だ。

 タンタンタン、とリズムよく精霊樹の枝を駆け上がっていく。
 さっき拭いた汗がまたにじみ出してきた頃、ようやく三郎達はミドリが作ったであろう巣にたどり着いた。

「おや、これは………」

 巣にミドリの姿はなく、変わりに大きな卵が一つだけあった。

「ひょっとして、ミドリの卵ですかねぇ?」
「うぅむ………」

 キールの問いかけに、三郎は首を捻る。
 見るからにミドリより大きな卵を、果たして産めるものなのであろうか?
 三郎は判断がつかず、ただ唸るだけだった。

「これは魔獣の繭卵まゆだまですねぇ」

 いつの間に現れたのか、ルーペ片手にベニーが繭卵をじっと見ていた。
 繭卵の殻をそっと触ってみたり、巣の中の温度を計ったりしている。

「繭卵とはなんじゃ?」
「私も実物を見るのは初めてなんですけど、ある一定の条件下で魔獣が籠る為に作る繭糸で出来た殻です。今までの発見された繭卵はいずれも虫系魔獣のものでしたが、これは癒鳥キュアバードのものですよね?」
「う、うむ」

 立て板に水とばかりに喋るベニーに、三郎は少々圧倒されてしまう。
 この勢いは誰かさんに似ている。

「拝見した資料によりますと、癒鳥のミドリは虫系魔獣を常食していたようですが、それにより幾つかのスキルを得ていたと考えられます。あぁ、やっぱり【粘糸】の能力アビリティの中に【糸貼り】のスキルがありますね。これによりミドリは繭卵を作っていると推測します。それで、この繭卵を作った目的はと言いますと、恐らく変態か進化のどちらかですね」
「変態?」
「進化?」
「現在の研究では、それがどうして起こるかはまだ分かりません。恐らく、魔獣のマナ許容量を越えてしまった個体が、内蔵するマナに見合うだけの身体に成るために行っているのではないかと言うのが主流の学説となっています」
「「………」」
「この学説が有力視されている理由としては、自然界ではこの進化や変態が起こっていない事にあります。まだ観察が充分では無いと言うのは考えられますが、それでも全く観察がされないというのは除外しても良いくらいの確率だと思われます。その証拠に、従魔となった魔獣では割と頻繁に進化や変態が起こっているのです。それも低級の魔獣の方が多いという研究資料があります。これは低級の魔獣のマナ許容量が少なく、テイマーと同行すると自分より上位の魔獣を食べる機会が増えるからだと思われます。魔獣の食事は肉を食べるというよりは、その肉に含有されるマナを食べているというのが今の学説では有力です。その証拠に、洞窟ダンジョン内にいる魔獣は殆ど摂食行動をしません。自分のテリトリーに入ってきたものには容赦しませんが、それ以外には見向きもしないものが多いのです。ここから、魔獣の食糧とはマナなのではないかと推察されているのです」
「「………」」
「本来、魔獣が上位種を補食することは難しく、それが故に自然界では自分のマナ許容量を越える事は殆ど無いのですが、冒険者に付き従う従魔はその限りでは無いのです。それ故に、従魔、それも力の弱いモノに多く進化や変態と言った現象が起こるのではないかと考えられているわけです」

 一気に説明しきると、ベニーは一同が無言だということに気が付いた。
 あまりの早口に口を挟めず、三郎達はしばし呆然としていたのだ。

「すまんが、少し理解が追い付かぬ。もうちょっと簡潔に説明してくださらぬか?」
「え、あ、ごめんなさい」

 ベニーはやっとここがいつもの研究室では無いことに気が付いた。
 少し考えると、再び口を開いた。

「この繭卵から出たら、ミドリはパワーアップしています」

 極力簡潔に説明するのだった。
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