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第十章 グール対人間。最終決戦へ(十九歳)
090 波乱の結婚式6
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この国にはびこる、本当の悪を見せてやる。そう啖呵を切ったモリアティーニ侯爵により、空中に大きく透過された魔法の映像。
それは、ランドルフとハーヴィストン侯爵がどこかの部屋で、密会している様子のようだった。
ソファーに座るランドルフとその背後に立つハーヴィストン侯爵。突然映し出された二人に、広場にいる皆の視線が集中する。
この場にいる人々の多くが、「一体何事だ?」と言った表情で見つめる中、静止していた二人が動き出す。
『……しかし、これ以上BGを息子に投薬すれば、いずれ理性を失ってしまう』
今より幾分、若い感じのするランドルフが、悲痛な面持ちで、ハーヴィストン侯爵に訴えかけている。
『何をいまさら躊躇しているのですか。忘れたのですか?』
『何の事だ』
『そもそも、BGの変異株をばら撒き、この国に疫病をもたらしたのは、私達の父親だということを。その意志を継ぎ、この国を我らが物にすると誓った事を』
『くっ、忘れてはいない』
ランドルフは拳を強く握りしめながら、言葉を詰まらせる。
『あなたも分かっているはずだ。全てのグールが幸せになれる。そんな未来などあるはずがないということを』
『わかっている。しかし息子にBGを投与するのは、間違っていた。あれは、根本的な解決策にはならない』
『何を今更。大事なのは、私達のような上に立つ人間が、途切れる事なく新鮮な人間を食する事が出来る環境だ。出来損ない、持たぬものは淘汰され、選ばれし者……つまり我々のような者だけが残る。それこそが理想の世界じゃないですか』
ハーヴィストン侯爵は、自信ありげに笑みを浮かべる。
『それに、ルーカス殿下には、あなたの意志でBGを投薬したのですよ』
『しかし、それは、息子の抱える中途半端な病気を治そうとしただけだ。これ以上は……』
ランドルフは辛そうに唇を噛み締め、うなだれている。
『いいですか、陛下。人間側には英雄視されるルドウィンがいる。よって、グール側にも、皆を牽引できる絶対的な存在……グールの英雄が必要なのです』
『だが、息子をこの手で化け物にする事など出来ない。これ以上は無理だ!!』
言い捨てると、ランドルフがソファーから勢い良く立ち上がる。
『かつて、出来損ないと周囲から馬鹿にされていた王子が強大な力を持ち、グール達を明るい未来へと導く。それこそ、英雄誕生にふさわしい、民が望むサクセスストーリーです。より陛下へ心酔する者達が増えるでしょう』
ハーヴィストン侯爵は、思い詰めた様子を見せるランドルフの肩を掴み、強引に自分のほうを向かせた。
『息子にこれ以上、BGを投薬させ続けるなど、そんな恐ろしい事をさせるなんて、私には出来ない』
ランドルフは必死に抵抗し、肩に置かれたハーヴィストン侯爵の手を振り払った。
『出来るかどうかなど、もはや関係ない。我々は、貴方がこの国の頂点に立ち続けるため、既に悪に手を染めている。今更手を引こうだなんて、許されない事なのですよ?」
ハーヴィストン侯は、ランドルフの胸ぐらを掴むと、彼の身体を壁に押し付けた。
『やめろ……』
ランドルフはハーヴィストン侯を睨みつける。
『勘違いなさらないで頂きたい。あなたの命令は、私の指先でいくらでも踊る。何故なら、新鮮な人間をあなたに提供できるのは、私だけですからね。いいですか、陛下。この国を動かしているのは、誰でもない、私だ』
『…………』
ハーヴィストン侯爵は見下したような表情で、口元を歪めた。
『一度味わった甘美な味は忘れる事が出来ない。つまり、グールにとって、人間を供給出来る者。それこそが王に相応しい。よって、陛下は私に従うことしか出来ないのですよ?』
『くっ……』
ランドルフは言い返せないのか、顔を歪め歯を食いしばる。
『また生きの良い、新たな人間を陛下の為に用意致しますよ。そろそろ飢えを、渇きを満たされたいのではないですか?』
『それは……』
『私に全てお任せ下さい陛下。私達は上に立つ者。好きな時に人を喰らう事が許される権利を持つ者ですからね』
ハーヴィストン侯爵の、人間にとってはおぞましい、しかしグールにとっては甘美なる言葉に、ランドルフは苦い表情でうなだれていた。
(え、どういうこと?)
