この世界で 生きていく

坂津眞矢子

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第6話 ~歳は例え離れていても~

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「ラーメン、ですか」
「ラーメン、なのですよ」

 塩バターラーメンは正義なのです! と、常日頃から唱えても、なかなか納得して貰えない日々を送るのがわたし、四方田恵の日常でもある。

「さっぱりしてるのにコクがあって、好きなのですよ~」
「バターがあるのにさっぱり……それは確かに興味ありますね!」

 二人で校舎を出てほんの少し歩くと、学生食堂にたどり着く。共用施設が立ち並ぶ中でも学生達に人気の場所だ。
近くには同じ様に中学高校共用の図書館や講堂も建てられている。もしかすると、図書館でお勉強しつつ、お腹が空いたら学食へ、という流れでも、学園側としては生みたかったのかもしれない。

「重ねて聞きますが……ラーメン、ですか?」
「重ねて言いますが……ラーメン、なのですよ」

 その向かう道すがら、何度か訪ねられて何度か返して何度か頷かれて、ほえ~……と、どこか感心する後輩。名店の隠れた裏メニュー!! とかでもない、普通の学食のラーメン頼んだだけで感心される女子高生、というのも珍しい気がする。お嬢様は小洒落た喫茶店以外で食事をしてはいけないわけじゃあないんです。ラーメンぐらい食べるんです。

「うわ……うわあ!? 空いてるっ!?」
「あー……確かに、お昼と比べるとそれも解ります」

 学食に入るや否や、ガラガラ状態の学食がそこまで意外だったのか驚いて固まってしまった後輩。まぁ昼を知っていたらこの反応も無理も無い事で。彼女の髪をわしゃわしゃと撫でまわして解し、くしゃくしゃになった黒髪後輩を置き去りにしてさっさと先に進もうとすると、わたわたと慌てて、待ってくださいよーっ! と音声つきで付いて来る。……犬属性ってこういうものなのかな? と、なんとなく納得してしまう動きを見せる彼女は、また件の彼女とは違った魅力を放っている。十さんとは別の意味で可愛い箇所が、容姿以外にもちらほらと。

「では、お願いします」
「はい、私もコレお願いします!」

 二人で仲良く並んで食券を差し出し、出来上がりを待つわたし達。先程知り合った傍らの黒髪後輩の注文品の方は、ものの二分で出来上がってきた。

「あ、かわいい注文ですね」
「いや~紅茶とパンもなかなか良いですよ先輩? 如何です?」

 軽くキッチンに一礼して、頼んだ紅茶をこの場でそろりと口に運びながら、魅力的な提案を寄越してくる後輩。

「ふふっ、では次は頼んでみましょうか」
「やった! 一緒に紅茶沼に浸かりましょう!」

 紅茶沼……か。個人的に、紅茶も好きなのでこの提案は嬉しかった。緑茶への裏切り、とかよく分からない言葉が頭を過ぎったのは茶道部だからかな……紅茶葉でもお茶立てしても良いのですけどね。

「それにしても……」

 ズブズブに嵌ったらしい紅茶に一口つけて、一息ついた後輩は、周りをきょろりと見渡して、

「このお時間帯って空いていたのですね~」

 もう一度、関心したようにしみじみ呟いた。

「でしょう? 結構穴なんですよ」

 何せ千人超えの我が星花学園の学生食堂。昼が戦場の如くなので基本的に満員が常と思われがちだ。運動系の部員や先生、学園関連の人達はお昼以外にも頻繁に出入りするし、お昼の印象が余りにも強すぎるし、そう思われても仕方ないのかもしれない。

「今は半端なお時間ですからね。夜ご飯には早過ぎますし」

 お昼時の食堂ならば、まず、入るのも躊躇う程に人で溢れかえってしまう。数人で来たら、一方が席取りに一方が注文を取りに……のハズが、席取りすら出来ないまま途方に暮れるなんてことはザラだ。育ち盛りで色より食い気! な中等部と高等部の学生がお昼にわいわい集う場所。お昼に学食に行くというのは体育の授業同然でもあったりする。いや、待ち時間が長いだけで、禅の修行? の部類かな。本来食欲を満たす場所なのでそんな修行したくないのですけど……
 決して人嫌いでもないのに、わたしが学食に寄らない単純な理由の一つでもあり、友人達と教室や外やらで食べる理由の一つ。あそこまで混んでいるなら別にいいかなぁ、と思うのは、わたしを含めて多くの学生にとっても自然で。クラスの誰かが『食堂のドーナツ化現象』とか冗談で言ってたのも、割と的を得ているとは思う。まぁドーナツくらいまで薄まった所でやはり混んでいるので、待ち合わせでもしてない限りは、わたしも行かなくなって久しい。

