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第七章 温泉旅行は愛と波乱に満ちている
第七十三話 朝日に迫る危機?
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現在の時刻はちょうどお昼時。しかし、混雑を心配する必要はない。なんせ五月調べで本日の男性客は、わずかに二十三組。対してこの別館『海神』の部屋数は百二十室。圧倒的ガラガラである。
新築独特の匂いが残る絨毯張りの廊下に「うえっへっへっへ。おっすしー! おっすしー!」と、ご機嫌な声が響く。
「あはは。梅ちゃんほんとに楽しみなんだね」
「あの……大和さん。恥ずかしいので十メートルくらい離れていただけませんこと?」
「うっせー! 金持ちは黙ってろっての。へっ、六十分で五千円。最低十倍は食ってやんぜ――」
五月の冷たい視線もなんのその。バチンと拳を手のひらで打ち鳴らして梅が気合いを入れる。
「あら、大和さんにしては控えめな目標ですわね」
「――原価でな!」
「意味がわかりませんわっ!?」
余談だが、おおよそ一般的外食系の原価率設定は二十~三十%台である。飲食店バイト経験のある梅ならではの謎目標なのだ。
「いやっほー」と二十一歳社会人女性が、一番乗りとばかりに回らないお寿司食べ放題会場へ突撃する。赤みがかった茶髪のショート天パにパッチリとした可愛い猫目。149センチの低身長かつ八重歯がチャームポイントの子供体型。スーツ姿でなければ、まるで遊園地の入場券を手に持ってはしゃぐ子供であった。
「うおっ、すげえな! 本当に高級寿司屋まんまじゃねえか?」
「ほんとだ。これテレビのグルメ番組とかで見るアレだね」
この別館一階にある大型ホールの会場。そこに丸々高級寿司店舗を再現したブースが十箇所、つまりは十店舗分。ホールの中に建てられている状態であった。まさに男性客へアピールする為の、金に糸目をつけないイベントと言えよう。
案内係に誘導され、入り口から少し離れた店舗に通される。すでにいくつかの店舗には客が入っているようだ。朝日たちは寿司屋らしい木製の引き戸をガラガラと開けて暖簾をくぐる。それらしい造りなのだが、屋根がないので多少シュールではある。
店内はもちろん職人たちと対面のカウンター席。威勢のよい挨拶が飛びかう。ところがすでに女性客が一名カウンターに座っていた――朝日、五月、梅は目を疑う。
「ふぁっ、ふぁさひふんふぁてっふぁ。ふぇふぁふぉうぃふぃうぃお!(あっ、朝日君待ってた。めちゃおいしいよ!)」
リスのように頬を膨らませた深夜子が寿司を満喫中である。ボタン海老の尻尾を口からはみ出させて手を振っている。
「「うおおおおおおいっ(ですわっ)!!」」
「はっ!? えっ!? み、深夜子さん? なんで? どうやってここに……」
「ふっ……朝日君。それは乙女の秘密」
深夜子はごくりと口いっぱいの寿司を飲み込み。人差し指を唇に当てる。
「な、に、が、乙女の秘密だっつーの。深夜子てめえ、窓から飛び降りてショートカットして来たやがったな?」
「いやいや、僕らの部屋って八階だよ?」
「ぐっ、梅ちゃん。ネタばらしはマナー違反」
「えええええっ!?」
朝日の記憶だと、窓側は確か渓谷だったような……。
「……貴女方。もう少し人間らしい振る舞いをお願いできませんこと?」
「おいちょっと待て! なんで俺までワンセットにしてやがんだよ!?」
「その発想がでる時点でおかしいですわっ!」
日頃なら五月のツッコミを皮切りに賑やかなやり取りが始まるのだが、今日は事情が違う。梅は深夜子に負けじと席について注文を始める。そう、五千円六十分の戦いはこれからだ――。
そろそろ深夜子と梅の食べ放題が残り十分程度。その食べっぷりに青ざめた職人たちが食材の心配を始めている。すでに満腹になって、五月と温かいほうじ茶を飲んでくつろいでいた朝日がふと席を立つ。
「朝日様どうなされまして?」
「ちょっとお手洗いに行ってきますね」
「それでは――」と五月がただひたすらに寿司を口へと放り込み続ける二人に目をやってため息一つ。
「私が付き添い致しますわ」
「五月さん、お手洗いだけだから大丈夫ですよ。ここ建物内だし、特区ですよね」
「そう……ですの?」
朝日の反応に腕時計を見ながら五月は思案をめぐらせる。
自分と朝日はすでに食事を終えている。日ごろ、外出中にトイレ前待機で警護されるのを朝日は恥ずかしいとの理由であまり好まない。確かに本日の現場は男性客と警護官、後は施設の職員程度――いや、とは言え少しでも近い場所で待機すべきである。
「では朝日様。そこのブラックホール二人は置いて先にお店を出ましょう。私、会場入り口のロビーでお待ちしておりますわ」
「ふぁっふぃーふぁぼんば!(五月頼んだ!)」
「ふぼぁべぇばふぁふふぃ。ふでゅふぉっはっへっははふぉ!(すまねえな五月。すぐ追っかけっからよ!)」
「貴女方は食べるかしゃべるかどちからにしてくださいませっ!!」
ラストスパートと言わんばかりに食べ続ける二人にあきれつつ、五月は朝日を連れて会場を後にするのであった。
さて、この超大型リゾートホテル別館『海神』はワンフロア面積が非常に大きい。トイレの数もそれなりにあるのだが、この世界で女性用トイレと男性用トイレの設置数は必然人口比率が影響している。いかに男性福祉対応と言っても、女性用トイレに対して二分の一程度の設置数である。
そして運が悪かった。と言うことは誰にでもある。朝日がロビーで五月と別れて一番近いと思った男性用トイレの案内標識。たまたま遠い方向のものを見つけてしまったのだ。結果――。
「あれ……僕もしかして逆方向に来っちゃった?」
朝日はフロア案内図をながめながら一人ごちっている。どうやらトイレを出て、自分が来た方向と反対にぐるりと建物を半周近くしてしまったらしい。
いわゆる大型ホテルあるある。例えば、廊下の突き当たり。左右対称の造りで似通った場所がフロア内に複数あることで方向を見失い道に迷ってしまうなどだ。
「あー、早く戻らないと五月さん心配しちゃうな。え、と、こっちの廊下を突っ切れば早く戻れるかな?」
と言ってもここは男性特区の建物内。何も問題はないと思った朝日はスマホで連絡を取らず、五月の下まで最短距離と思われる廊下へ駆け出した。
そこから少し進んだ先の曲がり角で「――あっ!?」出会いがしらに何者かとぶつかってしまう。
相手は驚いた程度だったようだが、朝日は反動で廊下にしりもちをつく。
「ごっ、ごめんなさい。ちょっと急いでて……」
しかし、走っていた自分が悪い。すぐに謝りの言葉を口にした。
「おいおい、何やって――えっ?……だ、男性? こっ、こりゃあ申し訳ない。ウチらの不注意で……あ……」
「あ、あの……?」
鉢合わせでぶつかったのは、警護官らしき制服を着た女性二人組の一人。共に身長は180センチ近く、体格も朝日よりずいぶんと大きい。一人は茶髪のショートヘアで顎が小さくカマキリを思わす風貌。もう一人は黒髪のミディアムヘアで特徴の薄いのっぺり顔だ。
茶髪の警護官はぶつかってきた朝日が男性であることに気づき、すぐに下手にでるもその美貌に固まってしまう。そう運が悪かったのは、何も道に迷ったことのみでは無い。
こちらでの暮らしにも随分と慣れ、道行く女性を引き寄せる自分の外見に、いつしか外出中は帽子を被るようになっていた。しかし今日は温泉旅行で建物の中、つい帽子を忘れていた。二人の警護官はマジマジと朝日の顔を見つめている。
