170 / 207
修道女、旅立つ
7
しおりを挟む
一見健全な男女のように見え、その実性別が真逆という取り合わせについて、所詮は他人なので口を挟む筋合いではない。
しかし、明らかにこちらを気にしているグレイスに知らぬふりをして、テトラはひたすらにメイラばかりを構うものだから、ここから数日お世話になる商船の船長に対して、多少なりとも心証は悪いに違いなかった。
完全にとばっちりもいいところだ。
テトラに、女性には優しくするべきだと言い聞かせるべきか。いや、どう見ても美女な彼にそんなことを言うのはおかしいだろうか。
何とも微妙なふたりに挟まれ、かろうじて笑みらしきものを保てた自分を褒めてやりたい。
離宮でのあのあとどうなったのか、マローやルシエラや近衛騎士たちの安否を聞きたくて仕方がなかったのだが、グレイスがいるのでそれも口にできず。商船に乗り込む頃にはかなり気疲れしてしまった。
ようく個室に案内され、出航準備と打ち合わせがあるとかでグレイスとダンが席を外し、軍艦よりはかなり手狭だが、趣味の良い内装の部屋のドアがきっちり締まるのを待って……抑えきれない長い溜息をこぼしてしまった。
よろよろと備え付けのベッドに向かうなり、そのままダイブして横になりたくなる。
「さぞお疲れでしょう。温かいお飲み物を用意いたします」
「テラ、言葉遣い」
「誰も聞き耳を立ててはおりませんよ。そうですよね、スカー」
狭い室内にもかかわらず、ためらうことなく同じ部屋にはいってきたスカーが、しきりと周囲を確認しながらこっくりと頷いた。
彼が素早く部屋を見回し、その後ぐるぐると壁際を何周も回り、更にはコツコツと気になる部分を叩いてみる仕草は、まるでテリトリーの安全を確認している動物のようだ。
もちろんそんな感想を抱いたなどと、口には出さない。
しかしテトラも同様に感じたらしく、最初は用心深くスカーの動向に目を光らせていたが、やがて少し唇をほころばせた。
「皆は、どうしていますか? 幾人か死者がでたということは聞いているわ」
ようやく聞きたいことが言えて、メイラはほっと息を吐いた。
テトラはもう一度スカーのほうに視線を向けてから、「はい」と静かに言った。
「まずはお飲み物をお持ちしましょう。出航するまで少しかかるそうですから、まだ安心はできません」
「テトラ」
口の重いその様子が、想像していた以上の被害を感じさせた。一気に顔面から血の気が引き、ぎゅうと鳩尾の当たりが痛む。
「ごめんなさい。あなたの口から聞くしかないの」
男女のあれこれについて戸惑っている場合ではなかった。
ダンよりも現場にいたテトラのほうが詳細なことを知っているだろう。聞かなければならない。メイラには、その義務がある。
手指が白くなるほど握りしめたその手を、男性にしては薄い掌が包んだ。
ベッドに座るメイラの前に膝をつき、泣きたくなるほど真剣な表情で見上げられる。
「気に病まれることはございません。皆、職務を全うしただけです」
「いいえ。いいえ」
メイラは彼の目をまっすぐに見つめ、首を振った。
「わたくしの少しの対応の遅れが、こんなことに」
「御方さま」
「わたくしが終生背負っていかねばならない咎です」
もう一度、ぎゅっと握る手に力が込められた。
「襲った方が悪いに決まっているではないですか」
テトラの表情は歪んでいたが、その形の良い唇からメイラを責める言葉は出てこなかった。
「被害を受ける謂れは、こちらにはありませんでした。剣を振るいこちらに切りかかってきた方に非があります。我々はそれを受け止めるための楯であり、こういう時の為にはねのける剣を磨いてきたのです」
真摯なその表情が、一瞬だけ出来の悪い妹でも見るような目になって、目じりがほんの少し困ったように垂れた。
「姉は片腕を切り飛ばされました」
「……っ」
「わたしが傍を離れた時には、容態はまだ安定しておりませんでしたが、特級のポーションの支給があったようですので、間に合っていればすぐ職務に復帰できると思います」
目の奥がジンジンと痛んだが、意地でも泣くまいと涙は堪えた。
間に合っていなければ……どうなるのだろう。マローは腕を失ったまま、不自由な人生を歩んでいく羽目になるのか? 最悪、すでにもう命を失っているのかもしれない。
