女装メイドは奪われる

aki

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1巻 1章 クリス

第二話

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 神殿は相変わらず荘厳だ。
 室内の壁は純白に塗られ、大聖堂を支える太い柱には金の螺旋が描かれている。室内には年季の入った木製の長い机と、それに対応した、これまた年季の入った木製の長い椅子が均等に横に並べられており、机と机の中央には真っ直ぐ赤い絨毯がしかれている。
 赤い絨毯の先には全体を見渡せるように一つの大きな机が置かれており、神官がそこに立てば室内全体を見渡せるようになっている。ここでスキルの神託を受けたり、神官によるスキルを使ったカウンセリングが行われたりするのだ。
 相も変わらず荘厳な神殿で、今、メロディア令嬢がうつむき、両手を組んで、両膝を絨毯に着けて祈りながら職業スキルの神託を受けている様子を、クリスは一番前に置かれた硬い長椅子に座って眺めていた。斜め後ろにいる形になるのでメロディアの表情はわからないが、緊張をしている様子はとてもよくわかった。目の前の神官の言葉に震える声で返答していたからだ。
 そんな少女に神託を伝える役目の神官は静かに佇み、神託を伝えるためのスキルを行使していた。彼の頭上には巨大な太陽をかたどった銀の装飾が飾られているのだが、神を表現したもので、神の象徴とされているオブジェだからか、そのスキルに応じて淡く光っている。このいつ見ても神聖な光に、クリスは暖かい神の加護を感じた。
 いつも、いつでも、神は隣にいる。穏やかに見つめている。別に何かの拍子で助けてくれたりはしない。人の都合で幸運をもたらしてくれるわけでもない。それを望むのは人の傲慢だ。神は等しく生きとし生けるものを見守っているのだ。そっと微笑んでくれているのだ。それが、クリスにはよくわかった。そんな神々しく温かな光なのだ。
 私は神に見守られている。そしてお嬢様も。
 クリスは確信した。しかし同時に疑問に思う。
 ですが。神よ、だとしたら私はなぜ『護衛メイド』なのでしょうか。確かにこの職業スキルは強力です。最初に覚えたスキル≪乙女のきめ細やかな肌≫は同僚のメイドも、戦闘を担う方もうらやみます。メイドはその見た目の効果に。戦闘職の方は常時身体を回復させる効果に。
 似た職業スキルで言えば、さらに戦闘に特化した上級の職業スキル『戦乙女』があります。これならば普通に……。いいえ。戦闘に関連した職業スキルでいえば、下級であれば『剣士』もありますし、『槍士』だってあります。下級のこれらは『護衛メイド』よりもはるかに一般的な職業スキルです。どうして私はこれらではないのでしょうか。
 普通ならば。この思いは私の傲慢なのでしょうか。みんなと同じようにと願うこの心は私のわがままなのでしょうか。……そうですね、わがままなのかもしれません。おかげで私は侯爵家に拾われて、お嬢様に出会えたのですから。
 クリスはいつの間にか両手を組んでいた。自然と、意識せずとも力が入っていく。
 しかし同時に思うのです。なぜ私は男性から夜のお誘いをされなければならないのかと。どうして私はいやらしい目で見られなければならないのかと。あの全身を舐められているかのような視線。今はお嬢様が私を守ってくださいます。しかし。しかしながら。これももう長くはありません。なぜならご存知の通りお嬢様は十歳。王国貴族の規定として、職業スキルに応じた職業に5年ほど関わらなければならないのです。
 クリスは悲しいことに頭が良い。ゆえに現状をよく認識していた。自らが受けている視線。自らの微妙な立場。自らの危うい将来。けれどクリスはメロディアのことを案じた。必死に。わが子を想う母のように。
 違います。すでに私は受け入れております。これが私なのだと、背筋をピンと伸ばしております。神の慈愛により、私はお嬢様と出会い、幸せな日々を送ることができています。これほど幸せなのにどうして恨みましょうか。感謝しております。神よ、感謝しております。
 しかしながら。神よ、おお、神よ。どうかメロディアに祝福を。傲慢と思われてもいい。強欲だと思われてもいい。どうかあの子にお優しい道をお与え下さい。道次第では、私があの子と一緒に歩けることはもうできなくなるでしょう。あの子の寝顔を見ることはできなくなるでしょう。それでもいい。あの子が幸せになれる道なのであれば。
 あの子はさみしい娘なのです。それでいてさみしがり屋なのです。それをご理解ください。私の場合は難しい道なりでした。それは今も変わりません。これからも厳しい道が続いていくことでしょう。しかしあの子だけは、メロディアは……、私のメロディアだけは、どうか……っ!

