復讐の始まり、または終わり

月食ぱんな

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第十一章 少しずつ、溶けていく(二十歳)

105 無くした指輪7

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 小さな子供たちが、汚れる事を気にせず裸足はだしで泥んこ遊びをしている。その横で大笑いするのは、ぐでんぐでんに酔っ払った男。壊れた家屋の壁からはネズミが列を成し、チョロチョロと飛び出してきた。

 貧民街と呼ばれる場所の、そんな光景をながめながら、辿たどり着いたのは他の家と少しつくりが違う、木造の二階建て。貧民街の端に位置するその家は、ここに来るまでに目にした家に比べると、幾分いくぶんマシに思えた。とは言え、その家はボロボロの窓枠に、呼び鈴もドアノブもびついていた。正直、とても人の住む家とは思えない状況だ。

(まぁ、呼び鈴にドアノブがあるだけマシか)

 盗まれていないだけでもラッキーだと一瞬思ったが、もはや盗む価値すらないのかも知れない。その事に気付いた私は気が滅入る気持ちで、もう一度ボロボロの家を見つめる。

「本当にここで合ってる?」

 念の為ルーカスに確認する。

「ああ、間違いない。信じられない事に、数家族で部屋をシェアして住んでいるそうだ」

 マジカルフォンの画面を眺めながら「信じられないよな」とルーカスは小さく首を振る。何だかんだルーカスの育ちの良さが現れた瞬間だ。

「とにかく、お待ちかねの対面だ」

 少し緊張した面持おももちちで、ルーカスが木の扉をノックする。しかし何の反応もない。

「おかしいな。モリアティーニ候から渡された報告書によると、この時間は家にいるはずなんだけど」
「ドアノブはもはや意味がなさそうだし、入ってみようよ」

 提案し、返答を待つ前に私は、かつては鮮やかな緑色に塗られていたであろう、ささくれだった扉を押す。すると、ガシャンと大きな音が辺りに響いた。

「え?」

 音のしたほうに顔を向けるも、ルーカスが身をていする感じで私の前に立った為、視界不良という状況だ。ルーカスの騎士としての働きを有り難く思いつつも、私は彼の背中から顔をだし、音のした方を確認する。

 しばらくすると建物の裏窓から勢いよく男が飛び出してきた。そして私達の姿を確認すると、慌てた様子で屋根伝いに男は逃げていってしまった。

「あれはなんだろう」

 ルーカスが拍子抜けといった感じの声をあげる。

「借金の取り立てと勘違いしたんじゃない?それかこの辺を取り仕切るマフィアのボスに目をつけられたとか」

 私は自分の知識の引き出しから、それっぽい可能性をルーカスに示す。

「マフィアのボス?」
「そう。貧民街には危ない仕事を斡旋あっせんしてくれる組織があるのが常識よ。ま、普通は逆らわなければ、手を出される事はないんだけどね」

 どこにいても組織に馴染む事が生き抜く事とイコールだ。
 貴族が社交界に参加するように、貧民街にもそういったコミュニティが存在する。

 そして小さなコミュニティであればあるほど、仲間から爪弾きにされた場合、生き抜く事が難しくなるというものだ。そして貧民街の場合、優雅なお茶会や舞踏会といった物を通し、仲間の結束を深めていくなんて事はあり得ない。恐喝きょうかつや暴力、犯罪がらみで横の繋がりが広がっていくのである。

 現在私とルーカスは、街に馴染むよう、シンプルな服に身を包んでいるとは言え、貧民街に住むには綺麗すぎる格好だ。よって、マフィアのボスの仲間。そう思われた可能性は大いにありそうだ。

「とりあえず、入ってみようよ。もしかして、スティーブが逃げたあいつに何かやられてるって、そういう可能性もあるし」
「それはまずいな」

 ルーカスと私は静かに家の中へと入る。薄暗い室内はほこりっぽく、長い間掃除されていないのか蜘蛛の巣が至るところにあった。

「スティーブ達はニ階に住んでるそうだ」

 ルーカスの案内で、床板を踏み抜きそうな程ギシギシ鳴る階段を登り二階へと向かう。途中、一階のリビングらしき部屋を通り過ぎた時、誰かの話し声が聞こえて来た。

 確かにこの家は細切れの空間に、複数の世帯が住んでいるようだ。

「この家、五人くらい住んでるんじゃない?」
「ああ、そのくらいいても、驚かないよ」

 ひそひそと会話を交わし、足音を忍ばせながら私たちはゆっくりと階段を進む。そしてニ階に上がると、一番奥の部屋から灯りがれている事に気が付いた。

「あそこ?」
「そうだと思う」

 マジカルフォン片手のルーカスがうなずく。私たちは息を殺し、部屋の前まで移動する。すると部屋のドアがわずかに開いている事にすぐに気付いた。

「どうする?いきなり踏み込む?」

 ドアが開いているのだから、蹴破る必要もなしだと判断した私はルーカスにたずねる。

「いや、逃げられても困るし、ここは慎重にいこう。それに一回やってみたかったんだよね」
「何を?」
「みてて」

 ルーカスはマジカルフォンをしまい、代わりにポケットから小石を一つ取り出すと、指で弾いて部屋の中に投げ入れた。カンッ! と乾いた音を立て、石が床に当たり跳ね返る音が響く。

(そんな大胆に小石を投げたら、蹴破るのと同じじゃない?)