映し出された映像の中のランドルフは、ルーカスにBGを投与する事を躊躇している様子だった。私が見た手紙の内容、それから先程のルーカスに対する態度からは、全く想像出来ない状況だ。
私が困惑する中、映し出された映像の場面が変わる。
またもや同じような部屋。今度はお互いソファーに座り、向き合っている。違うのは二人の容姿だ。今回の二人は、今目の前にいる本人そのままに近い。つまり最近記録された魔法映像なのだろう。
『モリアティーニ侯から、終戦に向けた話し合いがしたいと、書簡が届いた』
ランドルは封筒をテーブル越しに、ハーヴィストン侯爵へと差し出す。
『こんな手紙まで送ってくるなんて、モリアティーニ侯も焦っているのかもしれませんな』
ハーヴィストン侯は、ランドルフから受け取った書簡を開封し、難しい表情で中身に目を通している。そしてすぐに読み終えた書簡を折りたたむと封筒に入れ、テーブルの上に戻した。
『なるほど。大体の事情は把握しました。それで陛下、どうされるおつもりですか?』
『……正直に言うと、私は体調が良くない。よって、ルーカスが無事にお前の娘と結婚し、落ち着けば、息子に王位を譲るつもりだ。それまでに、出来れば終戦を迎えたいと思っている』
ランドルフの言葉を聞いたハーヴィストン侯爵は、笑みを浮かべる。
『なるほど。しかし、そう簡単に終戦とはいかないでしょう。凶暴性を高めるために、BGを定期的に投与させた者は人間を襲う。いわば兵器だ。よって、終戦となると、彼らを秘密裏に始末する必要があります』
『そうだな。だからこそ、こちらとしても準備が必要だ。今すぐに終戦するわけにはいかん。それにルドゥインを始末したとは言え、未だルーカスの王位を脅かす存在がある』
ランドルフは疲れた様子を見せながら、小さくため息をついた。
「ルドウィンの娘、ルシアですな」
「あぁ、そうだ」
私は自分の名前が映像の中から飛び出し、ドキリとする。
『それに、ティアナ王国より表向き、移民として受け入れた人間。その者たちを、実のところ我々の食料にしていたという事が判明すれば、流石にティアナの王が黙っていない』
『そうですね。この件が公とされてしまえば、娘と殿下が結婚し、陛下が退位されるのと同時に、新たな王となるルーカス殿下が、その責任を負わされる事になります。娘が巻き込まれるのは勘弁願いたい』
『砂漠に一滴の水……冷酷極まりないお前でも、娘は可愛いのだな』
『当然です。私にとっては、我がハーヴィストン家の跡継ぎを産む、大事な娘ですから』
まるでリリアナを、子を産む道具であるかのように言い放つハーヴィストン侯爵。
私はハーヴィストン侯爵への嫌悪感を募らせつつ、白いウエディングドレスに身を包むリリアナを見つめる。するとリリアナは、明らかに傷ついた表情でうつむいていた。誰もが一番美しく輝いて見えるはずの、ウエディングドレスが、まるで喪服かと錯覚してしまうほど、彼女はひどく打ちひしがれている様子だ。
『最悪の場合、一度ルドゥインの娘に王位を譲渡し、私は妻と息子夫婦と国を離れ、どこかに潜伏する羽目になるかも知れん』
『ははは、まさに国外追放ですな』
高らかに笑うハーヴィストン侯爵。
(なにそれ)
まるでバカンスに出かけるかのように、国外追放という言葉を口にするランドルフと、それを冗談として笑い飛ばすハーヴィストン侯爵。
私は国外追放され、流浪の民になった者にしかわからない苦労。それを次々と思い出し、ギュッと降ろした拳を握りしめる。
(許せない、絶対に)
私の中に渦巻く、憎しみの感情が爆発しそうになる。
シュルリと音がして、私は無意識で自分の手の中に杖を召喚されたのを感じた。
そんな私の手にそっと、人肌が触れる。ハッとして自分の手を確認すると、隣に立つロドニールが、私の手を優しく包み込むように握ってくれていた。
私よりもずっと大きくて、ゴツゴツとしていて、とても温かい手の感触を感じ、荒ぶる感情が落ち着くのを自覚する。
「ありがとう、もう大丈夫」
私は深呼吸し、うっかり手に召喚した杖を素早く消滅させる。
「憎しみは……」
ロドニールが呟くと、私の顔を見つめる。
「憎しみは、人との間にあるはずの、信頼や共感を失わせ、社会的な分断を引き起こす原因となる。私は祖父よりそう教わりました。それに、憎しみという感情は、何よりルシア様を苦しめ続けている。あなたが傷つくのは私も、つらい」