「おいおい。めちゃくちゃ可愛い……もしかして温泉の妖精?」
「うひょお、こんな子初めてみたわ。あっ、君どうしたの? 今、一人かな?」
二人の表情はみるみる蕩けるように紅潮し、鼻息荒く朝日に迫り始めた。
「えっ……いや、……っ!?」
朝日の背筋に悪寒が走る。
女性を惹きつけ、言い寄られるのにはある程度慣れている。問題はこの二人の制服に見覚えがあることだ。似たようなデザインをどこかで見たことがある。何よりいい気分がしない――そう、新月に連れられて行った『経済推進同盟の会合』その会場でトラブルになった相手。梅と喧嘩(一方的だったが)した連中と、色は違えど同じ柄の制服に、同じひし形の金バッチをつけていた。
「ははーん。もしかしてさあ。道に迷っちゃったりしてるう? だよねえ。ここって広すぎで造りも悪いし、オネーサンたちも困っちゃってねえ。あはははは」
「そうそう。だからさ、あたしたちが送ってあげよっか? ね!」
ニヤニヤとしながら、茶髪と黒髪は嫌な笑顔で近寄ってくる。
「あ、その……僕は、戻る場所はわかってますから……」
「遠慮しないでいいんだよお。オネーサンたちが君のこと警護しながら送ってあげるよお。一人で困ってる男性をさあ。放置できないんだなあ、これが。オネーサンたちそういう仕事だから」
断ろうにも矢継ぎ早にあれこれとまくし立てられる。言っていることは警護官らしい内容ではあるが、茶髪のその目は全然別のことを語っている。むちゃくちゃ可愛い男の子を見つけた。ちょっとくらいおいしい目を見てもいいんじゃないかと。
朝日にとって本当に運が悪かったと言える事。それは出会ったこの連中が、国内大手ゼネコン桐生建設の運営する会社の者であったことだ。そう、彼女らは健全な民間男性警護会社を名乗ってまじめに仕事をしてはいるが、実のところ中身は関連してる暴力団の組員たちである。
「まずはちょっと事情を聞かせてくれるかな。そうだ! 君、のど渇いてない? ほら、そこに自販機コーナーあるから行きましょう」
「大丈夫だよお。お茶でもしながら、ねえ。それから、さっきオネーサンとぶつかっちゃったでしょお。なので怪我とかしてたら大変じゃない。調べてあげるねえ」
「そそそ、君みたいな可愛い子が怪我してたら、大変だもんね。うふふ」
「いや……ぼ、僕は……近くに警護官が待ってますので、一人で戻れ――――あっ」
そう言って彼女たちの間を抜けようとしたが、茶髪に腕を巻き取られて抱き寄せられる。深夜子たちとはあきらかに違ういやらしい手つき。
何より彼女らが言う自販機コーナーは通路から離れた袋小路になっている。朝日は強烈に嫌な予感を覚える。間違いなくこの女性たちと行って良い場所ではない。
しかし逃げれられない。余りにも身体能力に差がある上に、二人に挟まれ逃げる隙間を潰されているのだ。戸惑っている間に黒髪も朝日の肩へと手を回す。やっぱり手つきはいやらしい。
このままでは何をされるかわからない。
叫ばなくては、助けを呼ばなくては――――だが、声が出なかった。思っていた以上に朝日の身体を恐怖が支配していた。手が震える。涙が溢れそうになる。脳裏に浮かぶのは深夜子たちの顔……どうしよう、そう思った瞬間。
「はぁ~い、そこのオタクら二人。ストッ~~~プってねぇ」
朝日の記憶にある誰かの声が響いた。
――時間は少し巻き戻る。こちらは本来朝日が戻るべきロビーである。
結果、五月が異変を察知するのに若干の時間を要した。何分、朝日が大きい方の用を足していると思って待っていたからだ。
「……八分三十秒経過。あら、朝日様の平均所要時間をもう二分超えておられますわね。もしやお腹の調子でも悪くされたのかしら?」