 密かにそう思ったが、小石を投げるルーカスが満足げな上に、とても楽しそうなので、好きにさせておく事にした。

 私とルーカスは息を殺し、中の様子を音でうかがう。しかししばく待っても反応がない。

「いないのかな」
「どうかな」
「もう一度やっていい?」

 ルーカスは少年のような表情で私にたずねてきた。

「むかし読んだ、少年探偵ものの本でさ、石を投げ入れて、部屋の中に誰かいるかどうかを確かめるシーンがあったんだ。いつか俺もやってみたいと思ってて」
「それで、小石をポケットにいれてるの?」
「うん」
「もしかして子どもの頃から?」
「うん。じゃ、もう一度やってみる」
「が、頑張って」

 子どもの頃からの夢ならば、何も言うまいと、私はルーカスが得意げに室内に石を投げ入れる勇姿を見つめる。

 先程より少し強めに投げ入れた小石は、カンッという高い音を響かせた。そして今度こそ、部屋の中で人の動く気配をしっかりと感じとれた。

 私とルーカスは顔を見合わせる。そして私は杖を手に召喚し、ルーカスは腰に差したナイフを抜いた。息を殺しながら、ルーカスは部屋の扉に近づくと、勢いよくそれを開け放った。

「誰だ!?」

 突然開いた扉に驚いた様子でこちらを振り向く、疲れ果てた顔をした男。その手には、木を削っただけの粗末そまつ棍棒こんぼうが握られている。そしてその後ろには、おびえきった表情で震える子どもの姿が見えた。子どもの脇には、お腹を抱え床に倒れる女性の姿がある。

「やだ、一体何が?」
「お前がやったのか!」

 ルーカスがスティーブに掴みかかる。その横を通り過ぎ、私はひとまずうつ伏せに寝転ぶ、リリアナだと思われる女性に駆け寄る。

「大丈夫?」

 声をかけるも、リリアナから返ってきたのは、荒い息のみ。慌てて抱き起こし彼女の顔を確認すると真っ青で、唇の色も失っていた。

「リリアナ?」

 私の呼びかけに彼女は目を開けたが、焦点が合っていない。そしてそのまま口をパクパクと何度か動かすと、泡を吹いて気を失ってしまった。

「ママぁーー!!」

 倒れ込んだ母親に泣きつく女の子。

「お願いだ!!リリアナを、彼女を助けてくれ!!」

 ルーカスに胸元を掴まれ、壁に押し付けられた状態のスティーブが必死の形相で私たちに向かって叫んだ。

「ルシア、リリアナの状態は?」
「良くはない。というか、まずいと思う」
「どういう意味?」
「魔力が乱れてる。多分だけど、ショック状態だから、無意識で防御魔法を使ってるんだと思う」
「そんな馬鹿な。こんな状態で魔法を使えば死ぬぞ」
「だからまずいのよ。とりあえず、お医者様の所に連れていかないと」

 私はリリアナを床にそっと寝かせる。

「王城に連れ帰るのは流石にまずい。とりあえずモリアティーニ侯の屋敷がいいと思う。俺が彼に連絡しておく」

 ルーカスは私に告げると、スティーブから手を離した。そしてすぐさま、マジカルフォンをふところから取り出し、画面を何度かタップすると耳に当てる。

「助けてやるから逃げるなよ」
「わかった」

 力なくその場にへたり込んだスティーブは、ルーカスの言葉に頷く。

「パパァーー」

 ロゼットが座り込むスティーブに駆け寄った。

「大丈夫だ。ママは助かる」

 泣きじゃくるロゼットをしっかりと抱きしめるスティーブ。

「もしもし、モリアティーニ侯ですか?今、貧民街にいるんですけど、緊急事態です。え?はい、そうですね。わかりました。とりあえずモリアティーニ侯の屋敷に。はい、では、よろしくお願いします」

 短いやり取りを終えると、ルーカスは魔法通信を切り、私達に向き直った。

「事情を説明したら、すぐに屋敷に医者を呼ぶって。とりあえずスティーブ。彼女を大通りまで運ぶんだ」
「ああ、わかった」

 スティーブはリリアナを抱き上げると、ゆっくりと歩き出した。

「うわぁぁぁぁん、パパ!!」
「ロゼット、抱っこは無理だ」
「イヤ、やだぁ。うわぁぁぁぁん」

 スティーブにしがみつき、涙を流すロゼット。するとルーカスがロゼットの脇でしゃがみ込む。

「僕はルーカス。こっちのお姉ちゃんはルシアだよ。僕たちは君のお父さんとお母さん。スティーブとリリアナの友達なんだ。だから一緒に行こう」

 これ以上無いくらい優しく微笑むルーカス。

「ほんとうに?」

 疑う感じでルーカスを見つめたあと、確かめるように、スティーブを見上げるロゼット。

「ああ、本当さ。二人は友達……だ」
「わかった!」

 ロゼットは泣くのを止め、小さな手でゴシゴシと目元をこする。そしてルーカスに向かって両手を広げた。

「抱っこして!」
「はいはい」

 ルーカスは苦笑いのまま、ロゼットをヒョイと持ち上げた。

「じゃ、行こうか」

 内心ルーカスが子ども慣れしている事に驚きつつ、私自身は子どもが苦手なので、助かったと内心安堵する。それから私達は急いで部屋を出ると、外の様子をうかがいつつ、家を出た。そしてモリアティーニ侯爵の屋敷をみんなで目指したのであった。
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