「女官殿のほうは、姉にその手配をしてからどこかへ行かれてしまいました」
「無事は無事なのね?」
「わたしが最後に見た時には、話しかけることのできる雰囲気では到底なく……怖いのであの人」
テトラはふっと笑い、「それでは、温かい飲み物を用意しますね」と静かに言った。
立ち上がる寸前に、もう一度だけ手に力が籠められる。
彼はマローについて楽観はしていない。最悪の場合をも覚悟しているのだろう。
大丈夫ですよと囁くその声は、見た目はどんなに美女に見えていても、覚悟を決めた男性のものだった。
とはいえ、彼なりに心の整理がまだできていないのかもしれない。
ぱたり、とドアが軍艦のものよりもかなり軽い音を立てて閉まると同時に、狭い密室内でスカーとふたりきりという空間ができあがってしまった。
貴族でなくとも、男女が密室にいるというのは外聞がいいものではない。
たとえば設定が奴隷であったとしても、いやだからこそ、いかがわしい事が行われていると決めつけられてもおかしくない状況だ。
狭い部屋の中で男性とふたりきりという状況に、どうにも落ち着かない尻を動かしたところで、こんな時なのに何を考えているのだろうと己を責めた。
先ほどまでテトラに握られていた両手を見下ろして、もういちど深く嘆息する。
もしこの祈りが御神に届くというのなら、どうかこれ以上メイラの近しい人々を冥府に連れて行ってくれるなと願いたい。
人間の生き死になど、偉大なる御神にはかかわりあいのないこと、蟻の巣の働き蟻一匹に向ける情程度しかないのかもしれない。それでも、どうかどうかと懇願せずにはいられない。
マローが生きていますように。無事腕が元に戻りますように。
他にもいるであろう負傷者たちが、皆命を拾ってくれますように。
しかし、明らかにこちらを気にしているグレイスに知らぬふりをして、テトラはひたすらにメイラばかりを構うものだから、ここから数日お世話になる商船の船長に対して、多少なりとも心証は悪いに違いなかった。
完全にとばっちりもいいところだ。
テトラに、女性には優しくするべきだと言い聞かせるべきか。いや、どう見ても美女な彼にそんなことを言うのはおかしいだろうか。
何とも微妙なふたりに挟まれ、かろうじて笑みらしきものを保てた自分を褒めてやりたい。
離宮でのあのあとどうなったのか、マローやルシエラや近衛騎士たちの安否を聞きたくて仕方がなかったのだが、グレイスがいるのでそれも口にできず。商船に乗り込む頃にはかなり気疲れしてしまった。
ようく個室に案内され、出航準備と打ち合わせがあるとかでグレイスとダンが席を外し、軍艦よりはかなり手狭だが、趣味の良い内装の部屋のドアがきっちり締まるのを待って……抑えきれない長い溜息をこぼしてしまった。
よろよろと備え付けのベッドに向かうなり、そのままダイブして横になりたくなる。
「さぞお疲れでしょう。温かいお飲み物を用意いたします」
「テラ、言葉遣い」
「誰も聞き耳を立ててはおりませんよ。そうですよね、スカー」
狭い室内にもかかわらず、ためらうことなく同じ部屋にはいってきたスカーが、しきりと周囲を確認しながらこっくりと頷いた。
彼が素早く部屋を見回し、その後ぐるぐると壁際を何周も回り、更にはコツコツと気になる部分を叩いてみる仕草は、まるでテリトリーの安全を確認している動物のようだ。
もちろんそんな感想を抱いたなどと、口には出さない。
しかしテトラも同様に感じたらしく、最初は用心深くスカーの動向に目を光らせていたが、やがて少し唇をほころばせた。
「皆は、どうしていますか? 幾人か死者がでたということは聞いているわ」
ようやく聞きたいことが言えて、メイラはほっと息を吐いた。
テトラはもう一度スカーのほうに視線を向けてから、「はい」と静かに言った。
「まずはお飲み物をお持ちしましょう。出航するまで少しかかるそうですから、まだ安心はできません」
「テトラ」
口の重いその様子が、想像していた以上の被害を感じさせた。一気に顔面から血の気が引き、ぎゅうと鳩尾の当たりが痛む。
「ごめんなさい。あなたの口から聞くしかないの」
男女のあれこれについて戸惑っている場合ではなかった。
ダンよりも現場にいたテトラのほうが詳細なことを知っているだろう。聞かなければならない。メイラには、その義務がある。