――それから経過すること、もう二分。
「……十分……三十秒!? まさかっ!!」
ここで行動開始。朝日が向かったトイレの場所が遠方であったこと。帰り道に迷った可能性に気づく。深夜子、梅に緊急メールを送って五月は駆け出した。
新築独特の匂いが残る絨毯張りの廊下に「うえっへっへっへ。おっすしー! おっすしー!」と、ご機嫌な声が響く。
「あはは。梅ちゃんほんとに楽しみなんだね」
「あの……大和さん。恥ずかしいので十メートルくらい離れていただけませんこと?」
「うっせー! 金持ちは黙ってろっての。へっ、六十分で五千円。最低十倍は食ってやんぜ――」
五月の冷たい視線もなんのその。バチンと拳を手のひらで打ち鳴らして梅が気合いを入れる。
「あら、大和さんにしては控えめな目標ですわね」
「――原価でな!」
「意味がわかりませんわっ!?」
余談だが、おおよそ一般的外食系の原価率設定は二十~三十%台である。飲食店バイト経験のある梅ならではの謎目標なのだ。
「いやっほー」と二十一歳社会人女性が、一番乗りとばかりに回らないお寿司食べ放題会場へ突撃する。赤みがかった茶髪のショート天パにパッチリとした可愛い猫目。149センチの低身長かつ八重歯がチャームポイントの子供体型。スーツ姿でなければ、まるで遊園地の入場券を手に持ってはしゃぐ子供であった。
「うおっ、すげえな! 本当に高級寿司屋まんまじゃねえか?」
「ほんとだ。これテレビのグルメ番組とかで見るアレだね」
この別館一階にある大型ホールの会場。そこに丸々高級寿司店舗を再現したブースが十箇所、つまりは十店舗分。ホールの中に建てられている状態であった。まさに男性客へアピールする為の、金に糸目をつけないイベントと言えよう。
案内係に誘導され、入り口から少し離れた店舗に通される。すでにいくつかの店舗には客が入っているようだ。朝日たちは寿司屋らしい木製の引き戸をガラガラと開けて暖簾をくぐる。それらしい造りなのだが、屋根がないので多少シュールではある。
店内はもちろん職人たちと対面のカウンター席。威勢のよい挨拶が飛びかう。ところがすでに女性客が一名カウンターに座っていた――朝日、五月、梅は目を疑う。
「ふぁっ、ふぁさひふんふぁてっふぁ。ふぇふぁふぉうぃふぃうぃお!(あっ、朝日君待ってた。めちゃおいしいよ!)」
リスのように頬を膨らませた深夜子が寿司を満喫中である。ボタン海老の尻尾を口からはみ出させて手を振っている。
「「うおおおおおおいっ(ですわっ)!!」」
「はっ!? えっ!? み、深夜子さん? なんで? どうやってここに……」
「ふっ……朝日君。それは乙女の秘密」
深夜子はごくりと口いっぱいの寿司を飲み込み。人差し指を唇に当てる。
「な、に、が、乙女の秘密だっつーの。深夜子てめえ、窓から飛び降りてショートカットして来たやがったな?」
「いやいや、僕らの部屋って八階だよ?」
「ぐっ、梅ちゃん。ネタばらしはマナー違反」
「えええええっ!?」
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「……貴女方。もう少し人間らしい振る舞いをお願いできませんこと?」
「おいちょっと待て! なんで俺までワンセットにしてやがんだよ!?」
「その発想がでる時点でおかしいですわっ!」
日頃なら五月のツッコミを皮切りに賑やかなやり取りが始まるのだが、今日は事情が違う。梅は深夜子に負けじと席について注文を始める。そう、五千円六十分の戦いはこれからだ――。
そろそろ深夜子と梅の食べ放題が残り十分程度。その食べっぷりに青ざめた職人たちが食材の心配を始めている。すでに満腹になって、五月と温かいほうじ茶を飲んでくつろいでいた朝日がふと席を立つ。