「――リス。クリスっ」
「……お嬢様?」
「もう! 考え事? 終わったよ?」
 
 瞳を開けると、メロディアがぷりぷりと怒っていた。言葉を覚えてからはよく、そして成長した今でも時折クリスに向ける、「クリス、見て見て!」と甘えて呼び込むも、クリスが目を離してしまっているのを発見した時の表情だ。

「すみません」

 自然と頬が緩んだ。座ったまま目の前の少女を抱きしめる。痛いほど強く両手を組んでいたらしい。じんわりと手の血液が循環していくのを感じた。
 クリスの背中に細い腕が回される。か弱い力だ。しかしひな鳥のような力強さもある。ポン、ポンとメロディアの背中を軽く叩き、小さく「愛してますよ」とつぶやいて少女を離した。
 少し不満そうで、それでいてにやけるのを我慢したような表情で、だけれど誤魔化すように頬を膨れさせてメロディアはいつもの要求をした。

「ちゃんと見てて。十歳の神託は一生に一度なんだから」
「ちゃぁんと見てましたとも。緊張で震えて、ご自分のお名前もきちんと言えてなかったところも、ちゃぁんと見てますよ」
「もう! そこは見なくていいのっ」
「ふふふ。そうですね」
 
 言って、メロディアの頭に乗せようと手を伸ばした。が、数舜躊躇い、止めた。
 お嬢様は十歳。大人へと昇る年齢なのだから。私がしっかりしなければ。それに……。
 瞳がほんの少しだけ熱くなる。
 それに、スキル次第では、もうすぐお別れになってしまうかもしれないのだから。
 が。育ての親の表情を伺うようにして覗いていたメロディアは、そんなクリスの想いを無視して、自身からクリスの手のひらに頭を付けた。そうなってしまえば手を動かさざるを得ない。「もう、お嬢様ったら」と小さく吹き出してお互いに笑い合い、もう一度抱きしめて、そのままじっくりと、じっくりと時間を惜しみつつ頭を撫でた。

「それでね、クリス」

 きた。
 きてしまった。
 この時間が訪れてしまった。
 高鳴る鼓動。この音が少女に聞こえてしまわないよう、専属メイドは慎重に息を吐きだした。

「はい」
「私ね」
「はい」

 首元で震えている声はどちらのものなのか。

「私ね」
「……はい」

 けれど力強く彼女は宣言した。

「職業スキル『剣士』だったよ」
 
 すぐに言葉が出なかった。
 剣士!
 剣士!?
 剣士ですって!?
 神よ、どうして、どうしてそのような試練をお与えになられるのでしょうか! このような幼い女の子に剣を持たせようとなさるなんて。私は傲慢だったのでしょうか。願ったのが間違いだったのでしょうか。この、世間を知らない子に、外を、危険な外を歩かせるというのでしょうか!
 あふれる想い。しかしながら口には出さない。
 笑顔を。この子に笑顔を見せなければ。

「ふふ。それはそれは、勇ましいですね」
「でしょう。私、嬉しかったんだ」
「嬉しい?」

 疑問。
 表情を確認しようと、愛しい少女を解放する。
 満面の笑み。少女は本当に喜んでいた。
 いぶかしんでいると、今度はメロディアも首を傾げた。

「あれ? だって、これでクリスとずっと一緒にいれるよね?」
「私と……?」

 私と一緒に?
 どういうこと?
 剣士とメイドが一緒?
 