(お昼もコレくらい空いていれば良いのですけれどね)

 それが、ついっと全体を見渡してみても、今はちらほらと数人人影が見える程度。時間帯も時間帯。座席取りに全神経と視力と根気を集中させる必要もない。目の前の後輩も、そうと分かれば律儀は律儀ながらも、一人でぽつんと先に座席で待っている様な生真面目タイプではないらしい。自分の注文が来た後でも、こうして受け取りカウンターでのんびり一緒に待っている。お話している。お互いそんな食堂の事をあれこれ話し、屈託なく笑い、驚き、また話す。

「お醤油も豚骨も好きですけれどね。塩で落ち着いちゃいます」
「う~ん、先輩の注文は色々意外でした」

 目を輝かせ感心しながら頷く後輩に、解ってくれましたか、と大きく頷く。茶道部だからと言っても和食しか食べないとかそんな事はないのだ。……と言うより寧ろ、和食の主役を張ることの多いお魚やらきのこ系は、実のところ苦手だったりする。しいたけとか青魚とか。

「意外、なんです?」
「先輩はこう……見た目や雰囲気が和風お嬢様でしたので、てっきり焼き魚定食とか召し上がるかなーっ?て思ってましたから」
「……お魚は実はちょっと……煮ても焼いても炒めても生臭いじゃないですか」

 苦い顔をしながらも理由をサクッと明かせば、あー……と、一定の納得を示す後輩。青魚アレルギーも手伝って、魚介類系は基本的に苦手で、中々箸が進まない。制服にも口にも生臭さが染み付いて残るのは、個人的にかなりキツかったりする。体調を左右する程に。

「ですけれどー? ……その、スープモノもブラウスに跳ねちゃいません?」

 匂いも移りますし……と、生臭さ以外で被る心配事を心配顔で後輩ちゃんはあれこれと気遣ってくる。ココナッツトーストにダージリンという、お嬢様さながらの軽食の彼女には縁遠い心配でもある。

「ラーメンを食べるためには仕方のない犠牲なんです」
「は、はぁ……」

 その後輩の心配に首を振ってラーメンを再度推すと、若干気圧されたのか、何だか気後れした声がふわりと漏れて。好きなモノは好きなので、気遣う心はありがたいし、被害も解るのだけれど、ここに来たからには譲れないのです。
 夕食には当然、日暮れにも早い時間帯で、おやつには少し遅い今現在。なので本来は彼女くらいの軽食が一番いいので、ラーメンをぶち込んでるわたしがおかしい。わたしだって、本来であればそれに準ずる軽いものを……なのだけれども。

「おまたせしたわ~」
「はい、どうもありがとうです。あーこれです、これですこれですこれなのですよ」

 キッチン全体へ軽く一礼して、彼女もそれを見て少し慌てて一礼。……彼女は自分の注文が来た際にやったのだから、二回やらずとも良いような気もするのだけれど。

「先輩が頭下げてるのに後輩が突っ立ってるのもおかしいじゃないですか?」

と の事。こういう、変に律儀なトコはわたしに似ている。初めて触れ合う割に色々お話せる間柄になれたのは、この、不思議と落ち着くお互いの相性の良さだろう。わたしの気になる相手は、目当ての人物は、彼女ではなく違う人。十京その人だ。だからと言って、折角の中等部という空間。その世界に訪れるのに、十さん一人、高城先生一人しかいないでは味気ない。訪れる先が、楽しい時間を過ごせる場所に越したことはないのだから。彼女とも、ひいては他の生徒達とも、精々同族嫌悪にならないように、これから先も色々長く仲良くしたい。何せ、わたしはあと一年半しかこの学園にはいられない。毎日毎日を、大切に過ごしていこう。一期一会で、立ち話だけで済ますだけの関係では、もったいないのだから。
 年の差があればあるだけ、距離に開きが出てしまう。それを否定はしないで、離れているからこそ、懸命にこの手を伸ばしたい。十さんにも、高城先生にも、そしてこの目の前の後輩にも。