手指が白くなるほど握りしめたその手を、男性にしては薄い掌が包んだ。
ベッドに座るメイラの前に膝をつき、泣きたくなるほど真剣な表情で見上げられる。
「気に病まれることはございません。皆、職務を全うしただけです」
「いいえ。いいえ」
メイラは彼の目をまっすぐに見つめ、首を振った。
「わたくしの少しの対応の遅れが、こんなことに」
「御方さま」
「わたくしが終生背負っていかねばならない咎です」
もう一度、ぎゅっと握る手に力が込められた。
「襲った方が悪いに決まっているではないですか」
テトラの表情は歪んでいたが、その形の良い唇からメイラを責める言葉は出てこなかった。
「被害を受ける謂れは、こちらにはありませんでした。剣を振るいこちらに切りかかってきた方に非があります。我々はそれを受け止めるための楯であり、こういう時の為にはねのける剣を磨いてきたのです」
真摯なその表情が、一瞬だけ出来の悪い妹でも見るような目になって、目じりがほんの少し困ったように垂れた。
「姉は片腕を切り飛ばされました」
「……っ」
「わたしが傍を離れた時には、容態はまだ安定しておりませんでしたが、特級のポーションの支給があったようですので、間に合っていればすぐ職務に復帰できると思います」
目の奥がジンジンと痛んだが、意地でも泣くまいと涙は堪えた。
間に合っていなければ……どうなるのだろう。マローは腕を失ったまま、不自由な人生を歩んでいく羽目になるのか? 最悪、すでにもう命を失っているのかもしれない。
「女官殿のほうは、姉にその手配をしてからどこかへ行かれてしまいました」
「無事は無事なのね?」
「わたしが最後に見た時には、話しかけることのできる雰囲気では到底なく……怖いのであの人」
テトラはふっと笑い、「それでは、温かい飲み物を用意しますね」と静かに言った。
立ち上がる寸前に、もう一度だけ手に力が籠められる。
彼はマローについて楽観はしていない。最悪の場合をも覚悟しているのだろう。
大丈夫ですよと囁くその声は、見た目はどんなに美女に見えていても、覚悟を決めた男性のものだった。
とはいえ、彼なりに心の整理がまだできていないのかもしれない。
ぱたり、とドアが軍艦のものよりもかなり軽い音を立てて閉まると同時に、狭い密室内でスカーとふたりきりという空間ができあがってしまった。
貴族でなくとも、男女が密室にいるというのは外聞がいいものではない。
たとえば設定が奴隷であったとしても、いやだからこそ、いかがわしい事が行われていると決めつけられてもおかしくない状況だ。
狭い部屋の中で男性とふたりきりという状況に、どうにも落ち着かない尻を動かしたところで、こんな時なのに何を考えているのだろうと己を責めた。
先ほどまでテトラに握られていた両手を見下ろして、もういちど深く嘆息する。
もしこの祈りが御神に届くというのなら、どうかこれ以上メイラの近しい人々を冥府に連れて行ってくれるなと願いたい。
人間の生き死になど、偉大なる御神にはかかわりあいのないこと、蟻の巣の働き蟻一匹に向ける情程度しかないのかもしれない。それでも、どうかどうかと懇願せずにはいられない。
マローが生きていますように。無事腕が元に戻りますように。
他にもいるであろう負傷者たちが、皆命を拾ってくれますように。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【完結】王妃を廃した、その後は……
かずきりり
恋愛
私にはもう何もない。何もかもなくなってしまった。
地位や名誉……権力でさえ。
否、最初からそんなものを欲していたわけではないのに……。
望んだものは、ただ一つ。
――あの人からの愛。
ただ、それだけだったというのに……。
「ラウラ! お前を廃妃とする!」
国王陛下であるホセに、いきなり告げられた言葉。
隣には妹のパウラ。
お腹には子どもが居ると言う。
何一つ持たず王城から追い出された私は……
静かな海へと身を沈める。
唯一愛したパウラを王妃の座に座らせたホセは……
そしてパウラは……
最期に笑うのは……?
それとも……救いは誰の手にもないのか
***************************
こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる