月誓歌

有須

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修道女、デートする

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 ふわふわした気持ちのまま、デートを続けた。
 あわせてくれる歩幅と、しっかりと握ってくれる手の温かさ、いつ見上げても視線が合う距離感。
 それらはメイラが過去に体験したことのない幸せなもので、だからこそ油断すれば涙腺が緩みそうになる。
「メルシェイラ」
 名前を呼んでくれる低い声が心地よい。
「見よ、冬招きの鳥だ」
 睦ましく並ぶつがいの渡り鳥を見て、沸き起こってくる羨望の想いを胸深くに飲み込む。
 同じように寄り添っているのに。あちらからも、睦まじい番のように見えているだろうに。
 こんなに近くにいても、メイラの夫は彼女からは遠く手の届かない存在なのだ。
「厳冬期が来る」
 耳元で落とされた言葉に、吐く息の白さを見るふりをして頷く。
「……はい。皆が無事に冬越しできればいいのですが」
「そうだな」
 黒竜の素材は、城の修繕費など軽くまかなえる金額で売れるらしい。その半分を素材で賄い、残りの半分はハーデス公爵家で負担する事に決まっていたようだ。
 城で働いていた者たちの怪我の補償は公爵家が負い、近衛の場合は陛下が担う。それは主人としての責務であり、人を雇用するというのはそういう事は当たり前なのだそうだ。
 陛下もその負傷者の程度はご存じないようだったが、たとえば欠損など元の生活に戻れないほどの者がいたとすれば、可能であればポーションなどでその欠損を治療し、不可能であってもしばらくの生活が贖えるだけの補償を出すと確約してくれた。
 こういうものはやり過ぎるのも良くないそうで、その配分はお任せすることにした。
 素人の安易な口出しは、余計な混乱を招くに違いないので、それでいい。
「経費を贖って残った分は、冬越しの補助金にあてよう」
「はい、そうして頂けると皆も喜ぶかと思います」
 乾燥した冷たい空気が頬を刺した。
 ふるりと身震いしたメイラを見て、陛下がマントを広げ、彼女を包み込む。そのぬくもりに笑みを返し、広い胸元に頬を寄せると、大きな手がそっと後頭部を撫でた。
 温室の外に見るべきものは少ないが、だからこそ歩いている人数はまばらだ。
 もちろん護衛がついてきてはいるのだろうが、動く人の気配はほとんどなく、まるで世界にたったふたりきりのような錯覚を覚える。
「歩き疲れたのではないか?」
「……いえ」
 ずっとこのままでいたい。むしろよりそったまま、この寒さに閉じこもりたい。
「冷えると身体に悪い。そろそろ戻るか」
「いいえ」
 メイラは、イヤイヤをするように首を振った。
 子供っぽいと笑われるかもしれない。もうこの場所には飽いたと思われたのかもしれない。
「……もうしばらく」
 目を伏せて、陛下の匂いと温もりを心に刻み込む。
 あとたった三日。そればかりが頭をよぎり、気持ちが塞いだ。
 チチチと渡り鳥たちが呼び合い、寒空の先へと飛び立っていく。
 厳冬期の前にやってきて、より暖かい地方へと渡っていく鳥たちは、みるみる間に遠ざかり木立の間に消えてしまった。
 どうか無事で。その息が絶えるまで、二羽で寄り添い睦まじく生きて欲しい。
「陛下」
 寒風が木々を揺らす音しか聞こえなかった。
 人が歩く音など全くしなかったにもかかわらず、低い男性の声が近距離から聞こえた。
 ふたりっきりという甘い錯覚に浸っていたメイラは、急激に現実に引き戻された気分でとっさに陛下の胸に顔を伏せた。
 しかし陛下は特に驚くわけでもなく、そんな彼女の後頭部を撫でる。
「不審な集団が近づいております」