「朝日様どうなされまして?」
「ちょっとお手洗いに行ってきますね」
「それでは――」と五月がただひたすらに寿司を口へと放り込み続ける二人に目をやってため息一つ。
「私が付き添い致しますわ」
「五月さん、お手洗いだけだから大丈夫ですよ。ここ建物内だし、特区ですよね」
「そう……ですの?」
朝日の反応に腕時計を見ながら五月は思案をめぐらせる。
自分と朝日はすでに食事を終えている。日ごろ、外出中にトイレ前待機で警護されるのを朝日は恥ずかしいとの理由であまり好まない。確かに本日の現場は男性客と警護官、後は施設の職員程度――いや、とは言え少しでも近い場所で待機すべきである。
「では朝日様。そこのブラックホール二人は置いて先にお店を出ましょう。私、会場入り口のロビーでお待ちしておりますわ」
「ふぁっふぃーふぁぼんば!(五月頼んだ!)」
「ふぼぁべぇばふぁふふぃ。ふでゅふぉっはっへっははふぉ!(すまねえな五月。すぐ追っかけっからよ!)」
「貴女方は食べるかしゃべるかどちからにしてくださいませっ!!」
ラストスパートと言わんばかりに食べ続ける二人にあきれつつ、五月は朝日を連れて会場を後にするのであった。
さて、この超大型リゾートホテル別館『海神』はワンフロア面積が非常に大きい。トイレの数もそれなりにあるのだが、この世界で女性用トイレと男性用トイレの設置数は必然人口比率が影響している。いかに男性福祉対応と言っても、女性用トイレに対して二分の一程度の設置数である。
そして運が悪かった。と言うことは誰にでもある。朝日がロビーで五月と別れて一番近いと思った男性用トイレの案内標識。たまたま遠い方向のものを見つけてしまったのだ。結果――。
「あれ……僕もしかして逆方向に来っちゃった?」
朝日はフロア案内図をながめながら一人ごちっている。どうやらトイレを出て、自分が来た方向と反対にぐるりと建物を半周近くしてしまったらしい。
いわゆる大型ホテルあるある。例えば、廊下の突き当たり。左右対称の造りで似通った場所がフロア内に複数あることで方向を見失い道に迷ってしまうなどだ。
「あー、早く戻らないと五月さん心配しちゃうな。え、と、こっちの廊下を突っ切れば早く戻れるかな?」
と言ってもここは男性特区の建物内。何も問題はないと思った朝日はスマホで連絡を取らず、五月の下まで最短距離と思われる廊下へ駆け出した。
そこから少し進んだ先の曲がり角で「――あっ!?」出会いがしらに何者かとぶつかってしまう。
相手は驚いた程度だったようだが、朝日は反動で廊下にしりもちをつく。
「ごっ、ごめんなさい。ちょっと急いでて……」
しかし、走っていた自分が悪い。すぐに謝りの言葉を口にした。
「おいおい、何やって――えっ?……だ、男性? こっ、こりゃあ申し訳ない。ウチらの不注意で……あ……」
「あ、あの……?」
鉢合わせでぶつかったのは、警護官らしき制服を着た女性二人組の一人。共に身長は180センチ近く、体格も朝日よりずいぶんと大きい。一人は茶髪のショートヘアで顎が小さくカマキリを思わす風貌。もう一人は黒髪のミディアムヘアで特徴の薄いのっぺり顔だ。
茶髪の警護官はぶつかってきた朝日が男性であることに気づき、すぐに下手にでるもその美貌に固まってしまう。そう運が悪かったのは、何も道に迷ったことのみでは無い。
こちらでの暮らしにも随分と慣れ、道行く女性を引き寄せる自分の外見に、いつしか外出中は帽子を被るようになっていた。しかし今日は温泉旅行で建物の中、つい帽子を忘れていた。二人の警護官はマジマジと朝日の顔を見つめている。
「おいおい。めちゃくちゃ可愛い……もしかして温泉の妖精?」
「うひょお、こんな子初めてみたわ。あっ、君どうしたの? 今、一人かな?」