私に気遣ってか、落ち着いた口調で話すロドニール。そんな彼の優しさに、私の中でくすぶっていた憎悪の炎が、少しだけ弱まる。
(そう、少しだけ)
なぜなら、私は幼い頃からずっと、憎しみを原動力として生きてきたから。誰かを憎む事ばかりが、次から次へと起こる私の人生は、とても歪んでいるものだ。
それでも、そんな私を気遣ってくれる人がそばにいる。こんな私の事を、気にかけてくれる人がいる。そして、私が負の感情に囚われる事を、まるで自分の事のように苦しんでくれる人がいる。
それは、とても恵まれている事なのだと、今更実感する。
だからって、私はこの先も特定の人を、恨むことや憎む事を手放す事は出来ない。けれど、その感情のせいで周囲の人を、ロドニールを傷つけたくないと思った。
そしてやっぱり私は思う。
ルーカスが好きな気持ちはある。けれど彼との将来が望めない。ならば、ロドニールと共に歩む将来しかないし、私もそれを望んでいる。
私は顔をあげ、ロドニールを視界にしっかり収める。
「ありがとう。あなたのお陰で、ちょっと冷静になれた気がする。今日が終わったら、私にあなたの時間をくれない?」
私は浮かんでくる優しい気持ちのまま、ロドニールに微笑みかけた。
「え?一体どういう心境の変化ですか?」
「それはここでは言えないわ。でも私は、どういう生き方をしたらいいか。それがわかった気がするの」
私はすっきりとした気分で、笑顔のまま告げる。するとロドニールは驚いた顔をしたあと、私に照れた笑みを返してくれた。こちらに向けられた優しい笑顔を目の当たりにし、私の心はきゅんとし、ざわめく。そしてジワジワと頬に熱がこもり始める。
(あぁ、恋をする瞬間なのかも)
こんな時にと思わなくもない。
けれど、灯台もと暗しとは良く言ったものだ。
今までそばにいて、感じなかった新しい気持ちが、今確実に自分の中で芽生えた気がする。
(私はロドニールが好きなんだ)
今更ながら自覚した自分の気持ちに、胸の奥がまたもやきゅんとする。
「と、とりあえず、そういう事だから」
「はい」
まだ少し赤い顔のロドニールが照れた感じで頷く。その姿を見て、私もつられて恥ずかしくなり、思わず照れた感じで、俯いてしまうのであった。
それは、ランドルフとハーヴィストン侯爵がどこかの部屋で、密会している様子のようだった。
ソファーに座るランドルフとその背後に立つハーヴィストン侯爵。突然映し出された二人に、広場にいる皆の視線が集中する。
この場にいる人々の多くが、「一体何事だ?」と言った表情で見つめる中、静止していた二人が動き出す。
『……しかし、これ以上BGを息子に投薬すれば、いずれ理性を失ってしまう』
今より幾分、若い感じのするランドルフが、悲痛な面持ちで、ハーヴィストン侯爵に訴えかけている。
『何をいまさら躊躇しているのですか。忘れたのですか?』
『何の事だ』
『そもそも、BGの変異株をばら撒き、この国に疫病をもたらしたのは、私達の父親だということを。その意志を継ぎ、この国を我らが物にすると誓った事を』
『くっ、忘れてはいない』
ランドルフは拳を強く握りしめながら、言葉を詰まらせる。
『あなたも分かっているはずだ。全てのグールが幸せになれる。そんな未来などあるはずがないということを』
『わかっている。しかし息子にBGを投与するのは、間違っていた。あれは、根本的な解決策にはならない』
『何を今更。大事なのは、私達のような上に立つ人間が、途切れる事なく新鮮な人間を食する事が出来る環境だ。出来損ない、持たぬものは淘汰され、選ばれし者……つまり我々のような者だけが残る。それこそが理想の世界じゃないですか』
ハーヴィストン侯爵は、自信ありげに笑みを浮かべる。
『それに、ルーカス殿下には、あなたの意志でBGを投薬したのですよ』
『しかし、それは、息子の抱える中途半端な病気を治そうとしただけだ。これ以上は……』
ランドルフは辛そうに唇を噛み締め、うなだれている。
『いいですか、陛下。人間側には英雄視されるルドウィンがいる。よって、グール側にも、皆を牽引できる絶対的な存在……グールの英雄が必要なのです』
『だが、息子をこの手で化け物にする事など出来ない。これ以上は無理だ!!』
言い捨てると、ランドルフがソファーから勢い良く立ち上がる。