 マントの内側にいるので、周囲を見回すことが出来ない。しかし聞き間違いでなければ、その声は頭上の方向から聞こえる。
「ご移動を」
「わかった」
 ひょいと片腕ですくうように抱き上げられた。安定の縦抱き。陛下に腕力があるからこそ可能な抱き方だ。
 視界が開けて、反射的に頭上を見てみたが、やはり何もない。
 木立の枝ひとつありはしないのに、あの声はどこから聞こえていたのだろう。
 念のために周囲を見回してみる。陛下の護衛であろう集団は声の届かない距離にいる。周囲は寒々とした真冬の庭園。葉のない灌木と下映えの草花が風に揺れているだけだ。
「そのうち引き合わせよう。皇室に代々仕える影者の一族だ」
 そうだろうとは思っていたが、メイラに明かしてもよかったのだろうか。
「姿は見えず、気配も感じないのに声だけが聞こえる。慣れないうちはかなり心臓に悪い」
「ハロルドさまでも?」
「剣に手を当てなくなるまで相当時間がかかった」
「それは素晴らしい技能です」
 メイラは無意識のうちに陛下の朱金色の髪に指を絡めており、そんな己に気づいてそっと手を離した。
「なんだ、羨ましそうだな?」
 離れていく手を、陛下の空いている方の手が捕まえる。
 されるがままに口元に引き寄せられ、小さなリップ音と共に口づけられると、今は確かにそこにある愛情にツンと鼻の奥が痛んだ。
「ハロルドさまを驚かせるコツなどあるのでしたら、教えて頂きたいものです」
「ふっ」
 泣いてはいけない。笑っていなければいけない。
 メイラは悪戯っぽい笑みを浮かべて、歩き始めた陛下の首筋に額を押し当てた。
 歩き始めてそれほどしないうちに、『不審な集団』というのがメイラの目にも捉えることが出来た。
 恐れていた刺客のようなものではなく、それは不審というよりも厄介事の集団だった。
 ゴテゴテと飾り立てられた、目にも鮮やかな南国の鳥のような色合いのドレスが見える。
 しかも一人ではなく、複数。
 それぞれがお付きの者や護衛を連れているから、膨れ上がった集団はかなりの数になっている。
 陛下はチラリと無感情な目をそちらに向けただけで、顔立ちが判別する距離に近づかせる気もないようだった。
「無粋な連中だ」
 遠くから聞こえる、意味はよく理解できないが、おそらくは陛下を呼んでいるのであろう声に背を向け、さっさと撤退を決め込む。
 メイラはその肩越しに、夜会に行くことすらできそうなドレス姿の集団に目を眇めた。
 庶民の年収の何倍分も値が張るであろう高価なドレスを着て、足元も整備されていないこんな場所に来るなど正気を疑う。
 陛下の目に留まろうとめかし込んでいるのだろう。気持ちは理解できなくはないが……正直に言って、血走った雰囲気がかなり怖い。
「……お話せずともよろしかったのですか?」
「アポイントメントも取らずに押しかけてくる女とか?」
 むっつりとしたその声色に口ごもり、もう一度華やかなドレスしか見てとれない女性たちに視線を向ける。
 陛下がお会いになろうとしないから、ああやって押しかけてくるのだろう。いかなるチャンスも与えられなければ、人は自らなんとか打開路を開こうとするものだ。
「そなたが会えというのならば会うが」
 いくらメイラでも、夫と他の女性とを近づけたいとは思わない。しかし全員をひととめにして避けているが、中には切迫した事情があって話をしたい女性もいるかもしれない。
「それとも……見せつけてやるか?」
 嫌そうな顔をしていた陛下が、ふと笑みを浮かべたので首を傾げる。
 見せつける?
 意味を測りかねている彼女の首に、つ……と陛下の指が触れる。
 耳の下、先ほど温室で舐められた場所だ。
「……ハロルドさま!!」
 数秒後、メイラは顔だけではなく全身を真っ赤にした。
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