二人の表情はみるみる蕩けるように紅潮し、鼻息荒く朝日に迫り始めた。
「えっ……いや、……っ!?」
朝日の背筋に悪寒が走る。
女性を惹きつけ、言い寄られるのにはある程度慣れている。問題はこの二人の制服に見覚えがあることだ。似たようなデザインをどこかで見たことがある。何よりいい気分がしない――そう、新月に連れられて行った『経済推進同盟の会合』その会場でトラブルになった相手。梅と喧嘩(一方的だったが)した連中と、色は違えど同じ柄の制服に、同じひし形の金バッチをつけていた。
「ははーん。もしかしてさあ。道に迷っちゃったりしてるう? だよねえ。ここって広すぎで造りも悪いし、オネーサンたちも困っちゃってねえ。あはははは」
「そうそう。だからさ、あたしたちが送ってあげよっか? ね!」
ニヤニヤとしながら、茶髪と黒髪は嫌な笑顔で近寄ってくる。
「あ、その……僕は、戻る場所はわかってますから……」
「遠慮しないでいいんだよお。オネーサンたちが君のこと警護しながら送ってあげるよお。一人で困ってる男性をさあ。放置できないんだなあ、これが。オネーサンたちそういう仕事だから」
断ろうにも矢継ぎ早にあれこれとまくし立てられる。言っていることは警護官らしい内容ではあるが、茶髪のその目は全然別のことを語っている。むちゃくちゃ可愛い男の子を見つけた。ちょっとくらいおいしい目を見てもいいんじゃないかと。
朝日にとって本当に運が悪かったと言える事。それは出会ったこの連中が、国内大手ゼネコン桐生建設の運営する会社の者であったことだ。そう、彼女らは健全な民間男性警護会社を名乗ってまじめに仕事をしてはいるが、実のところ中身は関連してる暴力団の組員たちである。
「まずはちょっと事情を聞かせてくれるかな。そうだ! 君、のど渇いてない? ほら、そこに自販機コーナーあるから行きましょう」
「大丈夫だよお。お茶でもしながら、ねえ。それから、さっきオネーサンとぶつかっちゃったでしょお。なので怪我とかしてたら大変じゃない。調べてあげるねえ」
「そそそ、君みたいな可愛い子が怪我してたら、大変だもんね。うふふ」
「いや……ぼ、僕は……近くに警護官が待ってますので、一人で戻れ――――あっ」
そう言って彼女たちの間を抜けようとしたが、茶髪に腕を巻き取られて抱き寄せられる。深夜子たちとはあきらかに違ういやらしい手つき。
何より彼女らが言う自販機コーナーは通路から離れた袋小路になっている。朝日は強烈に嫌な予感を覚える。間違いなくこの女性たちと行って良い場所ではない。
しかし逃げれられない。余りにも身体能力に差がある上に、二人に挟まれ逃げる隙間を潰されているのだ。戸惑っている間に黒髪も朝日の肩へと手を回す。やっぱり手つきはいやらしい。
このままでは何をされるかわからない。
叫ばなくては、助けを呼ばなくては――――だが、声が出なかった。思っていた以上に朝日の身体を恐怖が支配していた。手が震える。涙が溢れそうになる。脳裏に浮かぶのは深夜子たちの顔……どうしよう、そう思った瞬間。
「はぁ~い、そこのオタクら二人。ストッ~~~プってねぇ」
朝日の記憶にある誰かの声が響いた。
――時間は少し巻き戻る。こちらは本来朝日が戻るべきロビーである。
結果、五月が異変を察知するのに若干の時間を要した。何分、朝日が大きい方の用を足していると思って待っていたからだ。
「……八分三十秒経過。あら、朝日様の平均所要時間をもう二分超えておられますわね。もしやお腹の調子でも悪くされたのかしら?」
――それから経過すること、もう二分。
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