『かつて、出来損ないと周囲から馬鹿にされていた王子が強大な力を持ち、グール達を明るい未来へと導く。それこそ、英雄誕生にふさわしい、民が望むサクセスストーリーです。より陛下へ心酔する者達が増えるでしょう』
ハーヴィストン侯爵は、思い詰めた様子を見せるランドルフの肩を掴み、強引に自分のほうを向かせた。
『息子にこれ以上、BGを投薬させ続けるなど、そんな恐ろしい事をさせるなんて、私には出来ない』
ランドルフは必死に抵抗し、肩に置かれたハーヴィストン侯爵の手を振り払った。
『出来るかどうかなど、もはや関係ない。我々は、貴方がこの国の頂点に立ち続けるため、既に悪に手を染めている。今更手を引こうだなんて、許されない事なのですよ?」
ハーヴィストン侯は、ランドルフの胸ぐらを掴むと、彼の身体を壁に押し付けた。
『やめろ……』
ランドルフはハーヴィストン侯を睨みつける。
『勘違いなさらないで頂きたい。あなたの命令は、私の指先でいくらでも踊る。何故なら、新鮮な人間をあなたに提供できるのは、私だけですからね。いいですか、陛下。この国を動かしているのは、誰でもない、私だ』
『…………』
ハーヴィストン侯爵は見下したような表情で、口元を歪めた。
『一度味わった甘美な味は忘れる事が出来ない。つまり、グールにとって、人間を供給出来る者。それこそが王に相応しい。よって、陛下は私に従うことしか出来ないのですよ?』
『くっ……』
ランドルフは言い返せないのか、顔を歪め歯を食いしばる。
『また生きの良い、新たな人間を陛下の為に用意致しますよ。そろそろ飢えを、渇きを満たされたいのではないですか?』
『それは……』
『私に全てお任せ下さい陛下。私達は上に立つ者。好きな時に人を喰らう事が許される権利を持つ者ですからね』
ハーヴィストン侯爵の、人間にとってはおぞましい、しかしグールにとっては甘美なる言葉に、ランドルフは苦い表情でうなだれていた。
(え、どういうこと?)
映し出された映像の中のランドルフは、ルーカスにBGを投与する事を躊躇している様子だった。私が見た手紙の内容、それから先程のルーカスに対する態度からは、全く想像出来ない状況だ。
私が困惑する中、映し出された映像の場面が変わる。
またもや同じような部屋。今度はお互いソファーに座り、向き合っている。違うのは二人の容姿だ。今回の二人は、今目の前にいる本人そのままに近い。つまり最近記録された魔法映像なのだろう。
『モリアティーニ侯から、終戦に向けた話し合いがしたいと、書簡が届いた』
ランドルは封筒をテーブル越しに、ハーヴィストン侯爵へと差し出す。
『こんな手紙まで送ってくるなんて、モリアティーニ侯も焦っているのかもしれませんな』
ハーヴィストン侯は、ランドルフから受け取った書簡を開封し、難しい表情で中身に目を通している。そしてすぐに読み終えた書簡を折りたたむと封筒に入れ、テーブルの上に戻した。
『なるほど。大体の事情は把握しました。それで陛下、どうされるおつもりですか?』
『……正直に言うと、私は体調が良くない。よって、ルーカスが無事にお前の娘と結婚し、落ち着けば、息子に王位を譲るつもりだ。それまでに、出来れば終戦を迎えたいと思っている』
ランドルフの言葉を聞いたハーヴィストン侯爵は、笑みを浮かべる。
『なるほど。しかし、そう簡単に終戦とはいかないでしょう。凶暴性を高めるために、BGを定期的に投与させた者は人間を襲う。いわば兵器だ。よって、終戦となると、彼らを秘密裏に始末する必要があります』
『そうだな。だからこそ、こちらとしても準備が必要だ。今すぐに終戦するわけにはいかん。それにルドゥインを始末したとは言え、未だルーカスの王位を脅かす存在がある』
ランドルフは疲れた様子を見せながら、小さくため息をついた。
「ルドウィンの娘、ルシアですな」
「あぁ、そうだ」
私は自分の名前が映像の中から飛び出し、ドキリとする。
『それに、ティアナ王国より表向き、移民として受け入れた人間。その者たちを、実のところ我々の食料にしていたという事が判明すれば、流石にティアナの王が黙っていない』
『そうですね。この件が公とされてしまえば、娘と殿下が結婚し、陛下が退位されるのと同時に、新たな王となるルーカス殿下が、その責任を負わされる事になります。娘が巻き込まれるのは勘弁願いたい』