「クリスは嫌だった?」
「いいえ。とっても嬉しいです。でもどうして私が一緒だと?」
「私が外に行っても、クリスなら一緒に戦えるよね? だから……」
 
 不安になってきたのか、可愛らしい眉が下がっていく。
 対照的に、クリスは自身の表情がこわばっていくのを理解してしまったため、悟られないように「ありがとうございます」とささやきつつ、再度抱きしめた。
 この子はまさか。

「そうですね。戦えますよ」

 まさかこの子は。

「だよね。ハンターになっている間も、一緒にいれるよね?」
「……もちろんですとも」
 
 やっぱり!
 この子は危険な場所に行こうとしている!
 モンスターと戦おうとしている!

「でもどうしてでしょうか。お嬢様は貴族のご令嬢。ごくごくたまに、のんびりと一、二年程度剣士の練習をした後に、ご婚約、そして結婚の準備をするという名目で、のらりくらりと5年を過ごしてハンターにならない道もありますのに」
「でもそれだとクリスとすぐに離れ離れになるもん」
「そんなことはありませんよ」
「嘘!」
 
 クリスの背中に小さな手。それが強く締め付けてきた。
 こんなにか弱いのに。モンスターと戦わなくても。

「そんなことない!」
「それでも剣士の練習をしている間ぐらいまでは……」
「それが嫌なの! 私がどこに行っても、クリスは一緒に付いてくる。付いてこなきゃダメなの。クリスは私のメイド。結婚してもずっと一緒よ」
「……甘えん坊さんですねぇ。神が見てますよ?」
「いい。ずっと一緒にいたいって祈ってたから、前から知ってるもん」
「もう」
 
 メロディアの背中をさする。
 どうしよう。どうするべきか。この子に危険なことはさせられない。絶対にさせたくない。モンスターと戦うなんて、そんなことはさせない。ならどうする。私はどうするべきなのだろう。この子は私と一緒にいたいらしい。とても嬉しいことだけど、よりにもよってハンターだなんて。
 ひとまず御屋形様に報告しないと。御屋形様、御屋形様だ。あの人がどういう判断をするかでまた変わってくる。でもハンターにはさせない。お願いをしなければ。この子に危険なことをさせないように。なにがいいだろう。やっぱり婚姻か。私が一緒にいられるように? できるの? けど……。
 
「ですけど、私は御屋形様に雇われていますので――」
「知ってるよ。クリス。私、知ってるの」
「えっ?」
「でもクリスは私のクリスなの。私のクリスは誰にも渡さない。私が結婚しても。クリスが結婚しても。クリスは私のクリスなんだから」
 
 のどが、ヒリヒリと焼き付いた。
 あぁ、この子は御屋形様の子だ。どうしようもなく御屋形様の子だ。

「だからね、クリス。私からも頼むから。クリスからも、頼んで。ね?」
「……はい、お嬢様」
「約束よ?」
 
 抱きしめたままでは幼い少女の表情はわからない。だがクリスは悟った。悟ったのだった。この小さな貴族には、自身の主人と同じ血が流れているということを。悟ってしまったのだった。
 今。
 私の愛しいメロディアは。
 きっと、御屋形様のように笑っている。
 三日月のごとく頬まで裂けるように。
 上手くいったと。
 神は自分を味方していると。
 自信満々に次の計算をしている。
 けれどまだ幼い虎だ。
 牙も。
 爪も。
 身体すらも。
 鋭く力強く成長していない。
 自分が幼いことをまだ客観視できていない。
 報告しなければ。そして……。
 見上げると、豪奢なステンドグラスがあった。日光を受けて、鮮やかに輝く芸術品だ。神殿だからこそ作ることができる高価な嗜好品。それがあるからこうして明るく豪奢に神殿が照らされている。それがあるからこうして不自由なく室内を歩ける。とても重要で、とても雅なステンドグラス。
 しかし、普段であればさわやかに感じる光が、今日ばかりはそうとは思えなかった。
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