「……しかも小じゃなくって、ふ、普通サイズなんですね?」
「ええ。ここに来たらどーしても、食べたくなっちゃうのですよ」

 真面目なことを考えつつも、大好きなラーメンをほわほわゆるゆるな顔でほわほわゆるゆるなオーラを纏いながらほわほわゆったり席まで運ぶわたしに、彼女は興味深そうに、わたしとラーメンを見比べ、観察しながら、同じ様にゆっくりそろりとお隣に付いてくる。
 特別高級品で揃えた素材を使いました! というワケでもないモノなのに、何故だか無性に食べたくなってしまう味。ご家庭の懐かしい味とか、おふくろの味とかとも違う、妙に癖になってしまう不思議な味。常日頃からバランス良いお弁当を造ってくるわたしが、偶然食べて以来、急に弁当そっちのけで毎日ラーメンばっかり食べ始めたため心配されたものだった。
 これがもう一つの、わたしがこの学食に寄らない理由で、最大の理由。この学食は危ない。わたしにとっては危険なのだ。お弁当自作勢としては、自分の味ばかりで内実飽きてしまっているのも、その補正として働いている…のかもしれない。然しそれでもあまりにも極端だ。ラーメンざんまいになる女子高生って、自分でもどうなのですかねそれは? と思っていてもやめられなかった。しまいには塩ラーメンとかあだ名付けられ始めて、流石にそれはと焦ってなんとか断ち切ったという悲しい過去がある。ラーメンじゃねーし。人だし。そう思っていても、結局の所こうして頼んでしまっている。こんな時間帯に。お隣の後輩が、念を押して訪ねまくってくれたのに、である。……塩ラーメンでいいです。あだ名。

「うーん……」

 なおも気遣う後輩ちゃんに、笑顔で首を振って、もう一つ微笑んで頷いてみせる。彼女も微笑み頷いて、それでわたしたちの早めの夕食は幕を開ける。さ、お互いの詳しいお話は美味しいものを食しながらといきましょう。お題も恋話、未だ芽生えていない年の差カップルに通じるかもしれない……と、美味しいものならば、食事もそれに準ずるに越したことはないのだから。


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 逃げなかった。退かなかった。
 耳をふさいで、頭を抱えて。
 不機嫌になり、負起原になり。
 スイッチが切り替わり、イツナがめんどくさそうに、怒気を含みながら現れる。
 ツクモは小馬鹿に、クオンは怯え、シメはきゃっきゃと、現れる。
 ……それはいい。彼女らはいい。だが……あいつが表れたら。それに、まだ他にいるかもしれない、人格達だって。
 そんな彼等に、あたしに、半ば押し付けてしまうような逃避行動から、モモが自ら耐えて、踏ん張り、乗り越えた。完っ全に過剰反応且つ、完っ全に勘違いではありながらも、【慕う対象を奪われる】、という、こいつにとっての最大級のストレスの一つに、なんとか耐えた。逃げなかった。

「はぁっ……はあっ…………っ!」
「……よしよし……いい娘だ……」

 一つ大きく、ぱしんと彼女の背中を叩いて、ひときわギュッと強く抱く。ビクンと一時震え、一時トロンとした瞳になりながら、ふらーっと床にゆっくり倒れ込む十。これはこいつ、モモへの一つのご褒美。
 この一回だけかもしれないけれど、変化には違いなく、成長にも繋がる事。
 怯えて逃げる、嫌って避ける。怯えて、クオンやシメに押し付ける。嫌って、イツナに押し付ける。それが、起きなかったのだから。

(しかし……強いな……)

 ……あの娘の存在一つでこうも変わるものか。
 いや、正確には……先のあの、四方田の強烈な言葉の方を、強い拠り所にしているのかもしれない。
 今はまだ、先の強烈なセリフが染み付いて、差程時が経っていない。強烈な言葉が強烈な輝きを放ったまま、突き刺さったまま、溶けていない感情のままの状態だ。

「ふ……ふふ……私負けないですよ!!」

 強い言葉。モモにしては感情優先。データ優先な彼女らしくない優先度。これも……この場にいない、彼女の強いサポートあってこそだろう。

「ん、もういいか?」
「うぐぐ……せ……せんせぇの脚は気持ちいですので……ちょ……ちょっとダメですぅ……」

 ってかここ廊下ですし丸見えじゃないですか!? と、あたしの下に倒れてる彼女が真っ赤になって、ぺしぺし叩いてくる。それをあたしは苦笑いしながらも、

(この体勢で、何時ものは求めてこない……か)

 所謂騎乗位の体勢で跨っているあたしは、下の十とは違って現実的な、そんな事を考えている。イツナやクオンやシメばっかり抱いていても、身体は共通して、十京なのだから意識しないわけにもいかず。そんな彼女からの、抱擁以外の言葉が出て来るのは感慨深い。
 ぺしぺし叩いて身をよじる彼女の両手を、ふいにギュッと握りしめ、ピタリと動きが停止して、大きく瞳を見開く十。そうして、ゆわりと力を緩め、彼女の手をにぎにぎと、柔らかく撫で握るあたしは、彼女の太ももを自分の脚で押さえ込むように挟んだまま、跨ったまま、動こうともせずに、一つ、刺激を投げかける。