『砂漠に一滴の水……冷酷極まりないお前でも、娘は可愛いのだな』
『当然です。私にとっては、我がハーヴィストン家の跡継ぎを産む、大事な娘ですから』
まるでリリアナを、子を産む道具であるかのように言い放つハーヴィストン侯爵。
私はハーヴィストン侯爵への嫌悪感を募らせつつ、白いウエディングドレスに身を包むリリアナを見つめる。するとリリアナは、明らかに傷ついた表情でうつむいていた。誰もが一番美しく輝いて見えるはずの、ウエディングドレスが、まるで喪服かと錯覚してしまうほど、彼女はひどく打ちひしがれている様子だ。
『最悪の場合、一度ルドゥインの娘に王位を譲渡し、私は妻と息子夫婦と国を離れ、どこかに潜伏する羽目になるかも知れん』
『ははは、まさに国外追放ですな』
高らかに笑うハーヴィストン侯爵。
(なにそれ)
まるでバカンスに出かけるかのように、国外追放という言葉を口にするランドルフと、それを冗談として笑い飛ばすハーヴィストン侯爵。
私は国外追放され、流浪の民になった者にしかわからない苦労。それを次々と思い出し、ギュッと降ろした拳を握りしめる。
(許せない、絶対に)
私の中に渦巻く、憎しみの感情が爆発しそうになる。
シュルリと音がして、私は無意識で自分の手の中に杖を召喚されたのを感じた。
そんな私の手にそっと、人肌が触れる。ハッとして自分の手を確認すると、隣に立つロドニールが、私の手を優しく包み込むように握ってくれていた。
私よりもずっと大きくて、ゴツゴツとしていて、とても温かい手の感触を感じ、荒ぶる感情が落ち着くのを自覚する。
「ありがとう、もう大丈夫」
私は深呼吸し、うっかり手に召喚した杖を素早く消滅させる。
「憎しみは……」
ロドニールが呟くと、私の顔を見つめる。
「憎しみは、人との間にあるはずの、信頼や共感を失わせ、社会的な分断を引き起こす原因となる。私は祖父よりそう教わりました。それに、憎しみという感情は、何よりルシア様を苦しめ続けている。あなたが傷つくのは私も、つらい」
私に気遣ってか、落ち着いた口調で話すロドニール。そんな彼の優しさに、私の中でくすぶっていた憎悪の炎が、少しだけ弱まる。
(そう、少しだけ)
なぜなら、私は幼い頃からずっと、憎しみを原動力として生きてきたから。誰かを憎む事ばかりが、次から次へと起こる私の人生は、とても歪んでいるものだ。
それでも、そんな私を気遣ってくれる人がそばにいる。こんな私の事を、気にかけてくれる人がいる。そして、私が負の感情に囚われる事を、まるで自分の事のように苦しんでくれる人がいる。
それは、とても恵まれている事なのだと、今更実感する。
だからって、私はこの先も特定の人を、恨むことや憎む事を手放す事は出来ない。けれど、その感情のせいで周囲の人を、ロドニールを傷つけたくないと思った。
そしてやっぱり私は思う。
ルーカスが好きな気持ちはある。けれど彼との将来が望めない。ならば、ロドニールと共に歩む将来しかないし、私もそれを望んでいる。
私は顔をあげ、ロドニールを視界にしっかり収める。
「ありがとう。あなたのお陰で、ちょっと冷静になれた気がする。今日が終わったら、私にあなたの時間をくれない?」
私は浮かんでくる優しい気持ちのまま、ロドニールに微笑みかけた。
「え?一体どういう心境の変化ですか?」
「それはここでは言えないわ。でも私は、どういう生き方をしたらいいか。それがわかった気がするの」
私はすっきりとした気分で、笑顔のまま告げる。するとロドニールは驚いた顔をしたあと、私に照れた笑みを返してくれた。こちらに向けられた優しい笑顔を目の当たりにし、私の心はきゅんとし、ざわめく。そしてジワジワと頬に熱がこもり始める。
(あぁ、恋をする瞬間なのかも)
こんな時にと思わなくもない。
けれど、灯台もと暗しとは良く言ったものだ。
今までそばにいて、感じなかった新しい気持ちが、今確実に自分の中で芽生えた気がする。
(私はロドニールが好きなんだ)
今更ながら自覚した自分の気持ちに、胸の奥がまたもやきゅんとする。
「と、とりあえず、そういう事だから」
「はい」
まだ少し赤い顔のロドニールが照れた感じで頷く。その姿を見て、私もつられて恥ずかしくなり、思わず照れた感じで、俯いてしまうのであった。
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