「モモ、無理はしなくていいんだよ?」

 保健室で毎度の如く、泣きわめくクオンや甘えるシメにぎゅうっときゃっきゃと、強く、無邪気に抱き付かれる。稀にイツナやツクモが出てきてしまい、また何時の間にかおばさんに抱かれてる……とか、グチグチ不満を言い始めたりもする。おばさんじゃねえよまだ27だよこの野郎ぶっ倒れたのお前だろ退学にするぞガキども! 等……そんな楽しく騒がしい姦しいやり取りを経て、彼女は十京として、モモとしてヒフミとして復活する。

「……大丈夫……ですっ」

 その、逃げていた彼女が、念を押しても逃げない。
 少しの間を起き、逃げない選択。
 逃げる彼女が逃げない選択。
 その回答を、あたしはしかと、心にしまう。
 願わくば、強い一時の言葉よりも、常の人を頼って欲しい。そうして成長したら、両方に惹かれ、真に頼っていって欲しい。それはそれで一抹の寂しさを覚えるが、本来はそういうものだ。難しいが、そういうものだ。
 そうして手をにぎにぎと、柔らかく撫で握るあたしは、やはり跨ったまま動こうとしない。彼女の熱を、鼓動を受け続けても、一言も発せずに、じとりと汗で濡れた彼女の太ももに同じく脚をピタリとくっつけぎゅうっと押さえ、下に寝そべる彼女をじっと見つめる。まだもう一声足りない、と。じっと待つ。それにしびれを切らしたのか、今度は頬を染めっぱなしのモモの方から言葉が来る。

「……大丈夫……です」

 モモ、の状態でこの体勢を堪能するのは早々無い事だからか、その言葉に反応したあたしがすっと、彼女の身体から離れると、ぁ……と、僅かな吐息混じりの声が漏れ聞こえる。……その、名残惜しそうな顔で、火照った顔で艶やかな声を発するのも、モモだからだ。エロい。13歳なのにエロい。

「OK、行くぞ」
「……はい!」

 何はともあれ、あたしから言われたから応えた、……止まりでは、こいつはやはり、脆いモモのままだ。……また元に戻ってしまう。少し急だが、お前から動くのが筋なんだ。そうして望んだ通り、あたしに聞かれなくても、大丈夫、と答えてくれた。動いてくれた。
 歳が離れ過ぎているのはまだしも、十とは高等部までは付き合える。そこからはどう進んでもあたしも厳しい。ならば、やはり学生同士、今の間にしっかりと仲を育んでいって欲しいものだ。

「……モモ、お得意の状況整理は?」
「っ! そ、そうでした!! ……そう、ですね……! まずはここで追いかけます!」

 その変化にクスリと微笑む。だが敢えて無視しよう。

「よし、まずはこっちだな」
「ふふふ……今度こそ告白を……!」

 その先にいるのは、あたしじゃないだろう?

「だから飛ばしすぎだっての」
「でもでも、急がないとさっきみたいに!」

 ならば、まずは人といっぱい触れ合え。

「急ぎ過ぎても詰まるぞモモ」
「勢いあってこそ突破出来るものもありますよ?」

 もっともっと。人に塗れて人を知れ。

「ご名答」
「それに善は急げ! って言うじゃないですか!」

 あたしからじゃなく、本人同士で触れ合って。

「……会って二度目に告白って善なのかしら?」
「とーぜんですっ!! 善行なんです!! 正義です!!」

 一杯一杯砂にまみれて泥だらけになって強くなれ。

「それで焦って転んだらパンツ丸見えだぞお前」
「みっみるなああああああ!!」

 へっ、と微笑み笑い飛ばし、砂の一つをパラパラと、彼女にパラパラ振り掛ける。

「急がば廻れ、とも言うがな」
「うー! せんせぇ揚げ足取り!」

 乾いていない今のお前なら、しっかりこれも経験になるだろ?

「はっはっはー! 精々あがけあがけー! もがき苦しめ!」
「きょっ教師の言葉じゃなーい!?」

 そいつを持って、砂場で遊んでまみれて来い。投げつけてこい。

「そりゃあたしだぞ? 当たり前だろ?」
「開き直んないで下さーいっ!?」

 一杯沢山遊んで騒げ。騒いで疲れ果てたら、二人共きっと落ち着く。そこからでもいいじゃないか。

「なんだー? じゃーおとなしくなって欲しいかー?」
「はい! 見たいです!! お願いします!」

 ゆっくりじっくり、而してさっさと二人で色々進んで、盛大に爆発してくれ。

「……恋せよ乙女、よ。モモ。ゆっくり慎重に……」
「……うわぁ……高城せんせぇその口調似合わないです……」
「おめー明日居残り!!」
「ひどい!?」
「どっちがだ!!」
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